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83話 ルクレイア、怒る

―― アルムブルム視点 ――

夜になっても誠が帰って来ないという異常事態に、アルムブルムは大きな胸が張り裂けるんじゃないかと思うほどの不安で押し潰されそうになっていた。それでも彼女が冷静でいられるのは、自分よりも狼狽している同居人の存在があるからだろう。

「アルムブルム。おかしいです。誠が帰って来ません。何かあったのではないでしょうか?」

「そうだね。あと、その質問もう三十回目だからちょっと落ち着こう?」

普段スンッと澄ましているのが嘘のように、先ほどから藍色髪のメイドが室内を行ったり来たりしているのだ。その表情は一見すると何の感情も表していないように見えるが、アルムブルムには違って見えた。

迷子になって泣きそうな子供のような。
まるでこの世が終わってしまったかのような。

それほどに、ルクレイアの表情には絶望と悲しみが色濃く浮かび上がっていたのだ。

これだけ彼女が表情豊かになったのも、きっと誠のおかげだろう。そう思うと嬉しくなり、アルムブルムは心が温かくなるのを感じた。しかしだからこそ、同時に誠が帰って来ないという状況に不安が募ってしまうのだ。

――いったいどうしたの誠くん……。お姉ちゃん、心配で死んじゃいそうだよ……?

すると右往左往していたルクレイアが立ち止まり、決然とした瞳でアルムブルムを見詰めてきた。

「アルムブルム」

「え、うん? なに?」

その迫力に気圧されそうになりつつも優しく応えたアルムブルムに、ルクレイアの口からとんでもない提案が飛び出してしまう。

「埒があきません。こうなった以上、女王を問い質しましょう」

「じょ、女王様をっ!? ど、どうしてっ!?」

「女王ならば城で何があったか全て把握しているはずです。誠のことを知っているに違いありません」

「ちょ、ちょっと待ってルクレイアさんっ! いくら女王様だってこんなに広いお城のことを全て把握するなんて無理だよっ!?」

「そうだとしても、やらせれば良いのです。女王を脅し城内の捜索をさせましょう」

クラッと眩暈を覚えるアルムブルムだった。
女王を脅す?
いったいこの子は何を言い出しちゃってるの?

もちろん誠のことを心配しているのは自分も同じだ。しかしだからといって、その方法がぶっ飛び過ぎている。
だって誠は、ちょっとお腹が痛くなってトイレから出て来られないだけかもしれない。もしくは、あまり考えたくはないけど、他の女の子と盛り上がっちゃってるだけかもしれない。
女王様に誠を探してもらうという手段は効率的だが、まだ大事にする段階ではないだろう。アルムブルムはそう考えているのだ。

「甘いです。ムーンシャインのチョコレートソース掛けハチミツ添えより甘い考えですねアルムブルム」

「う、うん。よく分からないけどそんなもの食べちゃダメだよ?」

「存外美味しいのですが?」

実食済みとは恐れ入った。
別の意味でクラッとするアルムブルムである。

「とにかく、アルムブルムは事の緊急性を理解していません」

「で、でも……」

「いいですかアルムブルム。誠は帰ってくると約束したのです。わたしと、貴女の下に必ず帰ると」

それは今朝のことなのでアルムブルムも覚えていた。
人間の風習である「指切り」を教わり、誠とルクレイアは確かに約束を交わしていたのだ。ちょっとだけ「いいなぁ」と思ったのは内緒である。

「その誠が帰って来ないハズがないのです。誠が約束を破るなどあり得ません」

断固として言うルクレイアの姿に、アルムブルムはどこか敗北感のようなものを感じた。

――凄いなぁ……。
どれだけ愛したらそこまで信頼できるんだろう……。

自分だって誠のことを愛している。ルクレイアに負けないくらい愛しているという自信がある。
けれど彼女の想いは、ひょっとしたら自分が思っている以上に深いものなのかもしれない。いっそ狂信的とも言えるかもしれないが、アルムブルムの目にはそれが眩しく映ったのだ。

「うん……そうだね。誠くんは、ルクレイアさんを裏切ったりしない」

「何を言ってるのですかアルムブルム。わたしを、ではありません。わたしたちを、です」

そんなことを臆面もなく言えることがどれだけ凄いことなのか彼女は分かっているのだろうか?
なんだか嫉妬しそうな自分が小さく見え、アルムブルムは思わず苦笑してしまう。

「ありがと」

「ご理解頂けたようでなによりです。では参りましょう。敵は玉座にありです」

「いや敵って……」

すっかりルクレイアの熱に乗せられてしまったようで、なんだかんだアルムブルムも女王へ協力を要請することに疑問を抱かなくなっていた。

早く誠の無事を確認したい――。
それだけしか考えられなくなっていたのだ。

だがそうして二人が部屋を飛び出そうとした時である。
思いがけず、部屋の扉が開かれたのだ。

「主様……?」

リュドミナ・ヘリセウスであった。
予期せぬ主の訪問に、さすがのルクレイアもピタっと足が止まってしまう。

そんな彼女の様子に「あらあら」と目元を緩めつつ、リュドミナはソファに腰を落ち着けていた。

「主様。申し訳ありませんが今は主様をもてなしている場合ではないのです」

「知ってるわあ~。誠さんがいなくなってしまったのでしょお~?」

「……え?」

何故それを知っているのか?
思いがけないリュドミナの言葉に、アルムブルムの頭は真っ白になってしまった。

しかし言葉を失う彼女と違い、存外冷静なのがルクレイアである。夜空を思わせる藍色の髪をかき上げ、ルクレイアはソファに座るリュドミナに詰め寄っていた。

「何かご存じなのですね? 誠はどこにいるのですか? 無事なのですよね?」

「誠さんは誘拐されてしまったみたいなのよお~。でも心配しなくていいわあ~。救出部隊が向かっているからあ~」

誘拐?
お城から?
すでに救出部隊が向かっている?

突然与えられた情報量の多さが、アルムブルムの混乱をさらに加速させてしまう。
しかし直後。

――パンッ!!

乾いた破裂音に、アルムブルムの意識が引き戻された。
何が起きたのかと目を見張れば、なんとルクレイアがリュドミナの頬を張っていたのだ。

――な、なんでっ!?
なんでルクレイアさんが主様を叩いてるのっ!?

もはやアルムブルムにとって、混乱を超えてカオスの状況だ。だが再びルクレイアが手を振り上げたのを見ては、さすがに止めに入らざるを得ない。

「ル、ルクレイアさんっ! ダメだよっ! 何してるか分かってるのっ!?」

「分かっています」

「分かってないってばぁっ! 主様なんだよっ!?」

「えぇ主様です。ですから分かっていないのはアルムブルムの方でしょう?」

「え、な、何? どういうこと?」

わけが分からなくなりリュドミナを見ると、不思議なことに叩かれた本人である屋敷の主は、静かにそれを受け入れていたのだ。
何がなんだか分からない。いっそ泣きそうな顔でルクレイアを見ると、藍色髪のメイドは軽く肩を竦めてみせた。

「分かりませんかアルムブルム。主様は状況の把握が早すぎるのです。しかもすでに救出部隊を向かわせているなど、迅速過ぎて不自然でしょう?」

「そ、そうかもしれないけど、それがなんで主様を叩くことに繋がるの……?」

「主様はこの状況を想定していたのです。……いえ、はっきり言いましょう。主様。貴女は誠を囮にしたのですね?」

敵意を向けられ、疑惑を向けられ、それでもリュドミナは平素の様子を崩さなかった。
その自然過ぎる姿に、アルムブルムはようやくルクレイアの言わんとしていることを理解する。

――主様は、誠くんをわざと危険に晒したっていうこと?

「初めからおかしいと思っていたのです。誠という存在がどれだけ世界に大きな影響を及ぼすか、主様は知っていたハズです。知っていたからこそ屋敷に閉じ込め、決して外に出さなかったのですから」

「そ、そうだね……」

「なのに急遽お城へ移し、あまつさえ城内の者たち全てに搾精を命じさせた。裏があると考えるのは当然でしょう」

お、おぉ……。
なんだか真面目なルクレイアの姿に、変な感動を覚えてしまうアルムブルムである。
そんな彼女からチラッと「何か?」みたいな視線が突き刺さり、曖昧な笑顔で応えるアルムブルムだ。

「タイミング的に、アルムブルムのホロウ化事件が切っ掛けでしょうか? ……あぁ、なるほど……。あれは誰かが仕組んだ事なのですね?」

「え? そ、そうなんですか? わたし、誰かに狙われたんですか?」

おっとり気味のアルムブルムは、まさか自分が誰かに狙われるなど考えたことすらなかった。それゆえルクレイアの言葉に並々ならぬ衝撃を受けたのだが、リュドミナは優しく首を振っていた。

「アルムちゃんが狙われたわけじゃないから安心していいわよお~。狙われたのはエルルシーでしょうねえ~」

「そ、それってもっと問題なんじゃ……」

なにせ王族だ。
女王の一人娘を狙うなど、正気の沙汰ではない。
それに今までの会話が全て真実であれば、ホロウ化が人為的なものだったということになる。
その恐ろしさは、アルムブルムの身体を震わせるのに十分だった。

「えぇ問題ねえ~。それに、恐ろしく狡猾だわあ~。証拠隠滅のためだけにグラーリス家の当主まで消してるんだものお~」

「なるほど……。サキュバスをホロウ化させる手段を持った相手ならば、ホロウ化したアルムブルムを元に戻した誠に食いつかないはずがありません」

「そういうことねえ~」

再びルクレイアが手を振り上げたが、今度はアルムブルムも止める気にはならなかった。
自分だって、本当はそうしてやりたい気持ちなのだから。

「……気は済んだかしらあ~?」

「残りは誠が無事に戻ってきてからにして差し上げます」

万が一無事に戻って来なかったら……。
そんなことは、誰も口にはしなかった。
ルクレイアは誠の無事を信じているし、リュドミナだって必ず誠を救い出す勝算があるからこそ、こんな危険を冒したのだろうから。

だからこれからやるべきは、リュドミナを糾弾することではない。
ようやく思考が追い付いたアルムブルムは大きく胸を膨らませ、そしてリュドミナに向き合った。

「わたしたちは何をしたらいいですか?」

それに対し、リュドミナは普段以上に柔らかな微笑みを返す。世間体のためではない、本当の微笑みを。

「誠さんが戻ってきたら優しく介抱してあげてねえ~。搾精もしばらく止めるよう言っておいてあげるから、たぁっぷり休養するといいわあ~」

そしてリュドミナは立ち上がった。
恐らく彼女は誠の状況を知らせるためだけに時間を割いてくれたのだろう。自分が責められることを承知の上で。
そこに屋敷の主の優しさを感じ取りつつ、しかしアルムブルムは、去り行くリュドミナの背中に不安を覚えた。

「あ、主様はどちらへ?」

「やぼ用よお~。貴女たちは誠さんの帰りを待ってなさいねえ~」

そして振り返ることなく、リュドミナは部屋を出ていく。
その後ろ姿を、ルクレイアとアルムブルムは生涯忘れられなくなるのであった……。

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