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余話: 華胥の夢――葛葉(後)

いつのまにか気を失っていたらしい。
目を開くと、心配そうに覗き込む葛葉の顔が見えた。史郎が目覚めたことに気づき、ホッと息をついた後、目尻を拭う。

「良かった……」
「ごめん、心配かけちゃったか……。痛っ」
「いけませんっ。今はまだ安静になさってください……っ」

起き上がろうとしたら葛葉に制された。寝直すと、ギシッとスプリングが軋んだ。ベッドに寝ているのだと理解する。

違和感。

モダンなマンションの一室に横たわり、なのに目の前に葛葉がいる、という光景に途方もない非現実感を覚えた。
幻燈亭に、ベッドという西洋由来の寝具は、ない。

「葛葉……。ちょっと話いいか……?」

葛葉の表情が曇る。史郎の顔つきや声のトーンから、『史郎が気づいたことを、察した』という顔つきだった。

「ここ……どこかわかるか? 幻燈亭……じゃないよな?」
「それは……」
「ひょっとして、と思う場所があるんだ。でももし葛葉が知ってるなら……教えてほしい」
「ここは……史郎さんの、」

絞り出すような、声。

「夢の中です……」
「そっか……」

種乞い狐。
その単語が脳裏に浮かびあったとき、史郎は全てを思い出し――気づいた。
いま自分は夢を見ている、と。
幻燈亭で三姉妹、そして娘たちと暮らしている現実から遊離し、夢の中に埋没している、と。
東北支社で良い営業成績を上げ、東京本社に栄転し、妻子といっしょに暮らす――そんな夢を見ている、と。

「気を悪くしないでほしいんだが……。この夢、葛葉が見せてるのか……?」

おぼろげだが、葛葉に膝枕をしてもらった先の記憶がない。おそらくはあの眠りが、この夢につながっているんだろう。
そう思って訊いてみたが、葛葉は首を振った。

「夢が見られるよう香は焚きましたが……、これは史郎さんの中に眠っていた夢です」
「――なるほど」

“まさか”という思いと、“やはり”という思いが交錯した。
同時に、葛葉に対する罪悪感が、胸にのしかかる。

「ごめんな。きっと辛い思いをさせてしまった……」
「いいえ……。そんなことは……」

翳りのある顔で、首を振られてしまう。

「でも正直、悪いことをしたとは思ってる」

葛葉は、『この夢は、史郎さんの中に眠っていたものです』と言った。
これが史郎の夢というならば、心の中にこんな暮らしへの憧れがある――つまり史郎は現世に未練がある、ということになるのだろう。

三姉妹との交流を経て、史郎は彼女たちの手を取った。現世
うつしよ
で生きることをやめ、常世
とこよ
に移り住んだ。しかしその奥底には現代日本で仕事をし、妻子と温かい家庭を築きたいという願望が熾火のように燻っていた――そういうことになってしまう。その事実は葛葉にとって辛かろう。

「私は、大丈夫ですから……。史郎さんには史郎さんの生活があった。それを捨ててこちらに来てもらったんです。未練が残って当然です。私たちはそれに甘えただけ。感謝こそすれ、責める謂われなんて……」
「待った」

珍しく葛葉が感情を高ぶらせているように感じ、その唇へとそっと指を添える。

「ごめんなさい……」
「だから謝らなくていいって。これじゃ立場が逆じゃないか」

史郎が苦笑する。
そして己の心を、今一度じっくりと探ってみた。

(俺は本当に、日本社会の一員として普通に生き、そして普通に死ぬことをまだ心のどこかで望んでるんだろうか……?)

社会に大きな不満はなく、妻子とのくらしは憧れだった。
仕事は苦しいことの方が多いけど、それでも楽しいと思えることがあった。
クライアントの役に立ち、数字を出すことは史郎の心を支えた。
会社に、同僚たちに認められたいとも思っていた。

今まで積み上げた人生の先にあったはずの未来は、史郎にとって――大切だった。

(ああ――俺は……)

認めなきゃならなかった。

「葛葉……。正直に言う……。ごめん俺、やっぱ未練あったみたいだ……」
「史郎さん……」
「久しぶりの仕事は楽しかったし、電車に乗って『ああ東京にいるなー』って感じだったし、こういう愛する妻と子との生活ってめちゃくちゃ憧れあったし。ほら、俺も三十路のいいおっさんだったからさ! ごめん……、やっぱり俺の中にそういう気持ち、残ってた……」

葛葉が目を伏せ、苦しそうな表情を浮かべる。
史郎はそんな“妻”を愛おしげに見つめ、力強く「でも、」と切り出した。

「忘れないでほしい。俺が選んだのは葛葉であり、燐火であり、月夜なんだってことを。俺は皆を選んだことを後悔してないし、これから後悔するつもりもない。……さっきも言ったように、この世界に対する未練はある。でもそれはきっと、葛葉たちとこの世界、そのどちらを選んでも残ったものだから。充分に考えた上で、俺は葛葉たちを選んだ。それは今、ハッキリと言える」
「はい――」

葛葉が、息を吐き出す。
それは、万感のこもった吐息だった。
見届けた史郎は、

「だから、」

この話し始めて初めて柔和な笑みを浮かべる。

「俺は幻燈亭に戻りたい。皆のところに帰りたい。また、膝枕してもらっていいか……?」
「――――――ありがとう、ございます」
「ちがう。俺が戻りたいから戻るんだ。そのために、俺が葛葉の膝を借りるんだ」

一瞬、葛葉が泣いたように見えた。
しかし顔を上げた葛葉は、やさしい笑みを浮かべていた。

「あー、やっぱりこれ極楽……。すぐ寝られそうだ……」
「ふふ。そんなにおだてたって何もでませんよ」
「いやいや。マジで言ってるから。おだてるとかじゃないから。……って、しまった秋葉! 連れてこなくて大丈夫か?」

からだを起こそうとすると、葛葉に制された。

「だいじょうぶです。あの子は一足先に戻りました。それに――」

葛葉が寝室のドアに視線を向ける。

「あの先はもうありません。旦那さまが目覚めようとされているから。この世界に残っているのはここだけなんです」
「そうなのか……」

安心したような、実感が伴わないような……。
そんな不思議な気持ちに浸りながら、目をつむる。

「ありがとな。夢でも妻になってくれて」
「ふふ。逆です。私が強引に居座ったんです。夢であっても、旦那さまの妻を誰かにされるのは嫌だったから……」
「そうだったのか……。葛葉も存外、嫉妬ぶかいんだな……」
「あら、ご存じなかったんですか? 私もおんなですから。嫉妬ぐらいいたします」
「そっか……。でもなんかそれ、嬉しいかもな……」

そんな他愛のない話をしながら――
ふたりして夢から目覚めた。

目を開くと、橙色の明かりが視界に広がった。
葛葉は慌てて辺りを見回す。
小さな卓子に化粧箱、桐の姿見や衣紋掛けが見える。幻燈亭の奥座敷――己の室だった。夢から無事もどって来れたことに、ホッと息をつく。
膝の上の史郎はまだ目覚めていないようだ。

(旦那さまの心は思った以上に疲弊していた……)

慣れない土地でのくらし。
伴侶となったのは人ならざる者で。
なのに己の心とからだを後回しにしていけば心が疲れて望郷の念だって湧く。仕方のないことだった。

今はまだ大丈夫だろう。
でも、望郷の念がさらに募ったとき――どうなるかは判らない。

史郎のことは、現し世に帰した方がいいのかもしれない。
本当なら、そうすべきだろう。
でも――

(私はなんてわがままな女なのかしら……)

出来ない。
史郎を愛し、史郎に愛され、離れられなくなっていた。
妹たちのこともある。でも何より葛葉自身が、史郎を失いたくなかった。

(手前勝手な……)

せめてもの慰めに、史郎の望む夢が見られるよう香を焚いた。
でも結局、夢から連れ戻してしまった。
史郎にとっては、夢の方がまだマシだったかもしれないのに――

「ん……」

史郎が目覚める。

「お、おはようございます……。旦那さま……」
「葛葉か……。あー……、良く寝た……。……って、すまん! 俺めちゃくちゃ寝た気がする! いま何時だ? “おひい様の日”なのにごめん!」

史郎は、夢の出来事をすべて忘れてしまったかのように明るかった。
いや、あるいは本当に忘れてしまったのだろう。
それでいい、その方がいい、と葛葉は思った。
そして、そう思ってしまう自分に戦慄した。

(私は、本当に浅ましい――)

自分への怒りでぐにゃり、と視界が歪んだ。
醜い感情が溢れ出そうになる。
葛葉は必死にそれを抑え込み、笑顔を作った。

「い、いえ……。今日は“おひい様の日”じゃなくて“旦那さまの日”ですから……」

何とか言葉を紡ごうとする。
しかし声が途中で出なくなった。喉が震え、口を開くことができない。

(笑わないと。笑顔を見せないと――)

祈るように、自身へそう言い聞かせる。
そうしたらポン、と。
頭を撫でられた。

「無理しなくていい。泣きたいときは泣いていいんだぞ」
「え…………? …………涙?」

葛葉がようやく、自分が泣いていることを認識する。
気づいたらもうダメだった。
奥から奥から涙があふれ、嗚咽が漏れ、しゃっくりでからだが震えた。

「ち、ちがうんです、これは……、そうじゃなくて……」
「いいから」

強く抱きしめられ、葛葉は抵抗する力を失った。ただひたすらに、何の力も持たない童のように史郎の胸に顔をうずめる。
そして、泣いた。
遠い遠い昔、気が遠くなるくらいの昔に、母の胸で泣いたそのときのように涙を流す。
泣きながら――
懺悔した。

史郎を現し世に帰した方がいいと思っていたこと。
でも出来なかったこと。
せめてもの代わりに、史郎の奥底に眠っていた夢が見られるよう香を焚いたこと。
それを全て告白した。

「ごめんなさい……。本当に、ごめんなさい……」
「いや? 葛葉が謝る必要なんてないぞ? 迷いは人につきものだし」

史郎の返答はあっけらかんとしたものだった。

「で、でも……」
「いや本当に。……言われてみれば葛葉が述べたような暮らしへの憧れは確かにあると思うけど、いや――“あった”と思うけど、今はもうスッキリしてる。夢に見て満足したんだと思う。間違いない。俺の意思でここにいる」

だいたい、と史郎は言った。

「皆との暮らし、その幸せを知った後で、現し世になんて戻れないって。皆がついてきてくれるなら帰ってもいいけど……でも燐火はともかく葛葉や月夜はここを出られないだろう? だったら俺がここにいる。それだけの話だよ」

葛葉は泣き続ける。幻燈亭の長姉としての顔を捨てて、史郎にすがり続ける。

「それでも葛葉が俺を追い出すっていうなら――全力で抵抗するぞ。燐火や月夜、秋葉や早月に小夜、朝火の力も借りて全力で抵抗する。どんな手を使ってでも――幻燈亭に居座ってやる」
「お、追い出す……なんて……っ。そんな……っ、つもりなんて……っ」
「だったらもう自分を責めるな。俺をここにいさせてくれ。そしてまた疲れてるなって思ったら夢を見せてほしい。葛葉という最愛の妻を迎え、秋葉というめちゃめちゃぷりちーな愛娘にデレデレしてる俺という夢を。あ、燐火に朝火、月夜と早月と小夜という組み合わせもたまには頼む。でないとあいつらに怒られそうだからな」
「旦那さま……」

その軽口に、葛葉はようやく本当の微笑みを浮かべ、泣くのをやめた。
残った涙を、史郎が拭う。

「葛葉も。何か気になることがあったら今後は溜め込まずに言うんだぞ。幻燈亭の長として、妹たちを守らないといけない、自分がしっかりしないといけないという気持ちを持つのは判る。でも俺の前で無理をする必要はない。言いたいことがあれば言えばいいし、泣きたいときは泣けばいい。今日みたいに胸を貸すから」
「はい……」

そうして葛葉は史郎の胸に顔を埋める。
今度は泣き顔ではなく――笑顔だった。

頭を、狐耳を、背中を撫でる史郎のやさしい手。
それを感じながら、葛葉はとっておきの時間を過ごした。

そう。
今日は、葛葉にとっての――“おひい様の日”。

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