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36話 恋人ごっこ

正直、理性がぶっ飛びそうだった。「お姉ちゃんじゃダメかな?」と甘く囁いたアルムブルムさんが、絶賛俺の肩にしな垂れ掛かって甘えてきているのだ。もしもここがキャバクラだったら破産すること請け合いである。それどころかアルムブルムさんの誘惑は、彼女のためなら破産してもいいやと思えるくらいの破壊力だった。

その柔らかな身体を今すぐ抱き締めたいっ!
ぷっくりした唇を奪ってしまいたいっ!

そんな衝動に駆られるが、断腸の思いで俺は待ったをかける。

なぜなら、ありえないから。
サキュバスが「愛を知らない」と俺に教えてくれたのは、他でもないアルムブルムさんなのだ。突然こんなことを言い出した真意を聞かなければ、とても素直に頷くことなど出来ないだろう。

だって心が折れちゃうじゃんね?
お付き合い的な意味だと勘違いして頷いた後、実はエサ的な意味でしたって言われちゃったらさ。
いや彼女に食べられてしまうなら男として幸せな最後と言えるかもしれないけど、俺はこの世界でも天寿を全うするつもりでいるから。じゃなかったら、そもそもルクレイアから逃げ回ってないしな。

などと答えに窮していると、アルムブルムさんは静かに瞼を伏せていた。

「そっか……。お姉ちゃんはイヤなんだ……」

「あ、違う! そうじゃなくてっ!」

「じゃあどうして?」

「……言ったじゃないっすか。サキュバスは愛を知らないって」

「……うん、そうだね」

ほらなほらな!
あっぶねーっ!
あと一歩で摩天楼からダイブするところだったぜ……。

けれどホッと一息吐いてる俺に、アルムブルムさんは意外な言葉を続けた。

「でも、知らなかっただけなの。気付けないだけで、サキュバスにも……わたしの中にも、ちゃんとソレはあるんだよ」

「そうなの?」

思わず聞いてみると、彼女は曖昧に微笑んだ。

「わたしはまだ気付けてないんだけどね……」

どうやらアルムブルムさんが俺を愛してしまった、という美味しい話ではないらしい。まぁ知ってたことだし、いまさら残念に思う必要はないけれど。……本当だぞ? べ、別にショックなんか受けてないんだからねっ!

けど、だったらどうやってそれに気付いたんだろ? 彼女の様子は、嘘を言っているようにも希望的観測を述べてるようにも見えない。確信を持って言ってきているのだ。

「だからね誠くん」

と、考え込む俺の手を取り、アルムブルムさんが真剣な表情を向けてきた。
うるうる潤ませた可愛らしい瞳が、真っ直ぐこちらを見詰めてくる。

「わたしに、「愛」を教えてくれないかな……?」

ぐ……っ!
あまりに甘酸っぱい言葉が、告白めいて俺の心臓を直撃だ……っ!

だが待てっ!
待つんだ誠っ!
彼女の言葉に裏がないのだとしても、軽々に首を縦に振っていい事案じゃないぞっ!

一度視界から彼女の姿を外し、深呼吸で心と息を落ち着ける。

勘違いしてはいけない。
アルムブルムさんは、決して俺のことが好きだと言ってるわけじゃないんだ。
ただ「愛」がどんなものか知りたいから、手近な……というか、唯一の男である俺で試してみようっていうだけの話だ。

もしその結果「やっぱり誠くんが相手じゃ分からなかったよ」なんて言われてみろ?
イケメンに敗れたわけでもなく、他に好きな男が出来たわけでもなく、ただ単純に俺では無理だという烙印を押されるんだぞ? そんなの絶対立ち直れないじゃんね。

それに、仮にアルムブルムさんが俺を愛してくれるようになったとして、果たして二人は幸せなキスをしてめでたしめでたしとなるだろうか?

ならない。
絶対ならないと確信できる。

だってこの世界には危険がいっぱいだもの。どれだけ俺が彼女と相思相愛の関係を築けたとしても、常に晒される淫靡な誘惑を跳ね除け続けることなんて不可能に近い。
そもそも俺は、週一でルクレイアとセックスすることが確定しているからな。毎週寝取られるとか、せっかく愛してくれた彼女に申し訳なさすぎて無理だろう。

だがそんな葛藤を見抜いたのか、アルムブルムさんはフッと目元を緩め、俺の頭を抱き締めてくれていた。

「優しいね、誠くんは。わたしが傷つくかもって思ってくれたんだね」

「それは……当たり前だろ……?」

「ふふ。でも大丈夫だよ。わたしだってサキュバスだもん。誠くんが他の子とエッチしても、きっと許してあげられると思う」

「け、けど、本当の「愛」を知ったらそんなこと言えなくなるかもよ?」

「かもね。だからわたしたちは「愛」に気付けなくなったんだと思うし」

あぁ、なるほど……。
彼女の言葉は、やけにストンと心に落ちた。
それはサキュバスという種が背負っている業のようなものなのだ。
夢渡りで実現するのは、たった一夜の逢瀬だけ。愛してしまっても、二度と出会うことすら出来なくなる可能性が高い。ならいっそ愛など知らなければ……。彼女たちは、そのように進化した種族なのだろう。

「ならやっぱり……」

「もう無理だよ。わたしはソレが自分の中にもあるって気付いちゃったから。気付いたら知りたくなる。知って、経験してみたくなっちゃう。だってわたし、女の子だもん」

サキュバスである前に一人の女だから。
アルムブルムさんは、嬉しそうにそう言った。

「あ、もちろん誠くんにも色々あるのは分かってるよ? お仕事のこともあるし、ルク……他にも色々あるしね。だから、この部屋にいる時だけでいいの。もし嫌じゃなかったら……この部屋にいる時だけ……わたしを「愛」してくれないかな……?」

これはもう、ほとんど告白だった。
彼女の言葉も、部屋に満ちる空気も……なにより、アルムブルムさんは断られることも考えている。断られ、自分が傷つくことも織り込み済みで俺なんかに「愛を教えて」と言ってきているのだ。

今現在、俺が彼女のことを愛しているかと聞かれたら、たぶん答えは「ノー」となる。
もちろんアルムブルムさんのことは好きだけど、「愛」となると少し違う気がするから。

だからこれは擬似恋愛。
お互いに愛してはいないかもしれないけど、愛し合ってる雰囲気を楽しみながら本当の愛を探す「ごっこ遊び」のようなものだ。

そしてそういう意味であれば、断る理由など何もなかった。
なにより、俺は勇気を出したアルムブルムさんの気持ちに応えてあげたかった。

だから……。

「上手に愛してあげられないかもしれませんよ?」

「うん、分かってる」

「後で傷つくことになるかも」

「いいよ。それって、ちゃんと愛を知れたっていう証だもん。わたしはその痛みも抱き締めたい」

これ以上の確認は無粋だろう。
照れ臭そうに笑う彼女の頬に触れた俺は、そのまま桃色の髪を指で梳き、そっと引き寄せた唇に優しく口付けた。
今は……今だけは、俺はアルムブルムさんの彼氏だから。壊れ物を扱うように、優しく優しく彼女に触れるのだ。

唇が触れるだけの、サキュバスにとっては児戯にも等しいキス。
互いの体温を交換し合ってから唇を離すと、少しだけ不思議そうにアルムブルムさんは微笑んでいた。

「なんかいいね、こういうの。身体じゃなくて、心が気持ち良くなる感じがする」

「アルムブルムさんにそう言って貰えると嬉しいっす」

「もう……っ。そうじゃないでしょ?」

「あ、っと……お姉ちゃん?」

こんな時でもやっぱり「お姉ちゃん」なのだろうか?
苦笑しながらいつものように「お姉ちゃん」と呼んでみたが、しかし違ったらしい。アルムブルムさんは、柔らかそうな頬っぺたを一層ぷくぅっと膨らませていた。

「アルムブルム。そう呼んで?」

イジらしい彼女に、胸の奥がどうしようもなく温かくなってしまう。
これアレだわ。もう彼女だわ。どうしよう。結婚する?

「この部屋から出て行きたくなくなりそうです」

「あはっ。じゃあ住んじゃう?」

笑い合い、見つめ合い、そして再び唇を重ねる俺たちは、どこからどう見ても普通のカップルにしか見えないだろう。
だから俺は、精一杯愛そうと決めた。
例えこの部屋限定だとしても、アルムブルムのことをとても愛おしく思えたから。

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