71話 危険な邂逅
アルムブルムさんと同居することが決定した。
詳しく話を聞いたところ、これはリュドミナさんの発案だったらしい。
万が一ホロウ化の後遺症が出てもお城にいればすぐ対処出来る、という建前だが、アルムブルムさんの心情に配慮した結果であることは間違いないだろう。
俺とルクレイアを同居させたことも考えれば、たぶんリュドミナさんは認めてくれたんだと思う。愛し合ってもいいよ、と。
……責任重大だな。
せっかくリュドミナさんが認めてくれたのだ。二人を悲しませ、屋敷のメイドたちを我が子のように可愛がるリュドミナさんの気持ちを裏切るわけにはいかない。
幸いなことに今のところ二人は仲良くやってくれてるようなので、修羅場的な危機になってないのは朗報だ。ノルンの時のように「どっちが良いの?」みたいなことになってしまったら、生き残れる自信がないもの。だって正直なことを言えば、どっちも選べないから。優柔不断って以上に、本気でどちらも好きなのだから。
「誠。そこで唸られていると邪魔なのですが」
「ん? あ、あぁ、ごめん」
思考の海から抜け出すと、荷物を抱えたルクレイアがジトッと見下ろしてきていた。
どうやらアルムブルムさんの私物を部屋に搬入しているらしい。
「俺も手伝うよ」
「それには及びません。非力な誠では役に立ちませんから」
「ル、ルクレイアさんっ。そんな言い方はダメだよ。でも、わたしも誠くんには手伝わないで欲しいかな。……ほら。ちょっと恥ずかしいから、ね?」
チラッと動いたアルムブルムさんの視線を追うと、箱の中に下着類が詰め込まれているのが見えてしまい、俺は慌てて顔を逸らすはめになった。
そ、そうだよな。
女の子のお引越しだもんな。
見られたくないものもあるに決まってるじゃん。
例えばこの……この……?
目の前の小物入れになんだかとっても見慣れた棒状の物体を見つけ、つい手が伸びたところで
「ダ、ダメだってばっ!」
慌てたアルムブルムさんに隠されてしまった。
なんだったんだろう? 名状し難いバイブのようなものだったなぁ。
「ということで、誠はさっさと今日のお勤めをして来て下さい。その間にわたしたちで部屋を整えておきますので」
二人にそう言われてしまったら大人しく従わざるを得ない。気分的には、休日に家から追い出されるお父さんの気持ちだろうか。俺は結婚したことないけれど、同僚が悲しい顔で愚痴っていたことを思い出す。
でも
「いってらっしゃい」
アルムブルムさんに笑顔で送り出されると、それだけで心が浮き立ってしまう。
相変わらず単純だなと苦笑しつつ、「行ってきます」と答えられることに嬉しくなる俺なのだった。
……。
いつものように城内を散策するが、なんだか気持ちが落ち着かない。
そりゃそうだろう。
ルクレイアとアルムブルムさん。とても魅力的な二人が部屋で俺の帰りを待っていてくれるんだから。早く帰りたいと思ってしまうのは当たり前のことだった。
まぁ実際は「ちゃんと仲良くやれてるかな?」っていう心配も三割くらいはあるのだけれど。
そんな気分だから、今日はなかなか搾精相手を見つけられないでいた。
廊下を歩いていると「ご用命ですか?」と声を掛けてきてくれるメイドさんもいるが、上の空になってしまっているのだ。
時計を見れば、いつの間にか夜後三時を回っている。
たった二搾精ではあるが、サキュバスに射精させられると疲労感が半端ないので、出来ればインターバルは長く取りたい。それを考えると、ちょっと焦り始める時間である。
だってスタンプが足りないまま夜を迎えてしまったら、今度はルクレイアとアルムブルムさん、二人の前で他のメイドさんに搾られることになるのだ。
これは非常によろしくない。ってか、ダメ絶対。
無理やりにでも、誰かに搾精してもらわなきゃな。
そんなことを考えていたら、いつの間にか王宮の西側にやって来ていたようだ。
ざっくりとだが、東側は比較的自由に動ける場所が多くて、西側は立ち入れない場所が多いイメージ。というのも西側には、ホロウ対策室みたいに国にとって重要な部署が多く集まっているのだ。
それに、城外からの賓客に応対するための部屋も西側にある。
俺という存在のことはお城の中ではもう当たり前に受け入れられているけど、城外の人には周知されていないからバッタリ出くわしたら大変だ。
もちろん兵士さんやメイドさんたちはその辺のこともちゃんと分かっていて気を回してくれているのだけれど、気を回させてしまうこと事態がよろしくないので、なるべくなら西側にはあまり近づかない方が良いのである。
ということで踵を返そうとしたところで、見たことのない女性が前から歩いてくるのが見えた。
第一印象は真っ黒。
城の中だというのに魔女みたいな帽子を被っているし、着ているのは露出の少ない黒のドレス。ただしぴったり身体に張り付くドレスは起伏に富んだボディラインを艶めかしく浮かび上がらせており、露出が少ないのに異様なほど妖艶に目に映る。
誰だろう?
どう考えてもメイドさんではない。
宮廷魔術師、みたいな存在がいるのであればそんな感じだが、そのような存在を聞いたことはないので違うと思う。
となると、来賓客かな?
一瞬どこかに隠れるべきかと考えたが、女性はすでに目の前まで迫ってきており、今更遅いのは明白だ。ここで隠れるような動きをすれば反
かえ
って怪しいので、俺はそのまま挨拶をすることにした。
「こんにちは」
もちろん満面の営業スマイルである。例え男という存在に驚いていたとしても、これだけ敵意のない笑顔を見せつければ、だいたいの人は警戒心を解いてくれるからな。向こうもにこやかに挨拶を返してくれるのだ。
と思ったのだが、何故か女性は歩みを止めてくれない。
十メートル、五メートル、三メートル。
どんどん距離が詰まってきているのだ。
ちょ、ちょっと!?
このままではぶつかってしまう。
そんな危険を感じたが、しかし俺の足は動いてくれなかった。
だってただ歩いているだけなのに、黒い女性から凄まじい圧力を感じているのだ。
それに距離が近づくにつれ、彼女から漂う甘い香りが俺の思考を鈍らせているのかもしれない。
甘い……甘い香り……。
アルムブルムさんも甘くて良い匂いがするけど、彼女の場合はハチミツを溶かしたホットミルクのような香りだ。心が安らぎ、とろんとしてしまうような香りである。
けれどこの女性の甘さは違った。
濃厚で、脳みそを痺れさせる危険な甘さ。
例えるなら、毒の花束といったところか。
甘い匂いで獲物を誘い、毒で殺してしまうような、そんな怖さを感じた。
「へぇ。本当に男だねぇ」
気怠い声にハッと正気に戻ると、すぐ目の前に女の顔があった。
いつの間にか至近距離まで迫っていた女性が、俺の顎を指先で持ち上げながら、顔を近づけて来ていたのだ。
――ゾクッ……
視線が合った瞬間、背筋に寒気が走り抜けた。
見えているのか不思議なほど細い糸目。酷薄にも見える歪んだ唇。何故か淫靡に映る口元のホクロ。
美しく妖艶であることは間違いないが、それ以上にこの女性は、危険を孕んで見える。
毒の花束どころではない。
この女性、毒そのものだ。
しかも質の悪いことに、この毒は人を魅了する類の毒である。
毒と知りつつ飲んでしまうような、そんな危険な香りを目の前の女性から嗅ぎ取り、俺は慌てて距離を取っていた。
すると
「貴様っ! コルネリアーナ様がお声掛け下さったというのにその態度はなんだっ!」
「オスの分際で無礼千万ね。干乾びさせてあげましょうか?」
突然二人の女性から罵倒が飛んできた。
黒い女性の存在感が強すぎて気づかなかったが、黒い女性の背後に二人の女性が付き添っていたのだ。
一人は軍服を纏った高身長の女性。腰には細剣を佩いていて、凛々しく威圧的な眼差しで俺を睨みつけている。
もう一人も軍服だが、低い身長に合わせてあるのかやや可愛らしいデザインだ。軍帽から零れる銀色の長髪がキラキラと美しかった。
恐らく二人はこの黒い女性の護衛兼側付きなのだろう。
俺の態度が気に入らなかったのか、敵意を露わにこちらに迫ってこようとしていた。
それを黒い女性が止め、にこやかというには毒を含み過ぎた笑みで話しかけてくる。
「怖がらせて悪かったねぇ。生の男なんて初めて見たもんだからつい興奮しちまったのさぁ。勘弁しておくれよぉ?」
「あ、いえ……。こちらこそ、失礼な態度をとってしまい申し訳ありません」
「なぁに、構わないさね。そういやまだ名乗ってもいなかったねぇ。あたしはコルネリアーナ・バファフェットってもんだ。四大淫魔貴族の一人とでも言えば分かるかねぇ? で、こっちの二人はシルビスとネイアローゼ」
コルネリアーナさんの紹介を受け、軍服の二人組はビシッと敬礼をしていた。ゴツゴツした黒皮のブーツがキュッと音を鳴らし、凄まじく様になっている。
「自分は涼井誠と言います。今は唯一の男として女王様より精液を提供するよう申し付けられ、こちらに住まわせてもらっています」
「そうらしいねぇ。男の身であたしたちの為に働いてくれてるんだ。感謝するよ」
俺の手をスッと取り、コルネリアーナさんはニコリと微笑みを見せた。
肘まであるレースの長手袋をしているため、彼女の手はさらりと冷たい感触がする。
でもこうしてお礼まで言ってくれるんだから、悪い人じゃないんだろう。
第一印象は怖かったけど、それも真っ黒な出で立ちのせいである。
「ありがとうございます。これからも頑張ります」
なので愛想良く答えるとコルネリアーナさんは満足げに頷き、二人を伴い去って行った。
しかしまさかの四大淫魔貴族か。
遠ざかるコルネリアーナさんの後ろ姿は、ぴたっと肌に張り付くデザインのドレスにより、お尻の形が鮮明だ。ぷりんぷりんと揺れるそれに目を奪われたことでちょっとムラムラし始めた俺は、今のうちに搾精されてしまおうと、改めてメイドさんを探し始めるのであった。