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14話 紅夜

俺はルクレイアに連れられ、地下室を訪れていた。
今日の夜後に月が紅く染まり始め、明け方まで続くということである。

つまり、いよいよ紅夜がやって来たのだ。

「意外と綺麗にしてるんだな。居住性も高そう」

地下室を見回し、予想と違う様相に俺は安堵の息を漏らした。

そりゃ拷問部屋の疑いがある地下室だもの。
天井から釣り下がる鎖、血のこびり付いた壁、頂点の鋭い三角木馬、無数の棘に覆われた椅子。そんなものを想像するのは当然でしょ。

けれど周囲に、そういった物騒なものは見当たらない。
奥に鉄格子の小部屋はあるけど、そこ以外は割りと普通の部屋だ。

石畳みの上には質素ながら絨毯が敷かれているので足も痛くないし、照明もキチンとしてる。
大部屋にはソファが一脚と小さなテーブルがあり、壁際には大きめのベッドまで用意してあった。
シャワーはないけどトイレはあるし、なにより思ってたより空気が綺麗だ。地下室なんていうと、もっとジメッと陰湿な雰囲気を想像してたからな。
一日やそこらを過ごすには十分な施設と言えるだろう。

「もともとこちらの部屋は貴人が立て篭もるための部屋でしたので」

「紅夜用ってこと?」

「戦時用かと」

夜空を思わせる深い藍色の髪のメイドは、いつもの無表情を保ってそう告げた。
なるほど、と俺は思う。
地下室に降りるまでに、鉄の扉が三枚もあったのだ。戦時用と考えれば、その厳重さも納得できる。

ちなみに扉は、中からも外からも鍵を掛けられるようになっていた。
ただし鍵は独立したもので、中から掛けた鍵は外からじゃ開けられないし、外から掛けた鍵は中からじゃ開けられない。
奥の鉄格子を見れば分かるが、篭城用でもあり牢屋でもあるのだろう。戦争なんかがあれば、どちらも必要な施設だ。

「サキュバスも一枚岩ってわけじゃないんだ」

「人口が増えれば諍いが起き、諍いが起きれば派閥が出来、派閥が出来れば戦となる。どの世界でも変わらないのでは?」

「違いない」

話をしながら、ルクレイアはテキパキと荷物を所定の位置に収めていく。
着替えや日用品。バスケットには、二食分の食事が入っている。どうやらサンドイッチ祭りらしい。

「地下ですのでお湯を沸かすことは出来ませんが、代わりに果実ジュースを用意しておきました。ワインもございますので、酔っ払って寝てしまうことをおすすめ致します」

「そりゃ気がきいてるな。ありがとう」

「お礼はザーメンで」

「紅夜の日に言われると冗談に聞こえないぞ?」

「いつも本気ですが?」

「はいはい」

いつものように軽くあしらいつつ、ソファやベッドの感触を確かめてみる。
うん。悪くない。
どこも劣化してないどころか、隅々まで綺麗にされているようだ。

「結構な頻度で主様がお使いになりますから」

「あ……うん……。そうだったね」

こんな部屋にまで行き届いた掃除に感心しそうになったが、そういうことだった。ここはリュドミナさんにとって「遊戯室」であり、メイドたちからみれば恐怖の「懲罰室」なのである。いざという時の部屋ではなく、絶賛稼働中の施設なのだ。

「こちらの床には、メイドたちの汗と涙と愛液が染み込んでいることでしょう」

「……ルクレイアのも?」

「生憎とわたしは一度も泣いたことがありませんが」

常連のようだった。

「まぁルクレイアが泣くところは想像できないな」

ただでさえ感情を表に出さない彼女である。笑顔すらまともに見せてくれないので、その表情が崩れる場面は想像できなかった。

しかし「当然です」と返すとばかり思っていたルクレイアは、一瞬だけ目を伏せるに留まり、踵を返してしまう。

「行くのか?」

「わたしに襲われたいということでしたらご一緒しても構いませんが」

「あー、遠慮しとくよ」

「……そうですか。では失礼いたします。紅夜が明けましたらお迎えに参りますので。それまでは、しっかり内側から施錠をお願い致します」

そう告げて立ち去りかけた彼女は、しかし最後にもう一度振り向いた。

「目安として、明けて夜前五時頃までは危険な時間と覚えておいて下さい」

ルクレイアの視線を追えば、カチカチと秒針を刻む時計が目に映る。
今は夜前十一時。あと十八時間くらいはここに篭らなきゃいけないってことか。

「分かった」

と言っても、誰かが迎えに来てくれるまで外に出るつもりはない。
外の安全が確認出来るまでは、しっかりと立て篭もるつもりである。

ルクレイアは、もう一度真っ直ぐに俺を見て……。

「では」

恭しくカーテシー。
その後は振り返らずに地上への階段を昇っていってしまった。

一人残された俺は、さっそく三枚の扉全てに施錠する。
ちなみに迎えに来るメイドがどうやって知らせてくれるかというと、部屋の中に伝声管があるのだ。形状は、壁に埋まってるラッパとでもいえば想像しやすいだろうか? これに向かって喋れば金属管を伝って地上と会話が出来るというわけだった。

「さて……。何して時間を潰すかなぁ」

ルクレイアを見送り一人になった途端、なんだか心細さが去来していた。
さっきまでは普通の部屋に見えた地下室も、今は禍々しい雰囲気を放っているように見えてしまう。

本でも持ってくりゃ良かった……。

静寂に満ちた地下室には秒針だけが「カチッ、カチッ」と音を刻み、なんとも不気味である。
読書でもしていれば気にならないのだろうが、こうも手持ち無沙汰だと耳に付いて離れない。

あ~、そういやここでリュドミナさんに折檻されたメイドは、秒針を聞くだけで泣き出すようになるとか言ってたな。

いったいどんな折檻が行われているのだろうか。
ルクレイアは「汗と涙と愛液が染み込んでいる」と言ってたので、エロいことを想像してしまう。ってかリュドミナさんのことを考えればそのまんまなんだろうなぁ。

……。

この部屋でリュドミナさんに折檻される肉便器ちゃんの姿を想像したり、アルムブルムさんのおっぱいを思い出したりしながら、俺は無限にも感じられる時間をなんとか消費していた。
二回目の食事を摂り、のんびり腹を休めてから時計を見ると、現在時刻は夜後九時。
事前に受けた説明だと、この時間くらいから夜前三時くらいまでが、もっとも紅月の影響が強まるらしい。

外はどんなことになっているのだろうか。

地下室に来た当初抱いていた「頑張って篭城するぞ!」っていう決意は、持て余した退屈さと、ここまで何の変化もない周囲の気配に、だんだん希薄になっていた。

実は大したことないんじゃない?
多少エッチな気分になる程度で、メイドさんたちはオナニーに勤しんでるだけじゃない?

そんな風に思うようになってきたのだ。

だってさ。
確かにメイドさんたちはエロいことに積極的だし、精液を求めてるってのも本当だけど、今まで一度も襲われたことはないじゃん。
初日のルクレイアにしたって、俺を搾り殺すなんてことはしなかった。あの時の彼女であれば、黙って搾り殺し、何もなかったことにすることだって可能だったはずなのだ。

まぁ?
客の俺に何かあったらと心配するリュドミナさんの気持ちは分かるしありがたいけど、そこまで大変なことにならないんじゃないかってのが、俺の見立てである。

――ちょっと様子を見に行ってみるか。

なぁに。ちょろっと外を見て、本当に危なそうだったら帰ってくればいいだけだし。十分な安全マージンをとっておけば、そうそう危険なことにはならないだろう。

食事と一緒に流し込んだアルコールが俺の気を大きくしていたのか、それとも知らぬ間に俺も紅月の影響を受けているのか。
とにかく俺は外の様子を覗うことに決め、ソファから立ち上がったのだ。

もちろん、慎重さは失わない。
一枚目の扉を開錠する前に、念のため伝声管に耳を澄ませてみる。

……何も聞こえないな。

屋敷内は静かなもんだ。
精液を求めて魑魅魍魎が跋扈するような、そんな気配は微塵もない。

やはり心配しすぎなだけなのだろう。

自分の考えに確信を強め――カチャリ。
俺は一枚目の扉を開錠した。

そしてしばらく、そのまま待ってみる。

変化はない。何の音も聞こえない。

問題はなさそうだ。
続けて二枚目の扉を開錠しても同じ。
年代物の扉がギィッと軋んだ音を立てただけで、それ以外の変化は認められなかった。

最後に三枚目。
ここを開ければ地上である。

さすがに緊張がじっとりと手を濡らした。
何もないと思っているとはいえ、万が一もありえるのだ。

一度地下の部屋まで戻り、再び伝声管を確認する。

…………うん。
何も聞こえないな。

当然のことを確認し終えたら、今度は扉に耳をくっ付けた。
鉄製の頑丈な扉ではあるけど、向こう側に誰かいれば物音くらい聞こえるはずだから。

…………。

…………。

…………。

しばらく待ったが、やはり何も聞こえない。
つまりこの向こうには誰もいないってことだ。

全て杞憂。
リュドミナさんが過保護になっていただけ。

もう間違いないと確信し、俺は鍵に手を伸ばした。

そして――カチャリ。

鍵を開け――――

「ちんぽおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!!!」

「うわああぁぁぁっっ!!??」

ヤバいっ!!
突然すさまじい力が扉をこじ開けようとしてきたっ!!

油断してただけに、頭の中がパニックに陥る。
後に恐怖。

待ってた。
待ち伏せされていた。
俺が油断し罠に掛かるのを、彼女たちはジッと静かに待っていたのだ!

グイグイと、信じられない力で扉が開けられようとしていた。
俺は必死に内側から引っ張って抵抗するが、向こう側に重機でもあるんじゃないかってほど、引く力が強い。

ギシギシと。
引っ張る俺を引き摺り、音を立てながら開いていく鉄製の扉。

そして目が合ってしまった。
扉の隙間から、こちらを狙って侵入しようとするメイドたちと。

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