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78話 約束

その日は朝から憂鬱な空模様だった。
当然だが、この世界にも雨は降る。まぁ太陽がないので頻度でいえば月に一度降るかどうか程度だし、降雨量もパラパラ程度だけど。

それでも雨は雨なわけで、ぽつぽつと窓を叩く水音はノスタルジックでメランコリックな気分を誘発させるものなのだ。この俺がエロくもない横文字を頭に浮かべているのがその証拠だろうか。

とはいえ「雨なので息子が萎れています」なんて言うわけにはいかない。あまり気分ではないけど、今日も元気にどっぴゅりするのが俺の仕事なのだから。雨にも負けず風にも負けず、そういうちんぽに私はなりたい所存である。
それに、どうせうちの息子さんのことだ。ちょろっと尻でも揉ませてもらえば、すぐにやる気を出してくれるだろう。

「んじゃ行ってくるよ」

支度を整え部屋を出ようとすると、いつものように二人がお見送りに来てくれた。

「いってらっしゃい。頑張ってね。……ちゅっ」

まずはアルムブルムさんから「いってらっしゃい」のキスだ。彼女が出す新妻のような雰囲気に、少しだけ気分が軽くなるのを感じる。

最近日課になっているこの行事は、俺の中で挨拶以上の意味を持っていた。

――外で他の女性とエッチなことしてくるけど、心は常にここにあるから。

そういう決意表明のようなものである。
まぁ二人もサキュバスなわけで、俺が他の女性と行為に及ぶことをそこまで忌避しているような感じはないけれど、それは俺が必ず二人の下に帰って来るという安心感があるからでもある。二人を悲しませないためにも、俺はその気持ちを常に伝え続けることにしていた。

「誠」

次いで、ルクレイアが少しだけ前に出てきた。
何か言いたそうな彼女には自分から口づけをし、夜空を思わせる藍色の髪をさらりと撫でてやる。

「行ってくる」

普段なら、これで終わりだ。二人に見送られ俺は部屋を出ることになるのだが、今日はちょっとだけ様子が違うことに気づく。

「……ルクレイア?」

どういうわけか、彼女が俺の袖を掴んできていたのだ。
急に寂しくなったのだろうか?
愛が深まると訳もなく不安に駆られることがあるが、今日がその日なのかもしれない。可愛い奴め。

「どうした?」

なので出来るだけ優しく訊ねると、顔を上げたルクレイアは不安そうに瞳を揺らしていた。

「帰って……来ますよね?」

「当たり前だろ?」

「本当に?」

彼女の不安を和らげるべく、もう一度その唇に想いを伝えることにする。
ちゅっ、と軽い音を立てて離れた唇。けれどルクレイアは、やはり不安そうなままだった。

「何か心配ごと?」

「そういうわけではありませんが……何か……こう……よくわかりません」

こっちこそ分からない。
いったい彼女は何に不安を覚えているのか。
まぁそれほど俺のことを好きでいてくれるのだと思えば、悪い気などするはずもないけれど。

「ちゃんと帰って来るって。約束だ」

「約束……」

「なんなら指切りでもするか?」

だがどうやらサキュバスたちの世界に指切りという風習はないらしかった。なので仕方なく、俺はルクレイアに「指切り」を説明してあげることにする。
すると内容を理解したルクレイアは、何故か指ではなく股間をむんずと握ってきてしまった。俺のちんぽが小指並みと言いたいのだろうか? それはそれで話し合う必要が出て来るのだが?

「お、おい?」

「針など飲まれても嬉しくありませんから。ですので……『指切りげんまん、嘘吐いたらザーメン千回だ~させる。指切った』です」

それ致死量だから。とんでもないレギュレーション違反である。
針千本なら一命を取り留めることもあるだろうが、サキュバス相手に千連射は残機が百機あっても足りない。ゲームオーバー不可避である。

「……ったく。ルクレイアらしいな」

呆れつつ頷くと、今度はアルムブルムさんが横入りしてきた。

「む~っ。ルクレイアさんには二回もキスしたのにお姉ちゃんは一回だけなの?」

可愛く頬っぺたを膨らませていても、ちゅっと唇を重ねてやるだけですぐに柔らかな微笑みを見せてくれる彼女が愛おしい。

「うん。よろしい!」

そんな二人に見送られ、今度こそ「いってきます」をした俺は、朝感じていた憂鬱が消え去っていることに気づいたのだった。

……。

とはいえ、今日はやはり搾精がはかどらなかった。
時折「どうですか?」と聞いてきてくれるメイドさんもいたが、どうにも気分が乗らず、俺はそのことごとくを断っていたのだ。

こんなことではいけない。
なんとか今日の搾精を終わらせなければ。

焦りにも似た想いを抱きながら気分を変えるため珍しく西側に足を伸ばしてみたが、やはり気分は上の空であった。
そんな折である。まるで俺の焦りを嗅ぎ付けたように、メイドさんが声を掛けてきたのだ。

「誠様ですね? なにやら気分が優れないご様子ですが、どうかなさいましたか?」

振り返ると、声を掛けてきたのは長い髪を後ろで束ねたメイドさんだった。
見覚えはないが、そもそもお城にいるメイドさんの数はリュドミナさんの屋敷と比べ物にならないほど多いし、西側を避けていたので初対面なのは当然だ。
初めまして、と軽く挨拶を交すと、メイドさんはススッと距離を詰めて来る。

「身体も随分お疲れのご様子です。身体が弱れば心も弱まるものですから、少し休んだ方が良いかもしれませんね」

「あぁ、そういう考え方もありますか」

言われてみれば納得だ。
ルクレイアとアルムブルムさんは俺の体調を考えて控えてくれているが、当の俺が我慢できなくなったりしているからな。必然的に、最近は一日三回ペースでサキュバスに搾られている俺である。疲れが溜まるのも当然のことだった。

「あ、そうだ。わたしの部屋すぐそこなのですけど、いらっしゃいませんか? たしか精力剤があったと思うので」

「本当ですか? じゃあ頂こうかな」

「ではご案内しますね。どうぞこちらです」

そんな感じで招かれた彼女の部屋は、実に殺風景な内装だった。
さすがに埃が積もっているなんてことはないが、家具らしい家具がほとんど見当たらない光景は、長らく放置されている空き部屋のようでもある。ただし室内には、なんだか甘い匂いが漂っていた。

「あはは……。わたし、まだお城に取り立てて頂いたばかりの下っ端なので……。恥ずかしいです……」

なるほど。だからこんなに何もないのか。
ならジロジロ部屋を観察するのは失礼だな。

話を逸らすため「いい香りですね」と鼻を鳴らすと、メイドさんは嬉しそうに目元を緩めた。

「この香りは実家から持ってきたアロマで、とてもリラックス効果があるんですよ」

「へー」

言われてみれば、確かに身体から力が抜けてきているのを感じる。
それに加えて「どうぞ」と出されたお茶を飲めば、意識までふわふわしてきていた。酩酊状態に近いほどだ。

「どうですか? 良い気分でしょう?」

「そう……ですね……」

もう俺は、答えるのも億劫なほどの気怠さを感じていた。
ついには身体を支えることが出来なくなり、横に座ったメイドさんにもたれかかってしまう。抱き留めてくれる彼女の身体は柔らかく、ふわっと甘い香りがして良い心地だ。

――けど、この香りどこかで……。

あれは誰だったか……。
アルムブルムさんの甘さとは違う、毒を含んだような危険な甘さ……。

「……さ…………あり…………か……?」

意識がぼやけて来たのか、メイドさんの声がやけに遠く聞こえていた。
視界がぐるぐると渦を巻き、深い海の底に沈んでいくような感覚である。

なんだこれ……。
さすがにちょっとおかしくないか……?

どんどん瞼が重くなってきて、思考力が失われていく。すると部屋の中に、複数の人たちが入って来る気配がした。しかも彼女たちは二言三言交わすと、何を思ったのか突然俺の身体を担ぎあげてしまったのだ。

明らかな異常事態である。
ここにきて、俺は明確な危険を感じ始めていた。

けれど、暴れるどころか声すら出せない。
もはや指先すら動かず、目を開くことも出来ないのだ。

いったいなんだ?
何が起きてるっていうんだ?

ボーっとする頭の片隅。
ルクレイアの悲しそうな顔が思い浮かんだ。

『帰って……来ますよね?』

今朝交わしたばかりの約束。
確実に果たされるはずだった他愛もない約束。

その約束は俺の意識と共に、深い闇の底へ沈んでしまったのだった。

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