52話 血は繋がっていなくとも
あの後アルムブルムは、気を失うように深い眠りへと落ちてしまった。なので絶賛心配中な俺である。今夜はこのまま側で様子を見ていたい。そう思うのは当然のことだろう。
しかし俺の方も、かなり体力を消耗していたらしい。立ち上がろうとしたところでフラッと倒れそうになってしまったのだ。「誠さんまで倒れたら困るのだけれどお~?」とは、屋敷の女主人から頂いたお言葉である。さすがにこれ以上我が侭を言ってリュドミナさんを困らせるわけにはいかないと判断した俺は、何かあればすぐ呼んでもらうことを条件に、渋々自室へ戻ってきていた。
「アルムブルムはもう平気なのでしょうか?」
部屋に入りソファに倒れこんだところで、訊ねて来たのはルクレイアである。どうやら彼女もアルムブルムさんのことが心配でならないようだ。
「たぶん、な。なにせホロウから戻るのは初めてのことだから、リュドミナさんも今後どうなるか分からないらしいけど」
とはいえ少なくとも眠る直前まで、アルムブルムさんの自我ははっきりしていたように思える。希望的観測かもしれないが、きっと大丈夫だろうと俺は信じているのだ。万が一またホロウ化してしまっても、何度だって呼び戻してみせる。そういう覚悟もあるしな。
だが念のため、アルムブルムさんには数日の間地下で暮らしてもらうことになるそうだ。メイドさんたちが付きっ切りで世話をしてくれるみたいだし、俺もいつでも様子を見に来て良いと言われている。心配ではあるが、あとは任せるしかないだろう。もちろん可能な限り毎日様子を見に行くつもりだけど。
「そうですか。ですが、元に戻れて何よりでしたね」
「あぁ、本当に」
ホッと息を吐き、俺はルクレイアが淹れてくれたお茶を啜った。お茶の温かさが身体の芯に染み入り、緊張がほぐれていくのを感じると、ようやく人心地といったところだ。
チラッと横を見れば、ルクレイアも同じくカップを口に運んでいた。
その表情は、普段と変わらず何の感情も表していない。
けれどさっき……。
元に戻らないアルムブルムさんを前にして、ルクレイアは確かに激昂していた。あれだけ彼女が感情を露わにするのは珍しいどころの騒ぎではない。いったいあれは何だったんだろうか。
「……何か?」
「あ、いや。なんでもない」
なんとなく気まずくなり、誤魔化すようにお茶を啜った。
と、フラッと体が揺れる。どうやらホッとしてしまったことで疲れが表面化してきたらしい。なんだか眠ってしまいそうなほど体が怠いのだ。
すると倒れそうな俺を支えるように、隣のルクレイアが身を寄せてきた。
「まったく……。この様子では今日も約束を果たすのは無理なのでしょうね」
「あ……いや……頑張るぞ?」
そうだったな。俺はルクレイアを待たせ続けているのだ。
これ以上待たせるわけにはいかない。
そう思い無理やり身体を起こそうとしたが、隣に座ったルクレイアに引っ張られ、俺の身体が彼女に寄り掛かるような体勢になってしまう。
「無理しなくても結構です」
「け、けど……」
「大丈夫。怒っておりませんから」
それは……うん、分かる。
表情こそ変わらないが、ルクレイアから何だか優しい空気を感じるのだ。
彼女の言葉に安心し細い肩に首をもたれると、爽やかなルクレイアの香りに疲れが溶け出していくようだった。
「ごめんな。ありがとう」
「いいです。その代わり、ちゃんと濃いザーメンを溜めておいて下さい。出涸らしの薄々汁では満足してあげませんよ?」
「はは……。頑張るよ」
溜まるかなぁ……。
ここ最近、酷使され続けている息子さんが心配だ。
「……」
するといつの間にか、ルクレイアが俺の頭を撫でてきてくれていた。
その優しさに沈み込み、俺の意識はゆっくり微睡んでいくのであった。
……。
翌日になると、俺は昼前にリュドミナさんの部屋に呼び出されていた。
普段はソファに寝転がっている女主人だが、今日は珍しく執務机に座り、カリカリとペンを走らせている。
「おはよう誠さん。よく眠れたかしらあ~?」
俺の入室に気付いた彼女はペンを走らせながら、手でソファに座るよう促してきた。
お言葉に甘えソファに腰を落ち着けた俺は、しばしリュドミナさんの手が休まるのを待つことにする。
「ごめんなさいねえ~、こちらから呼び出しておいて。もう終わりにするからあ~」
そう言ってからリュドミナさんがペンを置くまで、さらに数分を要した。よほど急ぎの仕事だったらしい。
「お待たせえ~。はぁ……。疲れちゃったから肩でも揉んでもらおうかしらあ~……」
立ち上がり「う~んっ」と伸びをする女主人は、そんな姿もセクシーである。
ゆったりしたドレスの袖口から色々見えそうになり、思わずドキッとしてしまいそうだ。
「あらあらあ~? 肩より別の場所が揉みたいみたいねえ~?」
「い、いえ! そんなことないですから!」
慌てて視線を逸らすとくすくす笑われてしまい、顔が熱くなった。
どれだけサキュバスに慣れてもこの人には勝てそうにないなと苦笑せざるを得ない。
「それで、話というのは?」
リュドミナさんが正面に座るのを待ってから、俺は話を切り出した。
ムーンシャインを口に運びながら、女主人は「う~ん」と唸る。さっきの「う~ん」とは違い、今度は苦慮しているような雰囲気に、こちらも背筋が伸びる思いだ。
「なにか……厄介ごとですか……?」
「そうねえ~……。何から話そうかしらあ~……」
「まさか……アルムブルムの身になにか……っ!?」
今日はまだ彼女の様子を見に行っていない。
本当なら朝一で行きたかったのだけど、朝と夜に検診のようなことをするらしく、邪魔しないように時間をずらしたのだ。
だから咄嗟に浮かんだのは、朝の検診でアルムブルムに問題が見つかったという可能性。背中に冷や水を流されたように心臓がキュッとなった。
「そこは心配しなくても大丈夫よお~。今朝の検診では何も問題なかったみたいだからあ~」
「そ……そうですか……。驚かさないで下さいよ」
「ふふ。こぉんなに心配してもらえるなんて、アルムちゃんは幸せ者ねえ~」
自分の事のように目元を緩めたリュドミナさんだったが、しかし次の瞬間には表情を引き締め直していた。
「……アルムちゃんには、少しの間お城に行ってもらうことになるわ」
「え……? お城……ですか?」
「誠さんは知らなくても当然ね。この世界……サキュバスたちを統べている女王様がお城にいらっしゃるのよ」
あ、やっぱりいるんだ女王様。
もちろんボンデージ姿で鞭を振るっているわけじゃないだろうけど。
「けど、なんでアルムブルムさんが?」
「ホロウのことは以前から問題になっていたのよお~。そこにきて、初めてホロウ状態から元に戻せた実例ですもの。然るべき場所で調べる必要があるってわけ」
「それってまさか人体実験のようなことなんじゃ……!?」
「酷いことはしないし、絶対させないから安心なさいな。経過観察だったり、愛液の成分を調べたり、その程度のことよお~」
そっか……。
そういうことなら仕方ないとも思える。彼女たちには彼女たちの考えがあるのだろうし。
けれど、一つだけ懸念があった。
それは
「俺とアルムブルムを引き離すのが目的、ってわけじゃないんですよね?」
尋ねると、リュドミナさんはハッと息を吞んでから、静かに息を吐きだした。
「……そう。気付いていたの」
「そりゃ気付きますって。もちろん、リュドミナさんがどうしてそんなことをするのかって理由も」
すると女主人は背中をソファにもたれさせる。なんとなくその様子が、重荷を下したように俺には見えた。
「あの子たちに悲しい想いや辛い想いをして欲しくないのよお~。でもきっと余計なお世話なんでしょうねえ~……。アルムちゃんに反抗された時「あぁ、この子たちはわたくしが想うよりずっとしっかりしているんだなぁ」って初めて感じたわあ~。ふふ。こんなことを言うと年寄り臭いわねえ~。わたくし、まだ若いけれど」
「……アルムブルムさんは、後で辛くなることがあっても、その痛みも抱き締めたいと言ってくれました」
「そう……」
それっきり口を閉ざしたリュドミナさんは、嬉しいような寂しいような、そんな複雑な表情を浮かべていたが、俺にはそれがなんだか子を想う母親のように感じられた。
「……アルムちゃんにお城へ行ってもらうのはそういう理由じゃないから安心していいわよ。あの子が決めた道だもの。もう邪魔なんてしないわあ~」
「アルムブルムさんも邪魔だなんて思ってなかったと思いますよ。むしろ心配されてることが嬉しかったんじゃないですかね」
「ふふ……。誠さんは優しいわねえ~。ちゅ~してあげましょうかあ~?」
「いや大丈夫っす! マジでっ! ガチでっ!」
くすくすとからかってくる女主人。
そこにもう緊張した気配はなく、俺も気を緩めていたのだが……。
「こ、困りますっ! 主様の許可がないと……きゃぁっ!」
廊下から突然メイドの慌てた声が聞こえ、同時に複数の足音が迫って来たのは、その直後だった。 他の漫画を見る