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ホテルに逆お持ち帰り

「結局、あんまり飲めなかったな。いっぱいお酒飲むつもりだったんだけど」

多くの人が行き交う中で、店の軒先に垂れ下がった巨大提灯──中身はもちろん電球──を見ながら、渚さんは呟いた。
電飾で彩られた歓楽街は、会社帰りのサラリーマンや学生でごった返しており、居酒屋の中ほどではないものの、賑やかな喧騒がある。
それもそのはず、ちらりと腕の時計を見れば現在時刻はもう八時を回っており、今は酒飲みにとってはゴールデンタイムと言える時間だ。

駅近くのこの通りは、見渡す限りずらりと飲食店が並んでおり、そのほとんどが酒を飲むことを主目的にした店となっている。
ところどころには飲みの締めに寄るであろうラーメン屋などもあるが、圧倒的に多いのは居酒屋だ。
オフィス街と住宅街のちょうど間にあるこの場所は、一杯引っかけたいサラリーマンが寄るのにちょうどいいのだろう。

実際に、今ここを歩いているのは、ほとんどがスーツを着た人間だ。
彼らは小太りだったり、あるいは細身だったり。
赤ら顔をしていたり、あるいは白い顔をしていたり。
同じような服装ではあるが、老若男女、千差万別な人間がここを闊歩している。

そして、それら様々な人間たち。
彼らには、たった一つの共通項が存在する。

「んー……やっぱり見られるね」

それは、目線。
この世に二つとない美爆乳をゆさゆさと揺らし、くねりくねりとセックスの象徴のような豊満な尻をたぷたぷ振りたくる渚さんの動きは、果たして無意識なのだろうか。
そんな欲情を煽って仕方ないクソエロボディだけでも目を集めるというのに、彼女ときたら殺人的なほど顔がいい。
酒に酔って理性の緩まった人間が、更に人だかりの集団心理に掉させられれば、性欲の籠った目を向けるのも仕方ない事だろう。

そして、その目は当然、渚さんに連れ添って歩いている僕にも向く。
明らかに親密な情を向けられているように腰を抱かれエスコートされている僕に突き刺さる、嫉妬や羨望の感情。
顔を歪めてこちらをじっとりと睨む彼ら彼女らは、分かりやすすぎるほど明らかな性的期待を抱いていた。

酸っぱい葡萄の感情も湧かないほどの渚さんの身体の性的魅力、もっと言えば乳肉や尻肉の熟れ具合は、赤熱したマグマを見ればそれを熱いものだと直感で理解できるように、見ただけで確信できるものだ。
男ならば、あの太く柔らかな脚に、スイカほどもある爆乳に、むっちりとズボンをぱっつんぱつんに押し上げている尻に、ペニスを挿し込めばどれほど気持ちよく射精できるだろう、と。
女ならば、あの麗しく端正な顔で、艶やかなワインレッドの唇で、シミ一つないパールホワイトの肌で、情熱的な愛を囁かれながら秘所を擦られたら、彼女に私を孕ませる能力なんてありもしない事は明白だと分かっていても子宮を屈服させずにはいられない、と。
立場も名前すらも知らないが、彼女のためならば人生の全てを捧げ、女王様に傅く奴隷にだって成り下がる、いや、奴隷にならせていただきたい。その許可が欲しい、と。

それほどに、喉から手が出るほどその立場が欲しいというのに。
そんな彼女に腰を抱かれ、あまつさえ捕食していただけるというこの世で最も幸運なオスがそこに居る。
自分たちに、既に彼女のお気に入りの先約が居ることによって、少なくとも今は希望がない事を見せつけられては、意識せずとも顔が怨嗟に歪んでしまうのは仕方ないことなのかもしれない。

しかし、いくらその気持ちが理解できるとはいえ。
あの男たちほどではないものの、しかしあの男たちとは比べ物にならない圧倒的な数の人間にきつい負の感情を向けられて、少しだけ優越感に浸るとともに──恐怖を感じてしまう。

「……ちょっと路地裏の、人の少ない道を行こうか」

渚さんは、そんな目から守るように一際強く僕を抱き寄せ、囁いた。
その横顔を見て、僕ははっとする。
いくら無事だったとは言え、渚さんはこれよりも苛烈で、もっと直接的に危害や恐怖を与えられる犯罪に巻き込まれていたのだ。
それも、サカった猿のごとく下卑た性欲を丸出しにした集団が、薬を盛った挙句に暴力で押さえつけて犯そうとしたという、最も悪意に満ちた欲望を剥き出しにして襲われたという悪辣な事件。
そんなものの被害にあったのだから、本来そういう目線に恐怖心を抱くのは渚さんのはずなのに、かえって僕は彼女に気を使われて、あまつさえ庇われ守られている。

──あの、渚さんこそ、大丈夫ですか?

思えば、さっきもそうだった。
僕一人では何も出来ないくせに一丁前に男たちに抵抗して、それを渚さんに守ってもらって。
そして、更にこうして気丈に振舞っている渚さんこそが内心で深く傷ついていて、それに気づけずまた黙って守られていたとしたら。
僕はなんて情けなくてどうしようもないんだと、絶対に後悔するだろう。

──あんな事があった後ですし、その、気分が優れなかったりしたら……

だから、もし自分に何かできる事があれば、手伝いたい。
そう思い、声をかけたのだが。

──え、と……

当の渚さんは、その言葉に触発されて、笑顔の仮面を外して怯えを露わにしたり、あるいは怒りや悲しみを見せてくれたり──などという事は全くなく。
むしろ、少し驚きながらも、喜色満面。
不意に大好物のごちそうを前にしたような、あるいは格別にイイ女を抱く前の、何人もの人間を食ってきた肉食プレイボーイのような顔つきで。

──あの、ちょっと……?

辛抱たまらないといった様子で、じっくりと舌なめずりをする渚さん。
急に何か、狩猟本能のようなもののスイッチを入れてしまったかのような、踏んではいけない地雷を踏んだような感覚に襲われ、ネガティブな視線を向けられるのとはまた違うベクトルの恐怖に後ずさろうとする。
けれど、腰は相変わらず渚さんの手に抱かれたままで、ちっとも逃げられない。

そんな僕に、渚さんは実に愉快そうな表情を浮かべ、暴君が捧げものの宝物を鷲掴むように、僕の顎を乱雑に掴んで、上向かせる。
僕より幾分も高い渚さんの長身から見下ろされたうえ、その作り物じみて美しい顔と顔を合わせられ、気圧されてしまう。

「ああ、本当に、キミったらひどいなぁ……。全くキミは、私よりよっぽど、悪魔だよ……」

熱に浮かされ、うわごとを呟くように、渚さんは誰に言うでもなく独りごちる。
何かに取り付かれたかのような狂気的なまでの笑みを浮かべ、静かに呼吸を乱す渚さんは、明らかに──発情していた。
顔を上気させ、息を荒らげ、いつもの余裕たっぷりな態度が嘘のような荒々しい手つきで、こちらを逃がさないように脚まで絡められてしまう。

「…………」

──あの、ちょっと……?

渚さんはそのまま腕を引っ張り、黙って歩き出す。
その手つきは渚さんらしくないような──と言えるほどの付き合いはまだ無いのだけれど──思わず怖気づいてしまうほど有無を言わせない強引なもので。

──どう、しましたか……?

その様子に、何か怒らせてしまったのかと思い声をかけるも、返事はちっとも返ってこない。
渚さんはただ一心不乱に正面を向き、何かを探るように目を左右に動かしているだけだ。

──やはり余計なお世話だったかな、僕なんかに心配なんてされたくなかったのかな。
なんて不安を抱いてしまうが、けれどその懸念は他でもない渚さんによって既に払拭されている。
それは、その目付き。
人間にもしも発情期があったなら、その時はこういう目付きになるのだろうというほど完璧に発情しきった、ハートマークすら浮かんだ、目。

それを爛々と光らせながら、ずかずかと人波を突破するように、進む。
一刻も早く目的地にたどり着きたいと言わんばかりに、走り出す一歩手前くらいの早歩きの歩調で。

──僕は、どこに連れて行かれるのだろう。

ほぼ拉致されているくらい腕ずくに手を引かれて、何やら汗が噴き出す。
困惑して、勘ぐって、期待して、冷や汗と興奮を半分ずつにした汗を。

沈黙したまま、されるがままに引っ張られ続ける。
緊張からか恐怖からか、内心では目を回すほど焦りながら。

そうして押し黙っていると、渚さんは突然、直角に進む方向を変える。
──何もない、壁の方に向かって。

繁華街の端の、店の四半分ほどはシャッターの降りた、少しさびれた場所。
そのまた閉まった店と店の隙間、ちょうど全く何もないそこへ、渚さんは迷わず突き進む。

止める暇もないほど戸惑いのない動きに、かえって僕が戸惑ってしまい、抵抗する時間も無かった。
連れられるがままに体を壁と壁の隙間に潜らせて、更にぐいぐいと奥へと進む。

──いよいよ、僕は狼狽してしまう。
何故ならば、ここには正真正銘何もない。
隠れ家的な飲み屋も無ければ、野良猫のたまり場でもない。
それとも、ただ狭くて入り組んだ道とすら言えないこの路地裏を抜ければ、何かあるのだろうか。

そう思ったが、渚さんは道半ばで立ち止まる。
ここが目的地なのかと辺りを見回すが、ここにあるものと言えば壁と室外機くらいで、店の裏口すら見当たらない。

けれど、渚さんは、それに満足しているようで、にやりと不敵に笑っている。
全くもって都合がいい、ここでなければいけない。
そんなニュアンスが、その笑みから伺える。

──あの、何故、こんな場所に……

あまりに不思議で、とうとう僕は直接渚さんに尋ねた。
けれど、彼女は何も言わない。

代わりに、その瞳が。
下手な言葉よりよっぽど雄弁に、語っていた。

──追い詰めた。

あ、と。
言葉が漏れる。

ああ、そうだ、こんなところに連れてくる意味なんて。
考えるまでもなく、一つしかないじゃないか。

「今更、気が付いたのかい?」

頭の横を掠めて、勢いよく渚さんの両手が壁につく。
それは所謂、両手壁ドンの体勢。

「本っ……当に、愚かだね、キミは……」

正面からは渚さんに見下ろされ、後ろは壁。
横は渚さんの腕に逃げ道を塞がれ、逃げ場がない。

渚さんから、刀の切っ先を向けられるように、鋭い眼光で刺し貫かれる。
あまりの威圧感、あまりの圧迫感に、腰から力が抜けてしまう。

「おっと……怖気づいたのかな?フフ……」

ずるずると、壁にもたれかけた腰をずり下げる。
そのまま地面に座り込んでしまうかと思ったが、それすらも叶わない。
股の間に差し込まれた彼女の膝が、強制的に僕を起立状態にさせる。

「ああ、こんなに苛立ってしまうなんて、いつぶりかな……。もしかしたら、生まれて初めてかもしれないね……」

逃げられない。
もう、どうしたって、どう動いたって。
詰んでしまったチェスの駒のように、ここから一歩も動けない。

「何だい?そんなに怯えた顔をして……。これ以上私を苛立たせるつもりかい?」

顔を近づけた渚さんが、首筋をれろぉり♡と一舐めする。
じっとりと、獲物の味を確かめるように。

「こうなったのも、キミが悪いんじゃあないか。キミが、こんなにも、こんなにも私を……」

何故、どうして、急に。
そうして混乱するとともに、頭の中の冷静な部分が既視感を抱く。

──あれ、この状況、どこかで……。

こんな、正気を失った渚さんにどうしようもなく追い詰められて、狩りをする獣のように容赦なく襲われるなんて、絶対に一度たりともあり得ない状況だ。
夢か妄想か、それに準ずる何かで見ただけじゃないのかとも思うが、しかしこれは絶対に経験していると言い切れる。

そう、確か、これは。
忘れもしない、忘れられるわけがない。

「誘惑、したんだから……♡」

居酒屋を出る直前、薬を飲まされた渚さんが。
僕に、キスを迫る直前の──。

「ん、ぁ……♡」

──あ、ちょ、待っ……!

むっちゅぅぅぅ……♡♡♡

──っっっ……!!!♡♡♡

渚さんの、怖いくらいに耽美な、それでいて欲情に浮かされた顔が、眼前いっぱいに広がる。
間違いなく、今の渚さんは冷静なんかじゃないと断言できるのに、やけに揺らぎなく据わった目が狩人じみて恐ろしい。

そんな捕食者然とした、一切の容赦なく僕を追い詰める目付きをしているのに──唇の感触は、これ以上なく甘い。
むっちゅりとぷるついた、とことん男を狂わせる吸い付きと柔らかさが、いつまでもこびりつくように僕の口から離れて行かない。

柔らかい。あったかい。いい匂いがする。
気持ちいい。きもちいい。きもちいい。

熱烈に、僕を強く抱きしめながら、唇をひたすら奪いつくす渚さんに対して、考えられる物事が極めて単純化してしまう。
胸すらも惜しみなく押し当てられ、脳が沸騰するように興奮が高められ、もう渚さんのことしか考えられない。

胸板で潰れるおっぱいが、意味が分からないほど柔らかい。
不定形なスライムのような、あるいはマシュマロ、いや、例えとしてはそのどれもが不適切だ。
だって、こんな雄を虜にするためだけに存在する感触の物質は、この世に二つと存在しない。
こんなにも、とろけてしまうようなふかふかの柔らかさと、もっちり反発して存在を主張し、抜群の揉みごたえを兼ね備える物体なんて、あるわけがない。
ふんにゅりと、むちゅむちゅと、服越しにすらあり得ないほど吸い付いて、その極上の肉質、肌質が愛おしくペッティングしてくるかのような、そんな物体なんて。

例えどんな醜女だろうと、この乳肉さえあれば男を誘惑するのなんて赤子の手をひねるほど簡単だろう。
そう言えてしまうほど完璧な感触と形、大きさを持った美爆乳は、しかし、渚さんという二人と居ない美女に付いている。
それどころではなく、彼女は長く均整の取れた脚、きゅっとくびれた腰、胸に負けず劣らずむっちりと豊満に膨らんだ巨尻など、おおよそ凡人なら無二の最終兵器となるはずの武器を、全身にいくらでも持ち合わせている。
天は二物を与えず、なんて言葉を嘘っぱちだと跳ね除けるかのように、完璧に美しくて婀娜めいた最高峰のパーツだけを集めて作られたかのような、男を堕落させるための悪魔と言われても誰しもが何の疑いも持たず信じるであろう、渚さんという存在。

そんな傾国の女性は、今。

「ん、ぁむ……♡♡♡」

── 一心不乱に、僕の唇を、貪り尽くしている。
胸やけしてしまうほどの甘すぎる雌臭を振りまいて、夢中で唇をレイプしている。
そんな状況に、心臓が普段の倍ほども早鐘を打つような異常な興奮を覚え、触れても触れられてもいないペニスを最大限に怒張させて先走りを迸させるというのは、男として全く不自然なことではないだろう。

ただ片腕で抱きしめられ、キスされている。
たったそれだけで、腰が震えるほど追い詰められる。
彼女の持つ柔らかさ、そして体温、フェロモンに脳をやられ、全身のびくつきが止まらない。

それなのに、渚さんは。

にゅにゅ、れる、れろぉん……♡♡♡

──っっっ!?!?!?♡♡♡♡♡

たったそれだけで果てる寸前の僕を、更に深く官能の底に叩き落す。
前よりも更に行為をエスカレートさせ、舌をにゅりにゅり、口の中にねじ入れて、ひたすらに蹂躙。
まるで舌が別の生き物になったかのように、熱にうかされてぽうっとした表情とは対照的に激しくのたうち回って、口の中を激しく徹底的にレイプし尽くす。

口腔内という、当然誰にも触れさせたことのない、言ってみれば最もデリケートでプライベートな部分を、何の遠慮もなくむちゅる♡むちゅる♡と舐め尽くす渚さん。
がっしりと頭を抱き、お前はこの私の所有物だと教え込むように、狂おしく嫐り倒す。
百年の恋をようやくここで果たすことができたかのように、愛しくて仕方がないような舌使いでひたすら甘く、またその降り積もった想いを全てぶつけようとしているかの如く苛烈に。

にゅる♡♡♡にゅるぅり♡♡♡れられら……♡♡♡

目の前がちかちかと明滅し、ぐぐ、と腰が浮く。
渚さんの舌が、粘膜を、歯茎を、舌の腹を、顎裏をなぞる度に、全く未知の快楽が背筋を駆ける。
ぞくぞく、ぞくぞくと、立っていられないほどの陶酔が全身を満たし、脳内麻薬がどぱどぱと津波のように何もかもを押し流して、もう何もわからない。
必死に渚さんの舌を押し返そうと、つたない動きで応戦するが、その伸びた舌すらも絡めとられて愛撫されてしまう。

渚さんの舌は、僕のものよりもよっぽど肉厚で、長い。
更に、渚さんの舌技は、熟練の娼婦、いや、人をたぶらかし食い物にする九尾の化け狐のように、人外じみているほど卓越した至妙さだ。
そもそもの武器のスペックがまるで違うのに、そこに無上のテクニックが加わっては、どうしたって、勝てっこない。
ただひたすらに蹂躙されて、腰をかくかく震わせ、おびただしい性感に悶えることしかできない。

べろ♡べろ♡にゅる♡にゅる♡と、しつこくしつこく舌を絡められて、じくじくと降り積もった鈍い快感が下腹部に集まる。
もう、腰が砕けて立っていることすらできないが、かと言って倒れることは許されない。
足から力を抜くと、僕の股下に差し込まれた太ももが、ぐにぐにと恥部を強く圧迫して刺激するのだ。

れろぉ~……♡♡♡むちゅう……♡♡♡

もう、果ててしまう。
ペニスには一切触れられず、性感帯を触られているわけでもないのに、腰にはすでにどろどろの精液がせり上がっていた。
それも、一か月も射精せずに睾丸で煮詰めたかのような、指でつまめるほど濃ゆい精液。
頭からじわじわと快感以外の情報が消え、爆発する直前のように、快楽が延々と凝縮されてゆく。

──イく♡イく♡♡イかされる……♡♡♡

脳がびりびりと震え、青天井に上り詰める。
ペニスだけではない、全身の筋肉がぐぐっと収縮し、涙を流すほどの性的快楽に心臓の鼓動すら詰まるかのよう。

──だめだ、これ、知らないイき方する♡♡♡こわされる♡♡♡

あまりの快楽に、恐怖すら覚えてしまう。
すり潰すような舌の動きに、仰け反るほどの多幸感が募り、渚さんへの好意、恋慕があふれてしまう。

──あ♡♡♡あ♡♡♡射精る♡♡♡

徹底的にメロメロに、精神の奥の奥、魂の底の底までらぶらぶに、甘さだけが全身を満たす。
甘い。狂い果ててしまいそうなほど、全身がひたすら甘い。

れ、りゅう……♡♡♡にゅぱ……♡♡♡

筋繊維の一本一本、骨の髄液まで蕩かしてしまうほどの甘い媚毒じみた快楽に、至近距離でばっちりと合った目線すら蕩けてしまう。
くっつけた顔から見る渚さんの眼は、恐ろしいほど冷徹に追い詰めるハンターのようで、それでいて溶けた砂糖じみて甘い。
そして、それ以上に、きっと今の僕の眼は、くたくたになるまでシロップで煮たかのようなものになっているはずで。

そんな、背筋から腰から何から何まで溶けてしまうような、甘美な糖蜜にひたひたに浸されて行う絶頂なんて、射精なんて、絶対に、100%。
──癖になる。中毒になる。やめられなくなる。依存する。
そして、何よりも、渚さんから、離れられなくなる。
虜になって、一生その足元に縋りつく飼い犬になってしまう。

けれど、分かっていても、止められない。
その舌の動きを、雌肉の柔らかさを、暴力的な快楽を、止める術は僕にはない。

射精、してしまう。
絶頂、してしまう。
渚さんのされるがままに、いいように。
操られるように、望むまま、突き落とされる。
けれど、抗えない。抗えるわけがない。
渚さんから受ける寵愛を、自ら拒むなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことを、できるはずがない。

もうだめ、イく、イく──♡♡♡♡♡

全てを委ねて、諦めて。
そう目で訴えかけて、しかし。

──っぱ……

渚さんは、その口を──離す。

──え、あ……?

極限に、究極的なほど甘美な絶頂は、おあずけ。
じくじく、ずくずくと性感と興奮が行き場をなくし、内側から針で刺すような快楽が破裂寸前で固定されてしまう。

──なん、で……♡♡♡

懇願の目線は、哀願の目線へ。
そして哀願の目線は、やがて混乱の目線へ。
とろんと目尻を下げ、だらりと力の入らない腕を投げ出し、その目線を渚さんに向ける。

けれど、渚さんは答えない。
堪らなく面白そうに、堪らなく愛おしそうに、細めた目だけを僕に返す。

なされるがまま。
彼女の思うがまま。

例えば、今ここで自分でペニスを扱けば、射精はできるだろう。
しかし、そんなこと、できない。
しようとも思えない。
渚さんから与えられる、自分では決して生み出すことのできない麻薬じみた快楽の前では、自慰の快楽なんて、慰めにもならないからだ。

そんな下らない行為で、この欲と快感を発散するくらいなら、一生このまま疼いていた方がましだ。
そう思うほど、彼女とのキスは、幸せで幸せで仕方がない。
桃源郷にも上るほど、極楽の極み、幸福の一種の到達点。

けれど、それの極地、絶頂を奪われれば、一転して地獄。
こんなにも、不完全燃焼に性欲だけを高められて、けれどそれの発散は自分ではできない。

ころころと、手玉に転がされ、弄ばれる。
まるで敵わない。格の差がありすぎる。手も足も出ない。

僕を絶頂に導くのも、逆に僕をイかせず生殺しにしてしまうのも。
全ては彼女の手のひらの上なのだと、思い知らされる。

「……くすっ♡」

小さな笑い声。
ともすれば、雑踏やざわめきに染み込んで消えてしまいそうな声だったが、僕にはそれがやけにはっきりと聞こえた。

その音により、艶々と照る唇に意識が向く。
そこにあるのは、渚さんの口の周りに付着した、僕のものとも彼女のものともつかない、べたつく唾液。
下品なほど口同士で睦みあった証をれろりと舐めとって、彼女は僕の顔にまた顔を近づけた。

しっとりと濡れた唇が、また僕の口に、接近する。
それだけで、体から力が抜け、心臓がばくばくと高鳴ってしまう。
それは、ほんの少し前──きっと、時間にしてみれば一分にも満たないだけの、ごく僅かな時間──ぽってり厚い唇にぶっちゅりと、ずるりと長い舌にれろれろと、犯され尽くした経験から。
たった一瞬のうちに覚え込まされた極上の快楽により、体も頭もコントロールを奪われる。

目ばかりを見開いて、じっと大人しく愛撫を待つ。
極度の興奮から四肢が固まり、自分から動くこともできず、飼い主が撫でてくれるのを待つ犬のように、ただ待ち尽くす。

そんな僕の首筋に、渚さんの指が伸びる。
熱くなった動脈に負けないほど、ぽかぽかと温かな指。
それを、つぶさに観察するように顔を近づけたままの渚さんは、恍惚とため息を吐きながら、するすると滑らせる。

「ああ、本当に……堪らないな、キミは……♡」

渚さんの、妖艶な輝きを放つ、翠水晶のような双眸。
目を合わせれば、理性を削ぎ落とされてしまうほど美しいそれから、目が離せない。

「参ったなぁ……こんなにも、欲しくなってしまうなんて、思っていなかったのだけれど……♡」

私のモノ。
既にそう断定しているような、執着を隠しもしない目線に、心臓がぎゅっと締め付けられてしまう。

「けど……もう、どうしようもなく、キミのことが愛らしくて仕方ない……♡」

かり、と指先が喉元を軽く掻く。
ちょうど、猫をじゃらすような手つき。
それを味わうだけで、渚さんに所有されているような気分になってしまう。

「正気でいられないほど愛しくて、抱きしめずにいられないほど可愛らしくて、狂ってしまいそうになる……♡」

陶酔しきったように、渚さんは耳元で囁く。
聴いているだけで射精してしまいそうなほど蠱惑的に蕩けたハスキーボイスは、腰にじんじんと深い快楽を響かせる。

「ふふ……♡ああ、逃がさない……♡逃がすものか……♡」

こちらまでおかしくなってしまいそうな、甘ったるい吐息交じりの、ピンク色に染まり切った声。
水飴のように、鼓膜にべっとりと甘さがこびりついて、思わず身をよじる。

「さあ……♡どういたぶってあげようか……♡どうイジメてあげようか……♡どう、愛してあげようか……♡」

グラム五桁円もするほどの最高級の畜肉を品定めするような目つきで、じっくりと上から下まで眺められる。
腹が膨れるまで、満足するまで、焼いて、煮て、揚げて、蒸して、皮のひとかけらまで食らいつくす、腹の減った美食家のように貪欲な目。

──ああ、だめだ、食われる。
さっきまでのソレは、より美味しく、より楽しんで、骨の髄までしゃぶりつくすための下ごしらえだったのだ。

きっと、今度こそ。
またその食指が伸びたなら、次こそ、壊される。
胸で、口で、手で、脚で、そして秘所で。
食い散らかされて、貪られて、その胎に僕の全てを納められてしまう。

逃げた方がいい。
これからまともな人生を送るなら。
渚さんに溺れ尽くして、それこそ骨の髄まで快楽漬けにされてダメにされたくないのなら。

けれど、それを知っていながら、この足は右にも左にも動かない。
何故ならば、彼女にそれを妨害されているから。
差し込まれた脚が、動きを完全に阻害してしまっているから。

だから、仕方がない。
ここから逃げられず、渚さんに全身を柔らかな肉で苛まれ、そのあまりの気色良さとボリュームに溺れてしまっても。
飴玉をじっくり溶かすかのように、じっくりねっとりといたぶられて、従順に望まれるがままに精を吐き出し喘ぐ人形に成り下がってしまっても。

逃げられない、その手段がないのだから──しょうがない。
僕には選択の権利を与えられていないから、どうすることもできないから。

本当は逃げたいけれど、それは不可能だから、諦めて、仕方なく、頭がぐちゃぐちゃに溶けてしまうようなセックスをされるんだ。
──無理やり犯されてしまう、人生を棒に振っちゃうぐらい気持ちいい、深く深く、底なしの穴に堕ち尽くすみたいなえっちをさせられちゃう……♡」

「なんて、考えてるんだよね♡」

心の声と、甘くぽそぽそとした渚さんの声が、リンクする。
それは、いつからだったのだろうか。
それすらも分からないほど脳内をぴたりと読まれていたのか、あるいは逆に、渚さんの声が僕の心を操っていたのか。

目が潤むほど興奮して、上から覆いかぶさるような体勢の渚さんの顔を見上げる。
その目は、やはり捕食者──もっと言えば、欲望のまま男を貪る強姦魔と言っても差し支えなく。

「ああ、ああ、心外だなぁ……あんなにも『今からブチ犯す』『逃げなかったら絶対犯す』と忠告してキミも合意したのに、それをレイプだなんて……♡私とあいつら……無断で薬を盛るような最低のクズを同じように見てるなんて、悲しくて泣いてしまいそうだよ……♡」

より近く、頬ずりするほど顔を近づけて、ゼロ距離で囁く。
ねっとりと、言葉を脳に練りつけるような声色で、わざとゆっくりと。

「でも、寛大に許してあげようじゃないか……♡私をひどいレイプ魔だと思っても、人生をめちゃくちゃにしてしまう淫魔だと罵っても……♡」

心臓が痛い。
脚の骨が全て溶けてしまったかのように、膝が震えて仕方ない。
限界を超えて勃起したペニスからは、漏らしてしまったかのような量の先走りがとめどなく流れている。

「そう、仕方ないよ……♡だって、現に今からするのは……♡」

耳に吐息がかかるどころの話ではない。
かっかと熱くなった耳たぶに、渚さんの体温を感じる。
それほど、近い。
それほど近い場所で。

「レ・イ・プ……♡♡♡」

──……っっ♡♡♡

「どろどろのぐちゃぐちゃ、体中から体液という体液を吐き尽くして、脳が過負荷でバカになってしまうほど……♡♡♡」

「あれほど望んでやまなかった、私のこの胸を、口を、尻を、脚を、視界に入れるだけで思い出しトラウマ射精してしまうほど……♡♡♡」

「もうやめて、嫌だ、助けて、きもちいいのやだ、やわらかいのやだ、なんてベッドの上で懇願してしまうほど……♡♡♡」

「犯して、犯して、犯して……♡♡♡」

「射精させて、射精させて、射精させて……♡♡♡」

「気が狂うほどよがらされて、癖になって、一人ではオナニーも満足にできないぐらい……♡♡♡」

「レイプ、されるんだよ……♡♡♡」

──腰が、溶けたように熱い。
触れてもいないペニスが暴発し、パンツの中がぐちゃぐちゃで気持ち悪い。
頭の中で、粘ついた音がするほどの、猛烈な量と快感の射精が反響する。
立ってなんていられるはずもなく、必死に渚さんの腰に抱き着いて、その柔らかさ、その雌臭にまた腰が砕けてしまう。

「あーあーあー……♡♡♡そんなに震えちゃって……♡♡♡そんなに可愛い反応したらもっとひどいことされるの、分かってるのかい……?♡♡♡」

ちかちかと、星が瞬くような火花が目の前に絶え間なく散っている。
興奮している、なんてものじゃない。
もっと、何か禁止薬物を打たれたような、トリップしているような感覚に襲われている。

「逃げなきゃいけないよね……♡♡♡でも、理解してても逃げられないね……♡♡♡」

がし、と腰を掴まれたまま、渚さんに肩を貸され、歩かされる。
僕たちが来た方と逆、何やらびかびかと猥雑なネオンが光る方へ。

「けれど、それは仕方ないこと……♡♡♡私に無理やり犯されちゃうから、私に逆らえないから、しょうがない……♡♡♡」

ずるずると、半ば足を引きずったようにして、連れられる。
僕とは対照的に、待ちきれないとばかりに足早に、しっかりとした足取りで。

「そうやって、責任はぜーんぶ私に押し付けてもいいよ……♡♡♡キミは頭をからっぽにして、気持ちいいことだけ考えていればいい……♡♡♡」

路地の出口、切れ目のようになった隙間から、光が見える。
──そういえば、この先は、何があるんだろう。
飲み屋街、店の群れを抜けて。
朦朧とした頭で、周囲をふらふらと見回す。

──そこは、賑わった表通りよりもひっそりとした、少しアングラな雰囲気漂う裏通り。
酒に酔った人間が、光を浴びた繁華街にはないものを満たす場所。

「そう、どうでもいい事は忘れてしまおう……♡♡♡だって、そんなものは……♡♡♡」

──店のパネルに大きく貼られた、いかがわしく豊満な女性の写真。
見てくれはやけに立派なくせに、宿泊の値段はビジネスホテルほども安い、城のようなホテル。

「セックスには、必要ないだろう……♡♡♡」

どう見たって、どこをどう取り繕ったって、ここにある何もかもが。
そこら中にある建物が、行き交う人々が、性の快楽を追求するためだけに、そこにある。
どんなに純粋無垢で、どんなに性知識のない幼子にだって、この場所の意味は理解できてしまうだろう。
それほどに、直球ど真ん中の、風俗街だった。

下品なほど明るいのにどこか薄暗い、特有の雰囲気に、呑まれる。
ただ通りすがる時は何も感じないのに、今からこのホテル群の中のどれか一部屋、そこに一晩中閉じこもって交尾にふけると思うと、こうも露骨にピンクでいかがわしい雰囲気の道が、劣情を煽って仕方がない。
息が震えて、今は目の前の女を何としても孕ませるのが生命活動よりも大事だとばかりに、下半身ばかりに血が集まって、脳に酸素が巡らず、ひたすら今から行う交尾への期待がぐるぐると回る。

「おやおや、震えてしまっているね……♡さっきまであんなに格好よく私を助けてくれてたのに……♡これじゃあまるで仔猫じゃないか……♡弱弱しくて可愛いだけの、庇護されなければ生きていけない仔猫……♡」

ぽそぽそと、まさにベッドの中で囁く睦言のように、馬鹿みたいに甘いハスキーボイスをほんの数ミリの距離でぶつけられて、頭が沸騰するように熱い。
声だけはない、感じる体温、女肉特有のむっちりと雄好みする柔らかさ、ペニスをやたらと苛つかせる雌っぽく熟れた匂いなど。
渚さんのその全てに興奮させられて、極寒の吹雪の中に居るかのように、大きく震えてしまう。
僕を上から眺める渚さんの目は、まさに仔猫を可愛がるようなものだ。

「ああ……♡何故だろうか……♡キミを見ていると、どうにもイジメてあげたくなってしまう……♡それこそ、逃げようとする仔猫を捕まえて、嫌がって抵抗しているところにすりすりと頬ずりしたくなるように……♡」

渚さんはほう、とため息を吐き、恍惚と僕の頬を撫でる。
ハムスターやリスのような、どうやっても自分に危害を加えられないほど小さくて弱い愛玩動物に接するみたいな優しい手つきで。

──ああ、心から、この人は僕を仔猫と同じような存在だと思っているんだ。
そう確信して、胸の中にぞくりと波がざわめく。

きっと、今から行われるのは、双方向のセックスなんかじゃない。
一方的な、愛玩行為。
渚さんという、圧倒的にヒエラルキーの高い存在が、僕を我がままに愛撫して楽しむだけの、歪んだ性行為なのだ。

「ふふ……♡ほんの一秒を無駄にするのが、まるで宝石の一粒を取りこぼしてしまうように勿体なく感じてしまうな……♡ほら、早く行こう♡存分にいじめて、存分に愛して、存分に可愛がってあげようね……♡」

──あ……♡♡♡ぅ……♡♡♡

口が上手く開かない。
酔いつぶれてしまったかのように、舌が動かず呂律が回らない。

とめどなく、期待、している。
それが自然だと、本能がそう納得してしまっている。
渚さんに自分勝手に嫐られることに、被虐されることに。
誰もが羨んでやまない極上の女体がそこにあるのに、それを自ら味わうことよりも、それを嫌になるまで味わわさせられることばかりを望んでしまう。
真正のマゾヒストみたいに、性的客体になることばかりを望んでしまう。

「くす……♡キミもすっかり準備万端じゃあないか……♡そんなに私にいじめられたいのかな……?♡ふふふ、キミは本当に可愛いね……♡一生お家で飼ってあげたいぐらいだよ……♡それこそ、仔猫みたいに可愛がりながら、ね……♡」

──……♡♡♡

その言葉に、頷くことも否定することもできない。
ただ、その光景を想像してしまって、精巣だけが彼女への貢ぎ物を溢れるほど作ることで、黙って喜びの意を答える。

「ふふ、ふふふ……♡ああ、ああ、喜んでいるんだね……♡私のペットになる生活を想像して、そんなに俯いて袖を噛むほど喜んでくれているんだね……♡」

渚さんの言葉に、はっとする。
気が付けば、身の丈を超えてしまいそうなほど破滅的な量の恋慕の情から、必死に自分の袖の布地を噛んでしまっていた。
それは、きっと脳を過剰な興奮から守るための一種の防御反応のようなもの。
僕の精神が限界まで虜にされた証であった。

「本当に、キミは理想の男の子だなぁ……♡純朴で、まっすぐで、時々かっこよくて……♡そして、とっても情けなくて可愛い……♡」

──はっ……♡♡♡はっ……♡♡♡

すたすたと、僕の肩を抱きながら、渚さんはランウェイを闊歩するように、ラブホテルや風俗店の前を悠然と歩く。
それは、普段のように一流ミュージカル劇団の王子様がするみたいな恰好をつけた歩き方ではない。
大きなお尻をくねりくねりと、その溢れ出るばかりの雌性を振りたくり、雄を悩殺しようとする淫乱娼婦の如く、ひどくはしたなくていやらしい歩き姿。
ペニスが着いていると見れば誰とでも寝るような女が、男からの目線をわざと性器に向けさせるような、淫売そのものの姿だった。

ただ廊下を歩く時でも、むしろ隠そうとしたっていやらしい目を向けられる、その雌らしさの極地のような豊満な女体を、あえて能動的に振るっているのだ。
当然、その姿は男女関係なく、すれ違う全ての人間から熱視線を浴びる。
興奮をぐらぐらと煮立たせてホテルに向かう二人にも、たった今愛情を確かめ合って性欲を発散したカップルにすら。
惚けながら歩いて電柱に頭をぶつけるほどの放心を、嚙み千切りそうなほど唇を噛んでしまう羨望を。

しかし、それを見たパートナーは、それに文句を言ったりはしない。
あれほど情熱的に自分を抱いた直後に、明らかに男持ちな極上の女に目移りしても。
今から抱く相手の緊張をほぐすための会話も放棄して、素性も知らないが少なくとも身体と顔はこの世で最も優れているであろう女にばかり劣情を刺激されて勃起しても。
それに腹を立てて頬を引っぱたくことも、苦言を呈することすらもしない。

何故ならば、それと全く同じことを、二人ともが思っているから。
そのどちらもが、あのド迫力の肉付きを抱きつぶし、その馬鹿みたいに色めいた顔立ちを快楽に歪めたいとしか思っていないからだ。

数瞬前にはこの世で最も愛していると抱きながら囁いて、それに必死に頷きながら子種すら受け入れていたであろう、何か月何年と愛を育んだ両人が、今ちらりと姿を見ただけの名前も知らない一人の女に、そんな感情を抱く。
それを可能にしてしまう悪魔的なまでの蠱惑さを露骨に振りまいて、ここにいる全ての人間を惑わして、かどわかして。

「ほら、キミにも分かるだろう……?♡みぃんなキミを羨ましがって、何とかしてあの場所を代われないかってじっと見ているのが……♡」

──しかしそれらには見向きもせず、ひとかけらの興味すら示さない。
明確に能動的な誘惑をしておいて、釣った魚には一切の情を与えない。

それは、何故か。
少なくとも今日の夜の相手は、渚さんに複数人プレイの性癖が無いのなら、僕一人で足りている。
今日ここですれ違う以外に縁のない人間に、それもただ生きているだけでどんな偏屈の女嫌いでも本気で恋をさせてしまう渚さんという存在が、わざわざその肉体をフルに活用してまで媚びる必要はどこにもない。
──ならば、だとしたら、答えは一つ。

そんな残酷な誘惑を、渚さんという女性は──

「フフ……♡ほら、感じるよね……♡そこかしこから突き刺さる目線を……♡顔が歪んでしまうほどの、キミへの強い嫉妬を……♡何不自由なく恋人を作って、いがみ合うでもなく、今からホテルに入ってセックスする……なんていう勝ち組の人間がさ……♡リア充なんて言われている人間が、キミにあんな恨めしそうな目を向けているんだ……♡」

──ただただ、最高の調味料として、利用する。
それは、言うまでもなく、決して褒められたことではない。
けれど、だからこそ、心の中のほの暗い部分が擽られ、背徳的な快感を感じてしまう。

「ほら、見てみなよ……♡」

そっと僕の後ろに目線を外し、周りを見ろと促す渚さん。
けれど、そんな事をするまでもなく、僕はそれを知っている。
渚さんは、最早言うまでもないが、ただ往来のど真ん中で突っ立っているだけで、名刺でトランプができるほど芸能事務所のスカウトが押し掛けるような、雰囲気からルックスから、何から何まで優れきった女性だ。
常識的に考えれば、そんな二次元から飛び出てきたような、あるいは世界中の人間の脳から『理想の恋人』を抽出して混ぜ合わせたような人に、連れの男が居たのなら、それに対して嫉妬の念を抱かないはずがない。

「あのカップルは、今からそこらのホテルに入って愛し合うのかな……?♡明日は休みだから、夜が明けるまで交わるのかもしれないね……♡じっくりと、ねっとりと、互いの熱を貪り合うみたいに……♡」

ぽそぽそと、小さく囁かれたその声は、雑踏やら車の音やらで、間近にいる僕以外には聞こえないだろう。
けれど、目線はそうではない。

ちら、と。
渚さんは、僕たちを遠目から見るカップルに、流し目を向ける。

「それとも、もう出てきた後なのかも……♡早めにバイトなり仕事なりを切り上げて、一週間のストレスをぶつけ合うように、激しく乱れたりなんてしたのかな……?♡きっと、それはさぞ解放的で、この世にこれ以上は無いと思うほど気持ちいい行為なんだろうね……♡」

じっと、渚さんは、そのカップルの方を、向き続ける。
その瞳は、一ミリたりともブレたりはしない。
二人の男女は、釘を刺されたように、そこから動こうとしないからだ。

「ああ、他人の性行為にあれこれ言うなんて、趣味が悪いと思ったかな……?♡けれど、それはおあいこという物だよ……♡彼も、彼女も、立ち止まってまで私の肢体を見て……♡フフ、彼氏の方は胸を、彼女の方は私の脚を見ているのかな……♡」

ぞく、と、背筋に冷たいものが走る。
それは、愛する人が不躾な視線に晒された事への嫌悪──ではない。

先程も述べたが、渚さんは、至高の美女である。
それは、二度も言う必要なんてどこにもないほど周知の事実だが、何度でもそう言ってしまうほど、見れば見るほど心惹かれていくような、はっきり言って異常なほどのものだ。

だからこそ、そんな美貌に、見つめられたら──

「フフ……♡可哀そうにね……♡こんなところで私と出会ってしまったから……♡もう私にばかり見惚れて、パートナーの事なんて意識から放り出されてしまった……♡」

──もう、それしか、見えなくなる。
本能が、渚さんの事を、繁殖相手としてこれ以上のものはないと判断してしまう。
それこそ、隣にいる恋人よりも、ずっと。

「ほら……♡私のカラダに引き寄せられて、どんどん目線が集まってくるのが分かるだろう……♡私はね、外を歩くとどうしても、隠しようもないほどメリハリの効いたこの柔らかな起伏が……♡どんな人間だろうと惑わして、かどわかして、心をめちゃくちゃにかき乱して、性愛を抱かせてしまうんだ……♡」

目移り、してしまう。
どうしたって、どんなに愛の深い人間だって、関係なく。

デートの終着点、ホテルの前。
ここまで一日かけて、ゆったりとプラトニックに映画なんて見たりして、緊張を解してムードを作り、しかしその心の中では、目の前の最愛のパートナーとの交尾がどこか頭にちらついて。
それこそよそ見なんてする余裕もないほどに、その人を意識する事しかできず、何のことはない散歩道を歩いている時ですら、目の前の段差にすら気付かず蹴っつまずいてしまうほどに、お互いしか見えなくて。
もう頭の中は、恋人のことで満杯で、そこには一歩先の景色すら入り込む余地はない。

真昼間の、ここに来るまであと四半日はかかるのが確実だという時ですら、それなのだ。
ましてや、その極地。
最も重要と言える愛情の確認作業、セックスの直前。
お互いに黙りこくって、心臓をばくばくと動かし、緊張と期待で目の前が真っ暗になるような、そんな時に。

渚さんが現れれば──もう、瓦解する。
その悪魔じみた美貌と肉体、纏う雰囲気とフェロモンに、浮気してしまう。
釘付けになり、唖然と立ち尽くし、見惚れるのだ。

けれど、それは、どうしようもなく正常な事と言わざるを得ない。
だって、事実として──誰よりも、明確に優れている。
性欲をぶつける対象、生物の本能として、孕ませるべき相手として。
冷や汗をかくほど艶めいた顔立ちが、股下何センチかと想像もできないほど長すぎる脚が、根こそぎ精液を搾り取る腰つきが。

──淫魔。
それも、並大抵のものでなく、伝説に残る聖者ですら堕落させてしまうような、とびっきりの。
もう、渚さんと言えば、そう表現するしかないほど、恐ろしい蠱惑さを振りまいていた。

「ああ、参ったな……♡私はこれだからいけないんだ……♡せっかくそこに恋人が居るのにさ……♡ただそこを歩いているだけの、ちょっと見てくれが優れているだけな女に……♡私はそんな目を向けられてはいけないのに、必ずこうして視線を奪ってしまう……♡それは、育んできた愛に対してのひどい裏切りだ……♡ね、キミもそう思うだろう……?♡」

──ぅ、は……♡♡♡

じっとりと、愛液が溶けだしたように、ひどくじっとりした媚声。
腰が砕けるほど甘ったるい声で、僕にその馬鹿みたいな巨大さとまろやかさの乳を押し付けたまま、語る。

「それはさ、私も望むところではないんだよ……。私の容姿が目を引くことは知っているし、納得もしているけれど……。何も恋人がいる相手の心まで奪いたい訳じゃない……」

──嘘だ。
そう思ってしまうほど、渚さんは呆れ果てるくらい艶っぽく、雌としての魅力を振りまいて、惹き付けてやまない。
けれど、僕に向けた声はどこか湿っぽく、甘く蕩けた中に僅かな苦み、悲哀のようなものが混じっていた。
例え、堪らなくそそる臍の括れを、いやらしく肥えてむちつく乳を、瑞々しさがのった艶めきが照りとなるほど悩ましげな素肌を、隠すことなく晒していたとしても、だ。
それは、媚薬に犯されて熱に浮かされた中、そこに混じった一欠けらの理性であり、二十年という歳月の中で積もった弱音である。
少なくとも、僕はそう感じた。

「──だからさ♡」

──けれど。
それに続くのは、悲哀なんて微塵も感じさせない、悪戯っぽいような口調の接続詞。
イイコトを思い付いたと言わんばかりに、喜色満面に抱き締めて、ほんの少し湧き上がりつつあった理性を丹念にすり潰しながら、言った。

「見せつけてよ……♡私はキミの所有物だって……♡キミは私の旦那様だって……♡」

──っ……!!!♡♡♡

もう、察してしまう。
渚さんの意図、僕にさせたい事を。

「ほら、私を抱きしめて……♡そして、ひどいナルシストがそうするみたいに、無理やり強引に私の唇を奪ってみてよ……♡俺にキスされて嬉しくないはずがないなんて、見ているだけで不快になるような思い上がりをぶつけ、ただ私の唇を使って自分を慰めるみたいな……そう、ちょうど私に懸想する全ての人間が、日夜問わずに妄想してしまうような行為を……♡私に、ここで、して……♡」

唇に、そっと指を置いて、なぞる。
思わず指を目線で追うと、そのぷるついて肉厚な唇の艶めき、てかりが先程の行為を思い起こさせた。
べちょべちょと、下品に舌を絡めて、犯すように絡めて、舐める。
そんな夢みたいな体験をしたと知られれば、そして、それを今から行えば、僕は──本当に、嫉妬から殺されるんじゃないか。

「そうしたらさ、そんな最低の強姦魔みたいなキスに……♡それに嫌がらずに、私は心底嬉しそうに目尻を下げて、舌を絡め返すんだ……♡誰がどう見たって、どう考えたって、キミという男に心酔している……♡そうとしか考えられないような、キミの色に狂ったような目を、してしまうんだ……♡」

そう、嫉妬。
男から、女から、全ての人類から、羨まれて、妬まれる。
渚さんという、至高の美女を侍らせたりなんてしたら、どう転んだって、間違いなく。

「そうやってさ、行動から、表情から、疑いようがないくらいに、キミに首ったけだって分かったら……♡みんな目が覚めて、諦められると思うんだ……♡私がキミの所有物で、それは覆りようのない事実で、自分はそこに付け入る隙間、チャンスなんてほんの少しもないんだと、理解させてあげよう……♡」

渚さんは、少し腰をかがめて、僕にそれを差し出す。
誇張も含めた欲望を、ひたすらに捏ねくり回して作った美少女のフィギュアですら霞むような、寒気がするほどに美しい顔を。

「ね……♡優しい優しいキミがさ……♡ちゃんとあの人たちを現実に引き戻してあげようよ……♡私のカラダを諦めて、ちゃんと予定通り恋人に愛を囁けるように、治してあげよう……♡心を惑わせる邪悪な魔物は、キミに見えない首輪を着けられてるんだってところを見せてあげるんだ……♡」

──あ、いや……♡

突き刺さる、醜いまでの嫉妬の視線。
声までは聞こえていないにしろ、僕たちの様子を見れば、渚さんが僕に迫っていることは明白なのだろう。
だって、渚さんはわざわざ背の低い男に腰を曲げて目線を合わせ、慌てふためくところに色目を使って、唇をそっと指で撫でているのだ。
それを見れば、思春期も来ていない幼子ですら、キスをせがんでいると理解するだろう。

──そう、既に、彼らは理解している。
先程渚さんが語ったことは、既に。

だから、これは、言い訳に過ぎない。
ただの屁理屈として、それを正当化しているだけ。

「ほら、見せびらかすんだ……♡私という女はもう予約済み……♡お手付きの雌なんだって……♡彼らがSNSやそこらで、恋人のことを匂わせたり、ひけらかししたり……♡そうして、友達や知り合い、果ては顔も知らない誰かの優位に立つように、キミもそれをして……♡今まで、その狭いコミュニティの中だけで、一番美人だイケメンだと持て囃されるそれが自分の恋人なんだ、と……♡そんな事を言って粋がってきたそれらを、コテンパンに打ち砕いてみせるんだ……♡」

──ぞくりと、背筋が震える。
優越感。自尊心。愉悦。自己顕示欲。
そういった、暗くてどろどろとしたタールのような欲望が、ごぽりと音を立てて噴き出す。
普段は蓋をしていた、臭くて汚いその欲求。
今まで満たす術のなかったそれが、今なら、最高の形で叶ってしまう。

決して褒められたものではなく、下品で、隠すべきで、しかし誰しもの心に必ず存在してしまうそれ。
一度手を出せばもう後に退くことができないほど気持ちよく、しかも、渚さんという極上の女性が、この世の誰よりも最高の形で擽ってくれる、その欲望を。
麻薬みたいに中毒性があって、胸がすくと言うよりも、どこまでも下劣にぞくぞくと、思わず醜悪にほくそ笑んでしまうような、背筋が粟立つ快感と興奮をもたらしてくれるそれを──煽られる。

「ね……♡ほら、ちゅー……♡べろっべろに舌をねじ込んで、自分勝手に犯して……♡お口でたっぷり気持ちよくなりながら、もっと気持ちいい視線を浴びてみよう……♡きっと、クセになってしまう……♡私なしでは生きられなくなってしまうよ……♡」

はー……♡はー……♡──と。
深く、自分を諫めるように、呼吸する。

駄目だ、それだけは、手を出してはいけない。
ずぶずぶと、ぬかるみに嵌まった足が抜けなくなるみたいに、あとは沈むしかなくなる。

けれど、その提案は、あまりにも甘美。
一度その破滅的なプランを聞かされたら、もうそれしか考えられなくなるほどに。

「ほーら……♡ちゅー……♡それとも、おっぱい鷲掴みの方が好きかな……?♡パンツの中に手を突っ込んで、すべすべ生尻にセクハラでもいいよ……♡キミの好きな方法で、私をイジメるんだ……♡それに私が満更でもなく喘いで、じっとりと恨めしげな眼を集めて、そのままホテルに入って、優越感を最高に煽って……♡それを味わった後のセックスは、さぞ格別に気持ちいいんだろうね……♡満たされるんだろうね……♡」

──もう、やめて……♡♡♡

心がぐちゃぐちゃにかき乱され、その場にうずくまる。
悪魔の囁きから、せめて耳を塞いで抵抗する。
もう、もう、耐えられない。
何か決定的なタガを、捻じ曲げられて外されるような感覚に、恐怖してしまう。

「おや、おや……♡どうしたんだい……?♡そんなに怯えてしまって……♡フフ、心がぐちゃぐちゃに折り曲げられて、くしゃくしゃに砕かれてしまうほど興奮させられるのが怖いのかな……?♡頭の中でぞくつきがぷちぷち弾けて、今までの価値観や人生そのものが崩れてしまうぐらい勃起してしまって、目の前にある大きすぎる快楽に、怖くて訳が分からなくなってしまったんだね……♡」

──う、う……♡♡♡

なで、なで。
子供をあやすように、渚さんはゆったりと僕の頭を撫でる。
その手つきの、声の優しさが、無理やり僕の心に安堵感を与えて、殊更に訳が分からない。
かえって僕の心を踏み荒らすような、そんな容赦の無さすら感じてしまう。

そんな僕を見て、にや、と頬を吊り上げながら、屈めた腰を真っすぐに戻す渚さん。
唇が、指が、顔が遠ざかり、芯から爆ぜてしまうようなペニスの疼きだけが残る。
しかし、その壮絶なまでの愛欲を湛えた微笑みは、未だに僕の弱みを捕らえたまま、決して離れようとはしない。
その表情の中心、見下ろしてくる蛇にも似た細目は、いかにもサディストらしい余裕と影があり、それを見つめ返すだけで、都合よく獲物のマゾヒストにされてしまうような、異様な魅力があった。

粘着質で、執拗。
涼やかさすら感じるような美貌からは、想像もつかないほど、しつこく回りくどく、獲物を生かさず殺さず、嫐り弄ぶ。
心を完全に折り、逃げよう、反抗しようなどと絶対に思えないほど、篭絡され、囲い込まれてしまう。

現代に蘇った悪魔。
雄をたぶらかし、欲望を餌にする魔物。
その淫惨極まりない手筈は、そう言い表すに相応しいほど、凶悪かつ悪辣。
それでいて、これ以上なく、果てしなく、極限まで、甘美だった。
もう二度と、それ無しでは生きていけないほどに。

「それじゃあ、仕方がないな……♡本当なら、キミの方から私を求めて、見せつけてほしかったんだけれど……♡まあ、いいよ……♡それは後にしようね……♡まだまだ時間はたっぷりあるんだから……♡」

──けれど。
渚さんという悪魔は、それだけに留まらない。
もう立ち上がれなくなるほど、渚さん以外何も見えなくなるほど歪めても。
まだまだ、もっともっと、貪欲に、堕ちる事を求める。

「じゃあさ……♡今、キミができないのなら、今日のところは……♡
私が、してあげる……♡私が、キミを、見せびらかしてあげる……♡愛してるんだってところを、ちゃんと分からせてあげる……♡」

──……♡♡♡♡♡

沼の底から引き上げられるみたいに、体を抱き上げられ、また対峙させられる。
ちょうどエスコートされながらワルツでも踊っている最中のように、あくまでも優美に、美しく。

もう、視界がぐちゃぐちゃに、取り留めもなく歪んでは、溶けている。
絶え間なく射精のような感覚が続き、しかし渚さんが発する言葉の意味だけは、やけにクリアに理解してしまう。
僕ができなかったそれを、させられる。
渚さんという女性が、僕のモノであると主張することの、逆。

それは、つまるところ。

「好き、好きだよ……♡キミはそれを理解も納得もしていないけれど……♡そんなところが堪らなく愛おしい……♡」

──……!!!

甘く、愛おしく、ラブロマンスのワンシーンのように、華麗に。

わざと、周囲に聞こえるくらいの音量で、むしろ聞かせるように。

ただ一人、僕にだけ、愛を囁く。

この世のものだとは到底思えないほど甘く、心を直接すりすりと撫でるように色めいた美声で。

「キミを、その心を、体を……♡寝ても覚めても私の事しか考えられなくなるまで、細胞の一片に至るまで……♡完全に、完膚なきまでに、ただ一つの例外も無く……♡」

──や、あ……♡♡♡

少女漫画の王子様がそうするように、両手を取って、正面から。
堂々と、臆することなく、ぶつける。

「私の、モノにしてしまいたい……♡いや、何をしたって、私のモノにしてみせる……♡キミが私のモノにならないのなら、死んだっていい……♡」

──うそ、うそだ……♡♡♡

押し付けるように強く、その艶々とネオンに照らされて輝くリップから、飛び出ては僕に突き刺さる愛の言葉。
それは、どんなにその柔らかく熟れた乳房を揺らすより、どんなにその白い鏡餅のような生尻でのしかかるより、心奪われてしまう。酔いしれてしまう。

こんなにも美しく、スタイルが良く、高貴で、聡明で、人気があり、モテて、とにかく、とにかく美点を上げればキリがない、渚さんという女性の愛の告白。
無数に、数えようと思ったら手が百個あったって足りないほどされて、そしてそれと同じだけ断ってきたであろう、それ。
口に出さずに秘めたものを含めれば、古いコンピューターならオーバーフローしてしまう数ほどもあったであろう、世界中に溢れてやまないプロポーズを。

──それを、渚さんから。
この地球上で何人が求め、何人が叶わなかったかも分からない渚さんの愛を、たった一人、独占する。

どう考えたって、嬉しくないはずがない。
はっきり言って、今ここで跳ねたくってのたうち回るほど、もう全身をめちゃくちゃに振り回して暴れてやりたいほど、幸せで幸せでおかしくなってしまいそうだ。

けれど、だからこそ。

──そんなの、ぜったい嘘だ……♡♡♡

到底、現実味がない。
はっきり言って、信じられない。

だって、僕よりも優れた男なんて、探すまでもなく、この世にはごまんと居る。
それこそ、渚さんに告白した男たち。
きっと、渚さんに返事を貰えるという自信を持った男なら、ある程度以上の魅力を持った男なのだろう。
社長、スポーツ選手、アイドル、俳優。
しかも、その中でも一流と呼ばれるような、立場も収入も顔も体も、おおよそ魅力と呼ばれるものを比べたら、全てのパラメータが僕よりダブルスコアを付けて優れているような男が、渚さんならビュッフェ形式で選べるのだ。

そんな中で──僕を、選ぶ?
そんなこと、あり得ない。
僕が渚さんの立場なら、天地がひっくり返ったって、そんな重大な選択ミスはやらかさない。

言ってしまえば、当たり前の結論。
一億人居たら一億人がそう言うであろうという、至極当然のことを考えて、それを嘘だと断じただけだ。

──けれど。
それを、渚さんは。

「……ふぅん?♡今更そんな事を言うんだね、キミ……♡」

それすらも、許してはくれない。
当たり前に疑うべきそれを、疑うことすらも。

「それが嘘じゃないという事は、キミが誰より知っているだろう……?♡目の前であんな媚薬を呷って、腰の奥から、腹の底から、疼いて疼いて今すぐ指で搔きむしりたい衝動に駆られて……♡それでも、私のナカをほじくってくれる肉棒を無視して、私はキミに迫っているんだよ……?♡ああ、その意味も、キミは理解してくれないんだね……♡本当に愚かで可愛いな、キミは……♡じゃあ、それなら何度でも言ってあげよう……♡好き、好き、好き、好き、好き……♡キミが疑った分だけ言ってやる……♡疑いようもないくらい、飽き飽きするくらいに囁いてやるとも……♡」

──ぞくぞく、ぞくぞくと、背筋にえも言われぬ痺れが走る。
ブリーダーが飼い犬に言い聞かせるような、有無を言わせない強い口調で、しかし声だけはやたらと甘く煽情的に。
何度も何度も繰り返し囁かれ、強制的に塗り潰されてしまう。
どれだけ強い色で描いた水彩画でも、上から真っ黒な油絵の具をぶちまけられれば、どうしたって黒色に染まってしまうように。

「好き、好き、誰にも渡さない……♡私だけのもの、私だけの仔猫ちゃん……♡他の誰にも触れさせない、私だけがキミの魅力を知っていればいい……♡」

渚さんが僕に好意を抱くわけがない、なんて理屈を全て押し流すような、濁流じみた求愛の言葉。
愛を、ただぶつけられる。教え込まれる。
言ってしまえば、たったそれだけ。
ただそれだけで、猜疑心が理性と共にどろどろと、融け落ちる。
疑うなんて考えもつかなくなり、ただ言葉が抵抗なく脳に染み込んで、思考を書き換えてしまう。

──いや、本当は知っていたのかもしれない。
あれほどアプローチされて、好意を示されて、けれど臆病な僕は、それを受け入れられなかった。
あるいは、それを納得してしまったら、いよいよ多幸感から脳が破壊されてしまうから。
裏切られることが恐ろしくて、信じなかった。
もしかすると、深層心理では、そうだったのかも。

けれど、どちらにせよ、その愛からは逃げられなかった。
真正面からぶつけられ、逃げることも避けることもできなかった。
その過剰な幸福は、僕をどこまでも追尾して、僕の最も弱い部分を撃ち抜いたのだ。

──う、ぅ……♡

もう、拒絶の言葉なんて、例え思っていても出せない。
ただ心臓をばくばくと動かして、ぽたぽたと冷や汗とも興奮の汗ともつかないものを垂らして、脳髄にじんじんと満ち渡る恋愛ホルモンを、もっともっとと過剰に分泌させるだけ。
体中に、心の底から染み出る、心地よくもむず痒く締め付けられるような、そういった感情を行き渡らせてしまう。

それを見て、恍惚と。
渚さんは甘く湿りきった吐息をたっぷり吐いて、両手で僕の頬を挟みこんで、とことん追い詰める。

「おやおや……♡ほんのちょっと、一言二言と囁いただけで、もう白旗かい……?♡もっと抗ってくれてもいいんだよ……♡」

面白くって仕方がない。
楽しくて楽しくてしょうがない。
意地悪な笑みの中に、そんな感情が隠れるまでもなく浮かび上がっている。

「フフ、フフフ……♡ああ、全く、どうして君はそうも可愛いんだい……?♡仔猫みたいに、甘えてるのと見分けがつかないような威嚇をしてさ……♡そして、ちょっと構ってあげたらすぐ甘えた顔をする……♡本当にキミは私を悦ばせるのが上手だね……♡」

──な、ちが……う……♡♡♡

良い子、良い子。
渚さんはその言葉通り、仔猫を褒めてやるように、僕の頭を優しく撫でる。
この人には、決して、逆立ちしても、ましてや天地がひっくり返っても、敵わない。
そんな確信を、深層心理に擦り込むように。

「ああ、でも……♡キミがそうやって、すぐにころりと寝返ってしまうのも、仕方ないことなのかもしれないね……♡」

心から貧弱なものを見るような、まさに愛玩動物に向ける、その目線。
それに恋慕と執着をまぜこぜにしたような目で、じっと見つめられる。

逃げなければいけない。
そんな感情はもう、とっくに折れて、湧いてこない。
それくらい、僕の心は屈服してしまっている。
けれど、それでも、まだまだ足りない。
もっともっと、狂い果てるほど、陥れて、奪う。
そう言わんばかりに、渚さんは追撃の手を緩めない。

「だって、ほら……♡そこら中から集まってくる、喉から手が出るくらいモノにしたい、今すぐそのちんぽの遊園地みたいなカラダで精液枯れ果てるまで射精したいって……♡ギラついた欲望丸出しの不倫不貞生ハメ種付け願望だらけの目線……♡」

また、声を潜める。
僕にしか聞こえない声量で、耳元に口をぴっとりくっつけ、興奮や背徳を、これでもかと煽ってやまない。

「そんな狙いを定めた目線を、こんなにも容赦なく裏切って……♡チャンスなんてほんの少しだって存在しない、私が身体を許すのはキミだけ、私が愛するのは隣に連れ添ったあの男だけ……♡あのむっちりとした夢みたいな至福の肉で至福の絶頂を味わえるのは、自分じゃなくて、この世にたった一人、キミだけ……♡」

渚さんの声が、時折震えて、裏返る。
誰が聞いたって、その声だけで一生のオカズになり得るほどの官能に塗れた音調は、渚さんがひどく興奮している事の証だろう。

その様子に対して、僕といえば、もう声もでない。
何やらひどく喉が詰まって、息苦しい。
心臓もぎゅっと収縮して、ばくばくと警報装置のようにけたたましく鳴っているはずなのに、何故か鼓動が止まってしまう直前のような、そんな気すらしてしまう。
そんな、このまま死んでしまうんじゃないかというほどの興奮が、心中で渦巻いていた。

「そう、そんな残酷な、けれど当たり前の事を、もうとっくに皆自覚しているのに……♡それでもまだ、私はここにいる全ての人間の目線を独り占めしてしまっている……♡奥歯を噛み砕いてしまうくらい悔しくて、死んでしまうほど妬ましくて、お門違いな憎悪をキミにばっかり向けて……♡けれど私には羨望の目線を向けて、その目が離せなくて……♡例えるなら、そう、どこの馬の骨とも知れない男と突然に結婚した有名アイドルを、口に出せないような罵倒をネットに書き込むぐらい憎みつつも、けれど恋心を捨てられなくて、いつものように際どい水着姿の写真を使ってオナニーしてしまうみたいに……♡」

僕に向けられる目線は、相変わらず刺々しく、攻撃的だ。
けれど、その刃を向けられるような感覚も、渚さんのすぐ傍ならば──どうしようもなく、気持ちいい。
渚さんという女性の果てしない魅力、そしてその渚さんに愛されるという事の特別性が、嫌でも強調されるから。

もう、興奮で勃起がはち切れてしまいそう。
一度暴発してしまったのに、ペニスは今までにないほど硬く、大きく、じんじんと痺れるほど熱い。
先走りがだだ洩れて、目の前がちかちかするほど気持ちよくて、射精しているのかどうかの区別すらつかない。
それくらい、前後不覚になるほど、興奮。
今、渚さんの指につつかれたら、それだけでコンドームが一杯になるほど射精する。
そんな確信があるくらい、僕の精神は擦り切れていた。

──けれど。

「けどさ、もし……♡もしも、さっきの例えで言えば、キミがそのアイドルと結婚した男の立場なら……♡」

渚さんは、止まらない。
僕を追い詰めるという行為そのものが、楽しくてたまらないといった様子で。

「毎日毎日、羨まれながら、妬まれながら、誰も手が届かない天女のような女を射止めたんだと、そう自覚しながら、その極上の雌と誰もが認める女を抱けたなら……♡」

「──そんなに気持ちいいことって、この世に他にあるのかな……?♡」

だらだらと発汗するくらい暑くて仕方ないのに、雪山で遭難しているかのように、歯がかちかちと鳴るほど震える。

「優越感にどっぷり浸って、後ろめたい欲望をとことん満たされて、そんな極上の美酒のようなそれをオカズに、目の前の途方もない美女を、気の向くままにタダで貪り散らかす……♡」

「いやらしく澱んだ欲望を無数に受けて、育って熟れきった雌のカラダ……♡その肉と美貌だけで幾億もの金が動くような大成功を収めた女を……♡衆目に晒され始めてから一秒の途切れも無く自慰のオカズに晒されてきたような雌を……♡その尊厳ごと、名声ごと、財産ごと、まるっと収穫……♡雄も雌も、誰もかもが欲しがってやまない、その女の何もかもを、キミというたった一人が、不労収益として簡単に捧げられて、ぜぇんぶ手中に収めてしまう……♡」

「そう、それが一生……♡途切れなく味わえてしまうんだ……♡私が成功し続ける限り、キミの人生もバラ色に彩られる事が確実……♡ずっとずっと、優越感に浸り続けて、最っ高に気持ちいい天国みたいな一生が約束される……♡」

「それってさ、きっとキミが想像する何百倍も、何千倍も、何万倍も……♡」

──幸せで、満たされて、気持ちいい……♡♡♡

耳元で囁かれる言葉は、まるで現実とは思えないほど、爛れた極楽の様相。
おとぎ話やフィクションですらあり得ないくらい、ただただ気持ちよくて、快楽に塗れた、そんな非現実的な話だった。
それは今までの人類の歴史上、どんなに恵まれた王様でも、どんなに独裁的で、権力を一手に握っていて、利益という利益を貪り尽くした暴君でも、そこまでの快楽は味わえないだろうという、想像するだけでそれほどの莫大な幸福が味わえる、妄想。

けれど──それは、信じられないことに、現実に起こりうる話である。
ただ、流れに身を任せて、目の前を導いてくれる、この女神のような女性について行けば。
この誰もを虜にしてやまない蠱惑のS字曲線を描く肥沃なボディに抱き着いて、めちゃくちゃに腰を振って、柔らかく滑らかで、むちむちふんにゅりと沈んでは跳ね返す、淫魔のような魅惑の媚肉で、全ての欲望を、満たす。
ただ語られた通り、想像もつかないほど幸福にのみ彩られた人生が、この先何十年と約束された、全身を使い尽くしても味わいきれなくて持て余してしまうほどの快楽が。

それが──手に入る。
いとも簡単に、むしろそれを取り逃す方が難しいというほどに。

「さあ、行こうか……♡」

渚さんは、ただ手を差し伸べる。
あくまでも、判断はこちらに委ねて。

「ほら、自分の脚で……♡天国に歩いていくんだ……♡キミの心の望むままに、私が指し示す方にね……♡」

──柔らかい。
手を握ってまず、そう思う。
しっとりと吸い付きながら、すべすべとクリームのように滑らかで、ふにふにと女性らしいたわやかさだ。

──もし、この手に扱かれたら、どれだけ気持ちいいだろう。
ふと、そんな事が頭を過り、その感触を想像してしまう。
手で行う自慰には慣れているからこそ、その感覚が詳細に想像できてしまい、したこともないセックスのあれやこれを想像するよりよっぽど股間に悪い。

「トロフィーワイフ、という言葉を知ってるかな……?♡目も眩むような成功を収めた男が、その名声や富を使って娶る、誰もが羨むような容姿の、周囲に自慢するステータスのための雌のことなんだ……♡自分の地位を上げるために、周囲の反応を見て愉快がるために、自身のプライドを満たしてただ満足するために……♡ひけらかして、侍らせる、最上級の雌……♡」

かくかくと震える腰で、必死に歩みを進める。
ふらつく足取りと、歪む視界。
霞みがかって一寸先も見えない桃源郷を、天女に連れ添われながらさまよっているような、異様な興奮と、少しのスリルと、莫大な安心感。
そんな異常な感覚を味わいながら、ただ連れられるままに、歩く。

「ほら、皆にも見えるよう、掲げるんだ……♡今日という日は、私はただ絢爛なだけの、キミの欲望を満たすためだけのトロフィーになってあげるから……♡堂々と、セクハラでもしながら……♡ホテルに入るまでの間、吟味するみたいに雌肉をつまみ食いしながら……♡ゆったりと、王様みたいに、見せつけるといい……♡」

──っっっ♡♡♡♡♡

渚さんは、僕の手を取って、その肉感的すぎるほど肉に溢れた巨尻を掴ませた。
む゛にゅうり……♡と、手の中でまろやかに潰れ、そして弾けるように押し返す。
ホットパンツの厚い生地越しにすら、一層の種付け欲をむらむらと刺激してしまう、雄好みする脂肪がたっぷり付いた無駄肉の塊。
大きく開いた指の隙間から、その媚びに媚びた肉が溢れるように、劣情が溢れてやまない。

そして、その行為に劣情を抱くのは、僕だけではない。
目の前でAVばりの痴漢行為が行われ、尻肉がひしゃげて歪むという光景を目の当たりにしてしまう観衆。
その肉の潰れ具合から見て取れる、肉質の理想的な柔っこさと弾力に、ため息や感嘆の声まで漏らし、歯軋りしてしまうほど僕の立場を羨む。
ああ、もし自分がそこに居たのなら、もっと力を込めて揉み潰し、捏ね回し、手に感触が染みついて取れなくなるほど楽しむというのに。
羨ましくて、妬ましくて、血涙まで流してしまいそう。
あの女が現れるたった今までは、そう思われる立場だったはずなのに。

──なんて思念を受けて、欲情を露わにするのは、渚さん。
掴んだ尻肉は、まさに発情しているとしか言いようがないくらいじっとりと熱く、加湿器に手をかざした時のように、手のひらに湿り気を確かに感じる。
それは、例えるなら、ぐずぐずに果肉が蕩ける直前の、最も味わい深く芳醇に、熟れに熟れた最高級の洋ナシのような。
薫り高く、ねっとりと柔く、瑞々しく爽やかであり、なおかつ濃厚な甘みあって。
そんな、大学生らしく若々しい張りがあって孕ませ頃の、しかし熟女のように男を優しく受け入れる豊満さを持ち合わせた、理想を超えるほど理想の肉体。
超のつく極上の女性を侍らせているという事実と、そしてこれからそんな肉体を好きなように貪れるという事実に、改めて震えをもよおす。

「ほら……♡この先……♡そこを曲がったらすぐだよ……♡私を丸裸にひん剥いて、支配感満たされまくりのセックスまであとほんの少し……♡このボリュームたっぷりで食べ応え満点なおっぱいも……♡むっちむっちと雄の性欲煽りまくって誰彼構わず勃起させてしまう尻肉も……♡全部全部、好きなだけ食べ放題だからね……♡」

脚が、地面を叩く感覚がない。
ひたすら腰がじくじくと疼き、脳内でぴりぴりとピンク色の渦が巻く。
セックス、交尾、射精、性愛。
ただそればかりが堂々巡りして、本当に破裂してしまうんじゃないかというくらい勃起が張り詰めて、一瞬の途切れなく腰が溶けるような感覚が続き、比喩でなくもう何も考えられない。
けれど、脚だけは、突き動かされるように、その方向へと進む。
操られるように、少しの迷いもなく。

「そう、それでいいんだ……♡私に従って、私に操られるまま、私に愛される……♡それが、キミにとってこの世で最も幸せなんだ……♡誰よりも優れた雌に支配される悦び……♡それは、とっても甘美で、一度味わえば決して抜け出すことができない、甘い甘い底なし沼……♡ほら、早くおいで……♡」

──ぁ……♡♡♡♡♡

軽く、ハンモックをゆらりと揺する程度の緩やかさで、手を引かれる。
それは、決して立っている人間をよろめかせるほどの力ではない。
けれど、僕にとっては、その手の導きこそが全て。
だから、逆らえない。
逆らえないことが、気持ちいい。
委ねることが、気持ちいい。
だから、引かれた方へと、ただ進む。

「フフ……♡よくできました……♡偉いね……♡」

そして、それを肯定される。
優しく撫でる手が、緩まった頭によく染みる。
触れられた部分からじんわりと、冬のかじかんだ指先にヒーターの熱を当てたように、じわりと痺れるような多幸感が染み渡る。

もう、それだけで、泣きそうなほど幸せ。
それほどに、まともではない事が明らかなほど、興奮している。
けれど、それを自覚するほどの知能は、持ち合わせていない。
これもやはり、渚さんから与えられる興奮で、とろけて無くなってしまったからだ。

とことんまでに、渚さんに都合のいい、思考のデッドロック。
それを意図して引き起こしたのかは知らないが、少なくとも僕は、渚さんの言いなり人形に成り果ててしまっていた。

──ふーっ……♡♡♡ふーっ……♡♡♡

言われるがまま、亀のようにのろのろと、酔っぱらいのようにふらふらと、夢見心地で歩く。
そうして連れられて、どれほどの時間彷徨っていたのだろう。
何分経ったか、何十分経ったか。
時間の感覚が希薄になり、一歩一歩進むたびに時の流れがゆっくりになるようで、しかしそのとめどない期待感から、矢のように時間が過ぎ去っていくとも感じてしまう。
だから、曖昧にすら、どれだけの時間が経ったのか分からない。
どれほどの距離を歩いたのか、分からない。

「ああ、そうだ……ところで、キミは、初体験って特別に思うかい?♡ハジメテの行為はやっぱりスペシャルな……一生の思い出に残る、大事なものだと、そう思ったりするのかな?♡」

そして、いつしかネオンの明かりも遠ざかり、そこに立ち並ぶのが安っぽい外見のいかにもなものではなくなった頃。
駅近くに泊まりたい旅行者が利用するような、ホテル然としたホテルが立ち並ぶような道に出たタイミングで、渚さんは語り出す。

「私はね、今までは特にそうは思っていなかったんだ。だってさ、まあ……私はこんな見てくれだから、シようと思えば、どんな男とでも、女とでも、誘えば簡単にできてしまう。だからこそ、誰も私と同じ立場……同じ目線の場所には居なくて、そこに来ようともしてこなくて……。そんなだから、恋愛っていうモノにもあまり期待はしてなかった。だから、きっとそのうち、何となく納得できる人と、感情は関係なくそういうことをするのかなって思うと、初めてだからってその瞬間を大事にする気は無かったんだ」

その口調は静かで、どこか影と諦めのある、決して明るくないものだった。
彼女が語る姿の裏に見えるのは、僕の知り得ない過去。
恵まれすぎた容姿や、類まれなカリスマは、人をこれ以上なく惹き付けるが、それと同じだけ遠ざけてしまう。
過剰な神格化や、過剰な憧ればかりを抱かれて、常に上の目線で他者と接さざるを得ない。

──僕が彼女と同じような境遇に立ったことは一度も無いから、心からその悩みを共感することは無いが、察するにそういう事なのだろう。
ふらつく頭で、指で、渚さんの手を必死に握る。

「──けれどね……?♡」

が、そんな憂いを見せたのも束の間。
僕が握った指を、更に上からぎゅっと握り、言う。

「キミに会って、キミと話して、キミのその心に触れて……♡私はね、キミに強く惹かれて、重力がリンゴを引っ張るような、強烈で抗えない運命を感じたんだ……♡これが愛なんだ、これが恋なんだって……♡初めてそれを、稲妻に打たれたみたいに、身を強く叩き付ける衝撃で、理解したんだ……♡」

──突然に、口説かれる。
これ以上なく、直線的に、心から。

今までの、砂糖の沼に沈められるような、どろどろに甘ったるい告白ではない。
どこか甘酸っぱくて青臭い、超然とした彼女の仮面を剥いだ、彼女の心そのものをぶつけるような、等身大の言葉。
だからこそ、むず痒くて、心がぎゅうと締め付けられる。
より深く、早瀬渚という一人の女性に、夢中になる。

「だから、だからさ……♡初めては、とびっきりのものにしたいんだ……♡少なくとも、キミの心に縫い付けられて離れない、他の女なんて見向きもできなくなるくらいの、とびっきりのセックスに……♡」

そして、また、彼女の声はカラメルのように甘くて粘つく味になる。
それは、つまり、彼女の発情の証。
渚さんの優れた頭脳が激しく回転して、スペックをフル活用して、とことん気持ちいい堕悦について考えている、その証左に他ならない。

「私以外の女では絶対に味わえない、私の武器を使った、最高のセックス……♡」

──吐息が、漏れる。
ぞくりと背筋が震えて、呼吸が浅くなる。

それと全く同時に、渚さんの足が、止まった。

「ほーら、到着……♡見上げてごらん……♡」

促されるまま、呆然と上を見上げる。
普段の数パーセント程度しか動いていない、僕の脳。
しかし、そんな状態ですら、理解できる。してしまう。

目の前にそびえ立つホテルは──まかり間違っても、ラブホテルなんかじゃ、ない。
一泊するだけで、僕の下宿先の安アパートのひと月の家賃を優に超すような、今までの人生ではとんと縁のない、高級なホテルであるということに。

──ぅ、え……?

近辺の建造物の中では群を抜いた、その高さ。
厳めしさすら感じるような、モダンな白塗りの壁。
都会の一等地とは言わないものの、かなりの地価があるこの場所で、巨大な門と庭園まで持っている。
敷地内には送迎バスやタクシー、一時停めてあるのであろう外車や高級車が並んでおり、渚さんはともかく、僕のような下民に相応しい場所では、絶対にない。

唖然と、口を半開きにしてそれを眺める。
こんなホテルの中なんて、テレビの番組でしか見たことは無いし、ましてや入った事なんてある訳がない。
想像するに、中のカフェでコーヒーを一杯飲むだけで、何千というお金が飛ぶのだろう。
ぞっと、背筋が冷える。

けれど、渚さんは全く怖気づく事も無く、悠然とその門を、進む。
そして、翻すように振り返り、囁いた。

「じゃーん♡キミのために予約しておいた最高級ホテルだよ……♡」

「今からここの最上階のスイートルームで、地上をうろうろ歩く人たちを眺めながら……♡タワーマンションのてっぺんで、下界を見下ろしながら優越感に浸り尽くすみたいに……♡どんな人間より、物理的にも精神的にも高い位置に居ながら……♡」

「全部全部満たされ尽くした、人生のアガリみたいな状況で、普通の人間なら一生縁がないような場所で、20歳にしてフォロワー100万人超え、年収億越えの誰もが羨む極上ボディのスーパーモデルと生ハメ種付け三昧……♡してしまおうね……♡」

──……ぁ♡♡♡♡♡

ただ、微かな声が漏れる。
心臓が、狂ったように血液を送り、気がくらりと遠くなる。

たった数時間前までは、望んですらもいなかった、果てしない幸運。
冗談ですら馬鹿馬鹿しくて言わないような、そんな夢のような、いや夢としか言えない状況が、すぐそこ。
一日前の僕に、ありのまま今の状況を伝えれば、鼻で笑ってしまうほど。
妙なアドレスから送られるスパムメールや、胡散臭い幸運の壺の謳い文句もかくやというくらいの、馬鹿げた質量の幸福に、ただ茫然と立ち尽くすしかない。

──と、そうして、放心しているところに現れたのは。

「お待ちしておりました、早瀬様」

パリッとしたスーツに身を包み、恭しく一礼する美女。
身長が高く、顔つきもシャープで、スタイルも抜群だ。
所作には気品が溢れ、指先一本の動きにまで気を遣っていることが見て取れる。

恐らく、彼女は出迎えをしてくれるスタッフの方なのだろう。
サービス業の宿命と言おうか、最高級ホテルの格付けの一環と言おうか、やはり多少なりとも、こういう場所では顔採用というものがあるのだろう。
その狭き門を勝ち抜いた彼女の立ち姿は、一般的に言えば、トップクラスの美人と言って何ら差し支えない。

──けれど、それでも。
どうしてもその比較対象となってしまう、隣に立った渚さんという女性は、残酷なほどに、あまりにも美しすぎた。
本当に申し訳ないが、どこをどう贔屓目に比較したって、彼女が渚さんに勝っている部分は、一つたりとも存在しない。
それは彼女自身も理解しているのだろう、彼女はその態度こそ完璧に職務を全うしていたが、渚さんに送る目線だけはやけに熱っぽく、うっとりとしていた。

彼女は、胸ポケットの手帳をちらりと見る。
宿泊の予定や、何か特別な要望が無いかをチェックしているのだろう。
そして、それに目を通した時──目を、見開く。

「──本日の宿泊は……二名様で、よろしかった、でしょうか」

「うん、二人」

明らかに動揺を隠せていない声。
その後ちらりと僕の方を見て、やはり目を真丸くしてしまう。
まるで、信じられないものを見るような目で。

けれど、その反応に対して、渚さんは興味を持たない。
ただ淡々と、そのスーツの女性に、告げる。

「ああ、そうだ……ここ、ゴムって、ある?」

「っ……」

──……!!!

軽く息を詰まらせて、硬直する女性。
ほんの少したじろいで、しかし、すぐに笑顔を作り返事する。

「はい、ございます。ご入用でしたら部屋までお持ちいたしますが……」

それに対して、渚さんは。

「今すぐ欲しいって言ったら、持って来れる?一番薄くて上等なのを、あるだけ欲しいんだけど」

あけすけに、事を急ぐことを強調して、言う。
すぐヤる。今ヤる。部屋に着いた瞬間ヤる。
僕の手を握る力を強めて、舌なんて舐めずりながら。

「ぁ……承知、致しました……。すぐ、ご用意、致します……。」

スタッフの女性は、言葉も絶え絶えに、引きつった声を出す。
それは、今から交尾をすると宣告するような、セクハラにもなりかねない渚さんの態度に気を悪くしたからでは、決してない。
──そう、きっと、恐らく、この人も。
四六時中振りまいて、誰彼構わず魅了してしまう、渚さんの魔性にやられた被害者なのだろう。

女性は、襟元に付けたインカムに、小さく手短に用件を伝える。
少し声を震わせながら、しかし気丈に。
少々お待ちくださいと礼をしながら、僕たちを中に案内した。

──思わず、感嘆の声を漏らす。
ロビー内の様子は、まさに圧巻だった。
煌びやかなシャンデリアに、赤く艶のある絨毯。
大きな大理石のモニュメントと、絢爛に活けられた巨大な花の壇。
今までの平々凡々な人生では全く縁のない、王族の住まう宮殿のような造りに、感激を隠すことができない。
何もかもが、別世界に迷い込んだかのような豪華さで、眩暈すら起こしてしまいそう。

けれど、渚さんは見慣れているのだろうか、それらの豪奢な景色には見向きもせず、ただ僕を連れて真っすぐに受付の方へと向かう。
そして、そこに着くなり受付の人の言葉を遮って、黒塗りのカードを差し出した。

「ごめんね、急いでるから、すぐにキーとゴムを貰ってもいい?」

渚さんは、見せつけるように僕の腰を抱き寄せて、察させる。
ただ骨盤のあたりを掴んでいるだけ、何もおかしくはない行為なのに、渚さんがそれをすると、やけに性的なニュアンスが含まれてしまう。
それを見れば、もう、どれだけ鈍感でも理解せざるを得ない。
ましてや客の心理を読み解き、最適なサービスを提供することを職業としているなら、尚更。

「──はい、承知いたしました。こちらが、カードキーと、ご依頼の品になります……」

「ありがとう」

受付の女性は、引き寄せられる目線を必死に戻そうとする。
大きく揺れる、熟れた二つの肉房。
ほんのり汗ばみ、紅潮した生肌。
赤らんで艶めくそれらは、しっとりと蒸れた雌臭を漂わせるようで、上品で高貴な空間にそぐわない、下品なまでの性的さがあった。

──このホテルは由緒正しく、最高級のサービスを提供することを国内外問わず認められており、その信頼は日本政府からも大きい。
国際的なサミットを行う際に、国賓を招く時にも、このホテルの客室や会議室が使われたことがあるほどだ。
故に、そこらの安宿とは一線を画した、従業員へのきめ細やかな教育を絶えず行っている。
だからこそ、当然、お客様に失礼があってはならないと、耳にタコができるほど聞かされたはずだ。
お客様が目の前を通れば、一歩後ろに下がり、失礼の無いよう角度まできっちりと心がけ、完全に通り過ぎるまで一礼すること。
そんな繊細なマナーまで心がけるのだから──お客様にセクハラじみた視線を送るなど、論ずるまでもなく、一発アウト。
減給か、降格か、あるいは首が飛ぶか。

しかし、けれど、それでも。
明らかにねっとりと厭らしい目線で、そのどこを見てもむちついた肉体を視姦するなど、あってはならない事だとは知りつつも、やめられない。
一度視界にそれを収めてしまえば、釘でも刺されたかのように、視線を外すことができないのだ。
どれだけ心の中で理性を保とうとしても、目に力を込めて、無理やり目線を外そうとしても。
何もかもが欲を煽り、むしゃぶりつきたくなる色を持つ彼女の身体から、やはりどうしても目を離せない。

「では、お部屋まで、ご案内を──」

「いいよ、場所は知ってるから。荷物も無いし、後から届けに部屋に来る必要も無いからね」

渡された紙袋と鍵を取り、渚さんはすたすたと歩く。
後ろから感じるのは、やはり欲に塗れた羨望の眼差しと、じっとりとした嫉妬の視線。
──今からこの男とセックスしまくるから、早く部屋に行かせろ。
ほとんどそれと同義の事を言ってのけた渚さんに、またその隣で腰を抱かれながらふらふらと追従するこの世で最も幸運な男に、何も思わないはずがなかった。

けれど、そこまでの事をやってのけたのに、渚さんは顔色一つ変えないし、そこに嫌味な雰囲気が出るでもない。
まるでそれがごく自然で当然であるかのように、むしろこちらから急かすような素振りさえ見せた。
あくまでも、この場で最も優位なのは渚さんで、それを咎めるような不自然な真似をする人物はどこにもいない。

そう、例えば、こんな場所──一般庶民はお断りなホテルのロビーで、露出過多な服を着こなし、そのドスケベ肉をたっぷ♡たっぷ♡と揺らしたとしても。
渚さんという女性そのものが、何を着たって服の魅力を最大限に引き出し、また肉体の蠱惑を最大限に引き上げてしまうから、不自然ではない。
お堅いスーツを着ようが、軽くジャケットを羽織ろうが、どこぞの国の民族衣装を着込もうが、結局はその魔的な曲線を描くボディラインを隠すことはできず、またそのカリスマ性が失われる事は無いだろう。
渚さんという女性に、ドレスコードやTPOなどという、平民が考えた下らないものは通用しない。
彼女が居る場所に、彼女が望む時に、彼女が遂行したい目的に、彼女がそぐわない場合などただの一つもあり得ない。

そう、だから──許される。
暴力的なまでの魅力を振りまいて、他の宿泊者の目にその姿を焼き付ける事も。
彼女を目にした人間が、それも世界で上位数パーセントに入るほどの、金や地位によって情婦には困らないようなエリート中のエリート達が、ただ一人の例外なく彼女を想って夜中に寂しく自慰に耽るであろう夜に。
──その上を行く最高級のスーパースイートルームを、あろうことかラブホテル代わりにして、大量のゴムと一人の男を連れ込み、体を重ねたとしても。

そして──その彼女のカリスマのおこぼれに、僕があやかる。
今までの人生を、一歩一歩踏みしめて、成功者への道のりを積み上げてきた彼らの。
その遥か頭上を、渚さんに連れられて、階段なんてすっ飛ばし、エレベーターで連れて行ってもらう。

そう、ちょうど、目の前のエレベーター ──ゆとりを持って広く、正面がガラス張りで、手すりと腰かけがある、見るからに高級なそれ──が僕らを乗せて、最上階へと音もなく昇っていくように。

かち、と。
慣れた手つきでカードキーをパネルにかざしてから、最上階へのボタンを押し、壁に体重を預ける渚さん。

「夜景、綺麗だね。こういう景色が見えるところでプロポーズなんてしたら、ロマンチックでいいのかな」

──そう、ですね……

本当に、そう思っているのだろうか。
そう思ってしまうような、普段通りの涼風のような表情で、ごそごそと紙袋をあらためながら、外も見ずに言う。
ぐんぐんと遠くなる地上をバックにすると、渚さんの白髪とクールな美貌がよく映えた。

そんな渚さんに対して僕は、彼女をじっと眺めたまま、感じたことのない高揚と、我を失うような感覚に包まれる。
現在地が高くなればなるほど、パネルに表示される階数の数字が上がれば上がるほど、ふわふわと心が宙に浮かぶような、足が地面から離れて無重力の中に放り出されるような、そんな心地。
全ての感覚が現実的ではなくて、頬を抓れば目が覚めてしまうのではないかと、そういう気すらしてしまう。

そんな中で、しっかりと確かに自分の身体であると理解できるのは。
がっちりと芯を持ち、びきびきと隆起して、じくじくとした疼きを発する、このペニスだけ。
脳の血管がぷっつり切れてしまいそうなほどの興奮が、痛いほど性器を張り詰めさせる。
そして、そんな興奮と共に、とめどなく多幸感が折り重なって、ひたすら現実味が消えてゆく。
今目に視界に映っている、夢のような全てのものが、僕から重力を奪い尽くす。

その上で、何かやたらと幸せな、脳からよだれが垂れるような感覚だけがこんこんと湧いて、心臓が締め付けられるような、背骨が痺れるような。
言い方は悪いが、もしも違法な薬物をたっぷりキメたら、何でもないのにこれくらい幸せなんだろうと、そういう確信すらしてしまう。
それほどに、脳が使い物にならなくなるような異様な多幸感だけが、溜まって。
何か桃源郷のような場所を、綿毛みたいに漂っているような、そんな感覚。

──そして、それの元凶である女性は。
同時に、その感覚を、圧倒的な存在感によって、断ち切る。

「ひー……ふー……みー……よー……。うん、数は十分だね」

広いエレベーターの室内に、渚さんの澄んだ声が染み入る。
独り言なのか、あるいは僕に向けて言っていたのか、判別がつかないくらいの静かな口調。
けれど、その呟くような小さな声は、何か胸の内を擽って縛るような、異様な力を秘めていた。

渚さんは、くるりと俯けていた首をこちらに回し、にやりと笑って近づく。
色っぽく頬を染めて、けれど余裕たっぷりに、紙袋から箱を出しながら。

「そう……聞き忘れていたんだけれど……。向こう三日、どうしても外せない予定はあるかい?」

そっと、後ろから肩を抱かれ、尋ねられる。
さわさわと、ピアノを奏でるように、指で軽く触られて、むずむずと落ち着かない。

──あ、えと、確か明後日は、友達と飲みに行く約束が……

「そう。じゃあ、それ、断っておいてね。今すぐ」

有無を言わさない、強い語調。
軽く首を回すと、すっかりピンク色に染まった目線が、僕を射抜いていた。

──発情。
それを完璧に表した目の色に、べっとりと首筋を舐め付けられたような錯覚を起こし、身震いする。

がさ、こつ、とさり。
彼女が手に持った沢山の箱が、重力に従って、落ちる、落ちる。
仰向けに口を開いた袋の中に、なすすべなく。

「この箱一つで、中身は6つ……。それが、10箱入ってた」

渚さんの手から、次々と零れ落ちる箱に書いてあるのは、0.01の文字。
それらが、からりからりと音を立て、積もる。

──合わせて、60個。
到底使いきれない量のそれらを、僕は、幾つ使うことになるのだろうか。

──何だか、頭が回らない。
見ている景色に、シチュエーションに、何もかもに、現実味が無さすぎる。
これほど近く、目の前にある渚さんの肢体を、自分が触れるということに全く想像がつかない。

不意に、電光パネルを見やる。
15、16と、階数はどんどん上がっていく。
最上階まで、あとほんの少し。

少なくとも、あれが。
あとほんの数秒後、20にまで到達すれば。
僕は、強制的に、そこに入ることになる。
想像もつかない極楽、天国と言って差し支えないそこに。

そう、そこで、僕は。
──たった、一夜の間。

「──三日。正確には三泊と四日」

耳にかかる吐息と音に、背筋が溶けるような感覚を覚える。
思考を完璧に読み、訂正するような言葉。
何が、と聞き返す前に、彼女は答える。

「三泊だよ。そう予約しておいた」

──は……?

三泊。
三回、三日間、ここに泊まる。
今日を含めれば──四日間。

──その言葉を理解する前に、鐘を叩くような音が、響く。
パネルを見れば、20の文字。
上昇が止まったことにより、一瞬だけふわりと体が浮き、静かに扉が開く。

「……着いたね。ほら、行こう」

──あっ……

手を取られ、やや強引に腕を引っ張られる。
何かひどく焦っているような、急かす動き。
一刻も早く、一秒でも惜しく。
そんな感情が明け透けに見えた渚さんの行動に──胸が、どくんと跳ねた。

──自分なんかに対して、興奮してくれている。
あるいは、自分を求めてくれている。
渚さんという、誰しもが憧れてやまない女性が、僕に対して。

──嬉しくないはずがない。心臓が飛び跳ねて、喜びを表している。
その泣きそうになるほどの幸福は、かえって恐ろしくすらあるほどだ。

何度目かも分からないが、これは夢じゃなかろうかと、改めて自分に向かって問いかける。
けれど、この手が感じている温もりは、明らかに幻覚などではない。
うっとりと、夢うつつに、多幸感が募ってゆく。

連れられるがままにエレベーターを降りると、まず豪華な赤い絨毯が出迎えた。
こんな、見るからに高価なものを踏んづけてもいいのかな──なんて、見当違いな疑問をぼんやりと思いつつ、その目の前。
降りてすぐ、眼前にある扉に、渚さんは手早くカードキーをかざす。

手慣れた動きだなぁ。何度もここに来ているのかな。
そんな下らない事を思いつつ、気が付けば。

──ぱたん。

扉は、閉じられた。

「…………」

──…………。

しん、と。

耳に響くほどの無音。

その中に、二人きり。

「……ふぅーっ……」

渚さんが、壁にもたれかかり、張り詰めていた糸を切ったようにため息を吐く。

そう言えば、何も音のない部屋に入ってから気が付いたが、廊下やロビーには、いつも音楽がかかっていたようだ。
渚さんのため息が、やけに大きく聞こえたことにより、ようやくそれに気が付く。

──…………。

渚さんは、壁にだらりと体を預けたまま、何も話さない。
天を仰ぎ、顔に手の甲を乗せているので、その表情は伺い知れないが、やけに疲れているように見える。

──何だか、何となく、居心地が悪い。
何故か、そう思ってしまった。

入り口のドアを開けてすぐの、靴箱やコートを掛けるためのクローゼットがある、短くて広い廊下のような玄関に、僕たちは立っている。

壁には絵画、傍には小さな燭台。
たった数メートルほどの、ただ靴を脱いで通り過ぎるだけの空間なのに、目を剥くほどに絢爛だ。

そして、ここを抜けて向こう側に見えるリビングは──もう、それこそ、人間が思い描く究極の理想、天国のようだ。
これを一度見てしまえば、漫画やらアニメやらで描かれる想像上の王宮なんて、ひどく安っぽいものに見えてしまう。

馬鹿みたいに大きくて、見るからにふわっふわのソファ。
芸術的な審美眼なんて欠片も持ち合わせていない僕ですら、それが最高級品であると理解できる、椅子やテーブルなどの、シックかつ威風堂々とした調度品の数々。
果ては、黒々と光沢を放つグランドピアノまで置いてある。

この場所は、貧乏人が想像する上辺だけのイメージなんて軽く凌駕する、本物。
冗談みたいに煌びやかに、贅の限りを尽くした、この世界にたった数千、数百人というレベルでしか存在しないセレブしか相手にしていない部屋なのだ。

だからこそ、一般人の僕は、この溢れ出る上流階級の雰囲気に委縮させられてしまい、居心地の悪さを感じてしまう──なんて事は一切ない。
数々のランプが放つ、温かく落ち着いた暖色の光が、ラグジュアリーな雰囲気を保ちながら、力を抜いてリラックスさせてくれる。

ならば、何故落ち着かないのか。
と、問われれば、それは──やはり、渚さんの態度によるものだろう。

その、例えるなら、全く準備してもいないプレゼンを三時間やりきった後のような、精神的にひどく疲れてぐったりとしているような様子は、いつも余裕綽々とした渚さんには似つかわしくないし、奇妙だ。
何と言うか、こう、ちぐはぐさにぞっと背筋が粟立つような、そんな感覚がする。

──あの、どうしましたか……?とりあえず向こうのソファーで、ちょっと座ったりとか……

もしかして、あんな事があった直後だし、ここに来る途中で体調が悪くなったりしたのだろうか。
興奮も冷めやらないけれど、それよりも渚さんが疲れているのなら、当然そっちの方が優先だ。
渚さんを心配しつつ、多少不審がりながら、下から覗き込むようにして尋ねる。

けれど、渚さんは返事をしない。
その代わりに、目を覆った手を、どける。
どけて、返事代わりに──僕を、見る。

「…………♡♡♡♡♡」

──っ……!!!♡♡♡

目線が、上からこちらに振り下ろされる。
その瞬間、腰が抜けて、地面に崩れ落ちてしまった。

発情に蕩けきって、恋慕にギラついて、執着に濁りきって。
昏くて、鋭くて、輝いて。
もう、狂いきってしまったかのような、明らかに正気ではない瞳。
そこに、ぷかぷかとハートマークだけが浮かんでいる。

感情という感情を、コンクリートミキサーにぐっちゃぐちゃに混ぜ合った、重たく溶けた鉛のような瞳。
一目見るだけで、脳髄を焼いてしまうほどの熱が籠ったそれは、あまりに美しく、あまりに艶やかに、鮮烈な恐怖を植え付ける。

とある物語の怪物は、その姿を見ただけで、人間を発狂させるほどの恐怖を植え付けるそうだ。
それを聞いたとき、僕はその意味を全く理解できなかったが、今ならはっきりと理解できる。

──これだ、この感覚だ。
脳がひっくり返り、精神が錯乱しそうなほどの、凄まじい感覚。

じっと見ては、いけない。
彼女の目線に、警鐘ががんがん逃げろと騒ぎ立てるが、目を逸らすことすら叶わない。

何故なら、完璧に美しすぎるから。
何故なら、究極的に淫靡だから。

そう、この感覚は、異常なまでの本能──男性が女性に対して抱く、好意的な感情のその全て──によって引き起こされているのだ。

「はぁー…………♡♡♡」

渚さんは、大きくため息を吐き、腰を屈めて──僕の頬を撫でる。
吐息がかかるほどに顔を寄せ、狂おしいほど愛おしくすりすりと、壊れ物を扱うかのように。

その行為に、呼吸が止まる。
まず何より、近い。
渚さんの、異常だと思うほどに整った顔が、理外の艶を持った瞳が、すぐ目の前にあるという、それだけで。
まともな価値観を持った人間は、卒倒するほどの衝撃に襲われることになるだろう。

そして、その滑らかな指のフェザータッチ。
頬の神経を的確に撫で、快感を与えることに特化した、淫魔じみたその手つきは、性感帯でも何でもない場所ですらも、鳥肌を立たせるほどのぞくつきを与える。

──ぁ……♡♡♡

ぞくぞく、ぞくぞく、脳が震える。
かたかたと震えるほど、全身が恍惚に包まれる。
無意識のうちに、口を半開きにさせてしまう。

たった一瞬。
時間にすればほんの数秒ぽっちで、もうこの有り様。

渚さんという、女性性を煮詰めて煮詰めて一人の人間の形に押し込めたような、エロスの塊にかかれば、この通りだ。
きっと、彼女にかかれば、どんな百戦錬磨のプレイボーイだろうと、夜の世界を支配する花魁だろうと、皆等しく初心な童貞、もしくは生娘に変わりない姿を見せてしまうのだろう。
渚さんが居酒屋で語っていたことが真実であるなら、彼女はまだ性経験は無いのだろうが、そう思ってしまうのは、その凄まじいまでの色香からだろうか。

「…………くふ、フフフ、フフ……♡♡♡」

するり。
絹のハンカチが肌を滑るかのように、渚さんの指が頬を離れる。

それと同時に響くのは、心底から愉快そうな笑い声。
必死に抑えていても、どうしても可笑しくて、嬉しくて、漏れ出てしまった。
言葉にせずとも、そうとしか受け取れない喜びのニュアンスと共に、心が震えあがるほど妖艶な笑い声が、耳の中で反響する。

「ああ、こんなに緊張したのは、本気になったのは、今までで初めてだったよ……♡♡♡」

──がちゃり。
渚さんは、ドアの前に立ち、後ろ手に。
オートロックの上から更に、二重のカギを閉める。

「そう……思えば初めてモデルとして撮影をした時も……大学受験の面接の時も……。助っ人として出た大会の決勝戦も……海外で行われたファッションショーのランウェイの上ですら……緊張するという事は全く無かったな……」

背筋に寒気が走り、しかし体は猛烈に熱い。
先程感じた落ち着かない感覚を、もっともっと何百倍にも強めた、冷や汗が流れ出るような焦燥感が生まれる。

「だってね、それらは言ってしまえば、成功することが分かりきっていた……。私はナルシストという訳ではないけれど、私自身の持つ能力を過不足無く信じて、評価しているつもりだ。だから、例えコンディションが万全でなかったりしても、私がその場において、競合する誰よりも優れていて、また、失敗することは無い、と。自惚れでなく、そう思っていたし、事実としてそれが覆された事は一度も無い」

上から、じっと。
その狂ったように色めいた瞳で、見下ろされる。

「けれど……♡♡♡キミを誘惑して……♡♡♡私に夢中にさせて……♡♡♡ホテルまで連れてくるのには……♡♡♡こんなに緊張して、精神をすり減らして、幾度となく呼吸を詰まらせた……♡♡♡」

腰が砕けて、立ち上がれない。
絶対的に不利な体勢のまま、それを覆すことができない。

「不安だったよ……♡♡♡そこいらの雑多な人間をホテルに連れ込めと言われれば、それは誰よりも上手くできる自信はあるけれど、それでも……♡♡♡」

渚さんは、膝を曲げてしゃがみ、そっと首を抱き寄せる。
深くて熱く、湿った吐息。
僕と渚さんのそれが混じり合い、やがて空気に溶けていく。

「キミの心を奪えるか、ずっと不安で不安で、心が壊れてしまうかと思った……♡♡♡フラれたらどうしようか、嫌われたらどうしようか、と……♡♡♡」

──つん、と。
鼻を刺した、ひどく雌っぽい匂い。
ぐずぐずに熟れた桃や、たっぷりのバニラを入れたクリームを思わせる香りに、饐えた生っぽい匂いが混じり合って、嗅覚神経が焼けてしまいそうなほど濃くて甘ったるい。

「けれど、その不安が、感じたことのない高揚を生んだんだ……♡♡♡こんな思いをするのは初めてだった……♡♡♡これほどまでに心を揺さぶられることなんて、一度だって経験したことは無かった……♡♡♡」

た、っぽん♡♡♡
渚さんが身体を揺すると、その揺れを何倍にも増幅して、豊満な乳肉が嘘くさいほど揺れる。
ゆさり、たぷり、とっぽん、むんにゅぅり。
雌肉の魅力をとことん極めつけた魅惑の柔らかさが、目の前に。

「ああ、本当に緊張したよ……♡♡♡言葉の限りを尽くして、誘惑して、密室まで連れ込むというのは……♡♡♡途中でキミに逃げられたら、そんなに惨めで空しいことは無いからね……♡♡♡
一人っきりでスイートルームに三日間、そこでひたすら枕を濡らすなんて、想像したくも無いな……」

脳内がピンクに染まり、思考がぐちゃぐちゃと覚束ない。
が、そんな中でも、粉粒ほどに残った冷静さが、何やら疑問を思い浮かべる。

──あ、れ……?

そう言えば、渚さんはいつの間にこの場所を予約したのだろう。

ふと浮かんだ謎は、深く考えることはできないが、確かに引っかかりとして脳内に残る。
それを見た渚さんは、悪戯が成功した子供のように、可笑しそうに笑った。

「フフ、ククク……♡♡♡フフフフ……♡♡♡」

──ぞっとするほど、寒気すらしてしまう、壮絶な美貌と妖艶さ。
喜色やら情欲やら、あるいはもっと別のどろどろとした何かに染まった表情を、向ける。

「ああ、キミは本当に愚かだな……♡♡♡今更気が付いても、もう遅いのに……♡♡♡」

背筋に、ひやりとした感触を感じた。
氷を服の中に入れられたような、けれどクセになってしまいそうな、精神を強く揺さぶる感覚。
何か、気づいてはいけないものを、あるいは起こしてはいけない何かを、目覚めさせてしまったのだろうか。
そう後悔するも、もう何もかも遅かった。

「そうだね、その話をする前に、まずは……今の今まで、不安と緊張に押しつぶされそうだったと、そう私は言ったよね……?♡♡♡でも、今はもう、不安は全く無いんだ……♡♡♡キミがこの部屋に入った瞬間、その恐怖は全て消えた……♡♡♡それは、何故だか分かるかい……?♡♡♡」

──ばくばくと、心臓の鼓動が、無秩序なほど早く音を鳴らす。
何か異常さすら感じるほど、美しすぎている彼女の顔が、瞬きすら許さず、目を逸らさせてくれない。

「知っているんだ……♡♡♡燕が、何も言わずとも空を飛ぼうとするように……♡♡♡あるいは、毎日黙っていてもご飯を貰える家猫が、それでも鼠を狩ろうとするように……♡♡♡それは、一種本能的に望んでいて、なおかつ最初から知っていたんだ……♡♡♡」

さらり、渚さんの髪が揺れる。
その一本一本、滑らかに軽くカールする曲線や、キューティクルの艶ですら、いやに艶めかしく、情欲をそそる。

「私はね、自分で言うのも何だけど、所謂天才というものなんだと思う……。それは、ありとあらゆる物事……例えば、スポーツ全般においてもそうだし、勉学でもそう……。それから、ちょっとした遊びとか、ゲームとか……。」

しっとりと、心の奥底に深く染み入るような、脳を蕩かすハスキーボイス。
甘く、深く、快く、いつまでも聞いていたくなるそれは、まさに渚さんの魔性をよく表した声質だ。

「自称だけではなく事実として、私の人生において……それら全てで、天才だと何度言われたかなんて、覚えてもいられないほど言われたよ。お前なら絶対に世界一になれる、一緒に頂点を目指さないか、なんて……。やけに興奮した口ぶりの……多分、ストリートバスケをしてた時に言われたから、それのトレーナーだったのかな?まあ、そういうスカウトに出会った事だって、一度や二度じゃないんだ」

そっと、渚さんの腕が伸びる。
その脚と比例して、やたらと長い、腕が。

「気まぐれにサッカーをやれば、全国大会にも出た男子のチームを一人で抜き去って、そのままゴールを決めてやった。近くのゲームセンターに行けば、大抵のゲームに同じ名前のハイスコアが並んでる。模試をやれば、全ての教科で二桁以内の順位に入っていた」

すべすべの肌、もちっとした潤いの肉。
細身でありながらも、しかし筋肉と脂肪が奇跡的なバランスで付いた、むしゃぶりつきたくなる二の腕が、目の前に現れて、手のひらは僕の背中に触れて。
それだけ、ただ触れただけで、甘くとろけるような多幸感が広がる。

「けれどね、それらよりももっと、比べ物にならないほど得意で、たった一度の練習もせずに、世界で最も、誰よりも上手くできる。実際にそれをしたことは一度も無いけれど、それでも、確信がある。もしもその行為にスコアを付けられるなら、この世界の”二位”の人間の倍ほども……いや、もっともっと、数十倍もの差が付くだろう。確実に、胸を張って、そう言える。そんな行為があるんだ。
……それが何だか、分かるかい?」

そして、そのまま、腕は背中に、膝の裏に。
二本の肢が愛おしそうに絡みついて、縛る。
その、愛情表現としては異様な行為を、僕は拒むことができない。
今ならば、例え彼女がナイフを向けたって逃げないだろう。
それほどに、心酔していた。

──そんな、渚さんの蠱惑にふやけきった心に。

「──セックス……♡♡♡交尾、まぐわい、睦み合い……♡♡♡」

──っ……!!!♡♡♡

甘く、甘ったるいという言葉すらも通り過ぎるほど甘く、味覚にすらじわりとした砂糖甘さが広がる、甘い声。
ぶるりと身震いをすることも叶わず、あまりの恍惚に声を出すことすら出来ず。
ただ、背中からぞわぞわと粟立つような感覚が通り抜けて、その直後に何もかもが溶けてしまう。

「男を射精させ、女に潮を吹かせることは、きっと誰より得意なんだ……♡♡♡私のカラダを使って、この肉体で虜にして、性の快楽に依存させることが、何よりも上手……♡♡♡何故かは分からないけれど、間違いなく、そう断言できる……♡♡♡実際にシたこともない処女、男根の味も知らない生娘のくせに、生意気だと思うかな……?♡♡♡」

──身体が、ふわりと浮かんだ感覚があった。
いや、感覚だけではない、実際に体が浮かんでいる。持ち上げられている。
膝の間に通された右腕と、背中を支える左腕。
渚さんは、いとも容易く、軽々と、僕の身体を抱きあげていた。

──お姫様抱っこ。
世間ではそう呼ばれている行為を、渚さんという女性、つまり一般的にはお姫様とされる性別の人間が行うと、しかしこれほど絵になる人間は他にないと間違いなく言える。
すらりと長い手足、甘く端正で爽やかなマスク。
まさに白馬の王子様が行うように、その行為は非常にサマになっており、思わず胸がときめいてしまう。

「そう……私が、実際にソレが得意なのかは、分からないんだ……♡♡♡何度も言うけれど、そんな事を誰かにした事は無いからね……♡♡♡
けれど、じゃあ、キミは私のセックスが下手だと思うかい……?♡♡♡私の腰遣いが、オナホで扱くよりも劣るような、味わうに堪えないものだと思うかい……?♡♡♡」

──けれど、その行為の実態と言えば。
まかり間違っても抵抗できない体勢で、相手の許可を得ることなく体を持ち運び、目的地まで有無を言わさず運搬するという強引なもの。
実際に、横抱きに持ち上げられてしまえば、その状態から逃れる事はできない。
その様子は、断じてお姫様と呼ぶことはできないだろう。
むしろ、これは王家という莫大な権力を持った王子様が、好みの雌を食べるために、閨に持ち運ぶようなものだ。

けれど、そんな極めて自己中心的なアプローチから、逃れようとは決して思わない。
何故なら、彼女の言う通り。
渚さんという理想の王子様、それでいて垂涎ものの極上の女性の、その性技が──優れていない、訳がないから。
こんなにも甘ったるい雌のフェロモンを振りまく彼女を、その柔肉に獣が牙を突き立てるように、本能のまま貪り散らかしてやりたいから。
彼女から与えられる、途方もない肉欲と性的快楽が、待ち遠しくて仕方ないから。

理屈がどうとか、そういう事でなく、渚さんのセックスが下手な訳が無い。
それは、例えるなら、数学の証明において1+1が何故2になるかという理由をわざわざ説明しようという人間がどこにも居ないように、全く大前提の話なのだ。
それが──実際に、経験した人間が誰もいなかったとしても、疑いようも無く。

「……そう、そんな訳、ないよね♡♡♡こんな交尾にしか使い道のない爆乳と……♡♡♡一秒一瞬の途切れなく男に媚を売る腹のくびれと……♡♡♡ちんぽをパキらせて種付け欲を煽ってズリネタにされることにかけて右に出る人間なんて連れてこれるなら今すぐ連れてきてほしいとしか思わないデカケツ……♡♡♡それに雌として遺伝子優れすぎな顔面もくっ付いてて……♡♡♡そのくせスカした雰囲気で殊更にちんぽの芯を固くさせて……♡♡♡こんなに孕ませたいと思わせる極上の雌が、セックスが下手な訳がないんだよ……♡♡♡」

甘ったるく、けれど余裕を崩さない、興奮が混じりつつも平然とした口調で。
もう──あっからさまに、媚びる。
トーンは低く、落ち着いているくせに、言葉遣いはどんどん下品に。
自分の雌としての魅力を叩きつけて、普段の洒落た口ぶりからは考えられない、自ら品格を貶めて雄に媚びるだけの卑しい雌の語彙を駆使し、今から行われるそれへ、意識を否が応でも向けさせられる。
ぷんぷんと、じっとり饐えて甘酸っぱい、脳の奥が官能に痺れる発情臭を嗅がせながら。

「だってさ、考えてもみてよ……♡♡♡そこいらの適当な風俗嬢を連れてきてゴム無し生セックスするのと……♡♡♡私のメートル越えずっしり生爆乳を見ながら一人で慰めるのとさ……♡♡♡どっちか選べって言われたら、心臓が一度脈打つまでの一瞬で決められるだろう……?♡♡♡そう、セックスするまでもなく、並大抵以上の女から精液を奪えるのにさ、直接責めてあげたら……♡♡♡もう、絶対に、二度と私以外で射精なんてできないに決まってるんだ……♡♡♡」

たふ、たふ。
一歩一歩、処刑台となるベッドルームに向かって、足取り軽やかに、渚さんは向かう。
やはり、この部屋の絨毯は、そこらの一般家庭で敷かれるような雑多なものとは比べ物にならないほど上質なものなのだろう。
普通の女性よりは体重が重め──その体の局所局所についたクソ重い媚肉脂肪の塊せいで──の渚さんと、それにプラスして成人男性一人分の重量が加わっているのに、足音がどしんと響く事は無い。

ブラウンがかった光が、僕達と部屋の調度品を照らす。
やはりここは最高級の部屋なのだろう、ホテルにしては常識外れなほど、それこそこんな状況でなければあまりの広さに笑いすら込み上げていたであろうほどに、だだっ広い。
それでいて、どれほど細部に目を凝らそうとも、理に適わない悪質クレームの一つすら出てこないほど、手抜きが無い。

「それに、それだけじゃないんだよ……?♡♡♡私はただ、顔が良くて体が淫らなだけの女じゃない……♡♡♡私はね、自慢じゃない……いや、どうせならすっごく自慢するけど、もう持ってないモノなんてこの世に無いんじゃないかってほど、金も名誉も名声も人気も人脈も、とにかくありとあらゆるモノを持った、絶対的な成功者なんだ……♡♡♡ただ寝起きにベッドで適当に自撮りをすれば、間違いなく数万の反応を貰えて、もしその投稿にギフトを送れるフォームでも設置すれば、私の熱狂的なファンから数か月は遊んで暮らせるお金が貢がれるだろうし……♡♡♡ちょっとSNSで『この服おっしゃれー♡着てみたーい♡』なんて呟けば、その会社からその服が送られて、しかもPRの仕事として現金まで振り込まれ、世間ではその服が流行になるだろうね……♡♡♡
なんて、やろうと思えばそれくらいの事はできる、それが早瀬渚という、これ以上ないブランドのプレゼンスなんだよ……♡♡♡」

そんな、心遣いの一つ一つに感嘆の息を漏らし、心ゆくまで楽しむべき部屋を。
──完全に、素通り。
それどころか、やたらと広くて面倒だなぁ、なんて、この部屋を設計した人間と価格を設定した人間が聞けば卒倒するような言葉を残しつつ、ベッドルームにひたすら直進する。

一泊数十万もする最高級の一室が、文字通り、ただのヤリ部屋代わりのラブホ。
そんな尊厳を凌辱するような真似に、しかし文句を付けられる人間なんてありはしない。

「SNSのフォロワーは確か……もうすぐ300万人になるんだったかな?私の写真集も、今度ミリオンセラーになるって言ってたっけ……♡♡♡兎も角……少なくとも、間違いなく言えるのは、今の日本で最も美しくて体つきのエロい女と言えば、早瀬渚だと誰もが口を揃えてそう言うだろう……♡♡♡だって、数字とデータから見れば、間違いなくそうなんだから……♡♡♡そう、日本で、もしかすると世界で、最も男からも女からもズリネタにされた女……♡♡♡今でも確実に、この世界のどこかで性的消費されている雌……♡♡♡
……そんな、女がさ♡♡♡このホテルで、深夜にはだけたバスローブを着て、汗だくに湿って紅潮した、明らかにセックス直後の肉を晒して……♡♡♡それで、首筋にキスマークなんか付けて、突然自撮りを投稿して”匂わせ”なんかしたら……♡♡♡どう、なっちゃうかな……♡♡♡」

──びくん、と。
明確に、肉棒が、跳ねた。

渚さんは、そんな僕の表情を見て、ますます笑みを深める。
これほどまでに明らかな、僕自身も今の今まで知らなかった弱点を、みすみす見逃す渚さんではない。

「おや、そういうのが好みかな……?♡♡♡なら、そうだね……♡♡♡ほら、キミもSNSのアカウントぐらいは持っているだろう……?♡♡♡ならさ、キミが私の痴態を撮って……そう、例えば、たっぷたぷになるまで射精した、『乳まんこ』『口まんこ』『まんこ』って書かれた三つのゴムを咥えさせて……♡♡♡それで、目だけは私が腕で隠して、身体は明らかに服を着てないけど何とか乳首は見えないようにトリミングした、元画像は絶対丸見えだって丸わかりの画像に……♡♡♡『タダまんゴチで~す♡ちょっと乳揉んで誘ったらホイホイ着いてくるバカマゾ女♡もう俺のチンポにドはまり完全屈服したお手付き雌だから二度と俺から離れませ~ん♡クソみてえにたっけえホテル代全部払ってくれる最高のオナホATM拾えてラッキー♡』なんて文章をくっつけて投稿してみるかい……?♡♡♡」

──ふっ♡♡♡ふっ♡♡♡ふっ♡♡♡

息を荒くして、渚さんの腕の中で、縮こまる。
実際にそれをする訳ではないし、流石にそこまではしようとも思わない。
しかし──じゃあ、できないのかと問われれば、できてしまう。
今、手元に包丁があれば、ああ、やろうと思えば自分は人を殺せてしまうんだな、と思うように。

けれど、僕以外の全ての人間は、それを夢物語として処理することしかできない。
『することはできるけど、理性があるからやらない』という、先程の例とは断じて違う。
本当にそんなシチュエーションを夢見ている人間は数多く居るだろうし、実際にそんな書き込みを掲示板か何かで見たことがある。
しかし、彼らには絶対にそんなチャンスは訪れないし、それは彼らも理解しているはずだ。

──けれど、僕は、違う。
やろうと思えば、それができてしまう。
その、この上ない優越たるや。

「そんな投稿を見た人間はどう思うかな……?♡♡♡まず、初めに見るのはキミの友人……あるいは、義理で相互フォローになっている同学部の人間だろうね……♡♡♡普段はキミが自分と同じく恋人を持っていないことに多少の安心感を抱いたり、あるいは恋人持ちの人間は、多少の優越を感じたり、心のどこかで多少そう思っている人達……♡♡♡
でも、キミの投稿を見れば、そんな情勢はすぐにひっくり返るだろうね……♡♡♡ただでさえ顔も身体も抜群な金持ち女を引っかけたとあれば……♡♡♡更に、不幸にもあんなバカデカい乳をぶら下げてる雌は早瀬渚しか居ないと気付いてしまえば……♡♡♡倫理がどうとか、そんな下らない事を考える前に、まず嫉妬に狂ってしまうだろう……♡♡♡あり得ないって現実逃避して、あるいは歯茎から血を流すほど歯を食いしばって……♡♡♡」

──やっぱり、渚さんは天才だと言わざるを得ない。
男を誘惑すること、また男の劣情を煽って精液を煮立たせることに関しては、誰も追随することを許さないほどに。

もう、僕がどんなシチュエーションや要素が好みで、どんな言葉をかければペニスをがちがちに勃起させて口数少なになるか、完璧に理解されている。
彼女の口から飛び出る、それこそ渚に吹く潮風のように爽やかな口調の、けれど内容はどぎついショッキングピンクな言葉が、どれもこれも心とペニスに深く突き刺さって耐えられない。
言葉という言葉が、汚く下劣であさましい欲望という隠していた急所を貫き、脳が沸騰するような凄まじい興奮に襲われる。

──恐ろしい。
彼女の持つ、敏感などという言葉では表現できないほどの、性への嗅覚が。
男を悦ばせ、その気にさせるための、その淫魔じみた本能が。

もし、もしも。
いや、もはや仮定などでは絶対に済まされない事だが、これを言葉だけではなく行為で示されたら。
彼女の持つ、豊満にむちついた雌らしい柔らかさと、若々しく孕ませ頃だと誇示するようなハリを両立した、むちむち艶々の肉体で。
その、悪魔の本能を発揮され、弱点を、嗜好を、好意を、何もかもを見抜かれてしまったら。

──もう、そんなの。
ぞく、ぞく、ぞくり。
寒気とも痺れともつかない感覚に、渚さんは目ざとく言葉を返す。

「フフ……♡♡♡ね、もう理解できただろう……?♡♡♡こんな快感、私以外の誰が与えられる……?♡♡♡キミの心の奥底の、満たされるはずがない贅沢すぎる性癖……♡♡♡これを満たしてくれる人なんて、ましてや、それに加えて極上の淫肉と技巧をもってキミに世界最高の性体験をプレゼントしてくれる人なんて、この宇宙のどこに居る……?♡♡♡こんな、オナネタにされるためだけに生まれたような、悪魔みたいに淫らで美しい女と、相思相愛の交尾ができる機会なんて、キミの今後の人生で訪れると思うかい……?♡♡♡」

──ない。絶対に、あるわけがない。
その美貌。その肉体。その立場。
彼女の持っているもの全て、そのうちのどれか一つですら。
渚さんに匹敵する女性なんて、どれだけ奔走したって知り合うことすら不可能だ。

そう、そうに決まっている。
そんな事、考えるまでもなく、分かることだ。
──けれど、だからこそ。

「ねえ、知ってるかな……?♡♡♡例えば今まで清貧を貫き通した修行僧のような人間でも、一度でも贅沢を知ってしまうと、その生活のレベルを元の水準に引き下げることは困難を極めるんだ……♡♡♡そう、一度味わった快楽は、消える事は無い……♡♡♡私が今から何日もかけて与える無上の快楽は、一生キミの脳裏に張り付いて、じわじわと膨れ上がっては蝕む毒として、残り続ける……♡♡♡私以外の誰も、その極楽へ導かれる欲求を、解消できないまま……♡♡♡どんなに高い女を抱いても、それを思い出して自慰するよりも、ずっとずっと程度の低い快感しか得られない……♡♡♡もしも私から逃げてしまえば、楽園から追放されて、地獄へ急転直下……♡♡♡そんな、喉を掻きむしって悶絶するような日々だけが、残るんだ……♡♡♡」

──恐ろしい。
渚さんという女性が優れている分だけ、恐ろしくて恐ろしくて、堪らない。
その生き地獄のように残酷な結末に、身の毛がよだち、冷や汗が噴き出す。

そう、そうなのだ。
だから、僕は渚さんと関係を持つことに、強い恐怖を覚えていたのだ。

ずっとずっと、このホテルに来るまで僕は、渚さんからの誘惑を断ち切ろうと、ずっと足掻いていた。
結果として、それは抵抗したとは言えないほどの、渚さんからすれば微かな反発だった、あるいは抵抗している事すら気付かない、ごく微弱な反抗だったのだろう。
事実として僕は、渚さんの手を、指を、唇を、退けようと押し返すことも、やめてくださいと突っぱねることもできなかった。
僕がしたことと言えば、せいぜい彼女に誘われた時点で、その誘いに飛びついて、大通りから離れてもいない居酒屋を出てすぐ隣の路地裏の隙間で、彼女のいやらしさ満点の身体にがむしゃらに抱き着き唇を奪ってべろべろ舌を絡めるキスをしながらペニスを太ももに押し付け腰を振りたくり、求愛することをぐっと堪えた程度だ。
けれど、それは僕にとっては重大な、精神力を使い果たすほどの藻掻きだったのだ。

普通に考えて、マトモな精神の人間なら、いくら相手に誘惑されたとて、そんなもの堪えたのうちにも入らない。
しかし、その相手が早瀬渚であるという前提が入れば、話は全く変わってくる。
無作為な男女を一万人連れてきて、僕と同じ状況を味わわせれば、誰か一人でもこのホテルまで彼女を押し倒さずに歩いて来れる人間が出るだろうか。
それほどに、渚さんという目も眩むような美女とただ歩き、性欲をほんの数十分我慢することは、僕にとっては身を火で炙られるのをじっと耐え続けるような苦行だった。

けれど、僕は終ぞそれをしなかった。
それは、常識的に考えてそんなことをすべきではないという、一般倫理を重んじてではない。
いや、それも少しはあっただろうが、心の中を占める割合としては、1%未満だろう。

そんな事よりも、何よりも、僕は。

「フフ……♡♡♡ああ、分かっているよ、何も言わなくても……。知っていたよ、キミを一目見たその時から、キミが何を恐れているか、何を忌避しているか……。
初めて会った時から、何となくそう思ったんだ……。この子は、私から距離を置こうとしている、離れようとしている……。けれど、それは嫉妬や妬み、あるいは劣等感による物でもない……。私に対して確かに好意を持っているのに、近づけば離れて、かと言って離れれば遠くから私を眺める……。だから、少し不思議に思っていたんだ。
でも、すぐにその理由は分かった……。キミは、私に嫌われる事が怖いんだろう……?つまらない奴だと思われて、興味を向けられなくなる事が怖いんだ。私と近づきたい欲望は確かに持っているけれど、それよりも私に認められないことが、何よりも怖い……。
そして、もっと言えば、今は飽きられる事に恐怖を抱いている……。結局のところ、自分なんかが私に気に入られる事なんて有り得ないと思っているんだ。だから、今から美味しく食べられて、この世の天国を勝手に味わわされて、魂の奥底まで快楽が染みついたと思えば、飽きた玩具を放り投げる子供みたいに……ポイっと。もっともっと、自分より優秀で、気に入った男が現れたら、乗り換えられる……。それを確信していて、それが恐ろしくて堪らない。違う……?」

じっと、僕の瞳の奥底まで見透かすような、超越的な目線が突き刺さる。
爛々と輝いた、深い碧眼。
──きっと、どう取り繕った返事をしても、どれほど自分の意思を覆い隠した表情を作っても、彼女に対しては無駄なのだろう。
この目を見ると、どうしてもそう思ってしまう。

「男なんて、恋人にする人間なんて、私から見ればより取り見取り……このホテルの中に居る、世間的に見れば上流階級の、婚活の会場なら所謂『大アタリ』『玉の輿』と呼ばれる人間すらも。カタログから気に入ったものを自由に選ぶみたいに、ほんのちょっと媚びて好意をチラつかせてやれば、向こうから入れ食いになって食いついてくる……。やろうと思えば、カラダを使うまでもなく、口先だけで貢がせるだけ貢がせて、搾り切ったらゴミみたいに捨てる、なんて事すらもできるだろう私が、自分を選ぶなんて、ちょっとした気まぐれに違いない……。
だから、こんな自分が、私をずっと繋ぎとめていられる訳が無いって、そう思っているんだろう……?世界の誰からも好きなように選べて、支配してしまえる女が、自分なんてわざわざ選ぶわけがないって、そう考えてしまっている……。飽きっぽい私は、いつかキミと共に過ごすことに退屈して、興味を失って、離れていく……その確信から、キミは私の好意をどこか信じられないんだろう?」

──もはや、頷くまでも、なかった。
一言一句、その通り。
むしろ、僕が言語化できなかった、漠然とした不安すらも言い当てられてしまう。
もう、僕よりも渚さんの方が、僕の感情に詳しいのではないだろうか。
そう思うほど、渚さんの分析は正確だった。

もしも、渚さんと、このままベッドに入ったら。
付き合って、愛し合って、睦み合っていれば、その時だけはこの世のどんな男よりも強い幸せを感じられるだろう。
彼女と正面から向き合って、裸体という最も無防備でプライベートなものを重ねながら、心から嬉しそうに、気持ちよさそうに、僕のモノで悦んでくれたら、悦ばせてくれたら、天にも昇る心地だろう。

けれど、飽きられて、捨てられてしまえば。
渚さんという、世界で最も愛おしい女性を失ってしまえば。

──もう、何もかもが、おしまい。
渚さんに飽きられる。つまらないと思われる。
もう二度と愛さないし、会うこともない。
もしもそんな事を言われたら、高い崖から突き落とされたように、強く叩きつけられてバラバラになるほど心が砕け散って、もう二度と治ることは無いだろう。
なにせ、それを考えただけで、心臓が縮みあがり、自分で自分の首を捩じり切ってやりたくなるのだ。
想像するだけでそうなのだから、現実にそれが起これば、本当に気が狂って死んでしまうかも知れない。

僕はもともと、彼女に認められるほど何かに優れている人間ではない。
関係を持ったとしても、きっといつの日か、早ければ三日ほどで、飽きられてしまうに決まっている。
人生のうちに貰ったことがある賞状なんて皆勤賞の一枚しかないほど平凡で、特別何かの才覚に秀でている訳でもない僕は、どうしてもそんな想像を止められない。

──しかし、けれど、だからと言って。
渚さんから、今更逃げるだなんて、そんな事が果たして可能なのか。
渚さんに散々期待感を高められて、目の前に極上の餌をぶら下げられて、それから逃げるだなんて、そんな事が。

たっぷ、たっぷ、と目の前で悩ましく揺れる、ありとあらゆるアメリカンサイズの服や下着が、彼女からすれば女児用にも等しくなるであろう、言葉通り規格外の爆乳と巨尻。
そのくせ、きゅっとくびれて細身な、両手で掴んで上下に揺するためのハンドルと化した、性交にあまりにも都合よく出来た、わがまま過ぎるウエスト。
ほんの少し近づくだけで、そこいらの子供が精通もしくは初潮を引き起こしてしまいそうな、脳に直接キくほど甘ったるい発情フェロモン。

それらに思考が阻まれて、ぐるぐると。
答えなんて出そうにもない鈍った頭で、考える。
いや、考えているというよりは、ただまごついているだけと言った方が正確だ。
怖いけれど、でも、僕は渚さんに対して、確かに強い好意を抱いていて。
恐ろしいけれど、しかし、今から渚さんから離れられるかというと、そんな事は絶対に出来なくて。

そんな矛盾した考えを抱きつつ、そもそも体は渚さんに抱かれたままで、それに対してはろくな抵抗もしていない。
つまるところ、僕の逡巡とは、子供が母親に抱き着きながら、母親に泣きながら文句を言っているような、理屈の通っていないただの駄々なのだ。

「…………♡♡♡」

そんな僕の内心を、渚さんは僕よりも深く知っていたのだろう。
ただ微笑んで、何も語らず、じっと顔を眺め、歩く。

たふ、たふ。
たふ、たふ。

たふ、と。
ゆったりと一定のリズムで繰り返されていた、足音と揺れが止まる。
その直後、ぱたん、と、控えめに音を立てて、背後でドアが閉まる音がした。

──に、まぁ……♡♡♡

同時に渚さんが浮かべたのは、深く、粘ついて、満たされたような、淫らな笑み。
それに何かを感じ入り、縛り付けられるように渚さんの顔へと固定されていた視線を、隣にずらす。

──あ……♡♡♡

「フフフ……♡♡♡着いたよ……♡♡♡」

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