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神秘の顕現

「……ああ?」

工藤浩次は、突然に湧き上がった悪寒に、思わず悪態を吐いた。
ここ最近、新しい愛人にしようとちょっかいを出していた、危うげな美人。
麗花に言われてやって来た、待ち合わせの交差点。

『じゃあ、一度アタシとデートしてよ。ちゃんと満足させてくれたら、考えるわ』

そう言われて、こうしてやって来たのだが。
待ち人はおらず、嫌な悪寒は収まらない。

近くには取り巻きを紛れ込ませていた。今日は、あの淫らな美人を、人気のない場所に連れ込んで、心ゆくまで楽しむつもりだったのだ。
それこそ、あの男漁りが趣味のふしだら女でも、絶対に「満足」するように。

「ちっ、すっぽかされたかぁ? あの女、次に会ったら……」

そうぼやいて、交差点を渡り始めた瞬間。
十字路のど真ん中で、彼は「それ」を見てしまった。

「ほほ、あな懐かしや。交差路で敵を呪うは、海の島々の魔女が得意としておったかのう」

足元まで垂れ下がった、黒いローブ。流れ落ちるは、新月の夜のように黒い髪。
彼が今まで見てきた中で、最も完璧な、非現実的なほどに美しい顔かたち。

なのに、どうしてだ。
欲望を掻き立てるはずの美女から感じるのは、おぞましい恐怖だけ。
にげろ、にげろと心の奥深くから叫ぶ声。
ひっ、と漏れたのが自分の呻き声だと、気付くのには時間がかかる。

ぬるり、と、ひどく滑らかな動作で、女は歩き始めた。
まるで両足が地面についていないような動作。

微笑みながら近付く「それ」を見て、彼は知る。
これが、これこそが、どうしようもない行き止まり。
彼の「運の尽き」なのだと。

「な、なんだ……何なんだよ、おまえ……な、なんで、なんでオレなんだよっ!」

どうしてか分からない。
なのに、これが自分の死だと悟ってしまって、浩二は叫んだ。
こんなにも異様な姿の女なのに、周囲の誰も、気付く素振りもなく。
怯えて叫ぶやくざ者に、一顧だにしない。
変装して一部始終を見守っていた麗花だけが、異常に気が付いていた。

「さて、どうしてであろうかの。雷は落ちる先を選ばぬし、洪水は時季を選ばぬ。
人が人を呪うは理由があれど、それに妾が応えるか否かは、気まぐれよ。
神たるモノの意志は、人の子が御しうるものではないわ。
されど、それでも、こうして神々が不要な時代を作り上げてもなおーー呪いを奉じ、魔女術を用い、神を召喚するは、いじましきよな」

そして、いつの間にか、何も出来ないまま、「それ」は彼の目の前に立っていて。
骨のように白い指を、その額に突きつけた。

「あ……ぐっ……」

ぐたり、と力が失われる。
交差点のど真ん中で、男が唐突に倒れ伏し、動かなくなる。
そうして始めて、周囲の人々は騒ぎ始め、悲鳴を上げて救急車が呼ばれるが、男は既に冷たくなっていた。

そして喧騒の中を、まるで別世界にいるように、「それ」が麗花の元へと歩いてくる。

首尾よく敵を呪殺した、現代の魔女、麗花は、数瞬前まで絶頂にあった。
面倒な敵を、あっけなく片付ける快感。頬を紅潮させる、異常な昂奮。
それが、氷水を浴びせられたように、すっと引く。

「ひっ……」

次は自分だ次は自分だ次は自分だ。

頭に浮かぶのは、その言葉だけだ。
「それ」は。自分が不用心にも呼び出したそれは。
とても人の身で操れるようなモノではなく。
人の望みどおりに、対価もなく従うようなモノでもなかったのだ。

喫茶店のテラス席。その椅子から転げ落ち、みっともなく後ずさりして、逃げようとするが。
金縛りにあったように身体が動かない。

「そう怯えずともよい。此度はそなたを殺さぬわ。
……妾の祭司から力を掠め取るなど、不遜なことをする魔女ではあるがな。
しかし、呪いを乞われるは、久方ぶりよ。妾も楽しんだゆえ、赦しを与える」
「あ、ああ、ありがとう、ございます……」

ガタガタと震え、必死になって言葉を紡ぐ魔女を前に。
「それ」はどうしてか、面白みを感じたように微笑んだ。

「それに、これも奇縁よ。いずれそなたを祝福することも、無いとは言えぬ。
では健やかにな、魔女の末裔よ」

そして「それ」は、現れたときと同じくらいに唐突に、姿を消した。

「……い、生きてる、わ……」

恐怖から解放されると、頭を使う余裕もできる。
何が悪かったのか、どこで間違えたのか考えれば、彼女はすぐに思い至った。
「それ」が咎めたのは、人を呪ったことではなく。
彼女が「祭司」の力を掠め取ったことだと。

「祭司って……やっぱ、あの男……いや、あのお兄さん、よね」

こうして現代の魔女は、本物の「神秘」の一端に触れたのだった。

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