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2話 天の御使い ☆

(うーん、たくさんの人に見られるってのは、いつまで経っても慣れないもんだな……)

カナデとのお茶会を終えてから数時間後。

夕日に照らされる帝都の大通りを、俺は気まずさを覚えながら早足で歩いていた。

街を歩く人々が物珍しそうにこちらをチラチラと見てくるのがわかる。

中には足をわざわざ止めて、全身を舐めるように凝視してくる者まで。

理由は明白、俺みたいな男

なんかが、カーキ色の士官候補生服を身に纏
まと
っているからだ。

元の世界と違ってこの世界
・・・・
では、女性が軍隊を始めとした社会の指導的地位を担うことが多い。

魔術
・・
が社会の基盤となっているこの世界では、魔力量が男性に比べて圧倒的に多い女性の方が軍事的役割に適しているからだ。

ごく稀に俺のような魔力量の多い男性が女性と同じ様に軍役に就くこともあるが、それは例外的なことにすぎない。

(あぁ〜、軍学校のルールで休日の外出時も制服着用なんてルールがあるせいで毎回、毎回、悪目立ちして仕方ねぇな。)

前世のシャイな日本人気質を残している俺にとっちゃ、無駄に色々な人達から見られるっていうのは正直、居心地が悪い。

俺は衆目に晒されることから来る緊張汗をかきながら、少し駆け足気味に人通りの多い通りを過ぎて、逃げるように脇道へと入っていった。

それから10分ほど。

都心からちょっと外れた所にある待ち合わせ先のレストランへと到着する。

大きな窓からは歓談の声と弦楽器の奏でる音が溢
あふ
れ、そのハーモニーが近くの小路にも響き渡っていて活気が伝わってくる。

「あの、予約していた……」
「東堂 海
カイ
様ですね。こちらへどうぞ。お嬢様がお待ちです」

給仕役を務める小太りの女性が、笑顔で案内してくれる。

彼女の先導で、レストランの奥にある渡り廊下を進むと、一軒家のような離れへと辿り着いた。

ここは人々の喧騒
けんそう
からはほど遠く、心地よい静けさが広がっている。

ギイッと古い扉の開く音が聞こえ、離れの中から金髪翠眼
すいがん
の美少女が現れた。

その美しい顔には、運動をした後のような微かな火照りがあり何とも言えない色気が漂っていて魅力的だった。

「エリカ、ごめん。時間ぎりぎりになってしまって」
「い、いや。わ、私も今来たところだから」

彼女は嬢ヶ崎
ジョウガサキ
英里香
エリカ

同じ”貴族”という括
くく
りでもあっても貧乏子爵のうちの家と彼女の家との間では、月とすっぽんくらいの差がある。

いやそれどころか、嬢ヶ崎家は『帝国御三家』と呼ばれる三大名家の一つにも数えられるほどの権勢を誇っている。

資金力、政治的権力、軍事力。どれをとっても嬢ヶ崎家は超一流。

そんな大貴族の跡取り娘である彼女とは、ちょうど1年ほど前に軍学校で同じクラスになったことがきっかけで出会った。

出会った当初は、単なる1人の同期生としてしか認識していなかった……いや、「大貴族様の娘に睨まれでもすれば大変だ」と、どちらかと言えば積極的には関わらないようにしていた、というのがより正確だろう。

何より、エリカ自身も人付き合いを好んでいないように見えた。

初めて会った時の彼女は髪はボサボサで顔を見せないようにしていて、声も小さく軍人らしさとは対局の存在。
(下級貴族出身の軍学校の教官は大貴族の出身であるエリカを恐れて、彼女のだらしない格好を強く注意をすることは出来ないようだった。)

そんな彼女が他のクラスメイトから嫌がらせを受けているのを見て思わず止めてしまったのをキッカケに、俺とエリカは少しづつ話すようになった。

初めは、ボソボソとか細い声でしか話をしてくれなかった。

それも仕方ないことだろう。この美醜が逆転した世界では俺のような芋顔は”傾国の美男子”であり、彼女のような美少女はゲロブス扱いだ。

前世で言えば、アイドル級の美少女に根暗ブスなオタクが話かけられているようなもの。

だが日々積極的に話をする中で少しづつ打ち解けてくれたのか、彼女は徐々に趣味や家業について話をしてくれるようになった。

特にエリカが学業の傍ら親から任されてやっている商会のビジネスの話は興味深く勉強になった。
(嬢ヶ崎家は元を辿れば銀行業や貿易業を営む大商人の家だったそうで、彼女はその先祖代々の商売の才を受け継いでいた。)

仲良くなるにつれて軍学校での課題も一緒にやるようにもなり、元々俺なんかよりもよほど地頭の良かったエリカは成績をメキメキと伸ばしていった。

そうした交流の中、どこまで俺の影響があったのかはわからないが、エリカは髪を綺麗に整えてハキハキと振る舞うようになり始めた。
(まぁ相変わらず男の俺と2人きりで喋る時は若干オドオドとしていて、言葉も詰まりがちなのだが。)

最近では多少自信を持って振る舞うようになったおかげか、クラスでの嫌がらせも徐々に鳴りをひそめ始めており、横で見ている俺も嬉しい気持ちだったのだが……。

「そ、それじゃあ、い、行こうか。勉強会用の夜食も用意してあるし」
「それはありがたい、腹ぺこだったんだよ」

ここまで案内してくれた店のウェイターの女性は離れていき、かわりにエリカと共に中に足を進める。

先をゆくエリカの豊かな胸や尻の魅惑的な動きに思わず目が釘付けになってしまうが、気づかれないうちになんとか視線を周りへと移す。

離れの内部は、落ち着いた照明が心地よく照らし出す空間だった。

広々とした部屋の真ん中には、大きな木製のテーブルがどっしりと鎮座しており、その上には勉強会用の資料が丁寧に並べられている。

数々の学術書やノート、そして手元を照らすための小さなテーブルランプが、その知的な場の雰囲気を高めていた。

テーブルの隅には、エリカが用意させた夕食が美味しそうに蒸し立っていた。

焼きたてのパンとシチューの香ばしい匂いが部屋に広がり、照明の光を反射したプレートの上の色とりどりの野菜や果物が、まるで絵の具のパレットのように彩りを加えていた。

このレストランはエリカの個人所有のものだ。

夜のこの時間帯、いつもエリカがこの離れを貸し切りにしてくれていて、俺と彼女は不定期に勉強会を開いていた。

「えーと、今日は確か”魔導築城学”について教えて欲しいってことだったけど」

「え?あ、あぁそうだったな。そ、そうだ、この複数防御のための陣の張り方についてわからないところがあって……」

彼女が開いた教科書のページは、つい先日、講義で学んだばかりの魔導陣地に関するものだった。

困ったな、ここの部分は俺も全く頭がついていかなくてわからなかったから、逆にエリカに教えて欲しいと思ってた部分なのだが。

「あぁー、悪い。実は俺もここの箇所理解できてなくて。正面と側面のバランスの取り方を割り出すこの魔導式がよくわからないんだよなぁー」

「え?あ、あぁ、それなら、この公式を使えば簡単に導出出来るから。こうやって計算式を書いていくと……」

(ん?これ本当は、エリカ自身は最初からわかってたのに聞いてきたパターンだな。)

元々俺よりも成績の悪かったエリカだが最近では完全に逆転していて、おおよそどの教科でも彼女の方が俺よりも優秀な成績を収めるようになっていた。

それだというのに、最近になってもエリカは俺に勉強を見てほしいと頼んでくる。
しかも大抵の場合、彼女自身はすでに理解しているであろう項目までも教えてほしいと言ってくるのだ。

初めは、「なぜ既に理解している項目を聞いてくるんだろうか?」と疑問に思っていた。

だが次第に、その行動の背後にある真意に俺は気付き始めていた。

エリカが望んでいたのは、ただ単に俺と会話をする機会だったのだ。

恋愛経験のない俺でも流石に彼女が自分に恋心をいただいてくれているということがわかった。

俺自身も「エリカとの関係をより深めたい」という思いはあった。

けれども相手は侯爵家の令嬢なわけだし、貴族社会での立ち振舞にまだ自信の持てない俺としてはどのようにアプローチをすればいいのか分からず……。

何より、前世も今世でも自由恋愛をしたことがないヘタレ童貞な俺では、心の中で湧き上がる思いを彼女に伝える、ということが中々出来ないでいた。

しかしそんな煮えきらない態度が、彼女の心の歪みを大きくしていたとはこの時の俺は知る由もなかった。

◆◆◆◆
(はぁ。結局、花谷
ハナヤ
との関係についてそれとなく聞くことも出来なかったな……。)

私、嬢ヶ崎 英里香
エリカ
はカイとの勉強会を終え、彼を寄宿舎に送り届けた後に自分の部屋でため息をつく。

カイの入居している看護兵の寮と違い、将校課程の女子寮は1人につき1部屋割り当てがされているので人目を気にしないで良い。

なので自然、ため息の量は増えてしまう。

自分の心がまた大きなストレスに押しつぶされそうになっていることを感じた私は、いつものルーチンに逃げ込むことにした。

「カイ……カイ……♡」

2週間ほど前に盗んだカイのハンカチを鼻に押し当てると、彼の匂いが鼻腔
びこう
を通して体いっぱいに広がっていくような感覚になり、自然と口の中にヨダレが溢
あふ
れてくる。

思い人の名前を呼びながら、彼との交わりを妄想すると、興奮のあまり頭にドクドクと脈打っているのを感じる。

毎日がカイで満たされ、彼との一瞬一瞬が私の心を掴んで離さない。

私は彼にどれほど深く惹かれているのか自分自身でも理解しきれていなかった。

私の妄想の中の彼は、シャワーを浴びた後のしっとりと濡れた体をベッドで無防備に広げていた。

私はそれを見てたまらず襲いかかる。嫌がる彼から無理やり軍服を剥ぎ取り、涙に濡れた顔をベトベトと舐め回す。

クチュクチュ♡

秘所に指をあてがい、いやらしい音をたてて自分を慰めながら、脳内で私は何度も彼をレ○プする。

自宅の屋敷で、風呂で、トイレで、教室で、外で……あらゆる場所で彼を犯し尽くす想像をする。

私は絶頂を覚えながら片手で自分の性器に中指を挿入しつつ、もう片方の手で胸を揉みしだいて、ぷくりと膨らんだ乳首をイジメる。

「あぁん……♡」

ジクジクと快楽が全身を駆け巡り、思わず声を上げてしまう。

絶頂を何度か迎えた後、私の妄想は大抵の場合において同じエンディングを迎える。

それは、まるで恋人のように私を求め、花婿の衣装を身にまとったカイが私に微笑んでくれるというものだ。

「エリカ、愛してるよ。僕をお婿さんにしてください」
「あぁ私も愛してるよ。一生お前を離さないからな」

教会堂の中で彼はこちらに身体を預けながら、甘美な誓いの言葉を囁
ささや
いてくれる。

陵辱しておいて、カイ自身から私への愛を囁
ささや
かせるという、この妄想のストーリーラインは私の身勝手さと愛欲の結集だった。

当然、「ありえない」「身勝手過ぎる妄想だ」と理性は訴えかけてくる。

それでも、私の心はその妄想に縋
すが
りついてしまう。それが私の心を保つための唯一の支えだからだ。

美青年であることに加えて、男の身でありながら軍学校で優秀な成績を収めるカイは同輩や教官たちの人気者だった。

クラスメイトや教師たちからの敬意を一身に集める彼は、まるで光輝く天の御使いのようだ。

それなのに、なぜ彼は私のような卑屈な醜女
しこめ
に対して毎日親切に接してくれるのだろう?

その理由を私は知らない。でも、その事実だけが私の心と妄想を支えてくれていた。

しかし、今日の妄想オナニーの情景は違った。
いつもなら私に向けてくれるはずの微笑みを、カイは花谷
ハナヤ
へと向けていた。

いつも通りに妄想のストーリーを変えようにも、どうしてもそうすることが出来ない。

その事が、私の心を苛んでいた。

原因はわかっている。彼が花谷と笑顔で会話をしているのを見てしまったせいだ。

カイと花谷は単なる軍学校の同級生という関係のはず、いやそれでも……と悪い考えが止まらくなってしまう。

(まさかカイが……いや真面目な彼に限って……でも花谷はとんでもない絶世の美女だし……)

ベットに腰掛ける私はうつむきながら、あの日の出来事を思い出していた。

先日、軍事教練が終わった後のことだった。

私は(またいつものように何気ない口実をつけて、カイに話しかけよう)と思い、彼がよく放課後にいる図書館へと向かって行った。

その日はカイが好きそうな古代の戦争における戦術解説書を手に、彼との時間を楽しもうと思っていたのだ。

軍学校の資料室内に見えた彼の姿。日が落ちかけ、大窓から差し込む夕暮れの光が彼を包んで、まるで宗教画のようだった。
カイは一人で資料を読みふけっており、私にとっては絶好のチャンスだった。

深呼吸をして、私は彼に近づいた。
彼の名前を呼ぶことを想像しながら、一歩一歩、ゆっくりと進んだ。

それは、突然の出来事だった。

グイっと、大きな力が私の肩を突き飛ばし、私はその衝撃で思わず本を落としてしまった。

慌てて顔を上げると、そこには花谷が立っていた。

花谷
ハナヤ
正子
マサコ
。私と同じく侯爵家の跡継ぎ娘で、成績も私とほぼ同等といったところ。

ただし全く違うのは彼女は校内でも有名な美少女であり、一方の私は美少女どころか超がつくほどの醜女だということだ。

花谷は挑発的な笑みを浮かべて、「邪魔だ」と言いながら見下すような視線を私に向ける。

その言葉に私が怯んでいる間に、彼女は私を無視して、立派な腹をブルブルと震わせながらカイの元へと歩いていった。

資料室の中、彼が穏やかな笑顔で花谷と対話を始めたのが見えた瞬間、私の心は一瞬で重たくなった。

疑念と不安が心の隅々まで浸透していく。

「もしかしてカイは花谷のことが好きなのでは?」という思いは、自分で自分を痛めつける鞭のように私の心を打つ。

床に無様に転がった私を見て、クスクスと意地悪く笑う看護課程の男子生徒たちのことをその時は気づかなかったほどだ。

私はただ、自分の嫉妬と不安に苦しみながら、カイと花谷の会話を遠くから見つめることしかできなかった。
愛しい彼と美しい彼女が一緒にいる姿は、私の心に深い傷を刻んだ。

「嫌だ……カイ、カイ……!」

私は数日たった今でもその時のことをありありと思い出すことが出来る。

(カイにとっては私は一友人に過ぎないかもしれないけど、私にとってはこの世で唯一の男なのに……!)

嫉妬と劣情の入り混じった嵐のような感情が湧き上がってくるのを抑えるために、今は獣のように枕に顔をうずめて身を震わせることしか私には出来ないのだった。

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