27話 間話:サキュバスたちの女子会
―― 間話 ――
「愛……ですか?」
ルクレイアは、言葉の意味が分からないと小首を傾げていた。
場所はメイドたち専用の談話室。休憩時にメイドが奉仕者の仮面を外すための部屋である。
普段あまり談話室を利用しないルクレイアが珍しくこの部屋を訪れているのは、たまたま目の前に座るメイドが誠の部屋から出てくる場面を目撃したからだった。
ルクレイアはさっそくと彼女の腕を掴み、話を聞く為にご足労頂いたというわけである。
まぁ傍から見ていたニーアなどには、ルクレイアがメイド仲間を拉致しているようにしか見えなかったようだが。
「うん。誠くんは……というか人間の男性は、身体だけじゃなくて心の繋がりも求めるものなんだよ」
拉致されたことを咎めるでもなく答えたのは、毛先を内巻きにしたピンク髪の同僚アルムブルムである。前髪で片目を覆いながら優しく微笑み、彼女はゆったりと紅茶を口に運んでいた。
「では「愛」があれば誠はわたしに惜しげもなくザーメンを注ぐ、と」
「う~ん……。なんかそれも違う気がするけど……」
「要領を得ませんね。誠がわたしにザーメンを寄越さないのは「愛」が不足しているからなのに、「愛」さえあればザーメンを寄越すようになるというわけでもない? 論理的ではありません」
「あ~、論理的じゃない、か。うん。それ。たぶんそういうことだよ」
「ますます意味が分かりません」
腑に落ちたような顔をするアルムブルムに若干の苛立ちを覚えながら、しかしルクレイアは静かに目を伏せた。
彼女の言ってることはサッパリだった。
そもそもルクレイアがアルムブルムを拉致したのは、どうすれば誠がもっと吸精させてくれるようになるかと相談するためである。
先日ルクレイアは、エルルシーの授業に飛び入り参加することで、上手いこと吸精することに成功していた。それに加え、リュドミナが「週に一回ルクレイアを抱く」ということを誠に認めさせているのだ。
安泰のハズだった。
ルクレイアの日々は薔薇色になるハズだったのだ。
けれど事情が変わった。ルクレイアの飛び入りを警戒した誠は、授業中エルルシーの部屋に鍵を掛けるようになってしまったのだ。
そのことで、ルクレイアは気付いた。週に一回の約束は守ってくれるかもしれないが、逆を言えば、週に一回しか吸わせる気がないんじゃないのか、と。
これが他のメイドに対しても同じなのであれば、ルクレイアも自制できたかもしれない。だが事実として、アルムブルムは誠に幾度となく射精してもらっている。
先日など、直接お願いして精液を貰ったそうだ。上手くはぐらかされるのが日常となっているルクレイアからすれば、いったいどんなトリックがあるのか不思議でならない事態である。
――わたしだって何度も頼んでいるのに……っ
「なんていうか……ルクレイアさんは直接的すぎるんじゃないかな?」
言葉を選びつつ、それでもアドバイスを諦めないアルムブルムは、困ったように毛先を指でくるくる巻きながら口を開いた。
「直接言ってもザーメンをくれない誠が婉曲に伝えて分かってくれるとは思えません」
「まずそれが間違い。誠くんは、ちゃんとルクレイアさんのことも考えてくれてると思うよ」
「そう、でしょうか……」
とてもそうは思えないルクレイアだった。
「だったらどうして……」
「そもそもだけど、ルクレイアさんは今そんなに精が足りない状態なの?」
「……正直に答えると、決してそういうわけではないと思います」
「なのに誠くんの精を欲している?」
「はい。……どうにも落ち着かないのです。誠のことを考えると精液枯渇症のように胸が苦しくなり、下腹部が切なくなって……。他のメイドにザーメンを注いだなどと聞いた時には、居ても立ってもいられないほどでした」
……おや? とアルムブルムは目を細める。
「愛、は分かりませんが、誠のザーメンは全てわたしのものであるべきで、一滴残らずわたしに注いで欲しいのです。もちろんそんなことは不可能だと思ってますが……」
口を開きかけ、けれど桃色髪のメイドは言葉を発することが出来なかった。
同僚が困っているなら助けてあげたい。自分なんかの意見で良ければ参考にして欲しい。
そう思っているのは事実だ。けれど同時に、何故か思ってしまったのだ。
――その理由を教えたくない……と。
なんだか罪悪感を感じてしまったアルムブルムは、大きな胸の中からさらに大きな何かが溢れそうになるのを誤魔化すように、ゴクッと紅茶を飲み干していた。
「そっか……。でも大丈夫だよ。誠くんだって、わたしたちに精液が必要なことは分かってくれてるんだから。待っていればそのうち――」
「何生温いこと言ってんの? 欲しいなら奪えばいいじゃん」
ルクレイアを慰めようとした刹那。その言葉が、新たに入ってきたメイドによって上書きされてしまった。
振り返ると、そこにいたのは勝ち気な瞳をした黒髪のメイドである。「ふふん」と鼻を鳴らした少女は、ツカツカと空いている席に足を運んでいた。
「誰かと思えば主様に折檻されたノルンではないですか」
「べ、別に折檻なんてされてないし! ってかアンタたちがノルンのやり方にケチをつけるから注意されちゃったんでしょっ!? 営業妨害よっ!」
トスンッ、と椅子を鳴らせてノルンが席に着くと、すぐさまカップに紅茶が注がれた。同僚なのだから奉仕する必要などないのだが、身に染み付いた習慣なのか、自然な動作でアルムブルムが紅茶を注いでくれていたのだ。
「ありがと。……じゃなくてっ! 次からは邪魔しないでよね!」
「諦めていないのですか?」
「諦めるわけないでしょ? 前回だってあとちょっとで堕とせてたんだもん。次こそノルン専用のマゾ豚にしてあげるんだから」
鼻息を荒げて語るノルンは少し苛立っているようだった。
……いや焦りか。
ルクレイアに自覚はないようだが、客観的に見て一番誠に近い位置にいるのはどう考えてもルクレイアなのだ。彼女の近くで対抗意識が芽生えるのは仕方ないのかもしれない。
だがノルンの呟きで、アルムブルムは少女が焦っている原因がルクレイアだけじゃないことに気付いた。
「他のメイドたちも動き出してるし……」
これまで他のメイドたちは、どこか誠と一線を引いている部分があった。
もちろん彼女たちも生精液を味わいたいと思っているし、咎める者がいなければ襲い掛かっていたことだろう。
だが誠の近くではルクレイアが目を光らせていることが多く、すでに誠がルクレイアの虜になっている可能性も大きかったため、悔しい思いをしていたのだ。
しかし最近事情が変わった。
主であるリュドミナから「誠誘惑許可証」が発行されたこともあるが、それより大きかったのが、ノルンの成功例である。
本人的に失敗だったあの事件は、しかし「ルクレイア以外のメイドに呼ばれても応じてくれる」という実例になってしまったのだ。
なら自分にもチャンスがっ!
メイドたちがそう思うのも不思議ではない。
「冗談ではありません」
これに真っ向から戦いを挑むつもりらしいのがルクレイアだ。
瞳に闘志を燃やし、彼女はノルンに向き直っていた。
「誠のザーメンはわたしのものです。これ以上わたし以外のメイドに取られるわけには参りません」
「は? 別にアンタのモノじゃないでしょ。ってかノルンのオスだし」
「わたしのものです。わたしが拾ったのです。落とし主などいないのですから拾得者のものになるのは当然なのです」
「主様から許可が出てるんだけど?」
「それでもです」
引き下がらないルクレイアはいっそ子供のようですらあったが、その頑なな態度を見たアルムブルムは胸を押さえている自分に気付いた。
――もしかして……。
もしかして彼女は……。
「……ルクレイアさんはどうしても誠くんを独り占めにしたいの? 誠くんがそれを望んでないかもしれなくても?」
気付いた時には、そんな疑問をルクレイアにぶつけてしまっていた。敵意ともとれる言葉だったと慌てて口を塞ぐアルムブルムだったが、しかしルクレイアは気にすることなく平然と答える。
「当然です。そうあるべきですから」
藍色髪のメイドはそう断言していた。
けれどその声が、少し震えていることにアルムブルムは気付く。
ルクレイアは「そうあるべき」と答えたが、そうではない。それはきっと「そうであって欲しい」という想いの裏返しなのだろう、と。
「……サキュバスは愛を知らない……か……」
つい先日誠に言った言葉を、アルムブルムは口内で反芻してみる。
もちろん嘘ではない。現に彼女自身「愛」という感情を正しく理解出来ているとは思ってないし、そんなことを考えてるサキュバスの方が珍しいことも知っているから。
でも、本当はそうじゃなかったとしたら?
知らないのではなく、気付けないだけなんだとしたら?
だって夢の中で「愛」を知ってしまったら、辛くなるだけだから。
だからいつからか、サキュバスは愛に気付けない
・・・・・
ようになってしまったのだとしたら……?
「そっか……。わたしにもちゃんとあるかもしれないんだ……」
「アルムブルム?」
いつになく真剣な顔をしていたアルムブルムに、ルクレイアが怪訝な視線を向けていた。
「ん。なんでもないよ。凄く嬉しくて、でもちょっと悔しかっただけだから」
それに対して笑顔を取り繕ったアルムブルムの胸中は、嵐とも言えるほど様々な感情で荒れ狂っていた。
嬉しかったのは本当だ。自分にもその感情があるかもしれないと気付くことが出来たから。
悔しかったのはもっと本当だ。それに気付けたのが自分ではなく、目の前の女性のおかげだったのだから。
もっとも、サキュバスにとってそれが良いことなのかどうかは分からない。いや、気付けないようになっていたのだから、きっと良くないことなのだろう。
それでもアルムブルムは、芽生え始めたその感情を優しく胸に抱き締めることにした。
自分の中にも愛する心があるのかもしれない。それに気付くことが出来たのは、何よりの宝物に思えたから。