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35: 君に勧む金屈卮

「やってくれたねぇ、栗本くん……」

細フレームの眼鏡を外し、眉間を揉み込む戸沢先生。革製の高そうなソファに身を預け、ため息をつきながらのソレに、俺は「ご迷惑をおかけしてすみません」と頭を下げた。

――異境から戻った俺は、祝日明けの火曜日に職場復帰した。そして出社直後に退職願を提出、猛烈な引き止めにあったがそれを全力で振り切り、後任の営業マンを連れて紹介営業に臨んだ。作りかけの提案書の仕上げやら引き継ぎリストの作成やら納品の立会やらの残務の間を縫ってメインクライアントである先生のところにも挨拶へやって来たのだが……。

「僕は君が担当してくれるっていうから紹介したんだよ? 先方の先生にもそう伝えていたのにいきなり辞めます新しい担当ですってんじゃ話が違うじゃないか」

開口一番めちゃくちゃ怒られた。いやまあ不義理かましたわけで当然なんだけど……。

「本当に申し開きのしようもなく……。……これはほんのお詫びの品なのですが……」

と前置きし、シックな包装の小箱を差し出した。先生の大好物、ベルギー生まれの高級ショコラだ。ちなみに通販では買えず、国内には東京駅しか店がない。新幹線に飛び乗って買い求めた逸品だ。

「こういうところも気に食わないね。物なんかで僕を釣ろうとしてさあ」

そう憤激しつつ包装を破り、パクパクと食べ始める先生。

「もぐもぐ……。ほら何してんの、栗本くんも食べなよ、君が買ってきたものだろう、もぐもぐ……」
「あ、はい。では失礼して……」
「まったくもう……。妻に聞いてもらえなくなった民間伝承の話をようやくできる相手が見つかったと思ったのに……」

でたよ本音、とはさすがに言えない。
殊勝な顔をして、「申し訳ないです」と謝り倒す。
大好物のチョコを食し、さらには平身低頭な俺を見て許す気になってきたのか、盛大なため息をついた戸沢先生は「で? どうするつもりなの、これから」と訊いてきた。

「同業他社への転職? それとも異業種? 栗本くん地元東京だったよね、帰る方向?」
「えーっとですね、実はそのいずれでもないんですよ……」
「どういうことだい? もしかしてハッピーリタイア? 栗本くんって投資とかしてたっけ……?」
「そういうわけでもないんですが……。隠居という言葉は近いかもしれませんね……」

さすがに「先生の言ってた種乞い狐と出逢ってベタ惚れしたんで向こうでいっしょに暮らします」と正面切って言うのは気が引けた。
いくら先生にその手の理解があると言っても、それこそ“狐に憑かれた”と思われかねない。根掘り葉掘り聞かれるのも困るし、それに付き合う時間的余裕もなかった。

「むー……。なんだいなんだい、迷惑をかけただのなんだの言いながらそうやって言葉を濁して……。そうやってだんまりするなら何をしに僕のところに来たのさ。怒らせにきたのかい?」

もちろんそうじゃない。
出来る限り早く三姉妹の元に戻りたい俺が、こうやって先生のところにやって来たのにはワケがある。
ひとつは退職の挨拶をするため。
そしてもうひとつは――

「……不義理に不義理を重ねるようで申し訳ないんですが、先生にお願いしたいことがあるんです」
「ふぅん……?」フレームの奥の瞳に剣呑とした色が浮かんだ。「約束は違え、今後についてはだんまりで、それでも僕にお願いがある、と? ずいぶんと厚かましいじゃないか。栗本くんはそういうやつだったのかい?」
「……本当に申し訳なく思います。でも俺は先生の他にすがれる相手がいません。お願いします。どうか、俺の願いを聞き届けてください――」

先生の鋭い眼光に、俺は立ち上がり90度の姿勢で頭を下げた。重々しい空気が院長室に垂れ込める。先に沈黙を破ったのは先生だった。

「……聞き届けるかどうかは別にして。何だい、栗本くんのお願いっていうのは」

俺はそれを口にした。

「先生は前に、種乞い狐にさらわれた男の話をしてくれましたよね……? 1年ほど行方不明になり、そして干からびて戻ってきた男の話を……」
「そういえばそんな話もしたね。……で、それが?」
「しばらくして亡くなったのは聞きましたけど、男が戻ってきてからどこで何をしたのか、死ぬまでの足取りを伺いたいんです。そしてできれば名前とか住所とか、そういった情報もご存知のことがあれば教えてほしい――」
「それは……、うんまあ僕の知ってることであれば構わないけど……。でもどうしたんだい急に……、ひょっとして民俗学者に転身しようとか……? それならそうと言ってくれれば……!」

先生はそこで言葉を切った。そして俺をまじまじと見つめる。

「……そう言えば栗本くん、3日ほど行方不明だったらしいね……。僕のところに会社の人から連絡が来たよ。『栗本が戻らないんですが、何かご存知ありませんか』ってね」
「そうでしたか。それはご迷惑をおかけしました」
「さらに言えば放置された社用車が例の小萩山の麓で見つかったという話も聞いたよ。……栗本くん、君――行方不明になった3日間、どこで何をしてたんだい?」

さすがに疑われるよな。しかしそれを事細かに話すのは心情的にできかねるし、時間的余裕もなかった。知らぬ存ぜぬで押し通すしかない。

「……ご想像におまかせします」
「それも教えてくれない、か……。まったく君は……。でもまあ、うん。いいよ、協力しよう。全面的に協力する……、ってどうしたんだい鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
「良い……んですか? こんなに不義理を重ねてるのに……」
「自覚があるなら少しぐらい喋ってもらいたいけれどねぇ……。……ただ僕の推測通りなら言いづらい心情は察せられるし、僕は栗本くんに好意を持ってるし、あ、これ友人としてという意味だよ? 誤解しないでね? それにこういう話は大好物だから協力してあげようじゃないか」

自然と頭が下がった。

「ありがとう――ございます……」
「いいからいいから。というか栗本くん、君ほんとうに運がいいよ。というのはね、そのさらわれた男性のお兄さんと僕は友人関係なんだ」
「へ?」
「ご実家がお医者さんの家系でね。僕と専門分野が近いこともあって元々の知り合いだったんだよ。そういう縁もあって先方の家に伺って話を聞いたこともあるんだ」

どうだい凄いだろう、と胸を張る先生。
テンションが上ってきたのか驚き絶句する俺をよそにどんどんまくし立ててくる。

「ご本人は芸術家になってしまったとかで一悶着あったらしいんだけど、お兄さんはちゃんと家を継いでてねぇ。……あ、そうだもし良かったら直に話を聞いてみる? 僕がお兄さんに連絡して会ってもらえるか尋ねてみることもできるけど……」
「本当ですか! ぜひお願いします!」

好転していく話に驚きながらも二つ返事でお願いすると、先生はその場で先方に連絡し、本当に約束を取り付けてくれた。
男の実家は九州。東北からだとかなりの遠距離になるが、予定していたより大きな成果を持ち帰れるかもしれないと、俺の胸は高鳴る一方だった。

「そうそう。僕が伺ったときにメモしたノートがあるよ」

それを開きながら男のその後について知っていることを先生は教えてくれた。本当に、ありがたい……。

「と、こんな感じなんだけど、だいたいメモすることはできたかな?」
「はい。ありがとうございました」
「いやいや僕の趣味が役に立てて良かったよ。はー……、しかしいっぱい話したせいか少し喉が乾いてしまったな」

嬉しそうに立ち上がった先生は、カップを傾ける仕草をした。

「実はね、とびっきりの茶葉が手に入ったんだ。いつ誰と飲もうってずっと考えてたんだけど、今日、君と飲むのが良さそうだ。急いでるみたいだけどそれぐらい良いだろう?」

土着の民間伝承の蒐集だけでなく、お茶も趣味にしている先生が自ら淹れてくれるという。不義理を重ねてきてることもあって付き合いたい気持ちは山々だったが……。

「先生すみません、本当に時間がなくて……」

ついつい話し込んでしまって予定を完全にオーバーしてる。俺が焦った様子を見せると、先生は「だめだよ栗本くん」と俺を窘め、風流なことを言い出した。

「昔のひとは言ったものだ。『君に勧む金屈巵 満酌辞するを須いず 花發けば風雨多く 人生別離足る』とね」

君との最後のお茶になるだろうから、と付け加えられ、確かにそうだと思った俺は迷った末に、結局その“とびっきり”をいただくことにした。
秘書に沸騰したお湯と温めたポットとカップ、そして茶葉
リーフ
を持ってこさせた先生が、慣れた手つきで紅茶
ダージリン・ティー
を淹れてくれる。

「ところで、すみません。先ほど仰った『きみにすすむきんくっし……』ってあれ、何でしたっけ? どこかで聞いた覚えもあるんですが……」

馥郁たる香り。それを愉しみながら訊いてみる。
すると先生は微笑し、「いやなに」と嬉しそうに説明してくれた。

「君の未来に乾杯――、という意味の詩さ」

先生がとびっきりと言うだけあって、これまでこの院長室で飲ませてもらったどのお茶よりおいしかった。改めてお礼を言い退出しようとしたら、先生に呼び止められた。

「栗本くん、最後にひとつだけ教えてくれ」
「? 何でしょう?」
「種乞い狐は、伝説の通り美人だったかい?」

いたずらっ子のような笑み。敵わないな――、と思いつつ俺は答えた。

「――それはもう。一目で恋に堕ちてしまうほどに」
「なによりだ」

ニヤリ、と相好を崩した先生を見て、このひとと最後に話ができて本当に良かったと思う俺なのだった。

「ふー、燐火との約束ギリギリになってしまった……。急がないと……」

あれから。
社会人としてやるべきことはやり、全ての責任を果たした俺は幻燈亭への帰路についていた。麓の鳥居をくぐり、小山の中腹にある境内めざして石段を登っている。

「はっ、ひっ、ふっー……。やっぱこれっ、しんどいっ……!」

初めての時も思ったけど、数百段、あるいは4桁に届こうかという数の石段を登るのはたいへん辛い……!
しかも初回は手ぶらだったけど、今回は大きな荷物がふたつもある。
ひとつは言わずもがなの旅行鞄。着替えやらなんやらの身の回りの品と両親の形見が入っている。
もうひとつは大きな“お土産”だ。“大きな”とは価値がある、という意味のみならず物理的なデカさを指していた。横が1.6mほど、縦も1mちょっとある。厚みはないけど、それなりに重いし持ちづらい。

(でも、“これ”が手に入って良かった……)

旅行鞄を担ぎ直し、大きな“お土産”も持ち直しながら俺は思う。

(葛葉さんも、燐火も、月夜もきっと喜んでくれる……)

“これ”は三姉妹のお父さんの実家に行ったとき譲り受けた物だ。
先生の言った通り、本人は既に亡くなっていたけど、お兄さんは健在で三姉妹のお父さんの最後について詳しく聞くことができた。そして事情を打ち明けた俺に、お兄さんは“これ”を託してくれた。
三姉妹に見せたときのリアクションを思い浮かべるだけで胸が熱くなる……。

(俺が帰ってきた、ということももちろん大喜びしてくれるだろうが、この“土産”にはもっともっと喜んでくれるはず――)

石段を一歩ずつ踏みしめるように登る。
葛葉さんが、燐火が、月夜が待ってる。
早く帰りたい。皆に逢いたい。そしてこれを見せてあげたい……!
冬に入り、山はひんやりしていた。山の慟哭のような木枯らしが、時折り顔や体を嬲る。だけど急勾配の石段を登り続けているせいか体は熱かった。足を踏み出すたび、無骨な石段の表面にポタポタッと汗が滴る。

「ふーっ、はーっ、あーっ……。み、えたっ……!」

種乞い狐の瞳を思わせる真紅の鳥居。
あれをくぐれば境内――回廊だ。
きっと燐火が、迎えに来てくれている。

「あとっ、もうすこしっ……!」

肩からずり落ちた鞄を担ぎ直し、“お土産”も持ち直した瞬間だった。

「うわっ……!」

風が、それもかなりの強風が吹いた。思わずバランスを崩してしまうほどのソレに、身をかがめてやり過ごそうとした時――

「“土産”が……!」

ひときわ強い風が吹き、大事な“土産”が手からこぼれ落ちた。風に巻かれながら山の下へと飛んでいきそうになる。

「させるか!」

大事なものなんだ……! 皆にとって拠り所になるような宝物なんだ……!

(落とすわけには……いかない――!)

手を伸ばし、すんでのところで捕まえる。

「ふー……。危なかっ……、うわっ!?」

全身から血の気が引いた。
足裏に、あるべき感触がなかった。
無茶を、しすぎたらしい。

気づけば俺は石段から足を滑らせ、宙に身を投げ出してしまっていた。

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