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54話 嵐の気配

「いったい何の騒ぎなんだぜ?」

多数の足音を引き連れて部屋に入ってきたのは、金髪の元気っ子エルルシーだった。
机の下から少女の顔は見えないけど、不満の篭った大きな声を聞けば、うちの生徒が困惑と怒りに眉を顰めている姿が容易に想像出来る。

まぁもっとも、今の俺の姿を見たら困惑どころじゃないだろうけどな。
なんせ机の下にいる先生、ショーツを咥えてちんぽ丸出しだもの。しかもリュドミナさんの脚をタオルで拭き拭きしながらだ。こんな場面を見られたら学級崩壊不可避である。

しかし今この場でもっとも困惑していたのは、誰あろう女性兵士であった。

「な……っ!? ひ、姫様っ!? 何故っ!?」

……姫様?
え?
もしかしてそれエルルシーのこと?
高貴な出自の娘だとは思っていたが、まさかお姫様だったりするのか!?

い、いや、深く考えてはいけない。
だって今まで俺が金髪少女にとってきた態度を思い起こせば、軽々と不敬罪を飛び越えかねないじゃんね。俺の首なんてダース単位で飛んで行ってしまうことだろう。

などと女物のパンツを咥えながら俺が冷や汗を流している間も、室内ではやり取りが続いていた。

「ほ、本当に姫様なのですかっ!? い、いや、だってそんなハズ――っ」

「見ての通りアタシはエルルシーだぜ? ローレンシア・ハートランドの娘、エルルシー・ハートランドだ。で、お前らは? アタシが世話になってるリュドミナの屋敷を荒し回ってんだ。相応の理由があるんだろうな?」

「ひ……っ! し、失礼致しました!」

一斉に響いたガシャっという重い音は、兵士たちがその場に跪いた音である。
震える声を絞り出し、女性兵士は名乗りを上げていた。

「わ、わたしはグラーリス家馬廻り衆筆頭騎士、ラッシェントと申します! ヘリセウス様の邸内にてホロウが発生したとの報せを受け、参じた次第であります!」

「グラーリス? あー、隣の領地の貴族かー。で、ホロウはどこにいるんだぜ?」

「そ、それは……目下、部下が捜索中でして……」

しどろもどろになるラッシェントだったが、そこにタイミング悪く部下たちが戻って来てしまい、口々に未発見の報告を上げてしまう。

「おい? ホロウ、いねぇって言ってるんだけど?」

「こ、これは何かの間違いだったようで……」

「どうするんだリュドミナ」

萎縮しきった兵士を前に、エルルシーはその処遇をリュドミナさんに任せたようだ。
すると女主人は「ふぅ~」と艶かしい息を吐き出し

「間違いは誰にでもあることですものねえ~」

「そ、そうなのですっ! 我等も決して悪意があったわけでは――」

「弁明は結構よお~。無断でわたくしの邸内に侵入して荒し回ってくれたことについては、正式な書簡でグラーリス家に抗議してあげるからあ~」

「そ、それは……」

「……もういいわあ~。下がりなさい。それとも、まだわたくしの機嫌を損ね足りない?」

「ひぃ……っ、し、失礼致しました……っ!」

それを最後に会話が途切れ、ガシャガシャと重い音は慌しく遠ざかっていったのである。

残されたのはエルルシーとリュドミナさん、with机の下の変態。出て行きたくても出て行けない状況だ。
そんな俺を気遣ってくれたのか、リュドミナさんは「どうなってるんだぜ?」と食い下がるエルルシーを窘めて一度部屋に戻らせ、それから机の下を覗き込んできた。

「出てくるなら今のうちよお~。それとも居心地が良すぎて出たくなくなっちゃったかしらあ~? 誠さんが望むなら、ここで飼ってあげてもいいのだけれどお~?」

「い、いや大丈夫っす!」

くすくす笑うリュドミナさんに見守られながら机の下から這い出た俺は、羞恥に顔を熱くしつつ、身嗜みを整えソファに腰を下ろす。
するとすぐさま、リュドミナさんが正面に腰を掛けた。一転して憂いを浮かべた表情から、面倒な話を予感する俺である。

「何か聞きたいことがあるんじゃないのかしらあ~?」

俺が難しい顔をしていたからか、リュドミナさんがこちらを覗うように聞いてきた。
正直に言えば、聞きたいことは山のようにある。

あの兵士たちはなんだったのか?
緊急事態法とはなんなのか?
俺のポケットに入っているリュドミナさんのショーツにはお持ち帰りオプションが付いているのか?

考え始めればキリがないのだ。

しかしそのどれもが、聞くのを躊躇われる事案である。だって面倒事なのは間違いないもの。結構秘密主義なところのあるリュドミナさんが、素直に答えてくれるとも思えないしな。

けれど、これだけは聞いておきたかった。

「エルルシーって、お姫様なんですか?」

「そうよお~。サキュバスを束ねる女王の一人娘。それがあの子」

拍子抜けするほどあっさり答えが返ってきてしまい、驚かざるを得ない。

「マジっすか……」

聞き間違いなら良かったのに、まさかのロイヤル。本当に王族だったとは……。

「ふふ。そんなに心配しなくても大丈夫よお~。誠さんは今まで通りに接してあげて?」

「いいんですか? だってお姫様なんでしょう?」

「そっちの方があの子も喜ぶと思うわ。逆に突然よそよそしくなんてしたら泣かれちゃうかもしれないわよお~?」

そうだろうか?
まぁ屈託のない少女のことだ。エルルシーにとっては王族と平民である前に、先生と生徒の関係なのだろう。なんだかくすぐったさを覚えてしまう。

「他にも聞きたいことがあるけど、聞いて良いのか分からないって顔ねえ~」

「まぁそんなところです」

「ふふ。出来れば色々答えてあげたいのだけれどお~、実はわたくしにも分からないことだらけなのよねえ~」

「そうなんですか?」

「そうなのよお~。だからあ~、頭の中を整理するために少しお話に付き合っていただけないかしらあ~」

そう言われては断るわけにいかない。俺はコクリと頷き、彼女の言葉に耳を傾けた。
それを自分なりに纏めると、だいたいこんな感じである。

ホロウ化現象ってのは原因も対策もない脅威なので、ホロウ化した者が現れた場合は迅速に兵を派遣し、ホロウ化した者を月に帰す。同時にホロウ化した原因が近くにあるかもしれないから周囲を封鎖し、国が調査する手筈になっていると。

今回隣の領地であるグラーリスという貴族が兵を送り込んで来たのは、リュドミナさんの屋敷内にホロウ化した者が現れた上に、リュドミナさんがそれを隠しているという情報があったかららしい。万が一ホロウ化の原因が屋敷内にあれば隣の領地も他人事ではなくなるから、強硬手段に出るというのは分からなくもない話だそうだ。

逆に言えばそのくらいの嫌疑でもなければ、普通の貴族が四大淫魔貴族であるリュドミナさんの邸宅を強制捜査するなんて不可能なのだろう。

「良かったんですか? 元に戻せたとはいえ、アルムブルムがホロウ化したのは事実ですけど」

「だってえ~、それを言ってしまったら『どうやって元に戻したのか?』という話に発展してしまうでしょお~? そうしたら誠さんの存在を隠し切れなくなるわあ~」

「あ、そうか……」

じゃあ俺を守るために、リュドミナさんは他領の兵士に邸内を荒されることを受け入れたってことか。

「すいません……。俺のせいで」

「何言ってるのよお~。そもそも誠さんがいなければアルムちゃんを元に戻すことも出来なかったんだから気にすることじゃないわあ~。それに、どうにもきな臭いのよねえ~……」

「誰が通報したのか、ってことがですか?」

「それもあるのだけれど…………」

リュドミナさんが黙考してしまったので、俺も少し考えてみることにする。
事実だけみればメイドの一人がホロウ化してしまい、けれど対処した様子がないことから、隣領のグラーリス家が心配になって兵を送り込んできたということになる。誰が通報したのかという疑問は残るものの、流れ自体に不自然なところは見当たらない。

だがリュドミナさんが感じている通り、俺も何か作為的なものを感じていた。
だってリュドミナさんが否定しても、あの兵士はホロウ化した者がいるはずだと言い張っていたのだ。

身分差を考えれば、違和感が残る頑なさだろう。誤報の可能性を考えたら、普通あそこまで強硬な姿勢はとれないもの。四大淫魔貴族であるリュドミナさんに対し「間違ってましたごめんねー」で済むハズないのだから。今頃グラーリス家が上へ下への大騒ぎになっていることは間違いない。

つまり、だ。
あの兵士は……いや、グラーリス家は確信していたことになる。
この邸内で、ホロウ化現象が発生したことを。

「そういえば……」

もう一つの違和感を思い出し俺が呟くと、リュドミナさんが顔を上げた。

「何か気付いたのかしらあ~?」

「あ、いや、気付いたってほどじゃないんですけど、あの兵士、やけにビックリしてたなぁと思いまして」

「びっくり……?」

「エルルシーにです。そこらの民家にお姫様がいたらそりゃ驚くでしょうけど、四大淫魔貴族のリュドミナさんの屋敷なんだから、そこまで驚く必要ないんじゃないかなぁって」

エルルシーは地下牢から脱け出しちゃうくらい活発なお姫様だ。とてもお城に引き篭もるタイプじゃあない。まぁそれでも驚きはするだろうけど、あそこまで驚くのは少し意外である。

すると俺の些細な疑問を受け黙り込んだリュドミナさんは、珍しくハッと目を見開き拳を震わせていた。

「誠さん……。それ、当たりかもしれないわ」

「え? どういうことです?」

「エルルシーを見た兵士が最初に言った言葉、覚えてるかしら?」

ついさっきのことだからまだ覚えてる。確か『な……っ!? ひ、姫様っ!? 何故っ!?』だったか? 突然お姫様が現れたのだから、特に不審な点はないけれど……。

「状況を考えると『何故っ!?』という言葉の後には『ここに姫様が!?』と続くのでしょうねえ~」

「まぁそうでしょうね」

「でもお~、もう一つの可能性があるわあ~」

それは?
そう聞こうとして、俺は出来なかった。
聞くことが出来ないほど、リュドミナさんの瞳には冷たい炎が宿っていたのだった……。

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