3話 没落と取引
子爵家である我が家の個室で俺は一人、ベットに腰掛けながら通信機器内の魔石の調節を行っていた。
室内の壁には装飾が施されているが、歴史と共に深まったシミが随所
ずいしょ
に広がっていて、床には埃
ほこり
っぽい絨毯
じゅうたん
が敷かれていている。
昔はきっと、貴族の家にふさわしい壮麗さがあったのだろう。
「もしもし。カイ、カイ、聞こえる?」
「はい、もしもし。聞こえてますよ」
キュルキュルと周波数の合う音が聞こえた後に、スピーカーから殿下
カナデ
の声が聞こえ始めた。
彼女の声は少し震えていた。
「カイ、あなたのお母様の件聞いたんだけど……そっちの方は大丈夫そう……かな?」
女手ひとつで俺達を育ててくれた俺の母親は戦死した。
赴任先の植民地での反乱鎮圧の際に流れ弾に当たってしまったとのことだった。
母の訃報を聞いた俺は忌引き休暇を取得して、急ぎ軍学校から東堂家の屋敷のある領地に戻ってきていた。
「心配していただいてありがとうございます。葬式の準備とか諸々
もろもろ
ありますけど……今のところは特に問題ないです」
「でも君のところはその……お母様が1人
・・
だって聞いてたけど……」
この世界には男女比に偏りがある。
以前見た人口学の文献によれば、「この世界」では地域や世代に関わらず男性1人に対して女性が2.5から3人いる計算になるのだというのだという。
そのため、「帝国」では一夫多妻が一般的で、1人の男性との婚姻
こんいん
関係を通して、複数の貴族家の女性たちが妻同士の繋がりを持つという変わった社会形態をとっている。
しかし俺の母は早くに夫を無くしていたので、一夫多妻を介して他家との関係を築くことが出来なかった。
そのため東堂家は家格の割には貴族社会での繋がりが希薄で、我が家の相談に乗ってくれるような他家の貴族というのは中々いなかった。
「僕で良かったらなんでも力になるよ。本当に些細なことでも相談して欲しい」
カナデの優しくも悲しげな声が耳に残る。
俺はほんの一瞬、ベット横の小さなテーブルの上に載っている”契約書”に目をやる。
喉元まで声が出かかる。「実は当主である母が死んだことで、この家は破産寸前なんだ」と。
当主である母の人徳で、なんとかこれまで借金支払いの先延ばしや付け替えをしてきた我が家にも年貢の納め時が遂に来たらしい。
母親が亡くなってからすぐ、1人の中年の女商人が尋ねてきた。
その商人によると、我が東堂家は俺の想像を遥かに超える借金をアチコチにしていて首が回らない状態にあるという。
「これをご覧なさい」と女商人は巻物のようなものを広げ、俺に見せる。
そこには長々と続く東堂家の借金の履歴が記録されていた。
彼女は表情を変えることなく、「このままだと弟君は男娼に、妹君は鉱山奴隷として売り飛ばされてしまうことになるだろう」と続けて言う。
その言葉を聞いた瞬間、俺の視界はぐらりと揺れた。
女商人は俺の戸惑いを無視し、淡々と話を次に進めた。”契約書”についてだ。
そこには、「俺の婿入りを条件に借金を全額肩代わりする」と言っている家がある、というようなことが書かれていた。
また婿入り先は借金返済だけでなく、東堂家に仕えてくれていた使用人たちの再就職の斡旋や、俺の弟と妹の当面の生活費と学費の支援まで申し出てくれているのだと言う。
ただし、先方の希望により婿入り直前まで家名を明かすことはできない、という条件が付いていた。
「破格の条件ですよ」と商人は言う。確かにそれはそうだろう。
この美醜逆転世界では地味な芋面の俺も傾国の美男子扱いなわけだが。
だからといって俺を婿に迎えるためだけに、これだけの大金を即日で用意出来る人間というのはこの帝国にもそうはいない。
どこぞの大貴族か財閥の経営者か……いずれにしてもかなりの大物が絡んでいるだろうと俺は踏んでいた。
一週間以内に返事を求められた俺は、その契約書を見つめながら思考を巡らせた。
せっかく生まれ変わって異世界に来たというのに、顔も知らない相手と無理矢理に結婚させられるというのはやはり嫌だ。
自分の好みの女性と結婚したい!という気持ちからせっかく軍学校でのエリートコースを歩み始めたというのに。
だが、その一方でカナデに迷惑をかけることだけは避けたい。
彼女は確かに帝族ではあるものの、まだ学生だ。
もしカナデが友人である俺のために大きなお金を動かしてしまえば、私的なことで帝室の金を運用した、と彼女の政治的立場を悪くしてしまう可能性だってある。
こんな借金の事を相談するなんて、許されるはずがないだろう。
何より、俺はカナデのことが好きだ。女性としても人間としても。
容姿が美しいというだけではない。彼女は朗らかさという光を放っていて、それが俺を暖かく包み込んでくれる。
彼女の中には深い責任感と高い身分を感じさせない、自然で親しみやすい態度が同居している。
そんな彼女に迷惑をかけるなんて、とてもじゃないけど出来ない。それだけは確かだ。
「あの、もちろん母が亡くなって落ち込んではいるんですが……問題はないです。カナデさんのお気遣い、嬉しいです」
「……わかったよ。でももし何か少しでも問題が起きたら本当に遠慮せず連絡してよね。何でも相談に乗るから」
「ありがとうございます」
カナデの通信を切った俺は部屋から出ていき、1階のダイニングホールへと降りた。
少し前まではダイニング内に先祖代々受け継いできたアンティークなテーブルや椅子が並べられていた。
だが、今はそれもほぼ全て差し押さえられてしまっていて、今は簡易的な木箱を机代わりに使っている。
それでも家族が集まる場所として、ダイニングホールは今もなお、温かさを保ち続けていた。
そこに妹と弟が神妙そうな顔で俺が戻ってくるのを待っていた。
「お兄様、その借金の件ですが私にも何か出来ることあるでしょうか?」
妹は俺より5つも年が下なのにしっかり者だ。意思の強そうな瞳で俺を気遣ってくれる。
妹の後ろからは末っ子の弟が俺をチラチラと心配そうな顔で見つめてくる。
まだ幼い妹弟
きょうだい
達にとっては唯一の親が死んだだけでも大変なのに、家のゴタゴタもあり辛い思いをさせてしまっている。
彼らの表情を見て、何とも言えない感情が俺を襲う。
前世の記憶が蘇
よみがえ
ってきた当初は、この世界での新しい家族との関わりがどこか非現実的なものに感じていた。
しかし、ここ数年の生活の中で彼らと共に過ごすうちに、彼らはただの血縁者から、俺が守らなければならない大切な存在に変わっていった。
「なーんも心配することなんてないさ。お金の支援をしてもらえる先も見つかったし、安心しろ。兄ちゃんに任せときな」
俺は二人の髪をワシャワシャと撫でながら、決心を固めた。
(婿入りの件を受けよう。なに、もしよほど酷い相手であれば魔法で爆殺して、弟と妹を連れて連合王国あたりに亡命でもすれば良いんだし……。)
俺は少々現実離れした物騒なことを考えることで、これからのことへの不安から自分の心を逃れさせていた。 他の漫画を見る