巨乳キャラあつめました 巨乳のキャラクターが登場する漫画や小説を集めたサイト

出会いと合コン

「なあ、早瀬渚って知ってるか?」

講義と講義の間に空いた90分の空き時間を潰している時分、友人が僕に問いかける。
その言葉に、僕はパックジュースのストローから口を離して、馬鹿にしているのか、と返事をした。

まあ、流石のお前でもそうだわな──と、友人はベンチの背もたれに体重を掛けた。
彼は、僕の事を過分に世間知らずだと思っている節がある。

確かに僕は、彼のように流行りのファッションがどうのとか、芸能人の誰と誰が結婚したとかのゴシップなどには聡くない。
何らかのメディアに触れている者なら誰もが知っているはずの、動画サイトの再生回数を見ればカンマが2つも3つも付いている曲のサビすらも聞いた事がない。

それでも、この大学に通っている限り、あの早瀬渚の事を知らないなんて事は、例え彼女に関する情報を全てシャットアウトするために万全の準備をしたとしても、あるはずが無い。
リアルでもインターネット上でも超の字がつく有名人だからとかそういう次元の話ではなく、一度その姿を見たらそれを忘れる事など不可能だという意味で。
そう言うと、彼は僕よりも幾分太い、日焼けした腕で僕の肩を小突く。

「何だよ、干物みてーな顔しといて、意外とアイツの事狙ってんのか?」

まさかお前がロールキャベツ系男子だったとはねぇ、なんて一人呟いて、彼はスマートフォンをポケットから取り出す。
どうせまたSNSで女の自撮りでも見ているのだろう。飽きない男だ。

僕は干物でもなければロールキャベツでもない、そんなに食って美味い男なはずがないだろう。
自虐半分に言い返して、僕も同じようにスマートフォンを取り出した。
手持ち無沙汰ついでに、友人の揶揄の意味が何となく気になったからだ。
ロールキャベツとやらの意味はよく分からないが、どうせ褒め言葉ではないだろう。
それに、あの早瀬渚に関する話であれば、大方意味の想像はつく。

「ま、そんな訳ねーか。年中”逆”発情期のお前さんが、興味や好意はあってもあの早瀬渚を狙ったりするわけねーよな。お前はそういうところでは一歩も二歩も引くくせに、変なところで思い切りが良くて、でもリア充に対してはちょっとばかし羨んでたり嫉妬してたりする妙な男だよ、うん」

──うるさいな、勝手な事を言うな。
スマートフォンを操作しながら、今度は逆に僕が友人を肘で小突く。

……しかし、奇妙なほど、こいつの言うことは当たっている。
普段からおちゃらけた男だが、人を見る目はやけに鋭い。
そのくせデリカシーは無く女性からの人気も無いのだから、こいつこそ妙な男だ。

──などと思いながら、辞典サイトに表示された画面を流し見して、閉じる。
やはり、そうだ。
彼女に関する事で、かつ男がする話なんて、たった一つに限られる。
生殖適齢期の雌の、豊かに実った肉を美味しく食べる。
なるだけ魅力的な、あるいは人畜無害そうな皮を被り、相手を油断させて。
彼女を取り巻く男は皆そんなものであるから、食い物にされる側という意味で、むしろ料理に例えられるのは彼女の側なのではないだろうか。

しかし、そんな風に身体を狙われるばかりで、誰にも内面を見られないのは少しだけ哀れだなと思ってしまう。
衆目のある大学の構内ですらあからさまにボディタッチを狙う男に、セクハラそのものの会話しかしようとしない男。
彼女の周りにはそんな男しか見ないものだから、それもまともな男を寄せ付けなくしている原因なのかも知れない。

それに関しては、可哀想だと思う。
しかし、同時に理解もできてしまう。
彼女を付け狙う男の心理、また彼女に欲望を狂わされる理由が。

──早瀬渚。
僕と同じ大学に通っていて、学年も同じく三年生。
とはいえ、僕と彼女は何の関わりもない。
僕から彼女に話しかけようとしたことも、ましてや話しかけられたことも無い。

彼女の服装はいつも奇抜で、所謂パンク系──僕はファッションに関しては全く興味が無いのでよく知らないが、確か彼女の取り巻きの誰かがそんな事を言っていた──のものをよく着ているのを大学内でも見かける。

またその顔立ちも、流石は一月に何億と稼ぐようなトップモデルだと言うべきか、世界を股にかけて活躍するアイドルや女優にも勝るほど整っているし、実際に彼女の人気は既にそれらと比肩していると言って差し支えない。
吸い込まれそうなほどに大きくて綺麗な黒い瞳に、瞳に負けじとはっきり存在を主張する長いまつ毛。
すらりと高い鼻立ちに、艶々と瑞々しい真っ赤なリップ。
中性的なその風貌は、女性アイドルどころか、男性アイドルと比べても男性美として匹敵するような、性別すら超越した美しさと言えるだろう。
その甘いルックスから、彼女のSNSアカウントには国内外問わず数百万人のフォロワーが存在する。

確かに、彼女のその顔立ちと美的センスは、何か強引に人の目を奪うものがある。
彼女の持つ世界観というか、纏っている独特な雰囲気というか、誰にも出す事ができないオンリーワンな空気感は、強烈にパンチがありながらも下品では決してない。
彼女の持つ魅力を引き立てるその美しさは、例え思わず足を止めて見入ってしまうほどだ。
全くファッションに疎い僕ですらそうなのだから、その方面に興味がある人間なら尚更なのだろう。
初めて彼女が読者モデルとして雑誌に載った時も、ネットニュースでもその美貌が話題になっており、SNSでもしばらく彼女の話題で持ち切りだった事は記憶に新しい。

そんな風に、彼女の美しさは、今や誰もが疑いようもないほどに認められている。
しかし、もしも。
もしも、そこに一つだけ。
ただ一つだけ文句をつけるとしたら──

「……おい、見ろよ、あれ」

──友人が、突然ひそひそと声を落として僕に話しかけた。
そして、僕だけに見えるように、屈めた体で隠しながら、中庭のメイン通路の方向を指差す。

いつも豪快な、悪く言えばデリカシーに欠ける彼が、何かから隠れるように声をかけるとは珍しい。
そんな事を考えながら、指先を追うようにして首を動かすと、そこには。

「フーン、フーン、フフーン……」

──くるり、くるり、とバレエのステップを踏むように。
軽快な鼻歌を歌いながら、一人の女性が現れる。

雪のように白く染められた髪に、一房編み込まれた黒いエクステ。
頭には黒革のキャスケットを被り、つばの部分にはサングラス、帽子の内側にはヘッドフォン。
オフショルダーかつへそ出しでモノトーンの半袖シャツに、半ばホットパンツじみた丈のショートスカート。

彼女が着こなしているのは、まるで大学という場所に相応しくない、派手で奇抜なパンクファッション。
それ故にか、その周りには誰も居ない。いや、まともな神経の人間であれば、あれに並び立つ事などできない。
それは揶揄するような蔑む意味ではなく、むしろその全く逆。
彼女という存在の持っている、奇異ながらもカリスマ性のある魅力のためだった。

彼女の登場によって、ただの休憩所、学生の溜まり場と化していた中庭が、映画のワンシーンのように変わり始める。
木々からの木漏れ日をスポットライト浴びて、まるで中庭全てが彼女の独壇場かのような。
そんな空気を纏いながら、くるくるとターンして、ゆっくりと遊歩道を闊歩する。
もしも彼女以外がそんな事をすれば、頭のおかしな奴が馬鹿馬鹿しい真似をしていると総スカンを食らうに違いない姿。
しかし、それは早瀬渚がするからこそ、スーパースターの路上ショーのように成立していた。

「……すげぇな」

──凄い。

別に隠す必要も無いが、何やら邪魔してはいけないような気がして、自然と声を抑えて話す。
例えるなら、ミュージカルの舞台を見ている時に、マナーを知らなくとも雰囲気で大声を出してはいけないとすぐに理解するような、そんな感覚。

「いや、マジで凄いわ……」

──……ああ。

そして、もう一つ。
そこにプラスして含まれるのが──盗撮を働いているかのような、やましさ。
彼女の姿を眺めるだけのその行為が、何かひどくいやらしい淫行をしているかのような。
そんな感覚を、どうしても覚えてしまう。

彼女が躍り跳ねれば、同時に豊かすぎるほど豊満な媚肉が跳ね回る。
ぼかさずに具体的に言うのなら──乳が、尻が、太ももが。
それはそれは、全身の肉という肉が、どこに目を向ければ良いのか分からなくなるほどに踊り狂う。

早瀬渚は、スタイルがいい。
それは、彼女を知る人間ならば誰もが頷く言葉である。
実際に、彼女を知らない人間に彼女の事を紹介しようとする人間は、そう言うのだろう。
しかし、実際のところ、その表現は正しくない。
包み隠さずに、迂遠な表現を避けて言うのならば。

──早瀬渚は、もう立ってるところを見てるだけで気が狂いそうになるほどちんぽが苛つくような、全身エロ肉まみれ交尾専用クソエロオナホ体型の、歩くだけで猥褻物陳列罪になるようなセクハラ誘発待ったなしの、男に媚びすぎたボディラインを見せつけてくる天性のドスケベ女である。
……と、どうしたってそういう言葉になってしまう。

遊歩道を歩く彼女を、覗き見するように横目で眺める。
歩くだけでむちっ♡むちっ♡と音がしそうなほど、格別下品なエロ漫画から飛び出したとすら思えるような、所謂『雌』の部分をひどく強調した体型が目に毒だ。

彼女を見て精通を引き起こした子供が果たして何人居るのだろうか。
あるいは、彼女の見るからにもちもちと抱き心地の良さそうな、雌の魅力をひたすら濃く凝縮した身体に性癖を狂わされて、並のグラビア程度では勃起すらも出来なくなった男はどれほど存在するのか。

最早言うまでもなく、巨大かつ柔らかな乳。
彼女の小顔と比較するのはもちろん、男の大きな頭と比べたってまだ乳の方が大きいとすら思えるほどの馬鹿みたいな質量は、まるで乳牛のよう。
たっぷりと、まったり蕩けるほどクリーミーな脂肪を蓄えて、ひたすら視覚で男に媚びを売る。

その雌として極まった柔らかさは、見た目からしてすぐに理解できる。させられてしまう。
とろとろとした感触はまるで何日も煮込んだ肉の脂身のようで、触れば力を込めずとも指の隙間にすら満ち渡るのが本能的に分かる。
何故ならば、その短すぎてカーテンのようになってしまっている服の下。
そこに位置する乳肉が、動けば動くほどに、弾んではたわむ。
歪むとか揺れるとかの次元ではなく、余りすぎた駄肉が──ひしゃげて段差を作るのだ。

見ただけで分かる、余裕でメートル越えの胸。
そんな乳肉がただ存在するだけで、男なんてどうしようもなく狂わされてしまうのに、彼女ときたらそれだけではない。

重たそうに、だっ……ぽ♡だっ……ぽん♡と、歩行などの動きから一呼吸置いてもったりとした動きを見せる、質量兵器のような乳肉。
そして、それを支える下半身は、もちろん。
それ相応に、太く逞しく、ケトルベルのような重量に耐えるための肉が付くというのが定めなのだろう。

彼女の下半身は、明らかに太かった。
男性である僕と比べても、尻も脚もふた周りほど太くて分厚い。
だが、それは決して醜く太っているとかそういう意味ではない。
生物として正しく、眩しいほど健康的に肉が付いた結果だと言えるだろう。

何故ならば、彼女のボトムスから見える太もも。
それは柔らかくむっちりと脂肪が付きつつも、艶々と輝くようなハリがあり、活発さを感じさせるしなやかさも兼ね備えていた。
若い女性特有の瑞々しい肌の艶めきや、脚に力を込めた時の筋肉の動きなども、彼女の持つ快活な脚力を示すものに他ならない。

だが、しかし。
筋肉もあり、動くことに支障はないが、そこには胸の大きさと比例するように、確かに柔らかな脂肪がたっぷりと付いている。
脚を閉じれば、太ももと太ももがむっちりとくっ付いて、むちむちと犇めくくらいには、たっぷりと。

そこにニーハイなどを履けば、もう凄まじい。
美脚効果だの何だのと知らないが、恐らくは元々キツめになるようになっているのだろう。
それを彼女が履けば、繊維がぐいっと引き伸ばされて、黒色の薄い生地に彼女の肌色が透けてしまう。
更にそこに乗りかかるようにして、締め付けられた駄肉が、ニーハイの上からぷにゅりと溢れる。
もっちりと柔らかく、しかし筋肉質な、雌っぽさと健脚を奇跡的なバランスで同居させた御御足。
すべすべと頬ずりしたくなるようなそれの魅力がソックスによって引き立てられ、男はどうしてもむしゃぶりつきたくなるような衝動にかられてしまう。

しかも、彼女が好んで履くのは超のつくミニスカートやホットパンツであるため、それを常に晒しているのだ。
ただでさえ、それだけで垂涎もののポルノ映像であるのに、歩けば脚が地面に付くたびに、むちっ♡と左右にぐいぐい肉が食い込む始末。
そんなものを見せつけられて、まだ誰も逮捕者が出ていないというのは奇跡である。

そんな風に、ただ立つだけで隙間なく閉じた脚の媚肉が腰振り用オナホに変貌するという、並外れた媚雌の具合。
セックスを象徴するかのようなその肉を上になぞれば、そこには当然、尻がある。
ただでさえ肉の盛られた太ももの付け根よりもずっとずっとエロ雌肉に塗れた肉尻は、まるで淫魔が魅了するかのように種付け欲を煽って仕方がない。
男性の根源にある、子供を産みやすそうなデカ尻への孕ませ欲。
彼女の広い骨盤に乗ったとろとろふわふわの雄媚び肉を見ると、それだけで金玉がぐつぐつと精液を煮詰めて、より濃ゆい子種で確実に彼女を孕ませようとするかのような、それほどの昂りを感じてしまう。

そんな風に、本能のまま腰を叩きつければあまりの肉厚さにばすんっ♡ばすんっ♡とクッションを殴りつけるような音がしそうなほどのそれを、彼女は遠慮もなく振りたくる。
むっち♡むっち♡と張り詰めたスカートに尻の割れ目まで浮き上がらせ、まるで交尾をねだる雌猫のように、やたらと腰をくねらせて歩くのだ。
捏ねたての餅のような孕み頃の極上の雌特有のそれを、どれだけ過剰に乗せれば気が済むのかと言うほど乗せて、見せびらかす。
彼女の歩き姿をオカズに、一体何リットルの精液が無駄になったのだろうか。
そう思わずにはいられないほど、その姿は淫猥そのものだった。

その他にも、語ろうと思えば彼女のエロスなんていくらでも語る事ができる。
例えば、その短い服から覗くヘソだとか。
脚ほどでは無いが、平均的な女性よりかは太めでそこそこ筋肉のある二の腕だとか。
まるっきり服から放り出されたすべすべの肩だとか。
語り始めればキリがなく、そもそも言ってしまえば彼女は全身セクシャルの塊なのだから、彼女への欲望なんて尽きるはずがない。
その立ち姿だけで、もっと言えばごく一部の肉体のパーツへのズーム画像だけで、マスターベーションを行えと言われればそんなに簡単な事はないと言いきれる。
それほど、彼女の持つ女性的魅力は底なしなのだ。

例えば、もしも彼女のスタイルをそのまま絵に書き起こしたなら、それを公共の場所に公開する事すら出来ないだろう。
そんな交尾するための部位だけに肉を蓄えた、男の下卑た性欲をデフォルメして書き起こしたかのような、都合のいい性奴隷じみた肉体を公に出すとは何事だ。青少年への教育に悪い。まるで女が性処理の道具のように扱われて不愉快だ。
そんな文句が出てきたって何らおかしくはない。
冗談でなく、本気でそう思ってしまうほどのボディは、まさに圧巻としか言い表せない。

と、そんな風に男ばかりから羨望の目線で見られ、同性の人間からは疎まれそうな彼女であるが、実際はそんな事もなく、女性からの人気も非常に高い。
有り体に言えば、同性にもよくモテる。
良さげな男の心を軒並み奪われ、どうしたってその抱き心地が良いに決まっている肉体と比較されざるを得ない。
そんな早瀬渚という女が居るだけで恋人探しは困難を極めると言うのに、だ。

その理由は何なのか。
答えは簡単である。

彼女は、脚が長すぎた。
ウエストが細すぎた。
そして何よりも、顔が綺麗すぎた。

彼女の身長は、女性としては格段に高い。
何せ、男性の平均身長程度は背の高さがある僕よりも、頭一つ分は高いくらいである。
数値にすれば、190センチに届くか届かないかというほど。
そして、その身長の内訳は大半が長い脚を占めており、腰の高さなどは僕などと比べ物にもならないほどだ。

そして、全体の豊満な肉付きに反して、ウエストはそれを無視するかのように細い。
もちろん、ただただ絶食や拒食によって不健康なほどの痩せ方をした女ほど細くはない。
ほんの少し、キツめに締めたベルトに肉が乗っかるくらい、ぷにぷにとした柔らかさも兼ね備えている。
しかし、その上下に存在する、途方もない大きさの乳肉と尻肉に比べたら、もっともっと肉を付けてもいいと感じるくらいには細いと思ってしまう。
もちろん単体で見れば平均的な同業者のモデルに匹敵するくらいの細さなのだが、胸も尻もウエストと切り離して見る事が出来ないから、自然と比較してしまって相当な細身に見えているのだ。

そんな要素は、男性だけでなく女性にとってもウケがいいと言える。
事実として、それらは彼女の人気を支えるための武器になっているのだろう。
しかし、そんなモノははっきり言ってオマケに過ぎない。
彼女の人気の秘訣とは、大半がその顔立ちにある。

ハッキリとした目元は、鋭利に研ぎ澄まされながら軽く吊り上がっており、それだけでスタイリッシュな印象を受ける。
それに付随する長いまつ毛は、猛禽の爪のようにはっきりと濃く、これまた彼女の端正なルックスを彩っている。
均整の取れたすらりと高い鼻梁、鮮やかなルージュの口元と合わせて、彼女の甘いマスクは端麗さを極めていた。

クールでありながらもどこかミステリアスな雰囲気を感じる、見事なまでの眉目秀麗さは、男はもちろんのこと、女性までもを虜にしてしまうのだ。
いや、むしろ彼女のようなシャープな顔立ちは女性こそ好むだろう。
女性の気持ちには些か疎い僕ですらもそう察するほどに、彼女の中性的な美麗さは明らかに異彩を放っていた。

時折、くるりくるりとキャスケットを指で回しながら、彼女はふらふらと歩く。
キャスケットの中にあるウルフカットとヘッドフォンを見せながら、鼻歌交じりの遊歩道。
我がもの顔で視線の中を歩きながら、徐々にこちらに近づいてくる。
低めのハスキーなハミングが、木の葉のざわめきと混じって耳心地がよい。

そうして少しばかり聞き入っていると、ふとその鼻歌に聞き覚えがある事に気が付いた。
曲名は思い出せないが、メジャーな曲の一節だったような気がする。
ああ、これは、そうだ、確か。

──モーツァルト。
ぽつりと、そう呟く。

ぴたりと、早瀬さんの足が止まる。
中空を漂っていた彼女の視線はこちらにぴたりと固定されて、じっと僕の目を見つめてくる。
そして、にまりと面白そうに口端を吊り上げて、こちらに向かって一直線。
すたすたと、迷いなく歩み寄る。
座っている僕に向かって、真っ直ぐに。

しまった、と思って、僕は遅れて口を覆う。
何もまずいことは無いのだが、それでも、冷や汗をかくくらいに焦燥してしまう。
なんと言うか、例えるならば、それこそスターの路上ライブを僕の何気ない一言で中断させてしまったかのような。

そんな僕の脳内をよそに、彼女は僕の真正面に立ち、見下ろす。
僕の顔を覗き込むように、その端麗な美貌を惜しみなく近づけて。
そのあまりの美しさに、圧力すら感じて仰け反る僕に、彼女は離れた分だけ顔を寄せて、言う。

「……当たり」

何が、とは言えない。
けれど、多分、その鼻歌はモーツァルトの何かの楽曲だったのだろう。
しかし、そんな事よりも。

──おっぱいでっかい。顔がいい。肌すべっすべ。めちゃくちゃイケメン。下から見ると胸で顔が見えづらい。何センチあるんだ。

そんな事ばかりが頭の中でぐるぐるして、全く何も考えられない。
何せ、あまりにも顔が良すぎる。近すぎる。
そして、ちょっと目線を下にすれば、呼吸で起こる震えすら見えるほどに近く、その爆乳が鎮座している。

「キミ、クラシックとか聞くの?」

心臓が、ばくばくと煩い。
目が回りそうになるほどに混乱して、その顔からただ視線を外さない事にばかり尽力して。
だから、まともな返事も出来ず、首を横に振るしか出来なかった。

あまりに情けない姿。
けれど、彼女は嘲るでもなく、慈母のように、あるいは小悪魔のように、悪戯っぽさと慈愛が同居した微笑みを見せる。
少なくとも、そこからは悪意や軽蔑などは感じられない。
それどころか、むしろ、そこにあるのは。

「ふぅん、そう……」

──面白い。
自惚れでなければ、そういう感情で。

彼女はすっと目を細めてから、おもむろに。
より近く、耳の傍まで、そのぷるりとした唇を、寄せる。
いよいよ喉元に刃を突きつけられたような、処刑寸前の罪人にも似た極度の緊張で、頭の先から足の指まで鉄みたいに固まってしまう。

彼女の吐息すら聞こえるほど、彼女の顔が、唇が、傍にある。
最早、目線なんて追えるはずがない。
ただ、目をぎゅっと瞑って、今から起こるであろう、何かに耐えようとする。

もしかして、もしかすると。
何度も何度も、有り得ないシミュレーションが胸中を駆ける。
彼女の真っ赤な唇が、僕の、僕を。
しかし、絶対にそれは有り得なくて、何故ならば、そんな理由なんてどこにも無くて。
でも、それなら、彼女は、何でこんなにも。

──きっと、誰がどう見ても、僕は分かりやすく混乱していただろう。
そんな僕を見てか、耳元で、くすりと妖艶な笑い声が聞こえた。

そして、その後に続く、音。
それはもちろん、ちゅっというリップ音──などではなく、全く別のもの。

かき鳴らされるエレキギター音と、女性の高音シャウト。
彼女のハスキーボイスとは似ても似つかない声と、突然の荒々しい音に、僕はすっかり拍子抜けしてしまう。
肩からがくりと力が抜けて、訝しむような目で、音の発生源であるすぐ隣を見た。

そこにあったものは、くすくすと口元を軽く抑えて可笑しそうに笑う彼女の顔と、片側だけ耳から持ち上げられたヘッドフォン。
抑えるものが無くなったスピーカーから流れた曲が、僕の耳に聞こえていたらしい。

唖然とする僕を後にして、彼女はすたすたと歩いてゆく。
ヘッドフォンをつけ直し、上からキャスケットをもう一度被って、とんとんと軽く跳ねながら。

やがて彼女が見えなくなると、広場に喧騒が戻り始める。
声を潜めて噂をするように、ひそひそと、ざわざわと、動揺と混乱を隠しきれないような、疑問形ばかりの声色で。
そんな彼ら、または彼女らは、一つの方向に目を向けて何かを話している。
目線だけではなく、時折指すら差しながら。

その方向とは、もちろん僕の方。
彼女のワンマンショーであるはずの舞台に、あろう事か何故か男が上げられたとあっては、疑問が尽きないのも無理はないだろう。
だって、僕ですら何故彼女が話しかけてきたのかも分からないのだから。

そうして、ここに居る全員が全員僕の方を向いて噂話にふけるという、最高に居心地の悪い状況が出来上がる。
しかし、ここから離れる気にはなれない。
本当に、死ぬほど疲れたから。

何故かは分からないが、フルマラソンを走った後くらいに疲れた。
素性の知れない、何を考えているか分からない美女に迫られるというのは、こうもくたびれるものなのか。
精神が衰弱したように、へろへろとベンチに腰掛けた尻がずり下がった。

「おい……お前……!」

そうして精神力を使い切ってベンチにもたれる僕を、友人はゆさゆさと容赦なく揺さぶる。

「あの早瀬渚が、男に、自分から話しかけたぁ!?お前、何したんだ!」

鬼のような喧騒の友人に、いよいよ襟首を掴まれぶんぶんと振り回される。
知らない、そんなこと僕が聞きたい。
そう言い返す体力もなく、彼のされるがままにがくがくと頭を上下される。

「おい、聞いてんのか!一大事だぞ!早瀬渚が、男に興味を持ったんだぞ!これがどれだけ凄い事か……!」

──やめろ、シャツがちぎれる……。
何とかそれだけ絞り出して、僕はぐったりと力を抜いた。
そして、彼女との会話を反芻する。
ああ、やっぱり、どうしても。
興味が無いようなフリをしても、こうして彼女に話しかけられると、やっぱり好きにならざるを得ない。
だって、卑怯だ。
あんな色気と、美しさと、可愛らしさをぶつけられたら、無理だろう、そんなの。

「おい、おいったら!」

相変わらず激昂する友人をよそに、ふと思い出す。
──そう言えば、モーツァルトを鼻歌で歌ってたのに、ロックを聞いてたのか?
それはまた、音程もリズムも全然違うのに器用だなぁ……と朧気に思い、僕はそろそろ彼の手を振りほどく事にした。

──と、このお話はここで終わり。
漫画やアニメじゃあるまいし、ここから彼女とのラブコメディのようなストーリーが始まる訳でもない。
あの日の事は、ただ僕にとっては奇跡的な思い出に、彼女にとっては覚える意味もないただの気まぐれして過ぎ去ってゆくだけだ。

そもそも僕と彼女には元から接点なんてないし、これから接する事もないだろう。
彼女はその類稀な才能と美貌で人々の羨望の目を集め、特別な才能などもない僕は薄暗い日陰を歩くだけだ。
恋人同士は言うまでもなく、例え友人としての関係ですらまるで釣り合わないだろう。

だから、もう彼女と関わる事はもうない。
彼女がまた僕に話しかけたりする事など有り得ないし、僕から彼女に声をかけたりもしない。
彼女とは住む世界が違うから、そんな機会も二度と与えられたりしないのだ。

そう、思っていたのだが……。

「ハーイ、じゃあ、今日の出会いに感謝して~?」

「「「カンパーイ!!!」」」

──か、乾杯……。

座敷席の隅っこで縮こまりながら、周りを見渡す。
隣を見ればちょっとくすんだ金髪に、格闘技で鍛えたと豪語していた筋肉質な腕。
染み付いているのだろうか、少しタバコの匂いがするジャケット。
正面を見れば、少し茶色がかったロングの黒髪に、淡めの中間色でまとめたワンピース。
あまり詳しくないので分からないが、見た感じでは薄めの化粧で、唇だけは濃いめかつ潤いを強調した赤色。
パッと見は清楚そうな見た目だが、こんな場所に来るのだから、どうにも猜疑的な目で見てしまう。

そんな男女ばかりがずらりと横並びになって、僕の眼前に見えるのは。

「……乾杯」

控えめに、ゆっくりと杯を上げる、背の高い美女。
深く冷たい青色の瞳に、パッキリとシャープなまつ毛が目を引いて、刺すように鋭い目元とギリシャ彫刻じみた輪郭が、整いすぎているほど整ったマニッシュな美貌を強調する。
肌は相変わらずすべすべと絹のように滑らかで、最早言うまでもないが、胸もメロンほどの大きさと蕩けるような肉質を持ち合わせて、まるで男の精を啜って生きるサキュバスのよう。

そう、言うまでもなくその女性の名前は──早瀬渚。
集合の時間ぴったり、全員が揃ったその後に音もなく現れて、あまりの美しさに空気そのものを凍てつかせた彼女を、まさか見間違うはずがない。
彼女の形容は、場末の安居酒屋にはまるで似つかわしくなく、言い方は悪いが、例えるならばドブ池の中に虹色の羽を持った孔雀が佇んでいるかのように、そこに存在するだけでそんなチグハグさを感じてしまう。

それは、女性が並ぶ側の席に座った時も同じで、申し訳無いが彼女らに対して渚さんの魅力は全く釣り合っていない。
ちょっとあの子より美人だとか、ちょっとあの子よりスタイルが良いとか、そういう次元の話ですらない。
素人の落書きをくしゃくしゃに丸めたちり紙と、一等品の和紙に人間国宝が描いた絵画の価値を比べるのが馬鹿らしいように、最早比較にすらならないほど、彼女は絶対的な輝きを放っていた。

それを見た男達は、もう馬鹿みたいに口を半開きにして、彼女の歩き姿を眺めるしかない。
女達ですら、その溢れそうな色香に当てられて、視線を釘付けにされる。
嫉妬の感情や、男を奪われるかも知れないという焦燥感すら、もう感じる事もできないのだろう。
あまりに生物として圧倒的すぎる差に、僕達はもう為す術がない。

そうして彼女が──何の因果か、僕の正面に座った時、この会場においての女王が決定する。
全員から、一身に媚びるような目線を受ける早瀬さん。
彼らも、彼女らも、誰もかもが。
早瀬さんただ一人と、お近づきになりたい。
それだけが、この集会の意味なのだ。
そんな至極当然の事を、ただ彼女の登場だけによって、再確認させられた。

早瀬さんは、ごく稀に気まぐれに合コンに参加するそうなのだが、彼女が来る合コンは男女問わず参加希望者が殺到し、噂によるとその倍率は人気アイドルグループのコンサートにも勝るほどになるらしい。
もちろん僕は合コンなどに行くタチでもないし、主催者の人間とのコネなども持ち合わせてはいない。
こういうものを開催するのは、得てしてバーベキューやサーフィンを好むようなステレオタイプの陽気な人間であるが、生憎日陰者の自分にはそういう人間は友人には居ないのだ。

……いや、一人だけ居るか。
早瀬さんと初めて話した時に時に中庭で一緒に居た、あの友人。
丁度この合コンに来ることになったのも彼奴のせい──もとい、彼奴のおかげだ。

そもそも、アイツは成人しているとは思えないほどスケジュールにだらしない。
そんなだから、今回も合コンが再試とダブルブッキングしていた──そもそもあの男は彼女持ちだが、それはもうこの際置いておく。彼女さんは見た目のわりに怖いと聞くので、きっと今頃こってり絞られているのだろう──とかで、急遽行けなくなってしまうのだ。

──まあ、そこまでは別にいい。
人数が不足すると不都合だからと、迷惑にならないよう代役を立てるのも、その相手からの了承があるのなら良いだろう。
だが、よりにもよって、何故代役に僕を選ぶ。
しかも、代役の僕にも、幹事の男にも、直前まで全く何の連絡もなしに、だ。

「まずは何頼むー?」
「とりまポテトフライと、あとサラダと……」
「唐揚げ食べたい人ー?」
「はーい!私食べたいです!」

表面上は明るく、いかにも『合コン』という雰囲気で、彼らはメニューを決めている。
しかし、何となく、既に刀の切っ先を向けて牽制するようなプレッシャーが充満していて胃に悪い。
それは、ある意味で当たり前の事ではある。
たった一人の極上の女、それもこれ以上に優れた雌など間違いなく地球上のどこにも居らず、また出会える事も絶対にない、こんなにこってりとフェロモンと艶に溢れた、例え牢屋にぶち込まれたって諦めるなどと考える事もできないような女を、これほど大勢で取り合っているのだから。

「んで、えーと……君も食べる?」

──あ、頂きます……。大皿もあるみたいですけど、そっちで頼みます?

「あ、マジ?んじゃそうしようか」
「唐揚げと竜田揚げの合盛りもあるからそれにする?」
「あとポテトフライも大皿で頼みましょうよ」

──あ、じゃあ、通路も近いので僕がまとめて頼んどきますね。

「サンキュー!他何か頼みたい人ー?」

彼らの目は、全く僕には向いていない。
何故かは知らないがこんな場所に迷い込んだ、芋っぽい陰キャなんて相手なんてする価値はない。
そう思っているかどうかは知らないが、少なくともここに居る全員は、僕への興味関心は全く持ち合わせていないようだ。

まあ、その方が僕としても助かる。
別に彼女が作りたい訳でもないし、見知らぬ人達と交流を深めたい訳でもない。
下手に干渉されずに済むのなら、人見知りの僕にとってはありがたいという物だ。

しかし、全く何も話さないというのも不自然というものだ。
適当に、場が円滑に回るようには動いておこうとそれぞれ好みのメニューを記憶する。
僕は本来の合コンの目的を遂行しようともしない、そもそも呼ばれてもいない邪魔者なのだから、それくらいの罪滅ぼしはして然るべきだろう。

「で、渚ちゃんは何食べるの?」

表情には出さないように、一人そんな事を考えていると、近くの女性が少しそわそわしながら早瀬さんにそう尋ねる。
その質問に対する周りの反応は分かりやすいもので、一遍に視線が早瀬さんの方に向いた。
彼女が何を言うか気になるとか、あるいは彼女がこう言ったらどう返せば最も好意的に思われるかとか。
そういう事を脳内でシミュレートしているのだろうな、と容易に察する事のできる彼らの必死な表情は、言い換えれば彼女の人を惹きつける魅力の表れなのだろう。

やはり、この合コンは全員が──はっきり言ってましまえば、早瀬さんを狙っている。
男はもちろん彼女の体を狙うだろうし、女性も彼女の端正かつボーイッシュな顔立ちに骨抜きにされている。
下手な男性よりも、と言うか、この居酒屋に居るどの男よりも、早瀬さんの方が男性的な魅力に長けているだろう。
男である僕からしてもそう思うのだから、彼女の性を逸脱するほどの美貌は、女性からしてみれば堪らない妖艶さとして映るに違いない。

「おつまみか……そうだね……」

早瀬さんは、白魚みたいに細い指でメニュー表を捲る。
下を向いて、少しばかり伏し目がちに細めた目は、何か妖しげとすら思える艶やかさを孕んでいる。

ごくりと、隣の男が自然と唾を飲んだ。
──気持ちは、分かる。
ただ何を注文するか悩む姿が、何故あそこまで人を駄目にする魔性を放っているのだろうか。

「あー……うん、決めた」

ぱたん、とお品書きを閉じて、彼女が僕の方を見据える。
その瞬間、空気がなんとなく張り詰めるのを感じ取った。
彼ら、または彼女らにとって、ここからが戦場なのだ。
誰が早瀬渚を射止めるか、そこに向けてのドラッグレース。
彼女への返事のスタートダッシュ、最初の一言をどう切り返すかと、誰もが前のめりになって──

「なめろうと、梅水晶がいいな」

──全員が、クラッシュした。
脳内のデータベースにない初見殺しな名詞が飛び出して、構えていた分強く出鼻をくじかれて立ち直れない。

──……あー、美味しいですよね。あんまり見かけないですけど。

会話に空白ができないよう、当たり障りのない返事をとりあえず返す。
周囲もそれに乗っかり、俺も好きとか、私も見かけると食べますとか、なんでもない返事で後に続く。

「フフ……どちらも美味しいよね。知ってるかい?なめろうは、皿を舐めるほど美味しいからなめろうという名前になったそうだよ」

それに対して、あくまでもマイペースに、早瀬さんは豆知識で返す。
にこやかに、相も変わらず悪魔じみた美しさで。

けれど、崩されっぱなしの人々は、それに対して相槌を打つしかない。
初めはあれだけ意気揚々と騒いでいた彼らが、もう既に彼女の特有の雰囲気にたじろいでいる。
恐らくは場を回す事に慣れているであろう彼らに全くペースを掴ませず、渦潮が船を飲み込むように、この場は彼女が支配してしまった。

「なめろうはね、千葉の郷土料理だから、そこに行けばよく置いてあるんだ。特に漁場が近い場所だと新鮮で美味しくてね……」

高級なワインをくゆらせるようにお冷の入ったコップを揺らしながら、喋喋と語る彼女。
その声はハスキーながらも耳触りがひどく滑らかで、いつまでも聞いていたくなるセイレーンのような魔性を秘めていた。
ハープが流れるような音を出す喉を時折水で潤して、それがこくりと喉を通るのがいやに艶めかしい。
彼女の人間離れして美しい形貌と相まって、恐ろしいほどに目が離せなくなってしまう。

──ああ、やっぱり、凄まじいな……。

流暢に言葉を紡ぐ彼女を見て、深くそう感じ入る。
はっきり言って、彼女が語っている内容は彼らが望んでいるものではないだろう。
現に彼らは、皆どことなく歯がゆそうな顔を隠せていない。

けれど、誰も彼女の言葉を否定したり、遮ったりはしない。
不快に思って苛立ったり、興味を失って聞き流したりもしない。
いつの間にか深く心を惹き込んで、完全に会話──というか、一方的に語っているだけではある──の主導権を独占している。

もう、このたった数分で理解できた。
早瀬さんが突飛な言動を、あるいは格好をしている理由が。
彼女には、空気を読む必要が全くないのだ。
何故ならば、その場の空気など、意識せずとも一瞬で支配してしまえるから。
彼女がそこに居る限り、その場において自然で当たり前なのは全て彼女で、その他の存在はそれに口出しする権利は全くない。
こうして対峙して、そして話をしてみれば、そう思わざるを得ない。

──とは言え、彼らにとって聞きたいのは、決して郷土料理の蘊蓄ではない。
もっとパーソナルな、早瀬渚という女について知りたいのだ。
だから、一人の男が先陣を切る。
得体の知れない美女について、少しでも手がかりを掴むために。

「……あ、もしかして、渚ちゃんって千葉出身なの?」

──行った。
その場に居る誰もがそう思う。
しかし、その心許ない反撃に対して彼女はあまりにも無慈悲で。

「……?違うけど、どうして?」

……そっか。
そう微かに呟いた声が、喧騒に消えていった。

──あー、そろそろ注文取りますか……。

助け舟を出すようにそう言うと、最も喜んだように見えたのは、早瀬さんだった。

「あ、それならむかごの天ぷらも貰っていいかい?抹茶塩でお願いしたいのだけれど」

これは大皿無いのかな?なんて言う早瀬さんは、なんと言うか、間違いなくこの場を最も楽しんで乗りこなしている。
それを見て、僕は少しだけ助かったなと思う。
もう彼らは早瀬さんをどう攻略するかに夢中で、僕のことなど忘れきっているだろう。

──抹茶塩なら、頼めば無料で貰えるらしいです。何個か頼んでおきますね。

「うん、お願い」

にこにこと、無邪気な顔で笑う彼女。
少女然とした可愛らしさと、壮麗な格好良さを兼ね備えていて、やはり息が詰まるほど美しい。
その笑顔を見ているだけで、心臓がずくんと跳ねて、かっと熱くなる。

──早瀬さんと付き合いたい。
不躾というか、身の程も知らずに強くそう思ってしまうくらいには、彼女は魅力的すぎる。
ただ美しいだけでない、何かふらふらと惹き付けられてしまうような、異様な色気とフェロモンが、早瀬さんには存在する。
くらくらするような官能は、男に諦めを許してはくれない。
彼女の持つ魅力は、あまりにも残酷すぎた。

──けど、やっぱり僕になんて、どう考えても無理だ。
釣り合いもしなければ、彼女が僕に興味を持つことも無いだろう。
同じ参加者からすら見向きもされないのだから、どんな人間からも選ぶ権利を持つ彼女が、わざわざ僕を選ぶ理由もない。
少なくとも、ここに居る参加者から、もっと言えばこの世界の人間から全てを出し抜いて、彼女から最も魅力のある男だと思ってもらう。
それが、この世界にたった一人だけが得られる、早瀬渚の恋人になるための条件なのだ。
言い換えれば、彼女の恋人になれたのなら、それはこの世界の誰よりも魅力のある人間という事になって。

──まあ、現実的ではないよな……。

熱くなりかけた体を、氷でよく冷えた水で冷やす。
お近づきにはなりたいが、無理に近づいて離れられるのはもっと嫌だ。

──唐揚げと竜田揚げの合盛りと、サラダとポテトフライ、これらは大皿でお願いします。それから、単品で、えーと、なめろうと……。

ちら、と早瀬さんの方を向く。
注文する僕をじっと見ていたのか、ばっちりと目が合った。

「梅水晶と、むかごの天ぷら。抹茶塩も付けてね」

店員さんにそれを伝える訳でもなく、ただ僕に話しかけてくる。
甘えるように笑って、お前が繰り返して言え、と言わんばかりに。

──だ、そうです。……一応、抹茶塩は人数分頂けますか?

しかし、僕はそれを受け流して、応じない。
何故彼女はこんなにも懐っこいというか、男を誘う蠱惑さがあるのだろうか。
無意識下でそれをやっているのなら、いよいよもって彼女は魔女だ。

はっきり言って、これ以上彼女の正面に居るのは心臓が持たない。
前を見れば、彼女の天女のような麗しい顔が、寄りすがるように甘えた表情を見せている。
酒に酔って、少し瞳がとろんとしているのだろうか。
元来持っている鋭く中性的な端正さと、淫らで艶やかな女性らしさが、どうにも僕には耐え難いほど究極的なバランスで混じりあって、眺めているだけで鼓動がおかしくなってしまう。

それに、周りからの視線が痛い。
何故お前のような冴えない男が、早瀬渚の気を引いているのか。
憎悪と嫉妬を隠しきれない、殺意すらこもった目が、明らかに僕に向いている。

違う、僕はただ彼女の正面に居るだけで、何もしていない。
早瀬さんが僕に興味なんて持つはずがないのはあなた方もよく分かっているだろう。
そう思いつつ、彼らの誤解を解くには方法がない。
故に、僕は彼女から向けられる視線を意図的に気づかないふりをしながら、早く誰か席を代わってくれと祈るしかできない。

ちら、と横を見ると、彼らも張り切って話題を提供している。
趣味がどうだとか、休日はどんな事をしているかだとか。
正面の早瀬さんから常に視線を外しているのも不自然だし、僕もそちらの話題に乗らせてもらおう。
知り合いでもない人間と楽しげにパーソナルな話をするのなんて、はっきり言って大の苦手だが、幸いにもそれへの嫌悪感は脳に回ったアルコールが何とかしてくれそうだ。
隣の男のする自慢混じりの格闘技の話に、あまり興味は無いが相槌を打った。

「~~で、その喧嘩売ってきたヤツを俺がまとめてブチのめして……」
「女なんて今までン十人抱いたし、みんな俺のブツの虜になって……」
「私も女のコとセックスするの結構好きで……」
「女だからこそ女のイイところが分かるって言うかぁ……」

──それから数十分ほど経つと、場も温まって会話が弾み始める。
しかし、その内容はと言うと、はっきり言って聞くに耐えない。
自分の雄としての優位性を示したいのか、ご自慢の腕っ節で誰を殴ったとか、あるいは自分がどれほどセックスが上手いのかとか。
犯罪自慢とセクハラ話ばかりが延々と続いて、いくら何でもげんなりしてしまう。
その低俗さは、今どきこんなステレオタイプな不良崩れがまだ淘汰されずに存在しているのか──と、感心すらしてしまう程。
さっき流れでラインを交換してしまったのは完全に失敗だったと嘆いても、すっかりあとの祭りだった。

そして、女の側もそれは同じで、随分下世話な話ばかりを嬉しそうに語っている。
最早男など眼中に無いと言わんばかりにあからさまに早瀬さんの方を向きながら、女と女のセックスの良さを語る姿は、その清楚ぶった格好とはかけ離れた下品さだ。

誰も彼もがマウントを取り合い、性と暴力の話に明け暮れる。
それを自分のアピールポイントだと言わんばかりに振りかざし、それを下劣な性欲と合わせて好みの女にぶつけている。
それをお前にしてやる、俺様の所有物にしてやる。
そんな驕り高ぶりをひけらかした上からの目線で、そこには様々なハラスメントが折り重なっていて、しかしそれがこの場においては、それが魅力となるステータスとされていて。

なんと言う治安の悪さ。
合コンとは、こうなのか。
カルチャーショックに慄きつつ、食欲は完全に失せているがサラダをつまむ。
何か口に入れているとアピールすれば、喋らなくて済むからだ。

「てゆーか渚ちゃん腕ほっそいねぇ~!」
「握力どのぐらい?20ぐらい?俺70ぐらいあるんだけどすごくね?」
「俺も素手でリンゴ割れるわ~!簡単だよなあれ」

男たちはゲラゲラと笑いながら、その太い腕をわざわざ腕を捲ってまで見せつける。
早瀬さんの細腕と比べるように、厭らしく目線を向けながら。

その様子に、俺達はその気になればお前を無理やり犯せるんだぞ、という言外の主張を感じるのは下衆の勘繰りだろうか。
彼らはその腕が余程誇らしいのか、触ってみてよとしつこく早瀬さんに迫っている。
その様子に、ただの自慢だとしても少々しつこいなと僕から見ても思ってしまう。
早瀬さんは、そんな彼らをあまり相手にせず、適当に受け流しているが、彼らはそれでも止まらない。

「てかさぁ、渚ちゃんってやっぱめちゃくちゃ乳デカいよね」
「おっぱいデカい女ってぇ、性欲めっちゃ強いらしいよ」

そうしていると、話はどんどんエスカレートし、遂には早瀬さんへの直接的なセクハラに発展した。
視線は彼女の胸に向けながら、ゲラゲラと下卑た笑い声を上げ、自分達の性欲の玩具にする気満々に、聞いているだけで胸焼けのような不快感がするような言葉を、なんの遠慮もなしに投げかける。

「渚ちゃんもさぁ、やっぱヤることヤってんの?」
「まあ、見るからに性欲強そうですしねぇ」

いかにもドロドロと粘つく欲望に満ちた、品のない笑い声が響く。
いくら何でもこれは可哀想だ、そろそろ止めるべきか。
いや、僕が知らないだけで、合コンとは本当にこういうものが当たり前なのか?
だとしたら、それを知っていて渚さんは参加したのだから、止めるのも変かもしれない。

「今まで何人とヤったの?」
「てかさぁ、この中でヤるなら誰がいい?」
「俺めちゃくちゃセックス上手いしアレもデカいよ」
「やだぁ、渚さんはこんなバカ男よりも女の子の方が好きですもんねぇ?」

──しかし、どう考えても怖いし不快だろう、これは。
例え場を白けさせたりして、最悪僕が殴られても、それで済むのならやっぱり止めた方がいい。
早瀬さんにその手が向かう前に、僕が代わりに被害を請け負うなら結構な事じゃないか。

──よし。

そうして、僕はようやく意を決する。
小さく深呼吸をして、震える両手を押さえつけて、なるべく毅然と、声から怯えが悟られないように。

あの、ちょっと──。

笑い声に負けないくらいの声量で、そう口に出す。
いや、出そうとした。
しかし、それは止められた。
他でもない──早瀬さんに。

早瀬さんは僕が口を開くよりも先に、手のひらを小さくこちらに向けて制止する。
僕の心を読んでいたかのように、しかしこちらを向きもせず。
彼女は落ち着き払った様子で、普段通りに、言った。

「そうだね、他人よりもそういう欲は強いと思うし、興味もあるよ」

──その言葉に、僕は愕然とする。
早瀬さんは、彼らに迎合するように、性の話に自分から乗りかかったのだ。

途端、彼らの目線がいやに粘度を帯び、期待と情欲が嫌らしさと入り交じって、明確に早瀬さんを獲物と捉える。
最早その目付きは口よりも「犯す」「食い散らかす」「セフレにする」「あわよくば自分のテクで都合のいいATM兼オナホにしてやる」と語り尽くしており、男である僕から見ても吐き気がしてしまう。
しかし、そんな事態を招いたのは、他でもない早瀬さんだ。
彼らがそのどす黒い欲望を隠す必要もないと、そう察させたのは、早瀬さんなのだ。

全身の血液が引いてゆく。
背筋がぞくぞくと寒い。
心臓がいやに痛む。
手先の震えが止まらない。

早瀬さんは、確かに奔放な人だ。
正直に言えば、その格好だけを見て痴女だと判断するのも理解できる。
彼女の事を奇人の痴れ者と嘲る人だって、少数ではあるが確かに居る。

しかし、彼女には彼女なりの信念があり、当然誰にでも股を開くような女性ではない。
そう、思っていたのだが、現実はそうでもないのだろうか。
欲のまま、男と見るとホテルに誘うような事も、あるのだろうか。

「とある人と、そういう事をしようとした時もあるんだ」

──ああ、やはり、そうなのか。
行きずりの、とは違えども、僕の知らない僕よりも優れている男と。

……いや、そもそも僕だって早瀬さんの事を深く知っている訳ではないか。
ただ、ちょっとあの時話しかけられて、舞い上がっていただけだ。
それを、あたかも自分は早瀬さんの事を理解しているように勝手に思い込み、結局彼女の事を自ら知ろうともしなかったのは、それこそ他でもない僕じゃないか。
これは、僕がただ、彼女を格別に神聖視して幻想を押し付けていただけなのだ。

そうか、この場において、早瀬さんから最も距離が離れているのは、僕だったのか。
そもそも彼女は自らの意思でここに来たのだ。
嫌々ながらこの場所に現れた僕には、一番遠い存在じゃないか。
考えてもみれば当たり前の事が、ひどく胸を刺す。

落胆、悲哀、絶望。
失恋未満の届くはずもないしょうもない片想いに、トドメを刺された気分であった。

涙すら流しそうな僕は、ただ黙って下を向いている。
酒場特有の喧騒すらも、聴覚が朧気で聞こえない。

「けれどね」

それでも、彼女の金糸雀のような声だけは、やけにクリアに耳に届く。
その声は、今までの流れをまるで断ち切るような、そんな声だった。

早瀬さんがただ一言言ったのは、転回の接続詞。
ニヤニヤと、色気立って揉み手をする奴らの手が止まる。

「結局、しなかったよ。いや、出来なかったというのが正しいのかな」

顔を上げて、正面を見た。
そこには、相も変わらず、凛と美しい顔があった。
しかし、少なくとも僕には、彼女が──

「これは、少し前の話なんだけどね」

──静かに、怒っているように見えたのだ。

「これは、いつの話だったかな」

「あまり定かではないのだけれど、確か数ヶ月前くらいだったと思うのだけれど」

「まあ、それは別にいいか。とにかく……」

「皆も知っている通り、私はモデルの仕事をしているんだけどね」

「そうすると、芸能事務所に行かなくちゃいけないんだ」

「そこは幅広く芸能事業を行っているところでね」

「そこにはモデルの人も居れば、アイドルや俳優の人だって居るのさ」

「もちろん普通はモデル以外の人と関わる事はあまり無いのだけれど」

「その時は、たまたまその人が別の撮影で同じスタジオに居たんだ」

「その人は……まあ、名前は伏せておくけれど、かなり有名な人でね」

「この前は、ゴールデンタイムのドラマにもいい役柄で出演していたそうだよ」

「イケメンで有名とか、とある雑誌のアンケートでは抱かれたい俳優ナンバーワンだったとか……」

「まあ、色々自慢されたから嫌でも覚えてるだけで、私はあまり面白い人だとは思わなかったのだけど」

「それでも、君達よりはよっぽど見てくれは優れてると思うよ。客観的な事実としてね」

「それで、彼は確かに色んな女性を抱いていてね」

「ちょっとでも琴線に触れるとホテルに連れ込んで、抱いてしまう」

「抱かれたい俳優ナンバーワンだなんて言われているけど、実は本当に、女を抱いている俳優ナンバーワンなんだ」

「女性は彼のような男の色気には弱いそうでね、事務所で知り合った人から聞いても、彼の顔や雰囲気に関しての評判は随分と良かったよ」

「けれど、それ以上に評判が良かったものがあるんだ」

「それはね、彼のセックスだよ」

「彼は所謂床上手と言おうか、とにかく女性をモノにするのが本当に上手くてね」

「実は、彼の仕事のほとんどは枕で手に入れたそうなんだ」

「俺と寝た女で、俺に潮を吹かされなかった女は居ない。なんて言ってたっけ」

「彼には、そう……ハメ撮りという物も見せてもらったよ」

「彼の人柄はそう面白いと感じなかったけど、あれは中々面白いものだと思ったよ」

「確かに、彼に抱かれている女性は、それはそれは気持ちよさそうにしていたんだ」

「イヤホンで音も聞かせてもらったけど、人はあんな叫び声を出すんだなと思ったくらいでね」

「脚をピンと張って、腰を仰け反らせて、死ぬ間際の断末魔みたいに、『イ゛く゛イ゛く゛イ゛く゛ぅぅぅ~~~っ♡♡♡♡♡』ってね」

「本当に、何か狂気的なものを感じるような、泣き叫ぶような……」

「特に顔なんて、見れたものじゃなかったよ」

「女として同情してしまうような、そんな顔だった」

「それを見せて、彼は得意げに言ってきたんだ」

「俺と寝た女は皆こうなる、そのハメ撮りで俺はコイツらを脅すんだ」

「若社長の女も、敏腕プロデューサーも、全員俺の性奴隷だ」

「だから、お前も俺に従え」

「お前の仕事を無くすのも、お前についての悪評を雑誌に流すのも、俺の指示一つで出来るんだ」

「そんな危険でメリットのない事を、賢い奴らがするはずないって思うだろ?」

「分かっていてもやめられないのさ、何故なら女は俺のチンポに抗えないから」

「お前も女に生まれた限り、俺には絶対に勝てない」

「雌として生まれてきた事を感謝するほどイかせて」

「俺の、セフレにしてやる……って」

「まあ、ちょっと、いやかなり、気持ち悪いよね」

「けど、確かにその動画の女性は気持ちよさそうだったんだ」

「だから、仕事がどうとかはどうでもいいけど、そっちにはほんのちょっとだけ興味があった」

「別に私は、自分の初めてが誰にどうとかはあんまり気にしないし」

「動画をばら撒くぞー、なんて言われたらその時はその時でどうにかすればいいし」

「そもそもそういう行為にに興味もあったから」

「セックスするのは嫌だけど、手淫やら何やらのテクニックだけ味わってみて」

「まあ、気持ちよくなければ帰ればいいやって思って、誘いに乗ってみる事にしたんだ」

「かなり性格は気持ち悪かったけど、幸い顔立ちに嫌悪感を感じたりはしなかったからね」

「まあ、性格の悪さと性的快感は関係ないし」

「一応、彼も女を食うのに手馴れているだけあって、こっちから望むまでは無理やり行為はしないみたいだった」

「力ずくでするまでもなく、前戯をすればその快楽をもっと味わおうと向こうからねだるから……なんだろうね」

「まあ、私もそうなれば、その時はその時かと思って」

「それで、彼とホテルに行ったんだ」

「隣で歩きながら風俗街に入ってね」

「色んな人に見られたよ、今からアイツがあの女を抱くんだって」

「彼もそれに慣れてたとは思うんだ、アイドルとか女優とかアナウンサーとか、熟練のAV女優なんかも手篭めにしてたみたいだし」

「けどね、彼は歩いてる途中、童貞みたいに股を押さえてよたよた歩くんだ」

「明らかに異常なぐらい興奮しちゃって、エスコートなんてできないし」

「ホテルの受付とかも、彼が役に立たなかったから私がする事になったからね」

「なんでそんなに緊張するかと言えば」

「いくら女を抱いたって」

「私みたいな女は、抱いたことが無いからなんだよ」

「行き交う女のどれよりも顔が良くて」

「どんなグラビアアイドルとも比べ物にならないぐらい体つきの優れた、女」

「結局のところ、彼が抱いてきた女って、それなりの女だったんだ」

「彼とちょうど釣り合うぐらいの、世間からすると垂涎ものな、美人で体もいい女」

「けど、それは私には絶対に敵わない」

「それぐらいは、いくら君達にでも分かるよね?」

「けれど、彼は途中まで、理解できなかった」

「今際の際まで驕ったまま、私も同じように手篭めに出来ると思ったんだ」

「けれどね、来る途中に気付いちゃったんだ」

「私の胸が、ただ大きいだけじゃなくて」

「普通の女とは比べ物にならないくらい感触のいい、ふわふわの肉マシュマロみたいな肉が」

「みっちりと、ぎっしりと、隙間なく」

「蕩けるみたいに柔らかくて、ぷるんと葡萄の実が弾けるみたいにハリのあるそれが」

「たっぷり詰まっている事に、ようやく気がついたんだ」

「私なんて、女なんていつでも抱けるから」

「いつものように、ちょっと犯せばすぐ堕ちるから……って、驕っていたから、気付かなかった」

「適当に流し見で、エロそうだと漠然と思っただけで、注視しなかったから」

「私が、今まで抱いた女とは、生き物として違うという事に」

「ぜーんぜん、気が付かなかった」

「お尻だってそう」

「今まで幾度となく犯してきた、あんな肉とは全然、完璧に違う」

「指を埋めればめり込んで、むにゅうりと指の隙間からまろやかに溢れて」

「犯せば腰を柔らかく包みながら跳ね返して、腰振りをどこまでもアシストしてくれる」

「生殖器として、抜群に優れた、お尻」

「それは、今まで抱いた女とは、全く別のシロモノだったんだ」

「けれど、それを彼は、ただの上玉の女だと、そう勘違いしてしまった」

「その違い、彼のミスを例えるなら、そう……」

「皆より早く九九を覚えたぐらいの、ちょっと得意げな男の子が」

「今ならどんな問題でも解けるぞってイキがっているところに」

「線形代数の、2次形式の問題を解かせるような」

「それぐらい、次元の違う事だった」

「……なんて、そんな風な事を、後から彼が言っていたよ」

「ただその時は、私のカラダにひどく興奮してしまって」

「今からこれを抱ける、このどこから見たってセックスに長けた肉体を、抱ける」

「そう思ってしまうと、もう頭の中がそれだけになってしまうんだ」

「隣に、手を伸ばせば触れる距離に、その極上の肉があって」

「それは、今まで星の数ほどの女を抱いたからこそ、理解できてしまう」

「これを抱いたら、もうそこいらの女なんて、抱けなくなる」

「これと比べたら、今まで抱いた人気グラドルの膣なんて、くり抜いたコンニャクと同じ」

「それほどの、次元の違う、女」

「この機会を逃したら、もう二度と、こんな雌を味わうチャンスなんて訪れない」

「そう、確信してしまう」

「だからこそ、部屋に着いた時」

「もう、彼は茹で蛸みたいになってしまっていてね」

「今からこの女を使う……いや」

「この女を堕とすなんて、無理だ」

「今からこの女に、壊してもらう」

「そう考えると、もう腰が砕けてしまって」

「へたりこんでしまうんだ」

「彼はあれだけ百戦錬磨を豪語してたのに、ただ私と歩くだけで、情けなくそんな風になってね」

「けれど、最後の抵抗で」

「これを逃したら、もう死にたくなるほど後悔するから」

「震える手で、童貞くさい手つきで」

「必死にエスコートしようと、上着を脱がせるとね」

「彼は……その場で、蹲ってしまって」

「びゅーっ……っとね」

「それだけで、射精してしまったんだ」

「私はまだ、下着姿にもなっていなかった」

「ただ、薄着のシャツ姿になっただけ」

「けれど、彼は……そこに浮く、ブラジャー」

「それを見て、暴発したのかな」

「で……私はね」

「なんか、ひどく興醒めしちゃって」

「こんなにも、私の姿を見ただけで射精しちゃうのにさ」

「セックスで満足なんて、出来るわけないかって思って」

「もう、帰ろうとして」

「でも、そうするとさ、みっともなく泣きながら縋ってきたから」

「鬱陶しかったし、ちょっと可哀想かなって思って」

「でも、あんまり触れられたりはしたくなかったから」

「靴を脱いで、靴下履いた足で顔を踏んづけてあげたんだ」

「そうしたら、そのまま匂いをたくさん嗅がれて」

「そして……射精しまくって、気絶しちゃったんだ」

「それを見て、ああ、男のヒトって、そうなんだって思ったよ」

「女を何人抱いただの、どれだけ気持ちよくしただのって言ってたのに」

「けど、そうなっちゃったから」

「男のヒトってみんな弱くて、壊すのなんて簡単なんだなぁって」

「それで、その人はもう動かなくなっちゃったから」

「その人に嗅がれた靴下だけ、履いてたくなかったから置いていって、帰ったんだ」

「気持ち悪かったし、もう会うこともないかなぁって思ってさ」

「それで、その後は……業界から居なくなっちゃった」

「後から聞いた話だけど、あれから全然女の人を抱かなくなっちゃって」

「たまに抱こうとしても、勃起もしないしセックスもてんでダメなマゾになっちゃったし」

「元々演技がそこまで上手くもないのにコネで出演が多かっただけで、普段の態度も良くなかったみたいだから、そのまま干されちゃって」

「今はもう、どこで何してるかも分かんないんだって」

「あの人、セックスだけは上手かったそうだから」

「一回ぐらい味わってみたかったんだけど」

「それが、あんな風になっちゃったんだから」

「だから、私はまだ処女だよ」

「それで……君達は何人、どんな女性を抱いたのかな?」

「私を満足させられるのかい?」

「私とシて、それに耐えられるのかい?」

「私を……どうにかしてくれるのなら、楽しみにしているけど」

「もしも君達が、彼みたいに大した事が無かったら」

「その後の人生は、保証出来ないよ」

「二度と、女の子なんて抱けないまま」

「一生、永遠に」

「私のカラダを夢見ながら」

「満足出来ないまま、一人自分を慰めて」

「弱々しく、マスターベーションに耽るだけの、情けないマゾヒストになってしまうだろうね」

「最も……自慰でイく事が出来るかすらも、保証できないけど」

──からん、と。
彼女が悠然とグラスを傾け、水で口を潤すと、溶けた氷が音を鳴らす。
その音がくっきりと聞こえるほど、場はしんと静まり返っていた。

男たちは、女たちは、いつから黙っていただろうか。
もう誰もかもが口を結び、膝の上で手を固く握っている。
その目は血走ったようで、息も全力疾走した後のよう。

彼女の話は、ちょっと火遊びを齧っているだけの、童貞に毛が生えた程度の人間にはあまりにも淫靡なものだった。
自分の全く知らない、味わったことも無い、次元の違う雌から与えられる快楽。
それは想像するに余りあるもので、生物の根源的な欲求をどこまでも煽って燻らせる。
今ならば、永久の命よりも無限の富よりも何よりも、ただ彼女を抱きたいと、そう思わずにはいられない。
彼らの理性は既に千切れ飛んでおり、それは例えるなら、無防備に眠りこけたシマウマを前にした、三日も飲まず食わずのライオンのような状態である。
あとは、いつ飛びかかるか、それだけ。

そして、それはもちろん。
正真正銘の童貞である僕にとっては、今まで体験したことのない興奮となって襲いかかる。
ただでさえ性行為に幻想を抱きがちで、本当のセックスを知りもしない僕。
しかし、彼女との行為は、想像なんてどこまでも上回る。超えてしまう。悠々と超越してしまう。
そう確信を抱いて、それは絶対に間違っていないと本能がそう断定した。

脳の血管がブチ切れそうなほど勃起しながら、ちら、と目を前に向ける。
僕の正面に存在する、見るだけでどんなポルノよりも情欲を煽るその女性は、明らかにこちらを誘っているかのようだった。

目の前1m以内という、全ての男が垂涎して望むだろう絶好のスポットにいる早瀬さんは、その薄布の服の胸をぱたぱたとはためかせる。
それだけで空気がむっと甘いピンクに染まるかのような、異様なフェロモンが漂った。
それはきっと気のせいで、ただ彼女の飽和した艶美がそう誤認させただけ。
だが、何故だか彼女が持つ性臭を詰め込みに詰め込んだ、やりすぎなほどの雌臭さが確かに鼻をついた。

流し目にこちらを見る彼女。
そのあからさまに誘うような目を見るだけで、股座がいきり立つ。
彼女はただ妖精のようにくすくすと笑って、この場にいる人間を、ひどく惑わせる。

彼女の語った話を、嘘だと断じたい。
ただ彼女の話を虚言だと、そう思い込みたい。
けれど、彼女の話を嘘だと信じるには、彼女の語り口はあまりにも真実味を帯びていた。
常識からすれば有り得ない、あまりにも鮮烈すぎる女体の、その色香とフェロモン、肉感と淫気の話が。

彼女のあだめいた声質と、しかし平然と世間話でもするようなどこか超然とした態度は、震え上がるほどの蠱惑があった。
それと同時に、平坦なトーンで語るからこそ、彼女の計り知れない恐ろしさが垣間見える。
早瀬さんにとっては至極当然、そうなって当たり前と言わんばかりに。

それに、聞いた事がある。
とある俳優が、芸能界から突如として消えた話を。
見たこともある。
インターネットに流出した、モザイク混じりの『不適切』な動画を。

その事実がテレビや新聞などの公的なメディアで報道された時には、既にモザイク隠し無しの本編動画も出回っており、今でもその映像はある程度アングラなサイトに行けば見れるそうだ。
それを見たであろう人間がSNSでその事を語り、そのうち話の本筋から外れ、男の性技を褒め称えて、女の快楽を羨んでいたのも記憶に新しい。

ちゅ、とカクテルグラスに刺さったストローを吸う唇が、てらてらとラメが混じったかのように照り輝く。
ちゅぱ、と口を離すと、ぷるりとした弾力を示すように震え、いかにも艶々といやらしい。
それに注視していると、舌がぺろりと、ゆっくり焦らすように拭う。
それを例えるならば、下品であるが、女性器の周りを指でなぞって男に媚びを売る娼婦のようとしか言いようがない。
彼女の淫らな口は、最早それほどに純粋な、セックスアピールとなっていた。

こんな話の後だからだろうか、彼女の一挙一頭足に、どうしても僕を勾引する色が映る。
普段の、もっと言えばここに現れた時の、美しさやスタイリッシュさは、決して失われてはいない。
むしろ、逆。
それらの異常なまでの発露が、妖艶の極みのような彼女の魅惑を引き立ててしまっているのだ。

ギラギラと、言葉すら失って、今にも飛びかかってきそうな男達。
そこに向かって、くす、と余裕綽々な笑みを漏らす。
挑発的に、誘うかのように。

男からしても女からしても、極めてそそる仕草。
しかし、少しだけ疑問が残る。
──何故、そんな急に、男を誘惑するような真似を?
ここに来た当初は、もっと……興味の無さそうな、クールな様子だったはず。
本当にただ、全員を誘って欲望のままに乱交でもするつもりだろうか。
しかし、どうもそうではなさそうで、何か企んでいるような、その態度はハニートラップにも似ているような。

そんな疑念を抱きかけるも、それを脳内に留まらせるだけの理性はもうない。
ただただ、劣欲がペニスに募る。
早瀬さんにあてられた雄はどうしようもなく、もうそれしか考えられない。

「ねぇ……」

異様に静かな座敷に、早瀬さんのどこかねっとりとした粘つきがある声が響く。
誰もが彼女の言葉に注意を注ぎ、一字一句聞き逃すまいと耳を傾ける。
何を言うのか、何を提案するのか。
瞬き一つ、身じろぎ一つせずに待ち構える僕達に、彼女は口端を釣り上げて言った。

「そろそろ……席替えでもしない?」

──席替え。
その言葉で、静かに場が燃え上がる。
ギラつく眼差しが、俺こそが、いや私こそがと叫んでいる。
比喩でも何でもなく、今から殺し合いでも始めるのかと思ってしまうほどに、その目付きは狂気的なまでの執着が映っており、欲望に取り憑かれた様子が見て伺えた。

──席替えとは、何か。
それは読んで字のごとく、現在座っている席の位置、順番を変えることである。
しかし、合コンという場において、それは全く別の意味を持つ。
告白、ならびに好意を示すという、言わばカップル成立への第一歩。
この場においては、たった一人だけが天国へと向かい、残りの全員は死ぬよりも惨めな地獄へと落ちるデスゲームを意味する。

席替えのルールは、極めてシンプルだ。
誰かが座り、その隣に誰かが座る。
たったのそれだけだが、故に駆け引きが生まれ、明確な意思が示されるのだ。

誰かがそこに座って、もしもその隣に自分から早瀬さんが来てくれたなら。
また、誰かが座って、その隣に彼女を誘って、しかし座ることを拒否されたのなら。

前者ならば、天国。
少なくともそこに嫌悪の意思はなく、少なくともそれから特等席でコミュニケーションを取ることができるという、絶対的な特権を得られる。
逆に後者ならば、正気では耐え難い地獄だ。
自分との会話を拒否され、他の人間があの極上の美女と仲良さげに話しているところをまざまざと見せつけられる。
気が狂いそうなほどの嫉妬と羨望、あるいは悲哀を抱えながら、ただ唇を噛んで時が過ぎるのを待つしかないのだ。

僕達は胸をはやらせて、テーブルの横に出る。
そわそわと、転校したての小学生が初めて教室に入る時のような、それを何百倍にもしたような。
俺の隣に座ってくれるかも、なんて根拠のない自信を抱きながら、そしてタップダンスのようにつま先を床に叩きながら。

今から誰かが特等席に座ることを許されて、残りの全員は地獄へ叩き落とされる。
それをたった一人選ぶのは、ただゆらりと立って、不敵に笑うあの女性。
早瀬さんが、その全てを決める。
彼女には、誰もが疑うはずもないほど、その権利があった。

もちろん、僕だって、その権利を賜りたい。
彼女の隣で、ただ座ることを許されたい。
彼女に僕という存在を承認されたい。
拒否されたくない。
彼女が僕を毛嫌いしていないという確証を得たい。

──けれど、だけれども。
この中で、たった一人、早瀬さんに選ばれる人間とは。
言い換えれば彼女のお気に入り、彼女に目をかけられた、最も魅力のある人間なのだ。
果たして僕がそうなろうなどというのは、それは大層な思い上がりである。

だから、まずは。
誰かが埋めなければならない隙間を、埋めよう。
一人目という、彼女の隣に座れる可能性が最も低い場所を、僕が埋めてしまおう。
たまたま彼女の正面に座れただけでも幸運だったのだから、そう多くを望むことはない。
しかし、僕以外の誰を、彼女は選ぶのだろうか。
それをこの奥まった席で、物見遊山といこう。

──そう思っていると。

するりと、それに追従して。
向こう側の、まだ誰も座っていない席ではなく、こちら側に向かって。
誰かが、座りに来る。

向かいのレーンが0人で、こちらのレーンはこれで2人。
それが意味するのは、つまり彼女は明確に、僕の隣に座りたくて来たという意味で。

その女性は、壁に体を押し付けるほど席を詰めた僕に対して、ほんの数センチだけ隙間を空けて座る。
例え体に触れてしまっても、事故としか言いようがない距離感で。

「……や、よろしく」

──っは……!?

長いまつ毛。女神のような美しい顔立ち。抜群のスタイル。
もう見間違えようがなく、その女性は。

──早瀬、さん……

「ん、渚って呼んでいいよ」

触れるほど近く、そこに彼女は座る。
早瀬……いや、渚さん。
体温を感じるほど、柔らかな甘い香りを感じるほど、近い。
今までの人生で、こんなに近くに女性の顔または体があったことが無い。
それが渚さんほどの美女であれば尚のこと、ある訳がない。
それくらい、もう死んでしまいそうなほど、近い。

何十センチ、何センチという距離感で、渚さんは僕の顔を覗き込む。
男女問わず、性別構わず等しく人間をかどわかし、一目と見ればたちまち虜にしてしまう、そんな顔がすぐ傍に。
渚さんはどこか悪戯っぽく、かつアダルティックで煽情的な表情をしながらも、何も言わない。
ただひたすらに、こちらに首を傾けて、可笑しそうに懐っこく微笑むだけだ。

──はっきり言って、心臓が持たない。
ただでさえ密接するほど近くに渚さんが居て、しかも僕に向かって柔らかく好意的な表情を向けているのだ。
画面越し、紙面越し、あるいは何メートル先から人の肩越しに、ようやく何気なく佇む姿を見られるような渚さんが。
僕だけに、頬杖をついて、無防備に甘えるような微笑みを向けている。

そう、渚さんは、僕に好意的な目を向けている。
あの、高嶺の花という言葉ですら言い表せないほど、どうしたって手の届かない場所で光を一身に浴びながら咲き誇る渚さんが、路傍の雑草である僕に。

どうせそれは、馬鹿な男によくある、あの美女は自分に気があると身の程も知らずに思いあがるような勘違いだろう。
普通に考えれば、それは当たり前の話だ。
勝手に心を奪われて、勝手に勘違いした僕が、勝手に告白して、そんなつもりじゃなかったとバッサリ切られて玉砕する。
僕と彼女に許される関係性というのは、せいぜいその程度が関の山。
そうだ、そうに違いない。
だから、勘違いしちゃ駄目だ。
勘違いさせてくる、あの目を見ちゃ駄目だ。
そう必死に言い聞かせるが、そうするには渚さんの表情はあまりにも柔和で、あまりにも美しすぎた。

だからと言って、視線を少しでも下げると、もうそこは底なしの桃源郷。
とことん雄の理性を駄目にして、がむしゃらに抱き甘える事しか考えられなくなる、淫魔の肉の巣窟──渚さんの、余裕でメートルを越えたサイズの、乳肉がある。

たぷり、とぷり、柔肉が呼吸に揺れている。
ただ手に持っただけのプリンが、どうしても発生する微弱な手の揺れに呼応して震えるように。
彼女は意図して僕を誘惑しているのではなく、ただそこに生きているだけでどうしようもなく雄を誘惑し、生殖本能を苛立たせてしまう。
渚さんはただ、生まれついての極上雌であるだけだ。

更に言うと、渚さんは、お酒を飲んで暑くなったのだろうか、上着をはだけている。
それがどれだけ男の本能を擽るかなど、最早語る必要すらないだろう。
渚さんの服の下、黒いインナーはぴっちりと窮屈で、ボディラインをこれでもかと強調する。
それ故に浮かび上がる、腰のくびれと対極的な、はち切れそうなほどの雌性。
もっちりとインナーの食い込みに反発しながらも、固体とは思えないほどふにゅりと容易に変形する蕩めきと言ったら、ない。

その見た目の感触は、手に取るよりもある意味で魔性を帯びており、視覚から理想を超えるほど理想的な、全男性が垂涎して夢見る感触を訴える。
──抱きたい。
どうしたって、そこにある乳房に対して、例え不能の男性であろうとも、その欲求に抗える筈がない。
誰の目があるとか、それに相応しい場所ではないとか、法律がどうのこうのとか、そういった事を一切合切無視して、あの夢みたいな乳房に抱き着いて顔をうずめたい。
あの、どう見たって僕の頭程度ならすっぽりと後頭部まで包めてしまうほどの、肉がみっちり詰まりに詰まった雌肉クッションに甘え尽くしたい。
とめどなくそんな欲望が沸き起こり、僕を破滅させようとする。
そうして一生を棒に振ったとしても、一度でも渚さんの体に触れられたなら、もう構わない。
そんな事を本気で思ってしまうほどに。

渚さんの魔的な蠱惑はそれだけに留まらない。
もっと下に目を向ければ、スカートの意味を成していないほどのスカートと、すべすべと眩しく輝く太もも、もっと言えば豊満な下半身が存在する。
間近で見るからこそ分かる、そのむっちりとした肉感は、失礼だがセックスの権化としか言いようがない。
座布団にむちむちと潰れた尻肉の、餅のような粘り気を帯びた淫肉の具合は、腰をぶつけた時の弾みを想起させずにはいられない。

全くもって、何もかもが極上。
どこか男性性を感じさせるほどマニッシュな顔立ちのくせに、体つきは雌そのものなのも、格別にそそる。
もしも彼女が望むのならば、確実に、間違いなく、国が傾く。
そう断言できるほどの、普通の人間になんて触れられるわけがない、究極的なまでに雄を悩殺するカラダ。
もしも渚さんと一晩を共にする権利がオークションに掛けられたなら、世界経済を牛耳る石油王が、あるいは超巨大な国際企業の社長が、今まで蓄えた全ての地位と財産を投げ打つだろう。
冗談ではなく、少なくとも僕には、そう思えた。

そして、もし、もしも。
そんな人の体が、すぐ目の前、数センチ指を動かせば触れうる範囲にあったなら。
どうなるだろうか。
どうなってしまうだろうか。
そんな事は、あえて解説するまでもない。
頭が沸騰するほどの興奮、脳みそが擦り切れるほどの獣欲が殴り掛かるように理性を打ち砕くだけだ。

ふー、ふー、といかにも昂っている荒い息を繰り返し、不躾にも視姦をやめられない。
ブラックホールのように視線を吸い込む彼女の淫らな肉が、今ですらたぷたぷと揺れている。
わきわきと、湧き上がる情動のままに、その雌性の塊を捏ね回すリハーサルをして。
やがて、その手はゆっくりと、無意識のまま彼女に吸い寄せられて──

──いや、駄目だ、やめろ!
自分のしそうになった事に我ながらぞっとして、手を引っ込める。
それと同時に、下に下に吸い寄せられる視線を、気力を振り絞って上へと戻した。
しかし、そこにはもちろん顔がある。
渚さんの、寒気がするほどに怜悧な顔立ちが。

どくどくと、心臓が跳ね回る。
殺し屋から銃口やナイフの切っ先を向けられるより、あるいは世界的な音楽コンクールで楽譜を忘れた時より、それよりも何百倍も緊張して、もう頭はすっかり真っ白。
ただ、あんなにじろじろと見てしまって絶対に嫌われたとか、体のどこを見てもアダルトビデオなんて比べ物にもならないほどエロかったとか、顔を青くしたり赤くしたりして。
そして、そんな僕を見て、またも渚さんはくすくすと楽しげに笑う。

「ふふ……えっち」

笑い交じりに、全く咎める様子もなく、詰る。
それは嫌悪して責め立てるような声色ではなく、むしろ悩殺するかのような、恐ろしく妖艶かつ誘うような色で。

「見るだけなら、別にいいよ」

照れるでもなく、堂々と、惜しげもなく。
彼女は、その言葉がどれほど危険なのか理解しているのだろうか、そう言った。
そして、彼女の殺人的行為はそれだけに留まらない。
するりと身を寄せ、僕の膝に手を置いて、顔を耳元に近づけて。

「まあ……ちょっとぐらいなら、許してあげるよ。触るのも」

──────!!!
いよいよ心臓が止まりそうになり、体もまともに動かせない。
わたわたと、出来の悪い3Dポリゴンみたいに腕を動かして、彼女を押し戻そうとするも、既に彼女は定位置に戻っている。

──もう、何が何だかわからない。
僕を誘惑して、根こそぎ金でも毟り取るつもりなのだろうか。
だとしたら、やりすぎだ。
こんなにも、オーバーキルをする必要がどこにあろうか。
もう、もう、僕には渚さんしか見えない。
靡いたような態度をこんなにも見せて、なんて残酷な人なのだろうか。

とにかくその淫らな悪魔──もとい渚さんから視線を外したくて、彼女の顔を透かして後ろを見る。
そこにあったのは、恐ろしく殺意に満ちた顔、顔、顔。
ぽっと出の冴えない野郎に奪われた怒りと憎しみを見るからに募らせた、そんな表情が幾つも並んでいる。
鬼のような、いや、それよりは亡者のような、嘆きと妬みの感情が淵から溢れてきそうな、そんな顔。

そして、それらと目が合うと、止まった時が動き始めたかのようにばたばたと、醜いほど奪い合って、ガタガタと机を揺らしながら。
やがて一人の男が隙間を縫って、渚さんの隣に、自分から座りに行く。
これまた渚さんに触れそうなほど傍を陣取って、身を乗り出して、彼女が僕にそうしたように、その顔を覗き込むように。

「あの、渚ちゃん?そんな男よりさ……」

「早瀬さん、ね」

──両断。
今まで聞いたこともないほど冷たい声で、そちらを向きもせずに。
その男にはもっと距離を取るようジェスチャーを取りながら、僕にだけ、やたらと猫なで声で話しかける。

「あ、キミはいいからね。渚さんでも、渚ちゃんでも、渚でも、なーぎんでも」

愕然と、呆気に取られた顔で、男は固まる。
見ていて少し可哀そうなぐらいスッパリと断られて、嫌悪の意思を示された。
そして、近寄るなと手で合図され、僕のようにすぐ傍で彼女を見つめる事すら許されない。

そんな男の顔を、僕すらも唖然と見ていると、渚さん──僕は、本当に、そう呼んでいいのだろうか。あの男にはあんなに容赦なく名前で呼ぶなと突っぱねたのに、僕だけは良いのだろうか──は、その視線を遮るように手で彼の顔を隠す。
そして、もう片方の手で、僕の顎をそっと持ち上げると。

「はい、キミが見るのはこっち」

渚さんの顔と、僕の顔が向かい合うよう、強制的に向きを直される。
それは、所謂ところの顎クイというもの。
顔そのものを持たれ、まるで僕自身が渚さんの所有物にされたかのよう。
そして、そのまま渚さんの色気溢れる顔を強制的に見せつけられて、動悸が収まらない。

「フフ……ねえ、知ってるかい?顎というのは、生物的に非常にデリケートな急所でね。ヒトがそこに触れられて嫌がらないというのは、深い信頼……または、深い愛情を持っている証なんだよ」

──は、あ、え……

酸素の足りない金魚のように、僕はひたすら口をぱくぱくさせる。
いや、実際に酸素は足りていない。呼吸がままならない。
そんな僕に追い打ちをかけるかのように、渚さんはくすりと笑って続ける。

「おや……それを聞いても、キミは私の手を振り払わないんだね。それは、受け入れてくれる……という意味で捉えていいのかな?」

──……!!!

フフフ、と余裕たっぷりに笑いながら、彼女はようやく手を放す。
やっぱりキミは面白いね、なんて上機嫌にカクテルを呷りながら。

──もう、混乱するしかない。
こんなの、流石に、どう考えても。
……好意がある、としか、思えない。
せめてもの抵抗として、その裏にあるかも知れない思惑を探ってみるも、そもそも彼女には策略を張り巡らせる意味がない。
何故ならば、僕から毟れる程度のものは、彼女ならいくらでも手に入れられるから。

だから、つまり、これは。
彼女、渚さん自身の。
素のまま、ありのままの、好意。
そう結論付けるしか、ない。

何故、どうして、僕に。
僕が何をして、何故、そうなったのか。
ぐるぐると自問自答を続けても、答えなんて出るはずもなく、ただひたすらに、渚さんの色気に目が回る。

そうして、目を回していると。
渚さんしか見えなくて気づかなかったが、いつの間にか、僕達は囲まれていた。
他の参加者達、渚さんとお近づきになりたくてここに来た彼ら彼女らに。
もう渚さんの隣というVIP席を奪われた以上、あとの席順はどうでもよかったのだろう。
最早、それを争った形跡すらも無かった。

「…………」

血涙を流しそうな形相で、彼らは僕を睨んでいる。
その気持ちは、痛いほど理解できる。
僕が向こうの立場だったら、到底耐えきれないだろう。

けれど、それで僕を睨んだって、仕方ないじゃないか。
だって、理由とか理屈とかはともかく、こうして迫ってきているのは、渚さんの方なのだから。

そう声を上げたいが、そんな事をしたら火に油を注ぐだけだ。
だから、僕はもう、生まれてこの方初めて受けるような濃度の嫉妬を、黙って受けるしかない。
目だけで人を殺せるような視線を何とか受け流して、彼女が満足するまで、ここで黙っているしか。

「……ん?どうしたの?お酒もっと注文する?」

しかし、その元凶と言うべきか、彼女はとんと悪意の目線を気にしない。
さらりと普段通りの爽やかな笑顔で、店員を呼ぶボタンを押す。

「キミも何か頼む?このカクテル美味しいよ?」

もう、彼女の眼には、僕以外の人間は映っていないようだ。
渚さんは、ひたすら僕だけの方を向いて、楽しそうに喋っている。

「知ってるかい?この青いライチのカクテル、楊貴妃って言うんだけどね。キミも、嫌いじゃなければ一緒に頼む?」

──あ、は、はい……。

もう、内容は半分も理解できていない。
ただ、眼前いっぱいには渚さんの嬉しそうな顔があり、その後ろには大勢の悔しそうな顔があり。
もう二重の意味で、心臓が持たない。

頼むから、もう、どうにかなってくれ。
心底そう願っていると、とうとうこの情念渦巻く場は動き出す。

「……あ、ちょっとお花摘んでくるね」

──えっ。

それは他でもない、渚さんの手によって。
最も望ましくない、考えうる限り最悪の方に動き出す。

渚さんは、何の躊躇もなくすっくと立ちあがって、通路側へと歩き出した。
思わず、待って、と言わんばかりに渚さんに向かって手を伸ばす。
まるで、親がちょっとでも離れる事を極端に嫌う幼児が、愚図って追いすがるかのように。
その例えは実際にその通りで、この場において彼女は僕を唯一庇護してくれる、子供から見た親のようなものであった。
彼女という唯一のストッパーが居るからこそ、僕はこの場で五体満足で居られる。
けれど、渚さんが居なくなった以上、僕という目の上のたんこぶを、生かしておく道理は無い。

彼女はそれを知ってか知らずか──いや、聡明な彼女が知らない訳がない。
絶望する僕を置いて、彼女は。

「んー、事務所の人から電話が入ってるね。ついでに電話してくるから遅くなると思う。じゃあ、多分十分ぐらい席を外すから、私のカクテルとキミのカクテル、間違えないように置いといてね」

と、スマホを見ながら言い残し、通路の奥へと消えてゆく。
ひらひらと振られた彼女の手のひらが、いよいよ見えなくなったその瞬間。

「なあ、おい」

地の底から響くような、男の声がすぐ傍から聞こえる。
渚さんが居なくなったと見た途端、僕と男の間に空いた距離を一気に詰め寄ってきたのだ。

「お前さ、マジで殺すぞ」

ぐい、と胸襟を掴まれて、首が締まる。
男の声色は、もはやその言葉が脅しでも何でもない事を伝えていた。

その男の怒りや妬みは凄まじかっただろう。
なまじ近くに寄ったからこそ、彼は明確に渚さんの体に触れる事を否定され、また間近で僕という陰気で魅力のない男が渚さんと触れ合っている場面を見せつけられたのだ。
自分がそこに居たはずなのに、何故あいつが。
なんて思ったかは定かではないが、心底怒り狂っている事には変わりない。

多分、殴られるだけでは済まない。
それこそ五体満足で帰れる保証も無い。

救いを求めた訳ではないが、テーブルを挟んで向こう側、他の参加者が座っている方をちらりと見る。
けれど、それを見ている他の参加者は、目の前で起こりかけた犯罪を止めようともしない。
むしろ状況は劣勢も劣勢、彼ら彼女らの目線という目線が、殺せ殺せと男に語り掛けていた。

──ああ、本当に、死んだかも。
そう心の中で独り言ちて、ぎゅっと目を閉じると。

「すいませーん、ご注文の楊貴妃2杯ですー」

店員さんが、青いカクテルの入ったグラスを手に現れた。
それを見て、男はひとまず状況が悪いと判断したのか、僕の首から手を放す。
渚さんの席と、一応僕の前にもカクテルが運ばれ、場には異様な沈黙が流れた。

この場にあるグラスは、二つ。
渚さんが頼んだものと、渚さんに勧められて僕が注文したもの。
きっと彼らも、勧められれば喜んでそれを飲もうとしただろう。
しかし、そもそも彼らは、渚さんに一言でも、飲むかと聞かれはしなかった。

言い換えれば、それは自分たちが渚さんの眼中にないという証であり、彼らの腹を煮やす種。
そして、それが僕の目の前だけにあるということは、それもまた、言い換えてみれば。

──それが嬉しくない、なんて口が裂けても言えない。
渚さんという、誰もが認めるカリスマで、そして誰にも靡かない、雲の上の存在としか言えない憧れの存在に特別扱いされる優越感というのも、もちろんある。
しかし、それ以上に、ただ単純に、それは渚さんに認められている証左に他ならない。

ただ、この場においては、嬉しいのと同じだけ恐ろしい。
それがある事によって、命の危険すら生まれるほどに。

男たちは、黙って僕を睨んでいる。
胃が縮み上がるような沈黙。
そんな時間は、僕から見て左斜めの女によって破られた。

「そうだ、良いのがあるわよ」

わざと大げさに抑揚を付けた声だった。
その声で注目を集めた女は、いやにニヤついた、いかにも厭らしい下卑た笑みを浮かべて、持っていたバッグから──錠剤を取り出す。

見た目はごく普通の、白いタブレット。
故に、その効果は分からず、それがかえって恐怖を煽る。

──飲まされるのだろう、僕が。
睡眠薬だろうか、もしくは人体に有害なものだろうか。
どんな物でも、こいつらなら持っていてもおかしくはない。
少なくとも、他人に無理やり薬を飲ませるような人間の頭がマトモな訳がないからだ。

身構えていると、その薬は僕の隣の男の手に渡る。
僕はごくりと生唾を飲み込んだ。

しかし、男は僕の方には見向きもしない。
彼が手に取ったのは──渚さんの、カクテルグラス。

「なァ、知ってるか?これ。まあ、お前みたいな陰キャは知らねぇわな」

ニヤニヤと、男たちが、女たちが、自分以外の全員が、笑っている。
まさに悪計というべき不気味な笑い顔は、背筋に奇妙なぞくつきを走らせた。
何か、自分が考えているよりも、もっとおぞましく悪意に満ちた事が起こる。
その醜悪な笑みを見ていると、そんな確信をどうしても抱いてしまい。
そして、その予感は、現実のものとなる。

「お前さ、レイプドラッグって聞いたことある?」

──……お前っっっ!!!

男が言ったその言葉、その意味を理解した途端、僕は脳の血管が切れるほどの激昂に襲われ、何も考えられずに男に掴みかかる。
今まで抱いていた恐怖を、まるっきり覆すような、怒髪天を突くほどの怒り。

もしも、この錠剤が僕にのみ被害をもたらすものだったならば、僕は怯えたまま、彼らにされるがままになっていただろう。
しかし、その矛先が、渚さんだったから。
僕がたった今、ほんのちょっとの間だけ、しかしこれ以上なく深く魅了された、あの渚さんだったから。
僕は感情を180度ひっくり返して、目の前の男に手を上げたのだ。

──我ながら、ちょっと深く入れ込みすぎかも知れない。
そもそもこんな状況になった原因だって、悪く言い換えれば彼女のせいとすら言えるだろう。
しかし、そんな事は考えもつかないほど、僕は渚さんの虜になっていた。
渚さんに危害が加わりそうになったから、反射的に頭に血が上ってしまったのだ。

──大人しくしていれば、時間稼ぎくらいはできたはずだ。
しかし、殴りかかってしまえば反撃は免れないし、格闘技の大会でどうのこうのと言っていた男に勝てる道理は無い。
ほんの少しでも冷静さが残っていれば、そう判断できたのだろうが、思いの外僕はプッツンしやすいタイプなのかもしれない。

「おー怖い怖い。けど弱ぇな」

予想通りと言えば予想通り、その手はいとも簡単に掴まれて、抑え込まれてしまう。
この男の見るからに筋肉のついた太い腕に、辞書を運ぶだけで息を切らす僕の細い腕で敵う訳がなかった。

──こ、の……!!!

それでも、その指につままれた薬を奪い取ろうと、必死に力を込めて、拘束から逃れようと歯を食いしばる。
が抵抗も空しく、薬はぽちゃりとグラスに落ちて、見せつけるようにゆっくりと溶けていった。
青く溶けたそれは、やがてカクテルの青色と混じり、もう僕のグラスのそれと見分けがつかない。
男はマドラーで一度それをかき回すと、下衆な笑いと共に言う。

「そいつはスッゲーよくキく媚薬でな、いっぺん飲んだらあの渚でも構わず俺らのちんぽにしゃぶりつくぜ」

──……ッッッ!!!

一瞬、ほんの一瞬、脳裏に浮かんだ映像をかき消す。
駄目だ、それだけは、何としても。

「あのお高くとまって、エロ肉見せつけてる癖に誰にもヤらせねぇカッコツケ女を、俺らで輪姦せると思うとマジ興奮するわ」

げらげらと、下品で道徳心の欠片もない笑い声が響く。
額には冷や汗が流れ、指先は凍えたかのように震えている。

──もう、僕はどうなってもいい。
とにかく、渚さんだけは、こいつらの毒牙に晒してはいけない。
僕は、そっと腰ポケットに手を入れて、そこにあるスマホを、気づかれないようにポケットに入れたままブラインドで操作しようとする。

「おっと、余計な事すんなよな」

が、それは男に阻まれてしまう。
スマホは男の手に渡り、そのまま両手で、呆気なく。

──ぺきり。
間抜けな音を立てて、上下に二つ折り。
頼みの綱は、いとも簡単に投げ捨てられてしまった。

「分かってんだろうな?妙な真似したり、大声出したりしたら」

ぐい、と顔面を鷲掴みにされて、三白眼でぎろりと蛇睨み。

「お前のことぶっ殺して、渚もボコって無理やりレイプすっからな」

外道め。
そんな意思を込めて、真っ向から男を睨み返す。
正直、もう僕がどうこうされるのはどうだっていい。構わない。
ただただ、渚さんを卑劣に貶めようとしている目の前の奴らに、はらわたが煮えくり返っている。

その怒りを、目の前の男も感じ取ったのだろう。
しかし、ちょっと鍛えた中学男子にも腕相撲で負けるような人間に凄まれて、まさか先程の言葉を撤回しようと思うはずがない。
仔犬が必死に威嚇しているような、チグハグな滑稽さを揶揄するように、更に男は汚らしい言葉をぶつける。

「後で渚のことラブホに連れ込んで全員で犯すからさ、お前も来いよ。渚が俺らのオナホになるとこ特等席でみせてやっから」

──僕は、今までの人生で人を殴った事なんてないし、一時の感情の爆発で人を殴るような人間を、どちらかと言うと見下していた方だった。

「ああ、もちろんお前は渚には指一本触れさせねえけどな!渚が俺らに犯されてるとこ指咥えてみてろよ!」

──野郎っ!!!

しかし、いよいよ、脳の血管がブツンと切れた音がした。
もはや危険など顧みず、なりふり構わずに殴り掛かる。

アドレナリンが放出されているのだろう、周りの動きがいやにスローモーだ。
ゆっくりと、吐き気を催すような笑みを浮かべた男の顔面に、僕のぎこちない握り拳が向かう。

その間、様々なことが脳裏を過る。
渚さんの身が危ないとか、店に迷惑がかかるとか、暴行罪がどうのとか。
もし僕が冷静だったなら、そのどれか一つでも顧みて、必死に自分を落ち着けていただろう。

しかし、今は。

──ここは店内で、個室とは言え衆目もある。どれほど奴らが強くとも、数の利があろうとも、渚さんを無理やり手籠めにするような真似はできない。
──確かに店に迷惑はかかる。しかし、どうせこいつらを警察に突き出したって迷惑はかかるのだ。今更ちょっと暴力沙汰の事件があったぐらいが何だ。
──実刑判決がなんぼの物だ。情状酌量、もっと言えば執行猶予が付けば御の字だ。

兎も角、こいつだけは殴らねば気が済まなかった。

全く頭に血が上っており、冷静とは180度真逆の精神状態だった。
この後、少なくともこの男に、僕が殴って与えた痛みの、少なくとも何十倍もの苦痛を返される事は分かっていた。
そのもっと後、就活やら何やらのありとあらゆる場面で面倒ごとが付きまとう事なんて、自覚していない筈がなかった。

しかし、それでも。
それでも、ここでこの男を殴った事は、これから先の人生のどの瞬間でも、一度たりとも後悔はしない。
そう、確信を抱いていた。

だから、このまま、殴り抜く。
そう意思を込めて、全力で拳を振り抜いた。
けれど。

──っ……!

止められた。
何の躊躇も、少しの戸惑いや憂いも無く、持てる全ての力を乗せた殴打は、いとも簡単に。

確かに僕は、生まれてこの方暴力とは無縁で、モヤシの名を欲しいままにしている絵に描いたような貧弱文系男だ。
そんな男の、いかにも殴り慣れていないテレフォンパンチとは言え、しかし。
僕は、僕の拳を防いだその手を、ほんの少しも動かすことすら出来なかった。

その拳は、男の顔を捉えて、そのまま殴り抜こうとした拳だ。
男の顔面まで到達して、なお止めないように、それだけの力を入れて殴った。
体を弓なりに反らして、全身で、渾身の威力を込めて。

だが、その手のひらはまるで、地中深くまでがっちりと埋まった巨岩のように動かない。
全身の力を込めて、顔が真っ赤になるほど押しても、地面に杭打たれていると錯覚するほど微動だにしない。

不甲斐なさと悔しさを誤魔化すように、手の奥にある男の顔をせめて睨みつける。
ニヤついているだろう、小馬鹿にしているだろう。
そう思い、顔を上げる。
けれど、そこには。

──……っ!?

「……くく、ふふふっ」

まず目に入るのは、すらりとしなやかな、白魚にも似た細い指。
そこから目線を辿って、透き通るように白く、ごつごつとした男のそれとは対極的に柔らかな腕。
さらに上、薄布一枚も纏わせずに、堂々と露わにした華奢な肩。
そして、何よりも尋常ならざる別次元の美しさを携えた、神話の女神のような顔立ちは、誰がどう見たって見紛うことなどあり得ない。

「もう、駄目だよ?そんな事をしたら、キミまでワルモノになってしまう」

男の後方から、音もなくぬっと現れた彼女──渚さん。
僕の拳を、片手で軽く受け止めていたのは、男ではなく、彼女だった。

それに目をひん剥いて驚いたのは、僕だけではない。
僕と同じく、いやそれ以上に驚いている男を押しのけて、どすりと勢いよく僕の隣に座る。
今度こそ体がぴったりと密着するほど、腰と腰がくっつくほどに身を寄せて。

「キミは真っ白なままなのが魅力なんだ。だから、こうして」

そして、握り拳を形作ったままの僕の手の中に、そっと指を入れ込んで、解くように開く。
そのまま指と指を絡めて、きゅっと、優しくきつく、決して離れられない程度の力で、握る。
僕の右手と彼女の左手を、まっすぐ向き合ったまま、指の隙間に指をねじ込むようにして。

──恋人繋ぎ。
それは一般的にそう総称される、手と手の繋ぎ方。
文字通り恋人同士が、それも格別に愛情の強いカップルが行うような行為を、渚さんは涼やかに笑って行う。

「私が繋いでおいてあげよう。これでキミの右手は、私を愛することしかできなくなってしまったね」

──う、う……

相変わらず、渚さんの行動は、心臓に悪い。
あまりにも滑らかな、最高級のシルクで出来ているかのような手触りと、愛おしいように吸い付く潤いを兼ね備えた指。
それに、歯の浮くような行動と言葉が、張り詰めていた僕の感情を途端に塗り潰してしまう。
しかし、そんな甘い空気は長くは続かない。

「……おいおい、渚さんよ、そんなに俺らをほっとかれると寂しいぜ?」

隣の男が立ち上がり、渚さんを上から見下ろす。
最早隠すこともできないと悟ったのだろう、男は下衆な感情をさらけ出し、高圧的な態度を取っていた。
今からお前を襲って、無理やりレイプする。
目は口程に物を言うという言葉がぴったりなほど、男は太い腕を見せびらかして、下衆な笑みを浮かべた。

──っ……!そうだ、渚さん……!こいつら危険です!早く逃げましょう!

テーブルの向こう側に座っている奴等も立ち上がり、集団でレイプすると言わんばかりに邪な目を向ける。
囲んで殴って押さえつけて、自分の都合のいいようにこの女を従える。
倫理観を無視すれば、この上なく手っ取り早くて確実な方法だ。

体格では絶対に敵わない幾多もの人間に囲まれて、見下ろされる。
そんな絶体絶命の状態になって、僕は、途端に恐ろしくなり震えあがる。
今から起こるであろう惨劇にも、渚さんが汚されてしまう事にも、それから人間をここまで狂わせてしまう渚さんの魔性にも。

しかし、こんな状況になっても、渚さんは悠然とカクテルグラスを薫らせて、動こうとしない。
綽々と構えて、ただ平然と、優雅に流し目を向ける。

「んー……何で?」

──いや、あいつら渚さんのことを無理やり犯そうと……!って言うかそのカクテルも飲んじゃダメです!薬が入ってて……!

必死に捲し立てる僕を尻目に、渚さんはくすりと笑う。
まるで静かなバーのカウンターに座っているかのように落ち着き払って、そのまま。

──あ、や、ちょ……!

カクテルグラスを口につけ、傾ける。
美味しそうに、ゆっくりと、ゆっくりと、味わってから喉に落としてゆく。
唇から離し、かたん、とテーブルにグラスを置いたとき、その中身はもう既に空っぽで。

そして、ふう、と一息つくと、渚さんは。

「うん、知ってるよ」

と、一言。
何でもないように、そう言った。

──……!

目の前が真っ暗になってしまうような、衝撃。
気を失ってしまいそうなほどの驚愕に、僕の頭と視界がぐらりと揺れて、それと対照的に奴らはますます気を沸かせる。
女性を前後不覚にして、性に飢えたサキュバスのように淫欲を剝き出しにさせて、誰とでも、それこそ男性器さえ持っていればゴブリンのような容姿の男とであろうとまぐわってしまう、そんな媚薬。
それを理解しながら飲んだとあれば、それは男たちのレイプ願望に合意の意を示したに等しい。

「……うん、あー、これは、凄いね。今すぐ、ぐっちゃぐちゃに掻き回してほしいかも」

僕と彼ら、そのどちらの反応にも気に留めることなく、渚さんは深く息を吐く。
恐ろしいほど艶めかしく、顔を紅潮させて、桃色の吐息を一つ。
有り余る性的衝動にぶるりと震えて、こちらに流し目を向ける。

──……っ!♡

その目線に、彼女よりも僕の方が、強く震えを起こす。
それは、今までの渚さんのような、理知的な光を宿しながら、春風のように何物にも縛られない、温かくも優しげな瞳ではない。
身震いするような淫蕩さや、一目見て「食われる」と思わざるを得ない、自分より遥かに上位の存在だと確信してしまう強者のオーラがそこにはある。

普段の雲のような掴めなさから一変して、『ここにこの世で最もお前を悦ばせられる存在が居る、だからお前は私に魅了され尽くして、全てを捧げて、私に抱いてもらい、依存して、堕ちろ』、と。
そう言わんばかりの、傾国の娼婦ですら唸るような絶対的強さと気高さ、そして決して抗えない雌性を、フェロモンと共に撒き散らしている。

れろぉり、と肉厚な舌で、これまた厚く淫らな唇をなめずる彼女。
淫魔と言って遜色ない、むしろ淫魔すら凌ぐようなエロスをこうもさらけ出されては、男も女も関係ない。

渚さんを抱く。
媚薬を自ら飲み干した、あの淫乱そのものの身体をした、最高の抱き心地の雌を。

どうしたって、例え性器が不能であろうとそう決意せざるを得ない、渚さんという女がそこに居るのだ。
男たちは、フェロモンの匂いにつられる虫のように、ふらふらと惹き寄せられる。
はち切れるほどに膨れ上がった期待と、同じくはち切れそうな性器と共に。

──う、くそ……

とにかく渚さんを庇うように、僕が身体で彼女の前に立ちはだかるが、もう彼らは、渚さんに受け入れられる事を疑いもしていない。
彼女以外の不純物は目にも入らず、地面に踏ん張る僕を片手で軽くぐいと押しのけると、ただ彼女に手を伸ばす。

──渚、さん……!

青ざめて、彼女の名を呼ぶ。
当たり前の事だが、僕は渚さんにとっては友達とすら思われていない、ましてや彼氏でも何でもない存在だ。
しかし、彼女があんな奴らに汚されると考えると、巨大鉄球を後頭部に振り落としたような、血の気が引くほど強い衝撃で脳内が真っ白になる。

しかし、無情にも男は止まらない。
まずはそのたわわな胸、明らかに100cmの大台を悠々と超す巨大な肉塊を、手のひらから溢すように揉み潰そうと、手を伸ばす。

今から味わえる、無上の肉感を思いながら、その手が徐々に近づいて。
その手を、渚さんは、じっと見つめる。
媚薬の淫気にあてられて、性器や性感帯への刺激を縋ってでも求める、今の渚さん。
女なら、例え男性という男性に対して嫌悪や憎悪を撒き散らし、男性は全員性犯罪者予備軍であるから人権を奪った挙句去勢して牢屋にぶち込め、なんて喚く極端なミサンドリーであっても、男に土下座すらして男根を求めるほどのセックスドラッグを丸々一錠摂取した、渚さんは。

男の手を優しく取って、にっこりと笑って。

「──ぐあっ!?」

「汚い手で、私に触らないでくれるかな?」

逆側に、腕ごと捻り上げた。
めしりと、音がするほど。

──え……?

全員の、時が止まる。
男の手を、拒んだ。
それは絶対にあり得ない、それこそ夏場の乾いたプランターの土に水が際限なく染み入るような、抗えるはずがないものなのだ。
けれど、渚さんは望んでやまないはずの男の愛撫に目もくれず、むしろそれを自ら拒絶した。

男は痛みにうずくまり、渚さんを睨みつける。
しかし、その目にあったのは怒りというよりは、困惑。
何故、どうして、という思いであった。

そんな男に対して、渚さんは冷たい目線で、見下ろして言う。

「キミたちみたいな薄汚い奴らは、同じようなつまらない下衆と乳繰り合ってなよ。私はキミみたいなのとセックスするのはまっぴら御免だからさ」

先程までの表情とは一変し、感情がすっかり抜け落ちたかのような表情。
侮蔑や嫌悪を通り越して、一切の興味を失ったのか、もはやそちらを向きもせず、淡々と語る。

それに対して、男たちは悔しそうに、あるいは焦燥しているかのように押し黙る。
渚さんが思い通りにならなかったからか、あるいはあれだけ媚びるように豊かで淫らな渚さんの身体に触れられなかったからか。
しばし無言で、顔を見合わせた。

しかし、そうしていたのも束の間、男たちは顔を見合わせたまま可笑しそうに笑い、勝ち誇ったように声を荒らげる。

「ハハハ、何だよ、お高くとまりやがってよ!」
「大人しく俺たちに従ってりゃいいのによ、抵抗するんなら痛い目見せて言うこと聞かせなきゃなぁ!」
「ああ、店員なら呼んでも無駄よ、この店自体がアタシらとお友達だから!」

ゲラゲラと下品に笑う男たち。
こちらの抵抗が無意味である事を確信し、鼻の下を伸ばして、雌を手籠めにする愉悦を今か今かと待ち望む。
彼らは数の利からか、あるいは渚さんの性差による膂力、そのおまけにくっ付いている僕の弱さを知っているからか、ほんの少しも逃げられる心配などしていない様子だ。
その態度が癪に障るが、しかし、事実として、僕らを囲む男たちから抵抗しながら逃げおおせるというのは全く現実的ではない。

──渚さん……!

振り返って、渚さんの名前を呼ぶ。
とにかく僕はどうなったっていいから、貴方だけでも逃げてくれ。
貴方のよく切れる頭で、僕をどう利用したっていいから。
そんな意味を込めて、必死に目線で伝えるが、当の渚さんと言えば。

「んー?どしたの、そんな顔して?お腹でも痛いの?」

じゃあ、この余ったカクテルも飲んじゃうね、なんて惚けた事を言いながら、もう一つのグラスを揺らしている。
その様子を見た男たちは、渚さんをまだ状況を全く理解していないバカ女、あるいは分かっていながら俺達を煽る淫乱だ、なんて囃し立てながら、袖を捲って襲い掛かる。

──くそ、近づくな……!

いかにもケンカ慣れしたファイティングポーズを取る男たちに、武者震いでなく震えを起こす手を押さえつけ、僕も奴らに合わせて拳を握った。
端から勝とうなどとは思わない。
ただ、渚さんが逃げられる時間を、ちょっとでも稼ぐ。
そんな決意を抱きながら、奴等に相対した。

しかし、そんな決意は、呆気なく崩される。
後ろから腕を引かれ、椅子に座らされてしまったのだ。

そう──それは、他でもない、渚さんの手によって。

──渚、さん……?

思わず振り返り、彼女の顔を見る。
その目は、少しとろんと蕩けつつ、しかし。
──確かに、獰猛な鷲のような。
奴らの驕りきって油断した目とは違う、冷酷かつ無慈悲な狩人じみた、絶対的な力量差から生まれる、絶対的王者の光があった。

「危ないよ、座ってなきゃ」

渚さんは、手に持ったカクテルグラスを、つ、と優雅に傾ける。
一頻り口の中で転がしてからそれを飲み干すと、ふ、と息を短く吐き、振り返らずグラスをこちらに渡した。
そのまま、肩にかけたバッグからヘッドフォンを取り出し、キャスケットの上から被り。

「あ?何だ?ヤる気かよ?」
「ふふ、冗談でしょ?あれだけクスリ飲んでて力が入ると思ってるの?」
「立ってるのもフラついてキツいんじゃねえの?安心しろよ、俺が今楽にしてやるからさ」

プレーヤーから音楽を流し、足を肩幅に開いて、男に対して斜めに構える。
手はだらりとリラックスさせて垂れ下げて、ごく自然に。

──危ないですよ、逃げましょうよ。
本来ならば、そんな事を言うべきなのだと思う。
けれど、目の前で悠然と立つ渚さんを、その威容をみると、そんな言葉も引っ込んでしまう。

最早逃げようなんて思いもせず、ただ彼女に熱視線を送る。
渚さんは、振り返って薄く微笑み、少々恰好を付けたように。

「……じゃあ、特等席で見せてあげようかな。キミの分のお酒は私が飲んじゃったけど、おつまみでも食べながら楽しんでね」

「舐めやがって、このアマ!」

弾かれたように、掴み掛かる男。
彼女はその手を取り──男を悠々と上回る膂力で、体ごと捻じ伏せる。

「うおっ……!?」

どよめく室内。
絶対的なアドバンテージだと思われていた、単純な腕力で、負けた。
しかも、媚薬を飲んで力が入らないであろう女に。

相対する渚さんは、それが当然、分かり切った事であるという様子で、優しく裾を叩く。
あくまでもその自然体な構えを解くことなく、ゆっくりとキャスケットを被り直して。

「さあ、来なよ。最後にちょっとだけ、遊んであげる」

──そこからは、圧巻だった。
ワルツでも踊るような動きで、男たちの攻撃をことごとくいなしては、軽く足を払うなり、拳を逸らせて後ろの男に当てるなり、あるいは相手の勢いを利用して鳩尾に肘をめり込ませるなり。
あくまでも優美なスタンスを崩すことなく、しかしその動きは明らかに男たちより力強い。
身のこなし、技量などは言うまでもなく、まるで少し先の未来が見えているかのように、拳が、足が当たらない。
囲まれている事を全く問題にせず、むしろ男たちの攻撃同士をぶつけ合わせたりして、疲労やダメージが溜まっていくのは奴等の方ばかり。

全くもって、相手にならない。
素人目に見たってそれは明らかなほどの力量差は、戦っている彼らにとっては絶望的なほどに如実なものなのだろう。

どう考えたって、いや、考えるまでもなく、ちょっと押せば組み伏せられるはずの、細っこい雌に、自らのアイデンティティ、唯一の雄としての魅力であるはずのケンカで、負ける。
彼らの猛攻を、つまらないとばかりにあくび交じりに受け流すその様は、彼らのプライドを粉々に打ち砕き、絶望させるには全く十分なものだった。

男たちは、最初は威勢よく、顔をニヤつかせながら渚さんに勢いよく掴みかかっていた。
なるべくその珠のような柔肌を傷つけないように、殴ろうとはしなかった。
それは、言ってみれば男故の覆しがたい性差、今まで行ってきた鍛錬や殴り合いの実績からなる驕りとも言える。
実際に、男たちの筋肉のついた体や、ケンカ慣れした動きなどは、それなりに真面目に鍛えていたからこそのものだったのだろう。

しかし、その全ては、目の前の細っこい雌に、容易く打ち砕かれる。
女をモノにするために、男にマウントを取るために、必死に磨き上げた腕っぷしは、小馬鹿にするようにいなされて、真正面から子供をあやすように受け止められて、押さえつけられる。
それは、男からしてみれば、自分という存在を全否定されたのと同じように思えたのだろう。

「ん……もう終わり?」

そうして、結局のところ。
渚さんは、ほんの少しも傷ついていないどころか、ほんの少しの息切れだって起こしていない。
囲んでレイプするなどと息巻いていた男たちは、床に膝をついて肩で息をしていると言うのに。

「うーん、キミにちょっと格好いいところでも見せられたらな、なんて思ったんだけど、これじゃ見世物のショーとしても三流がいいところだね」

女たちは、隅で小さく縮こまっている。
元々男たちのおこぼれを貰う予定だったのだろう、奴らが敵わないと分かった途端、騒ぎ立てるのをやめて静かになってしまった。

男は床に倒れ伏し、女は大人しく黙りこくる。
先程まであれほど粋がって、有頂天な傲慢さを見せていた、彼らが。
どの要素を抜き出したって、天地がひっくり返っても優勢は変わらないと、そう固く確信を抱いていた彼らは、ただ渚さんが常軌を逸して強かったというたった一つのイレギュラーのせいで、ここまでこっぴどく叩き潰された。

その光景を見て、彼女は大きくため息を吐いて、僕の隣に座り直す。
──何と声をかければいいのだろうか。
あまりの光景に打ちのめされて、声が出ない。

「んー……退屈だったね。疼きを晴らすどころか、よっぽど鬱憤が溜まってしまったな」

渚さんは、僕の方をじっと見つめる。
──しかし、何故、渚さんはここに戻ってきたのだろう。
奴らを倒して無力化したのなら、そのまま帰ってしまえばいいじゃないですか。
そう思うが、声が出ない。
幾分か紅潮して、尚且つ気怠さを感じさせる、ダウナーな耽美さ、淫靡さをこれでもかと詰めた彼女の表情にノックアウトされ、張り付いたように声帯が動かない。

「こういう品も配慮も倫理もない人間はいつもそうなんだ、下卑た性欲を無理やりぶつけようとする癖に……私を少しも満足させることも無いほど、つまらない」

ちら、と侮蔑混じりの目が眼下に向く。
射殺すような目線で、一瞬全員を視界に捉えた後は、すぐに興味を無くして僕の方に向き直る。

「あんなに自信満々に、不愉快な欲望を浴びせてモノにしようとするのに、欠伸が出るほど退屈なんだ。せめて、その欲で私を楽しませてくれるなら、喜んで誘いに乗ると言うのにね」

すり、とその指が僕の顎下を撫でる。
いやに猥雑に、獲物の体に蛇腹が絡むような緻密さで。

「けれど、何故か私に欲を向ける人間は、ベルトコンベアで流れてくるものを眺めることよりも予想通りで陳腐なんだよ、見た目も、その欲望の中身すらもね」

しんしんと静かに、僕を透かして後ろ側、男たちへの蔑視を大いに含んだ微笑みを絶やさずに、清流が流れるが如く。
早瀬さんは頬杖をつき、ただ語る。

「だからね、私は、私に無理やり言い寄る輩が好きじゃない……ううん、嫌いなんだ」

男たちは、何も言い返さない。
よほど先程の蹂躙劇が身体に堪えたのか、あるいは何も言えないほど自尊心がズタズタにされたのか。
黙って渚さんの侮蔑を受け止めている。

──これは、彼らだけでなく、僕にも同じように当てはまる事ではないだろうか。
彼らほど腐ってはいないが、それでも僕は凡百の、つまらなくて予想通りの人間と言えないだろうか。
そう思うのだが、渚さんの行動がそうは思わせてくれない。

する、と渚さんの手が僕の後頭部に伸びる。
あまりに自然で慣れた動きで、反応すら出来なかった。
頭ごと抱くような動きに、当然だが渚さんの身体と僕の顔面の距離が近くなる。
卒倒してしまいそうになるほど、蠱惑的な肢体が、文字通り目と鼻の先に。

「そんな奴等にはさ、女をおかしくする媚薬で狂いそうなほど発情したって、指一本触れさせたくないんだ」

頭を抱かれたまま、彼女の指先が、僕の顎を持ち上げた。
──ああ、逃げ場がないなぁ。
なんて、彼女の双眼いっぱいに僕の顔だけが映っているという状況に現実味がなさ過ぎて、漠然と考える。
例えば、もしも彼女が、僕にキスなんてしようとしたら。
全く抵抗できないまま、奪われるだろう、唇を。
まあ、全く有り得ない、可能性のない事だけれど。

──そう、有り得ない事だ。
彼女と僕が、口づけをするなんて。
けれど、何故だろうか。

「つまらなかったり、私の興味をそそらない奴は、ほんの一瞬も触れさせない。さっきちょっと力の差を見せてあげるために組み合ってあげたのは、かなりの大サービスだったんだよ。もっとも、その幸運な男は床に這いつくばってるようだけど」

──近い。
僕は後ろに引こうとしているのに、渚さんがやけに前のめりになって、鼻と鼻がくっつきそうなほど、近い。
その瞳に吸い込まれそうなほど、唇に吸い寄せられそうなほど。
渚さんは、近づく。
際限なく、これ以上は彼女と僕の間に隙間が無くなってしまうというくらい。

ぺろり、と渚さんは舌で唇を濡らす。
てらてらと潤いに溢れ、むちゅむちゅと艶やかで肉の乗った唇を。

──あれ、って言うか、僕は渚さんに触れてる……向こうから触れられてる……。
なんて、今更、ふと気が付いた。
それが意味するところなんて、初めから一つだったのかも知れない。

「……だから、キミは特別」

あーん、と彼女は控えめに口を開ける。
捕食する直前の獣のように、その仕草を、僕の目の前で。

──え、あ……?

混乱して頭を真っ白にする僕と、一切の躊躇なく迫る彼女。
僕が一切逃げようとしないのを確認して、ふっと微笑んでから。

むちゅう、ちゅ……♡

──!?!?!?

熱く、濃厚なベーゼを、一つ、二つ。
見せつけるように、格別に濃く。
唇を、しっとりとねっとりと、深く柔肉がめり込むほどに押し付けて。
感触を味わって、その目は満足げに歪んでいた。

その一方で、僕はと言うと。

──柔らかい、肉厚、って言うか、渚さんと、今……!?

目を白黒させて、その快さに戸惑うしかない。
眼前に広がる彼女の顔、そして唇に広がる異様なまでの心地よさ、中毒性。
それが意味する事なんて、もう渚さんとキスしているということ以外存在しない。
しかし、その状況のあり得なさに、どうしても脳が理解を拒んでしまう。

──ぷは。

一体どれほどの時間唇を合わせていただろうか。
一分程度、いやもっと短かっただろう。
けれど、僕にとっては十分にも一時間にも思えていた。
しかし、それでも渚さんとのキスが名残惜しく、思わず離れる唇を追ってしまう。

そんな僕を、渚さんは優しく後頭部を撫でて、認めてくれる。
恋人にするかのような甘い態度に、どうしても脳が蕩けてしまうような多幸感を覚えてしまう。

もう、行動が唐突すぎるとか、そんな事はどうだっていい。
ただ、僕は渚さんに夢中になってしまう。
当たり前だろう、渚さんにキスされて、メロメロにならない人間なんて地球上のどこを探したって存在しない。

「……うん、いいね。かわいいじゃん」

すり、すり、と手のひらが頭を撫でつける。
ひたすら甘く、どこまでも肯定するような手つきに、口ぶり。
奴らを見るのとは全く違う、どこか熱と湿り気を帯びた目線に、腰が浮く。

そんな僕に、乞い願うような、縋るような目線が、集まる。
あと一歩、ほんの少しでも進めば天国に行けるのに、それを檻越しに見せつけられるしかない囚人のような、そんな目線。
それを、渚さんは目だけで一蹴し、また僕の頭を撫でる。

もう、流石に、自覚するしかない。
口づけされて、頭を撫でられて、好ましげな言葉をかけられて。

「私に……分かりやすい欲望や攻撃を向ける人間は、好きじゃない。例えば、そこに転がってるような人間はね」

ぐっ、と。
力強く、けれど紳士的に。
渚さんは、僕の肩を抱き寄せる。

「けど……キミは違うんだよ」

渚さんの細身な、しかし儚げではない肩に、僕の頭を乗せられる。
そうなれば、彼女の女性らしすぎるほど女性らしい、柔らかな体と全身で密着することになるのは必然だ。

発情しているからか高めな体温、腕に当たってむんにゅりと、意味が分からないほど滑らかかつ柔らかに潰れる乳肉。
それに、つんと鼻を刺すほど甘い、雌臭いとしか形容することができない饐えた匂い。
ほんの一、二時間も前、この居酒屋に来た彼女が漂わせていた、柑橘を思わせるような爽やかな匂いはどこにもなく、今はむっと蒸れて、こってりと甘ったるい淫臭ばかりが鼻腔を満たしている。

渚さんは、僕の肩に手を回し、少し体を傾けて、僕の耳に口を近づける。
ふぅ、と熱く湿った吐息が、僕の耳を濡らした。
身震いを止められないほどの性的なぞくつきに、脳がますます液状化を止められない。

もう、どれほど情けない姿を晒しているのだろう。
顔を真っ赤にして、涙目になって、極度の緊張と興奮から体を震わせて。
どんなに慈悲深い女性からも幻滅されそうな姿を、渚さんに正面からじろじろと眺められる。

「……ふふっ」

ひとしきり僕を観察した渚さんは、ほころぶように笑いを漏らした。
けれど、それは嘲りからではなく、心から愛おしそうな声で。

それから、ひとしきり、喉を撫でられる。
ギャングの親玉が愛猫にそうするように、絶対的な力量差、手が届かないほど上位の存在に愛玩される喜びを植え付けられる。

もう、溶けてしまう、全身。
耐えられない、何もかもが。

目を回し、ひたすら身を固くする僕に、渚さんはますます笑みを深める。
にまにまと好色げに、感情が溢れそうなほど口角を上げて、渚さんは僕の耳にぴっとりと唇を付けた。

「……ねぇ、ホテル、行こうか♡」

──っっっ!?!?!?

ぞわりと、背筋が粟立つ。
ペニスから先走りをぴゅっと漏らすほど、いや、先走りで済んだのが奇跡と言えるほど艶めかしい囁き。
鼓膜にべっとりと張り付いて、脳を直接揺さぶる至近距離の誘惑に、腰すら震えてしまう。

「ね……キミもさ、私のことえっちな目で見てたよね」

身体を反らして逃げようとする僕を、渚さんは決して逃がさない。
肩を抱いて、より強く、耳に濃厚なベーゼをするように。

「ああ、責めているんじゃないんだ……。ただ、これは、確認しているだけだよ」

喉元を、かりかりと爪で緩く掻かれる。
猫や犬をじゃらすような手つきは、僕が彼女のモノであると錯覚させる。

「キミも、私とシたい……ホテルでしっぽりと愛し合いたい、私のカラダでめちゃくちゃに射精したいって思ってるか……その、確認」

悔やむような歯軋りの音がした、ような、気がする。
あるいは、嘆くようなため息の音。
恐らくは、向こうで指を咥えてこちらを眺めている奴らの音なのだろうが、そのほとんどは自分の心臓の音にかき消されてしまう。

「ほら……頷くなり、横に振るなりしてみなよ……」

左右から、僕を慣れさせないようにだろうか、渚さんは交互に囁く。
ぞくぞく、ぞくぞくと、寒気がするほどの興奮が、おびただしい量の脳内麻薬と共に駆け巡る。

「でないと……そのまま連れ去って……完全合意持ち帰りレイプ……してしまうよ?いいの?」

ぐ、と腰を掴まれる。
ギラつき、据わった目を向けて、震える腰骨を。

──多分、いや、絶対に、渚さんは本気だ。
これ、抵抗しないと、抱かれる。めちゃくちゃにされる。
けれど、動けない。
石膏で固められたかのように、首がうんともすんとも動かない。

「……じゃあ、嫌なら抵抗してね。しないなら、連れてくから」

ぐい、と座った僕の腰に回された手で引き上げられ、体が持ち上げられる。
軽々と、まるで小さな子供を立たせるかのように。
先程男たちを返り討ちにしていたことからも知っていたが、それにしても、その細腕からは考えられない力だ。
間違いなく、彼女に本気で襲われたら、勝てない。
男たちにすら勝てなかったのに、それらを纏めて手玉に取る彼女になんて、勝てるはずがない。
そう考えると──どうしても、胸の奥が疼く。

「腰、ふらふらしてるね。ふふ、まるで立場が逆みたいだ。キミが媚薬を飲まされてて、私がキミにクスリを盛ったレイプ魔……」

へたり込みそうになる腰をなんとか支えてもらい、よたよたと歩く。
渚さんが言う通り、本来は逆。
僕が彼女を介助しなきゃいけないのに、僕が彼女に支えられている。

そんな状況を情けないとすら思えず、脳内を駆け巡るのは──渚さんの話。
性に奔放で、むしろ女性を快楽に堕としてしまうようなセックス慣れした男が、技巧なんて一つも使わないで壊された。
渚さんの女体は、それほどに、おぞましいほどに、破滅的に気持ちいい。

そんな渚さんが、僕を──抱くと言っている。
男を、靴下越しの脚一本で、性癖も何もかもを捻じ曲げた渚さんが。
それなのに、童貞で女性経験が一つもない僕が、ただで済む訳がない。

──壊される、徹底的に、人生がめちゃくちゃになるまで。

恐ろしい。肝が冷える。全身が竦み上がる。
けれど、それ以上に。

──絶対、気持ちいい……♡♡♡

渚さんという極上の女性に、愛情を持って壊される。
それがどれほどの快楽か。幸福か。
それは、きっと僕の些末な想像力では1%も夢想できないほどで。

「……ぜんぜん、抵抗、しないね」

ふー♡ふー♡と、渚さんの服の裾をきゅっと握って、ただ俯く。
誰が見たって、そこに否定のニュアンスがあるとは思わないだろう。
ふらつく僕の腰を持って、渚さんは出口へと向かった。

「あ……」

それを地べたからただ眺め、とにかく負の感情を込めた目で睨む男。
小声を漏らし、必死に縋ろうと、渚さんの足を掴もうとする。
しかし。

「……何、邪魔しないでよ」

渚さんはひたすら冷たく、冷酷に、無慈悲に、あしらうだけだ。

「私は今から、この子一人だけと、ホテルでセックスするの。この子だけに、望むままに私の身体を使わせて、愛してあげるの」

渚さんは、僕を抱いたまま、ゆっくりと見せつけるように、頬にキスを落とした。
その光景に、男は、男たちは、絶望的な表情を浮かべる。
本当は、自分たちがそうなるはずだったのに。
自分たちが、そのためだけに準備をしたのに、しかしその非合法的な準備のために、実った果実は冴えない男に全て奪われてしまう。

けれど、逆に言えば、僕は。
天女のような肉体を抱くという権利、極楽にも昇るような望外の幸福を、独り占め。
あの男たちになす術もなく摘み取られていたかも知れないものを、僕だけが、みっちりと、とことん味わえる。

他の誰が、どれほどの地位を手に入れたって、どれほどの金を積んだって、絶対に手に入らないこの権利を。
彼女の気まぐれで、何の対価も払うことなく、ぽんと与えられたのだ。

──渚さんが見下ろしている、地面に這いつくばった奴等には、絶対に与えられない権利が、僕だけに。

「キミたちみたいなクズは、キミたち同士でクスリでも盛って脅し合ってサカってなよ」

目線という目線を無視しきって、渚さんは、僕を抱いたまま、個室を後にする。
最後に、肩越しに振り返って言葉を残しながら。

「……警察には通報しないであげる。というより、そこまでの興味も無いし。その代わり、二度と近づかないでね」

そう言い残すと、渚さんはゆったりと僕の髪を手櫛で解いて。

「フフ……じゃあ、行こうか」

僕を引き寄せたまま、それをひけらかすように店を出た。
腰を卑猥にすり撫でて、今からこの雄と交尾する、と手つきで主張しながら。

その後に残ったのは、放心した男たちの静寂。
声にもならない後悔を噛み締めて、涙を飲む音だけが残された。

他の漫画を見る