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49話 ホロウ

地獄のお遊戯会を終え、たっぷりサキュバスの怖さを思い出させられた翌日。
俺は自室でルクレイアとお茶を飲んでいた。

「俺を見捨てて逃げやがって……。酷い目にあったんだからな……っ」

「良い機会だったのではありませんか? 最近の誠はサキュバスを性対象とすることの怖さを忘れてしまっていましたから。いかに見た目が美しい女性でも、その中身は恐ろしい魔物なのだと思い出せたでしょう?」

「嫌というほどな……」

正面に座る藍色髪のメイドは僅かに同情の色を浮かばせてから、カップを口に運んでいた。
紅茶を飲む姿すら完璧な美しさ。思わず見惚れてしまいそうになる。

「どうしました? 一流メイドであるわたしの完成された美しさに劣情を催し、抱きたくなってきましたか?」

「サキュバスは怖い魔物なんだろ?」

「一般的にはそうですが、わたしのように己を律することに定評のあるサキュバスでしたら何も恐れることはありません。ようは、相手を選べということです」

以前ならポンコツメイドゆえの自信過剰さだと流していたルクレイアの物言いだけど、今はちょっと違う。受け取りようによっては『誰かれ構わず手を出してんじゃないわよっ! そんなにエッチしたいなら……その……わ、わたしがシてあげるんだからね……っ』というツンでデレな態度にも見えるのだ。
というより、子供の恋愛感だろうか? 性的に責めることの多い彼女の態度も、好きな子に意地悪してしまう心理なのかもしれない。

まぁ全部俺の勝手な妄想で、勘違いってこともありえるけどな。
けれど当たらずも遠からずであることは、少しだけ落ち着かなくなっているルクレイアの視線が物語っているような気がした。

「約束は忘れてないさ。体力的にちょっとしんどいんで無理はしないで欲しいけど」

紅夜の日に、俺は彼女と約束を交わしていた。なんだかんだタイミングが合わなくて間が開いてしまっているが、紅夜が明けたら搾精日の埋め合せをするからっていうアレである。

本来であれば昨日のハズだったんだけど、急遽リュドミナさんから地下室へご招待されてしまったので、ルクレイアには待ってもらっているのだ。彼女も相手がリュドミナさんなので「仕方ないですね。わたしも死者に鞭を打つのは忍びないので延期することにいたしましょう」と不承不承頷いてくれたというわけである。

「そ、そう、ですか。まぁ忘れていたとしても無理やり犯すだけですけれど、手間は省けましたね。犯されたい派の誠には残念かもしれませんが」

これもただの強がりだ。表情こそ変えないが、さっきまでピンと伸びていた指先がスカートの裾を握ってしまっているもの。
訳すると『覚えてくれていたなんて嬉しいっ。忘れてたなんて言ったら怒ってたんだからね』ってなところだろうか。いや可愛く脚色し過ぎか? でもそう考えると、ツンとした態度も可愛く見えてきてしまう。

「明日でも構いませんよ? 主様の折檻を受けたばかりなのですからお疲れでしょう?」

「そうしてくれると助かるな」

「その代わり、三回は出して頂きますけど。待たせているのですから当然ですね」

「が、頑張ります」

確かに疲れているし、サキュバスから「三回射精させる」と宣言されたら怖いものはあるけど、ルクレイアなら大丈夫だろうと信じられた。
だいいち、こんなに美しい女性から求められているのだ。ズボンの中では、アホの子が「今からでも大丈夫ですぜ!」と自己主張を始めてしまっているくらい魅力的なご提案である。

まぁけれど、ここは彼女の言葉に甘えることにしよう。
今日はのんびり過ごし、体力の回復に努めるべきだってことは自分でも分かっているのだ。

となれば、あとでエルルシーの様子でも見に行ってみるか。俺と同じくリュドミナさんのお遊戯会に招待されてしまった少女である。女主人のことだから十分以上に体調には留意してくれたと思うが、見舞いがてら世間話をするのもいいだろう。

そんなことを考えながらルクレイアと穏やかな時間を過ごしていると――突然だった。

「きゃああぁぁぁぁぁぁーーーーーッッ!!!」

絹を引き裂いたような叫び声が、屋敷内に響き渡ったのだ。

「な、なんだっ!?」

あまりに突然起きた異変に頭が真っ白になってる俺と違い、音もなくスッと立ち上がったルクレイアは即座に扉まで近寄り、「動かないで下さい」とこちらに目配せしながら耳を澄ませていた。

「どうだ? 何か分かるか?」

不安に駆られて訊ねるも、ルクレイアは藍色の髪をふるふると揺らす。

「多少バタバタと走り回る音は聞こえますが、何が起きているか判然としません」

「でも異常事態、だよな?」

「はい。不出来な者もいるとはいえ、屋敷内であのような声を上げるメイドはおりませんから」

そりゃそうだ。
日常的にあんな声で叫んでいたら、地下室から招待状が届いてしまうもの。
じゃあいったい何が起きたというのか?
立ち上がろうとする俺を、ルクレイアは手振りで制してくる。

「わたしが参ります。状況が判明するまで誠は施錠して部屋に篭っていてください」

「けど……っ!」

「大丈夫です。誠のザーメンを搾り尽くすまでわたしは死にませんから」

いや変なフラグ建てるなよ。余計心配になるだろ。

けれどその間の抜けた返答に力が抜け、少しだけ冷静さを取り戻すことが出来たのも事実だった。
何が起きているのか自分の目で確かめたい欲求はあるが、それが危険なものであった場合、その場に俺がいても足手まといにしかならない。男としては情けないが、そこには人間と魔物のどうしようもない格差があるのだから。

「分かった。ここで待ってる」

「はい。では行って参ります」

俺が頷くと同時、一級違法フラグ建築士のルクレイアは目元を緩め、そして部屋を出て行ってしまった。
それを確認してからすぐさま部屋に鍵を掛け、俺はソファで落ち着かない時間を過ごすことになる。

このお屋敷で生活するようになってまだ二ヶ月程度の俺だが、それでもさっきの声が異常であることと、切迫した事態であることは分かるのだ。

何事もなければ良いが……。

念のため何かあった時用に果物ナイフを懐に忍ばせた俺は、得体の知れない不安と焦燥に駆られながら、ルクレイアが出て行った扉を睨み続けるのであった。

……。

「ただいま戻りました」

藍色の髪のメイドが戻って来たのは、それから一時間ほど経ってからだった。
すぐに事情を聞こうとする俺を制したルクレイアは、すっかり冷めてしまった紅茶を淹れ直し、ソファに腰を落ち着けていた。

「結論から申し上げます。メイドの一人がホロウ化致しました。今は取り押さえて地下室へと運び、主様が対処中です」

ホロウ化?
聞きなれない言葉に首を傾げ、俺はルクレイアに説明を促した。

「ホロウ化というのは、精液枯渇症の末期状態と同じような状態になることを言います。紅月の影響を受けた者も似たような状態にはなりますが、ホロウ化は症状が似ているというだけで全く別のものとお考えください。誠も一度ホロウ化したサキュバスを見ているハズですが、覚えておりませんか?」

紅月の影響を受けた者と同じような状態というと、つまり「ちんぽっぽ状態」ってことだろう。
確かに俺は、紅夜以外でもあの状態のサキュバスを見たことがある。この世界で最初に出会った第一村人サキュバスだ。

あの時は何が何やら分からず混乱していたので気にも留めていなかったが、そういえば彼女はどうなったのだろうか?
紅月の影響を受けて「ちんぽっぽ状態」になったメイドさんたちは、翌日にはケロッとしているようだけど……。

「主様が手ずから月に帰しました」

「月に……?」

何それメルヘン。
まさか彼女はかぐや姫だったのか?

……いや、そんなわけはない。
落ち着いて考えよう。

この世界で月と言われてすぐ思いつくのは紅月のことだ。サキュバスは紅月が集めた淫気で産み落とされる存在なのだから。となると、月に帰すというのはもしかしたら……。

「殺した、のか?」

「人間的に言うならそうかもしれません」

「リュドミナさんがっ!? リュドミナさんが人を殺したって言うのかっ!?」

「落ち着いて下さい誠。何も特別なことではないのです」

殺人をカミングアウトされて、まさか落ち着いてなどいられるわけもない。だって殺人だ。多少…………いや、相当厳しいところもあるけど、でも基本的にはニコニコと優しげなあのリュドミナさんが人を殺したなんて言われて、落ち着けってほうが無理である。

けれどルクレイアはそれを何でもないように言い、俺に紅茶を勧めてきていた。それをクイッと飲み干し彼女の言葉を待つと、ルクレイアは淡々と語り始めた。

「まず第一に、主様には女王陛下に与えられた領地を治める義務があります。領地内で誰かれ構わず襲い掛かるような者が現れた場合、それを裁くのも処断するのも主様の大事なお役目ということです」

「あ、あぁ、なるほど。そういうことか……。でもさ。だからって、何も殺さなくていいんじゃないのか? 俺が襲われてたのは事実だけど、他に被害者がいたのかどうか分からないじゃないか」

「被害者の有無はこの際関係ありません」

「なんでだよっ!」

「他に彼女を助ける方法がないのです……」

一見すると表情に変わりはないが、俺にはルクレイアが泣いているように見えた。
淡々と言ってはみせたものの、ホロウ化して助けることが出来なかったサキュバスのことも、そしてリュドミナさんが同族を殺さなければならなかったという事実にも、彼女は胸を痛めているのだ。
それにルクレイアの言葉をそのまま受け取れば、リュドミナさんも殺したくて殺したわけではないらしいことが分かる。

「……ごめん。続けてくれ」

「……はい。そもそもホロウ化は、そうなる原因も、対策も、治療方法も、何も分かっていない事象なのです。精液枯渇症と違いホロウ化した者は存在が薄まっているわけではないので、精液が足りていないというわけでもありません。まったく未知の病と言って差し支えないでしょう。ただ一つ分かっていることは、一度ホロウ化してしまうと二度と元に戻らない、ということだけです」

「だから……」

「月に帰すことが、周囲の者にも本人にとっても一番良い方法なのです」

ルクレイアはそう言って、残酷な現実を俺に突きつけたのだった。

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