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19話 秘密警察

帝都、宮城
きゅうじょう
の執務室にて。

物憂げなため息をつくカナデの手元には、1枚の手紙があった。

書面の送り主の名は、東堂 幸子
サチコ

カナデの思い人である東堂 海
カイ
の妹にして、現東堂家の暫定的な当主だ。

送信元の住所を見る限り、幸子は帝国魔術アカデミーで研究学生か何かをしているらしい。

——
謹啓
きんけい
東九条
ヒガシクジョウ
親王殿下

このような突然のお手紙をお送りするご無礼を、どうかお許し下さい。

ただ、どうしても愚兄の件で殿下のご助力を乞いたく、この玉簡
ぎょっかん
をお送りさせていただきました。

お恥ずかしい話ですが我が東堂家は、当主である母の死後、これまで溜まりに溜まっていた債務弁済の重圧が一気に訪れることになりました。

東堂の家と私達、姉弟を守るため、兄、海は名前も明かせないような家に資金援助を乞う見返りに”婿入り”をするという道を選びました。

(兄は婿入りの為に旅立つその日を迎えても、婿入りのことを妹である私にすら(!)直接は教えてくれませんでした。
実際、私が兄が入り婿になることを知ったのは、彼の出立後に、仲介の商人が送ってきていた契約書類を漁る中でのことでした。)

しかし、兄からは婿入りした後、全く音沙汰がございませんでした。

何度か近況を尋ねる電報をこちらから打ちましたが、兄からは何かを誤魔化すような簡便な返信しかもらえず、不安と焦燥が日増しに増しております。

親王殿下、『帝国』全土に光り輝くそのお力で、兄の婚家
こんか
について調べるような手立てはございませんでしょうか。

また、もし兄が何らかの問題に巻き込まれているとわかった場合、なんとか兄の窮状をお救いいただけないでしょうか。

軍学校でも兄に目を掛けていただいているという、殿下だけが頼りで御座います。

突然のお願い、重ね重ねお許し下さい。
親王殿下のご助力のほど、どうか何卒宜しくお願い申し上げます。

敬具
東堂 幸子
——

「なぜ、カイは僕に相談の1つもしてくれなかったんだろう……。僕のことを信用してくれていなかったのかな」

カナデは思わず手元の手紙を強くクシャッと握りしめてしまう。

普段の冷静な彼女には似合わない態度だ。

しかしすぐに思い直す。

カイは男性でありながらある種、女性的
・・・
な美徳を持ち合わせていた。

そんな彼のことだ。自分や家族にも心配を掛けたくないと気を遣ったのだろう。

(カイは別に悪くない。彼のことを本当に心配していたのなら、僕自身が彼に黙って動くべきだった。)

カナデは手紙を机に仕舞い込むと、本日何度目かのため息をつきながら、これからのことに思いを巡らせていた。

そんな彼女の憂鬱な思考を断ち切るように、執務室に備え付けの内線電話のベルが明るくジリジリと鳴り始めた。

「殿下、鷲峰
ワシミネ
様がお越しになられました。お通しして問題ないでしょうか」
「うん、問題ないよ。通してあげて」

しばらく間を置いてから、ブロンズ製の大きなドアを丁寧にノックする音が響く。

「どうぞ」
「失礼します」

部屋に入ってくるルリの姿を見て、カナデは思わず自分のことを棚にあげて、改めて彼女の容姿
・・
に同情してしまった。

彼女の樽のように大きな胸は、その顔の小ささを余計に目立たせているように見える。

艷やかな長い暗い紫髪に、静かな情熱を秘めた大きな赤い瞳のコントラストは、この美醜逆転世界
・・・・・・
の基準に照らして言えば、悪魔的な醜さを演出していた。

「はるばる南方からお疲れ様、ルリ。飲み物はアイスティーで良いかな?」
「殿下、どうかお気遣いなく。今日は軍学校の研究員のポストを用意してくださった件のお礼で参っただけですので」

カナデは、宮仕えの女性にルリ好みの冷たい紅茶を出すように指示を出しつつ、部屋の中央に置かれた向かい合わせの革張りの黒いソファーへと移る。

「とりあえず、立ったままじゃなんだし、ルリもかけてよ」
「はっ。お言葉に甘えて」

ルリは『理想的な帝国臣民』を絵に描いたようなキビキビとした振る舞いで、長椅子へと浅く腰掛けた。

カランカランと氷がガラスにあたる、耳に心地よい涼し気な音が聞こえる。

冷えたお茶をローデスクに並べ終えると、宮女は退出の挨拶と共に丁寧にドアを閉めた。

「ふぅ、これでようやっと腰をすえて話せるわね、カナデ」
「ふふっ、君は本当にわかりやすいなぁ」

ドアがガチャリっと閉まった途端に、ルリは先程までの『忠君愛国の士』といった真面目な面構えを崩して、リラックスした面持ちでソファーに深々と腰をかけて、足を組み始めた。

長年の友人の分かりやすい切り替えにカナデは、はしたなく吹き出してしまいそうになってしまう。

全くこの友人は、いつも塞ぎがちな自分を明るくしてくれる。

昼下がりの太陽が部屋の窓から差し込み、ルリの襟に付けた保安局の秘密警察に所属していることを表す『帝国の目』をあしらった金色のバッジが反射でキラリと光った。

「そういえば、ルリが軍から内務省の保安局に移ってから、どのくらいになるんだっけ?」

「西方大陸での『事変』が1年半ほど前だから、ちょうど移籍から1年になるわね」

「そうか、まだたった1年……。そんな短い期間で保安局の『副長官』にまで上り詰めて、ほとんどイチから秘密警察組織を作り上げるなんて……。流石は『鷲峰の前に鷲峰なく、鷲峰の後に鷲峰なし』と軍学校でも言われていただけのことはあるね」

「私を褒めても何も出ないわよ。カナデ。それに帝族である貴女の力添えが無ければ、元々は准男爵家の出身に過ぎなかった私が、この立場になることもなかった訳だし」

そう言ってカラカラと笑うルリの顔は、満更でも無さそうだった。

カナデはルリの才能だけでなく、そういった飾り気のない率直な所も含めて気に入っていた。

だからこそ、准男爵
バロネット
という貴族というよりは平民に近い階級の彼女が、組織内を縦横無尽に動けるように陰に陽にこれまで働きかけを行ってきたのだ。

ルリはカナデの期待に応えるように、軍に入ってからも活躍を続け、遂には西方大陸で『事変』を起こすことで親帝国的な1つの独立国家を作り上げるまでに至った。

逆にその派手過ぎる”活躍”を妬んだ貴族たちから、独断先行が過ぎると問題視され内務省の閑職に追いやられていたのだが、それすらもルリは跳ね除けて今の地位に就いている。

「それで、ルリの軍学校にはいつからの赴任を考えているの?来月の頭とかからかな?」

「明日からにしようと思っているわ」

「え、明日?随分、早いんだね」

「善は急げよ。軍学校内に『連合王国』の内通者がいる可能性が出てきた以上、1日でも早く私が抑えに入らないと。彼

のことも心配だしね」

眼の前の友人の判断と処理の速さには、いつも驚かされてばかりだが、カイが関係している事となると、さらにそれが加速されるのだなとカナデは苦笑いしてしまう。

カナデがカイを思う気持ちも本物だが、ルリのそれもそれに負けず劣らずの物だ。

「カイ君と殿下を裏切ることは絶対しません」というルリの言葉以上に信用できるものは世の中にそうそうないだろう。

彼女ならば、彼
カイ
について任せて問題ない。

カナデは東堂 幸子から預かっていた書面を見せながら、これからのことについてルリに相談することにする。

「ふむ、なるほど。なら、早速聞いてみるとしよう」
「え?聞いてみるって言うのは?」
「彼に、カイ君に、直接聞けば良い」

ルリの朗らかな笑顔の裏にある何とも言い難い感情の渦を感じて、カナデはこれからルリが振るうであろう剛腕ぶりに若干の不安感を抱えるのだった。

◆◆◆◆
春、桜と恋の季節。

軍学校の中庭にも、桜が満開に咲き誇っていて、見るものの心をウキウキとさせてくれる。

そんな桃色の景色の中、「これからエリカと放課後デートと洒落込もう!」とルンルン気分だった俺だが、今は深く暗い海溝に突き落とされたような心細い気持ちでいる。

(はぁ、どうしてこうなったんだ。俺、何か政府に目をつけられるようなやばい事、最近したかな……。)

俺の両脇には、特徴的な灰色の制服を着込んだ女が2人。

彼女たちは『帝国』が誇る内務省 保安局の武装秘密警察、略称、『武装秘』の職員だ。

つい5分ほど前に、学長室に呼び出された先で待ち構えていた彼女たちから『任意』での同行を求められた俺は、今こうしてトボトボと付き従っているわけだ。

武装秘は、ほんの1年前ほど前に急ごしらえで作られた組織に過ぎない。

しかし『帝国の敵』としてみなされた人物に対するその取り締まりの苛烈さから、今では国外のスパイのみならず、国内の閥族からも恐れられている存在なのだ。

実際、俺の両脇にいる秘密警察の職員が、軍用の黒塗りの魔導杖をがちゃつかせながら歩いているのを学内の軍学生達は怯えた表情で見つめていた。

(コイツらに目をつけられたが最後、思想教育施設に送られて、『指導』という名の拷問を受けて廃人になった人は数知れず、ってウワサ話も聞くけど。俺もまさか……。)

心臓がバクバクとなり始める。

これからの事を考えると、どうしても嫌な想像ばかりが頭に巡ってくる。

唯一の救いは、先導する武装秘の職員たちの物腰が意外にも柔らかなことだった。

「東堂さん、こちらにどうぞ。保安局はここから20分ほどかかりますが、お手洗い等はよろしいですか?」

眼鏡を掛けたオカッパ頭の丸井という女は、荒っぽいことで知られる武装秘の職員とは思えないほどに紳士的(いやこの世界
・・・・
で言えば淑女的か)な態度で、俺を車へと案内した。

彼女の運転は、その穏やかな態度と同様に丁寧だった。

しばらくして、車は郊外にある3階建ての石造りの建物へと到着した。

灰色の建物の壁はやけに圧迫感があり、俺の不安を余計に募らせるものだった。

俺は職員に連れられて、建物の最上階にある殺風景な部屋に通される。

部屋の中には、金属製の机が1つ、粗末なパイプ椅子が2つに、小ぶりなカメラが1つ。

俺はそこでしばらく待つようにと指示をされ、おとなしくパイプ椅子に身を収めることにした。

あぁ、俺はこれから一体どんな目に合うんだ。正直怖くて仕方がない……。

この部屋には窓もないし、すごい圧迫感だな。余計に不安になってくる……。

それにこの椅子、やけに固い……落ち着かな……

「お待たせしたね、カイ君」
「ヒッ!……ってルリ姉
ねぇ
!なんでここに?!」

金属製のドアが勢い良く開かれた音に思わずビビってしまって椅子から跳ね上がると、眼の前には美しく長い紫髪が特徴的な蠱惑的な美女が1人。

最後に直接会ったのは半年程前のことだったが、忘れもしない。

幼い頃から何かとよく俺の面倒を見てくれていた2つ年上の近所のお姉さん。

ルリ姉こと鷲峰
ワシミネ
瑠璃
ルリ
が急に飛び上がった俺に驚いた顔で、そこに立っていた。

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