9話 馴染みつつある異世界日常
「へぇ~。じゃあこの魚は?」
「そいつぁ川で獲れる『グヌ』って高級魚さ。泥臭さもないし脂が乗ってて美味しいだろう?」
俺は返事の代わりにパクッとグヌのフライを口に頬張り、満面の笑みで答えた。
場所はお屋敷の食堂である。
今日は調理担当のメイドさんに、こちらの世界の料理について説明を受けながらの朝食だ。
「なんとなく鯖に似てるかな。鯖よりずっと上品だけど」
「それはアンタの世界の魚だね?」
「あぁ。知ってるのか?」
「あたいみたいな平民の口には入らないけど、リュドミナ様なら食べたことあるんじゃない? 何も異世界から流れて来るのは人間だけじゃないってことさ」
ってことは、魚や動物が異世界転移することもあるのか。
稀少品だと予想出来るそれらを口に出来るリュドミナさんは、やっぱりかなり偉い人なんじゃないだろうか。
もし鯖とか流れ着いたら食べさせてもらえるようにお願いしよう。ついでに米も転移してくれたら最高。
「鯖は焼いても美味いし煮ても美味いし、〆鯖をアテにして酒を飲むのもいいなぁ」
「〆る? それは調理方法かい? 今度教えておくれよ」
「簡単なやり方で良ければね」
快諾した俺は、もう一口グヌのフライを口に運ぶ。
サクッと小気味良い音を立ててフライを噛むと中から上質な脂がじゅわっと溢れだし、白身が舌の上でほろりと蕩けた。噛み締めてみれば、ほのかな甘味を感じる魚だ。
こちらの世界に酢があるのか分からないけど、確かに〆ても美味しいだろうなぁ。
当然だが、今食べてる「グヌ」って魚は元の世界にはいない。
川魚とのことだが、背びれは棘々しいし、口はでかいし、なにより特徴的なのは、目がないということか。これはこの世界に太陽がなく水中が真っ暗なため、目を必要としないからだと推測出来る。深海魚に近いかもしれない。
サラダ菜も同様で、太陽がないため光合成という仕組みがなく、葉緑体が存在しないらしい。そのため青や赤など、なんだか毒々しい色の野菜が多いようだった。
「けれど味覚はそれほど違わないってのが面白いねぇ」
遠くを見るように、コック帽を被ったメイドサキュバスが呟く。もしかしたら、視線の先に俺の世界を幻視しているのかもしれない。
「味覚ってのは元々毒や危険から身を守るために発達したからじゃないか?」
食材が違っても腐ったら酸っぱいってのは変わらないし、きっとそういうことなのだろう。まぁ俺には精液の味なんて分からないから、それ以外の要因もあるのだろうけど。
そんな感じでコックメイドさんと料理や食材についての会話を楽しみながら食事を終えた俺は、日課となった屋敷内の散策を開始することにする。
視界の端々に、掃除をするメイドさんや、庭の手入れをするメイドさんたちの姿が映った。
中には仕事をさぼっているのか、廊下の端で談笑する姿なんかも見かける。
彼女たちは俺に気付くと、声を掛けてこそ来ないものの軽く会釈をするようになっていた。
そこに、初日に感じた獰猛な気配はない。恐らくこの数日で俺という存在に慣れてきたのだろう。
一方で、俺もサキュバスという存在に慣れ始めていた。
いや、当然まだ肉体的な接触には慣れないのだが、分かってきたのだ。
彼女たちも生きているのだ、と。
さっきのコックメイドさんとの会話を思い出せば分かるだろう。
彼女は見たことのない食材や料理に興味を示し、それを自分のレパートリーに加えられないかと試したがっていた。魔物やサキュバスっていう色眼鏡を外してみれば、その姿はどこにでもいる料理好きの女の子でしかないのだ。
確かに、彼女たちは精液を欲している。地球の女性と比べれば、遥かに貞操観念も薄いだろう。まぁそもそも貞操観念がない可能性が高いけれど。とにかく、細かい差異はいくらでもあるってことだ。
けれど言葉が通じないわけじゃない。
感情だってある。
なら恐れることはない。普通に接すれば良いのだ。
遅ればせながら、俺はようやくそのことに気付いたのである。
と、そんなことを考えながら廊下を歩いていると、夜空を思わせる深い藍色の髪のメイドが、小包を抱えているのを発見した。
「やぁルクレイア。どうしたの、それ」
声を掛けると、彼女はジトっとした目を向けてくる。
「これはこれは。わたしを見捨てたお客様ではありませんか」
「いや見捨てたって……。この前のことを言ってるんだよな?」
ルクレイアが俺の部屋の前で三時間仁王立ち事件のことである。
あの時リュドミナさんが現れてルクレイアを連れ去ってしまったわけだが、俺にはどうにも出来ないじゃんね。どう考えても自業自得だし。
「あの後わたしがどんな目にあったか知らないからそんなことが言えるのです。あれほど助けてと目で訴えたというのに……」
「と言われてもな……」
「一度お客様も主様の折檻を受ければ分かります。メイドの中には、折檻を受けて以降秒針の音が聞こえるだけで泣き出す者もいるのですよ?」
なにそれ怖い……。
もう折檻ってか拷問の域に達してないっすかね?
ちなみに折檻部屋は地下にあるらしく、ほとんどのメイドは近寄りたがらないらしい。なんでも夜な夜な苦痛と嬌声の入り混じった泣き声が聞こえるのだとか……。怪談になってしまうほど、メイドたちにトラウマを植え付ける部屋なのかもしれない。
「理解なさいましたか? お客様がどれだけわたしに酷いことをしたのか」
「俺がしたわけじゃないけど、まぁ、ごめん。今度は助けるよ」
「ごめんで済んだら折檻はされないのです。詫びる気持ちがあるのでしたらザーメンを寄越せと言わせて頂きましょう。そうですね。軽く十搾りほど」
十搾りって……。搾るって単位じゃないんだけど?
だいたい、サキュバス相手に十連射は無理だ。普通の十連射とはワケが違うもの。搾り尽くされて死ぬか、よくて脳が壊れてしまうのは間違いない。
「えっと……分割なら」
「それではお客様の命に届きません」
「殺意をほのめかすの止めて!?」
とは言うものの、彼女も本気で言ってるわけじゃないのだろう。ルクレイア流に言えば、小粋なメイドジョークってやつだ。
彼女のザーメン要求に苦笑いを返した俺は、大事そうに抱えられた小包に視線を向け直す。
「で、それ何? どうしたの?」
「これは屋敷に届けられた荷物です。だいたいは主様への献上品だったり贈り物ですが」
「やっぱりリュドミナさんって立場のある人なんだ」
「当然です。サキュバスの中でも由緒正しい血統である四大淫魔貴族のお一人ですから」
「初耳だけど、なんか凄そうってのは伝わった」
なんだ四大淫魔貴族って。てか本当に貴族だとは驚きだ。貴族がいるってことは、ひょっとして王様もいたりするのだろうか?
あ、サキュバスしかいないんだから王様じゃなくて女王様か。なんとなく、ボンデージ姿で鞭を振るう姿が頭を過ぎってしまう。
「何か不敬なことを考えておいででは?」
「気のせいだ。それよりその小包、包装が破れてる気がするんだけど」
「破きましたから」
「えぇ……。いいのかよ? だってリュドミナさんに届いた物なんだろ?」
「構いません。というか、中を検分するのもわたしの仕事です」
あぁなるほど。贈り物が決して良い物ばかりとは限らないってわけか。
爆発物……があるのかは分からないけど、毒物だったりする可能性はあるのだろう。貴人となれば尚更だ。
食い意地の張ったルクレイアが摘まみ喰いしようとしてるわけではなかったらしい。まぁさすがに、ね。
「酷く侮辱されたような気がするのですが?」
「……それも気のせいだ」
変なところで鋭い彼女だった。
「……まぁいいです。わたしはわたしの仕事をしますから、お客様はお客様に与えられた仕事をお願いします。とりあえず、わたしにザーメンを一搾り提供するところからでしょうか」
「君、ぶれないよな」
「メイドたるもの地に足を付けていなければなりませんから」
「ルクレイアは煩悩に足が付いてる感じだけど」
「お客様はだんだん遠慮がなくなっていきますね」
そうだろうか?
そうかもしれない。
けどきっと悪いことじゃないんだろう。ある意味で、これもサキュバスという存在に慣れてきたからだと思うから。相対するルクレイアにも、特に気分を害した様子は見られなかった。
「ではわたしは行きます。ザーメン一搾りの件、どうぞご一考を」
「えぇと……うん。機会があれば」
「機会は作るものです」
軽口を叩いてから背を向けたルクレイア。
以前に比べ、態度が軟化してるような気がする。多少心を許してくれたということだろうか?
気のせいかもしれない程度の小さな変化に、なんとなく心が浮き立つ俺なのだった。
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