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7話 ルクレイアは吸いたいお年頃

翌朝起きると夜だった。
窓から差し込むのは、日差しではなく月灯り。

寝すぎてしまったのだろうか?
異世界で置き去りにされ、心的疲労が溜まっていたから。
サキュバスメイドさんに逆レイプされ、さらにフェラチオで抜いてもらって身体が疲れていたから。
それとも、自宅の薄い布団と雲泥の差があるふかふかベッドの寝心地が良すぎたから。

寝過ごしまくった理由をこれでもかと考えてみたが、しかしその全てが間違いだったらしい。部屋の前で仁王立ちしていたルクレイアが、驚愕の事実を教えてくれたのだ。
なんで部屋の前で仁王立ちしてたのかは知りたくもないが。

「この世界に明るい時間などありませんが?」

「太陽は?」

「あー、人間の世界にはそのような毒物があるそうですね。話には聞いております」

ということなのだ。
ちなみに、今の時間は夜前
よぜん
九時。現実世界の午前九時と同じくらいの時間らしいので、午後は夜後
よご
と言うのかもしれない。

「そっか。教えてくれてありがとう」

「いえ。メイドとして当然のことをしたまでです」

「ご飯は食堂に行けば食べられるんだっけ?」

「はい。お申し付け頂ければ、時間を問わず対応するようにと主様より仰せつかっております」

「ほんと至れり尽くせりで申し訳なくなるくらいだなぁ。じゃ、御言葉に甘えて食事に行くか」

「ご一緒いたします」

「……なんで?」

「その為に部屋の前で三時間ほど待機しておりましたので」

知りたくないって言ったじゃん!
サラッと怖いこと言うの止めてくれない?

「リュドミナさんとの話で世話係りは付けないことに決まったと思うんだけど」

「存じております」

「なのに同行しようとしてるの?」

「それは誤解ですお客様。わたしもたまたま食堂に用事があるだけですので」

「三時間も待ってたのに?」

「それも誤解ですお客様。たまたま三時間ほど突っ立っていたい気分だったのでございます」

両手を前で組み合わせ、夜空のような藍色の髪を揺らしながらお辞儀してみせるルクレイアは、静かな眼差しも相まって見た目だけなら完璧なメイドだ。なのにどうしてこうも残念な感じなのだろうか。

「それに、主様に言われたではないですか。お客様はサキュバスに慣れなければいけないと。ですのでどうぞ、わたしで存分にお慣れ下さいませ」

「……本音は?」

「そのザーメンはわたしのです。他のメイドになど渡しません」

「……」

「冗談でございます。小粋なメイドジョーク」

絶対本音じゃんよ。視線が股間をロックオンじゃんよ。
リュドミナさんの言いつけがなければ、本当に襲われかねない世界だと再認識だ。

溜息が零れたが、けれど疑問を解決するには丁度良いタイミングかもしれない。俺は気になっていたことをルクレイアに聞いてみることにした。

「この世界には男がいないんだよな?」

「はい」

「でも、サキュバスは精液を必要としている」

「まぁ、はい。そうですね」

「じゃあ今までどうしてたの?」

「……普通は、夢で」

夢……?
あ、そういえばサキュバスって男の夢の中に現れて精を吸い取る魔物だっけ。現実として目の前にいるから忘れてたけど、本来の彼女たちは夢の中にしか現れない存在だった。

しかし言われてみれば納得だ。
自由に男の夢に入って吸精出来るなら男のいない世界でも問題ないように思える。

「ならそれほど精液に飢えてるってこともないんじゃない?」

だから俺はそう思ったんだけど、ルクレイアはわざとらしいほど大きな溜息を吐き、やれやれと頭を振る。

「何も分かっておりませんねお客様。夢で繋がるのと実際に繋がるのではワケが違います。当然ですが物理的に繋がれるわけではありませんので、吸収するザーメンもザーメンそのものではなく、そこに含まれる生命エネルギーだけしか摂取出来ないことくらいお分かりになりませんか?」

そんなことお分かりになるわけがない。
いやまぁ、言ってることは何となく理解出来るけど。

ちなみに男の夢に忍び込むことをサキュバス用語で『夢渡り』と言うそうだ。
相手を選んだり出来るわけではなく、自分と相性の良い男の夢と勝手に繋がるのだとか。

「近年は、それも上手くいかなくなってきておりますが……」

なんとなくトーンを落としたルクレイア。だが次の瞬間彼女はバッと顔を近づけてくると、熱弁を振るい始めた。

「ですので、今わたし、とても飢えているのです。だいいち、考えてもみてください。この世界に迷い込み、危険な目に遭っていたお客様を助けたのは誰ですか? そう、わたしです。居合わせたのが一流メイドであるこのわたしでなければ、今頃お客様は吸い尽くされてボロボロのボロッカスになり、ゴミのように荒野の塵と化していたのは間違いありません。そうですよね?」

「ま、まぁそうかもしれないけど……」

「つまり、わたしが居たからお客様には今がある。わたしが居なければ今はなかった、ということです。であるならば、お客様の「今」の所有権はわたしにもあると思いませんか?」

「思いません」

「何故っ!?」

ほとんど無表情なのに、打ちひしがれてる感を前面に押し出してくるルクレイア。ガーンという幻聴が聞こえそうなほどだ。むしろどうしてそんな暴論が通ると思ったのか頭の中を見てみたい。
しかも半ば呆れていると、小声で「だったらあの時吸い尽くせばよかった」とか物騒なことが聞こえてくる始末。
冗談だよな? 小粋なメイドジョークってやつなんだろ?

「一割くらいは」

「九割本気じゃねぇか!」

とんでもないメイドだった。

「こほん。とにかく何が言いたいかといいますと、お客様がサキュバス慣れするには、やはりわたしを相手にするのが適任ではないかとそういうことでございます」

「そうかなぁ……」

「そうなのです。そもそも他の者たちではお客様を吸い殺してしまいます。ここは自制心の権化と言われた一流メイドのわたしでなければ」

「でも昨夜は大丈夫だったぞ?」

肉便器になりたいなんて奇抜な夢をお持ちだったが、ニーアは吸い殺すなんてこともしなかったし、ちゃんと自制が働いていたようにも見える。
きっとルクレイアが心配し過ぎているだけだろう。

と思ったのだけど、彼女は珍しく目を見開いていた。

「……もしかして、すでに他の誰かと行為に及んだのですか?」

直接そう聞かれると赤面してしまった。
いや言い訳させてもらえば、そんなつもりじゃなかったんだぞ? 本当に。
ただちょっと、トイレに行きたかっただけで……。

「信じられません。わたしという者がありながら他のメイドにザーメンを無駄打ちするなど……。どれだけ手が早いのですか? 質量を持った残像か何かですか?」

「俺たちそんな関係だった?」

誤解を招きそうな物言いは止めて欲しい。たぶん深い意味はないんだろうけど。吸精するためなら偽装結婚くらいしそうな彼女だ。ちょっと引く。

「まったく……。油断も隙もありませんねお客様は。こうなったら仕方ありません。このお屋敷に滞在中は、四六時中わたしが一緒に……」

瞳からハイライトを消し、ルクレイアが不穏なことを口走ろうとした、まさにその時だった。

「油断も隙もないのは貴女ではないかしらあ~?」

ルクレイアの背後から、アメジストの髪がぬっと現れたのだ。リュドミナさんである。

「あ、おはようございますリュドミナさん」

「おはよう誠さん。昨日はよく眠れたかしらあ~?」

「はい、おかげさまで。……それより、その「誠さん」っていうのは?」

「しばらく同じ屋根の下ですものお~。いつまでも「お客様」じゃあ寂しいでしょお~?」

かといって、いきなり「誠さん」呼びは距離が近すぎない? 妖艶に身体をくねらせながら名前を呼ばれたら、それだけでドキッと心臓が跳ね上がってしまいそうだ。ひょっとしたら、これもサキュバス慣れするための一環なのかもしれないけど。

なんて俺がリュドミナさんの真意を推察していると、女主人はにこにことしながら、グイッとルクレイアの後ろ首を掴んでいた。

「あらあ~? どこへ行くつもりぃ~?」

逃げようとしていたらしい。

「もちろん仕事でございます主様」

「そうなのお~? なんだか慌てて逃げようとしたように見えたけれどお~?」

「滅相もありません。このルクレイア。恥じ入るところなど何もありませんから」

凄いなコイツ。彼女の面の皮は鉄で出来てるに違いない。
もちろん女主人には通用しないようだが。

「だったら少し私とお話しましょ~か。主とお話することも大切なお仕事よねえ~?」

「畏れ多すぎてご期待には添えないかと」

「大丈夫よお~。私が一方的にお話するから貴女は聞いているだけでいいんだものお~。じゃあね~誠さん。何か困ったことがあったら私に言うのよお~」

にこっと微笑んだリュドミナさんは、ルクレイアの首根っこ掴んだまま去って行った。当然メイドはずるずる足を引き摺られていく格好である。
なんとなく「助けて」と無表情の顔に書いてあった気がするが、無表情なので気付かなかったことにしよう。うん。

そうしてルクレイアを見送った俺は、ようやく食堂へ向かうことにしたのであった。

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