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2話 これはサキュバスですか? いいえゾンビです

結論から言うと、俺は逃げられなかった。
扉を閉じるボタンも、各階への行き先ボタンも、なんなら緊急ボタンも。そのどれもが反応してくれなかったのだ。

「元の世界に帰りたいんですが……」

「無理よ。もう着いてしまったもの。だいたいあなたが望んだことでしょ?」

そりゃそうだ。
そりゃそうだけど、望んだからってホントに連れて来るバカがいるかよと言って差し上げたい。

「でも運が良かったわね。即死するような環境じゃなさそうよ」

「……運が悪ければそういう可能性もあったと?」

「当然でしょ。どういうわけか異世界転移を甘く見る人が増えてるようだけど、外国のお水でお腹を壊すほど弱い生物だという自覚がないのかしら? 空気の成分、未知の病原菌、重力、現地の危険生物。死なない環境の方が珍しいくらいよ」

だからそうならないように調整するのがわたしの役割なのだけどね、と彼女は小さく付け加えていた。だったらちゃんと成功させて頂きたいものである。

「あなたのせいでしょ!」

俺のせいだった。

「とにかく、もう帰ることは出来ないわ。この世界が、これからあなたの住む世界よ」

「そうか……。なら覚悟を決めなきゃな」

「そう思うならエレベーターから出てきたらどう?」

「嫌に決まってんだろ! 覚悟なんか決まるかよ! なんだよ異世界って!」

「即死はしないから大丈夫」

「遅死はするかもしれないだろ!」

「人は遅かれ早かれ死ぬものよ?」

「そういうことじゃねぇ!」

駄々っ子モードで足掻いてみたが、どうやら本気で帰れないらしい。
エレベーターにしがみ付いていた俺の身体が、不思議な力で外に弾き出されてしまったのだ。しかもこれと入れ替わり、女性がエレベーターに乗り込んでしまう。

「まさか置いて行くのかっ!?」

「わたしの仕事は連れてくるところまでだもの」

頼んでないのに異世界デリバリーされたあげく放置プレイとかどういうことだよ。カスタマーセンターに苦情を入れてやる。

「待ってくれって! どことも知らない場所に置いてかれたら――」

「大丈夫よ。ほら、お迎えが来たみたい」

は? と思いつつ振り返ると、確かに向こうから女性が近付いて来るのが見えた。

真っ暗な草原だ。月明かりだけでは、詳しい様子を窺い知ることができない。けどなんだか女性から生気が感じられないことに気付く。俺も生気がない方だけど、彼女に比べればまだマシだろう。俺が死にそうな瞳だとすれば、近付いてくる女性はお通夜中。ほぼほぼ死んでいらっしゃる感じだ。
しかも両手をだらんと前に突き出し千鳥足でのご接近は、もはやゾンビにしか見えなかった。

「なにあれっ!?」

「サキュバス……だと思うわ。だってここ、サキュバスたちが住む世界だから」

サキュバス。その名前はゲームや漫画で聞き覚えがある。
曰く、とても美しい女性の姿で男の夢に現れ、エロエロな行為で精液を搾り取る魔物だとか。
美女でエロくて床上手とか、男の願望過積載みたいな存在じゃんね。

若干の期待を込め、俺はもう一度ゾンビチックな姿を振り返ってみた。
確かによく見れば顔立ちは整っている。生前は美人だったんでしょうねって感じ。
ただ、サキュバスというと妖艶な肢体をくねくねさせながら誘惑してくるイメージだけど、近付いてきてる彼女はなんかぐねぐねしてる。主に関節が。そこぐねらせちゃイカンでしょ……。

「あれサキュバスじゃねぇって! エロよりグロじゃん! 妖艶な死体じゃん!」

「し、知らないわよ! とにかくそういうことだから! 頑張って生きるのよ! じゃっ!」

言うが早いか彼女はエレベーターの扉を閉じてしまった。
もちろんそれを阻止すべく俺は手を伸ばしたが、不思議な力に弾かれてしまう。まるで透明な壁があるみたいだ。

成す術がない俺は、下降を始めたエレベーターを見送ることしか出来ない。…………下降? 下降ってか、どんどん地面の中に埋まっていくシュールな光景だ。

けどそんなことはどうでもいい。

「待ってくれっ! 俺もっ! 俺も連れてってっ!」

どんな場所かも分からない異世界に置いてけぼりなんて絶対無理だから!

そう叫んだが、しかし彼女は待ってくれない。無情にも、エレベーターはあっという間に跡形もなく消え去ってしまったのだ。

悪あがきのように地面を探ってみたが、エレベーターが埋もれたのが嘘のように、そこにはなんの変哲もない土が広がるばかり。

全て夢だったんじゃないか?
現実逃避に現実逃避をトッピングしそうになるけど……

「ち……んぽぉ……」

すぐ背後から聞こえた声で、俺は正気に戻らざるを得なかった。

そうだった。
後ろから自称サキュバスのゾンビ女が近付いてきてるんだった。

「や、止めろ……っ! 近寄るなっ!」

手を振り回しながら後退り、改めてソイツを良く見てみた。

服装は、中世ヨーロッパ辺りで市民が着てそうな衣服。白いワンピースの上から、前編みの赤いコルセットのようなものを着ている。おかげでウェストがキュッとくびれ、豊満な胸が殊更に強調されていた。

ただし彼女はその姿で何日も彷徨っているのか、裾は汚れてボロボロだし、衣服のあちこちに穴が開いてしまっている。
まぁようするに、ゾンビという印象は覆らないわけだ。

顔は青白く、泥に塗れていた。なのに目だけは闇夜の中でも爛々と赤く輝き、生気がないのに獰猛さを覗わせる。
これ、近付いたら首の辺りをガップリ噛まれるタイプの魔物じゃない?

「ちんぽぉ……ちんぽぽぽぽぽぽぉ……」

噛まれるのはチンポのようだ。
歯を立てないでと切に願う。

「来るな……来るなよ……っ!」

俺はブンブン手を振り回した。
こんなわけの分からないところで息子と惜別するわけにはいかないのだ。
俺と彼とは一蓮托生。何としてでも守り切らねば。

それに、いくら不気味でも相手は女性だ。
見たところ動きも素早くないし、腕力で負けることはないだろう。

「ちんぽぉっ!!」

「ちょっ!? いきなり俊敏に動くのズルくないっ!?」

しかも何っ!?
めっちゃ力強いんだけどっ!?

飛び掛ってきたゾンビッチ。
両手を突き出し止めようとしたら、その手を掴まれてしまった。図らずもガッツリ恋人繋ぎだ。

そしてそのまま地面に押し倒される俺。

「ちんぽちんぽぽちんぽっぽぉっ!!」

ヤバイヤバイヤバイヤバイっ!!
結局即死する世界じゃねぇかよっ!!

「はな……れろ……っ!!」

俺は思いっきり彼女の腹を蹴り上げた。女性に対しどうかと思ったが、そんなこと言ってる場合じゃないのだ。
痛覚があるのか分からないけど、上手くいけば巴投げの要領で逃げられるだろう。そういう目算である。

なのにビクともしない。
ゾンビッチ必死。チンポの咀嚼に命賭けてる。
もちろん俺も必死。だけど彼女のチンポへの執念が強すぎる。

ビリッ、ビリッと力ずくで破かれるズボン。ついでに下着も噛み千切られた。つまり、あっという間にチンポを露出させられてしまったのだ。

「待てっ! ホントに待ってっ! 話せば分かるからっ!!」

くそっ!
今日これしか言ってなくない?
ちょっと待って欲しい状況が多すぎるんだけど!

運命を呪い、都市伝説なんてものを実行した浅はかさを呪い、俺を置き去りにしたエレベーターガールを呪った、ちょうどその時だった。

「なにやらお困りのようで…………ん? もしかして人間の男性でございますか?」

ゾンビッチの猛攻に耐えていた俺の頭上に、突然女性の声が降ってきたのだ。

「だ、誰か分からないけど助けて!」

「その前にお答えを。あなたは人間で、しかも男性でしょうか?」

「そう! 人間! 人間のメンズ! だから助けてっ!」

「かしこまりました。ではザーメン一搾りでお引き受けいたします」

ザー……? は……?
なに? 聞き間違い?

混乱してるうちに、俺に掛かっていた圧力はフッと消失していた。
何事かと思えば、どうやらゾンビッチが吹き飛ばされたようだ。

それを成した女性はてきぱきゾンビッチを縛り上げると、まだ起き上がれないでいる俺に対して優雅に腰を折ってみせた。片足を引き、ふわりとスカートを摘まみ上げるカーテシーというヤツだ。しかも非常に堂に入っている。だってその女性は

「初めまして人間のお客様。ヘリセウス様のお屋敷でメイドをしているルクレイアと申します。以後お見知りおき下さいませ」

剥き出しになった俺のチンポにそう挨拶したのは、完璧なメイドさんだった。

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