1話
梅雨上がりの程よく湿気を含んだ処暑特有の空気を肌で感じながら。
僕は教室の外、廊下の窓から外の校庭を眺めていた。
午前中に終業式を終え帰りのホームルームも先程済んだ。
高校2年生の一学期は今しがた、お昼のチャイムと共に僕らにさよなら告げた訳だ。
足早に家へ帰る者、仲のいい複数人のグループで寄り道の作戦を立てる者、この場で完全下校までに夏休みの宿題を全て終わらせてしまおうと無謀な戦いに挑む者。
一学期を終えた生徒達は皆、これから訪れる待望の夏を前に浮き足立つような雰囲気を保っていた。
「はぁ……」
僕以外は。
窓の外に大きなため息を放つ。
バイト、どうしよっかな。
数日前の父との会話を思い出す。
『南央ぉぉぉぉお、どうしよおおおおお』
『お帰り父さん、ってどうしたの』
会社から帰宅早々に僕に泣きつく父。
割と見慣れた光景。
『父さんなぁぁ、お金無くてなぁぁ、お前の修学旅行の費用が払えそうに無いんだよォう』
『あー、そっか……しょうがないね』
僕を男手ひとつで育ててくれた父さんは薄給な上パチンコ依存症でしょっちゅうお金に苦心している。
正直こうなるんじゃないかって薄々思っていた。
なのでそこまで驚きもしなかった。
『でっ、でも安心しろっっ、父さん夏の間にパートにも入るからなっっ、それで何とか稼いで来るからっっ』
『あーいいって父さん、それに前にも似たような事して体調崩したじゃん』
『で、でもなぁぁ。修学旅行はちゃんと行って欲しいんだよぉ』
ダメな父ではあるが、どこか憎めない愛すべき父でもある。
『いいよ、修学旅行の費用は自分でバイトして稼ぐよ、夏休みの間にバイトとかしてさ』
『そ、そうかぁ?でもこういうのはやっぱり親が出すべきなんじゃ……』
『いいっていいって、それに僕もそろそろアルバイト経験してみたかったし……だから修学旅行もちゃんと行ってくるから安心して?ね?』
『南央ぉぉぉ……苦労かけさせるなぁ……』
『だから父さんは早くパチンコ辞めてね』
『ああ!!父さん辞めるぞぉ!もうギャンブルは辞めるぞぉ!』
(あー多分明日には行ってるなこれ)
これが数日前にあった出来事。
僕もさすがに修学旅行は行きたい。
なので修学旅行がある10月までに修学旅行の費用を貯めないといけないのだ。
とは言ったものの、バイトってどうやって探すんだろう。
特に部活動には入っておらず、また「夏休みになったら海でナンパ対決しよーぜ!!」みたいな事言ってくれる友達も1人も居ないので、夏休みの予定は今のところ穢れを知らない純潔の白を保っている。
まあ平たく言うとボッチなのである。
あと、僕は今までアルバイトなる物を一度もやった事がないので、一般的な高校生がどのような流れでアルバイトをするのかを知らない。
「あ、そういえば」
ある事を思い出す。
この高校の昇降口近くには近隣の高校生向けなアルバイト求人を掲載している掲示板がある。
学校側からバイトを推奨してくるなんて変わった高校もあったものだ。
しかし、登下校時に毎日のようにその掲示板を軽く目にしてはいたものの、そこに並べられた求人達の顔ぶれはいつまで経っても変わりばえが無い。
とどのつまり、いつ貼られた物かは定かでは無い。
それでも今の僕にとっては暗闇に指すひとつの光明のように思えた。
「見るだけ見てみるか」
いつまでも廊下から校庭を眺めて黄昏ている訳にも行くまい。
僕は早速くだんの求人掲示板へ足を延ばした。
そこで数人の男子グループとすれ違う。
「2個目のワードは……陽光の射さない取水塔…………取水塔?……そんなのないぞうちの高校…………」
「いや……取水塔っていうのは隠喩じゃね?とりあえず陽光が射さないって事は暗い場所って意味だろ?」
「俺はこの謎、絶対解いて帰るぞ……牛娘に種付けできる仕事とか絶対やりてぇし……悪いがお宝のチラシ見つけたら1人抜け駆けすんぜ?」
「あーずりぃ……やっぱ俺一人で探すわ」
「てか……ほんとにそんな仕事あんのかよ……ただのイタズラじゃね?」
男子グループはあーでもないこーでもないと言いながら変な紙を握りしめて通り過ぎて行った。
あーそう言えば。
今日なんか噂になってたな。
なんでも数人の男子の机には変な紙が入ってたって。
変なイタズラもあるもんだ。
僕の机にはイタズラされてなかったから良かったけど。
まぁいい、そんな事より僕はアルバイト探さないと。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昇降口へたどり着く。
するとそこには見知った顔が居た。
おお…あれは…隣の席の篠崎さんだ。
篠崎百花
しのざきももか
さん。
たまたま席が隣になったギャルである。
服越しでもなんとなく分かるGカップ位の巨乳。
ストロベリーブロンドのウェーブがかったロングヘアに透き通るような美白。
あまり口数の多い子ではないがその整った容姿からか教室での存在感はかなりでかい。
主観ではあるがこの学校では1番整った顔をしている、あと多分胸も1番でかい、デカすぎる。
きっと日頃からさぞ男子生徒の視線が集まりフィーバーしている事だろう。
体育の準備で教室でジャージに着替えていた時、少し離れた位置で喋ってた男子達が「篠崎さんの胸やばくね」「やばい、揉みしだきたい」「分かる、あの胸に顔を挟みてぇ」って会話をしていたのを聞いた事がある。
僕も「それな!!」と彼らと想いを共感したかったものの、その会話には混ざれてない、横から聞いてただけ。
友達が居ないせいか生徒同士の機微には疎く、彼女が男子達にどれほどモテているのかは知らない。
多分相当モテるんだろうなくらいの感覚。
ダンス部のセンターで篠崎さんがくっそイケイケなダンスを踊っているのを部活動紹介で一度見た事がある。
席替えで彼女の隣の席に決まった時は「もしかしたらイイ事がある1学期になるのでは」と男子高校生特有の淡い期待を抱いたものの、そもそも話しかける勇気もないので特に何事も無くその一学期が今日終わってしまった訳だが。
さて、大して興味ないけどこれぐらいは知ってる風なキザな御託はやめて単刀直入に言ってしまおう。
彼女は僕の好きな人である。
高望みもいい所すぎて呆れる。
釣り合う釣り合わないではない。
同じ土俵にすら居ない。
僕的には同じ空間、しかも隣同士で授業を受けている時点で既に神がかった状況なのだ。
まぁ、2学期になったらまた席替えするだろうしきっと憧れの篠崎さんを間近
まぢか
で見る事ができるのも今が最後だろう。
うん、というかさっきからあの人。
何してるんだあそこで。
ひょっとすると自分と同じくアルバイトを探してるのかなと思案しながらも僕もその掲示板に用がある訳で。
ここで勇敢な男子生徒なら、すかさず彼女の隣に立ち「バイト探してるの?俺もなんだよね」と勝負を仕掛けるのであろう。
僕はどうしたかって?
そりゃあもちろん勇敢な男子生徒の一員である僕は例に漏れず、すかさず彼女の横………………を通り過ぎてそのまま自分の下駄箱を開けた。
夏休みに入る前に自分の下駄箱を綺麗にしている生徒の体を演じたのだ。
(チキンめ)
特に意味もなく下駄箱を整理しながら顔の向きを変えずに視線だけを横に向ける。
『早く居なくならないかな』と『今だ、一学期の最後くらいあの子に話しかけろ。グズグズしてるとどっか行っちゃうぞ』が胸の中で交差する。
一方彼女はと言うと掲示板に貼られた求人をめくったり裏っ返したりしては何か工作のような事をしている。
シンプルに何やってるんだあの子と思った。
そもそもこの掲示板を生徒が真剣に見ること自体珍しすぎる光景なのはこの学校の生徒であれば共通の認識だった。
結局、しばらくして用が済んだのか篠崎さんはそのままどこかへと行ってしまった。
少し惜しい事をしたかなと思いつつも今まで通りの変わらない日常を保てた事に安堵すると今度こそ掲示板の前に立つ。
掲示板に貼られた求人のメンツは変わり映えしていない、いつも通りのようだ。
ファミレス、スーパーの品出し、コンビニ店員、喫茶店。
喫茶店の店員はちょっといいなと思ったもののよくよく考えてみればその喫茶店はとっくの昔に潰れている事を思い出した。
よく見ればそこに貼られた求人の紙はどれもこれも色あせており黄ばんでいる。
(これ、当てになるのか……?)
信ぴょう性は右肩下がり、どころかジェットコースターを思わせる急降下を披露して見せた、これは上がりそうにないやつだ。
(そういえば、篠崎さんここら辺を弄ってたな……)
先程の光景を思い出しセロハンテープで仮止めされたファミレスの求人をペリペリと剥がしめくってみる。
「……ん?」
そこには人目を憚るかのように別の求人が貼られていた。
見るからに人が手で書いた手作りの求人紙。
しかしこの紙だけほかの紙に比べて明らかに新しい。
内容は…………。
高校生でも可
健康な体を持った若い男性のみ
8月1日から8月31日までの牧場での住み込み型短期バイト
仕事内容はとても簡単な軽作業です
住み込みでのお仕事になりますので着替えや生活必需品は持参してください
採用人数は一人までです
詳しくはこちらの番号まで
下の方に角と牛のしっぽの生えた異様におっぱいの大きい女の子のイラストが描かれている、ひょっとすると牛娘を描きたかったのだろうか。
「なんだこれ」
怪しい、怪しすぎる。
健康な体を持った若い男性のみと、まるで治験を思わせる募集範囲、求人募集の紙なのになぜか手作りなところ、なにより仕事の内容が1ミリも書かれていないところがなんとも怪しい。
でも……。
「牧場……かぁ」
夏休みの間、自然に囲まれての牧場生活。
それが本当は肉体的にキツイものであっても、今までひたすら平行線な人生を象
かたど
ってきたこの僕にとっては、これはこれで良い思い出の夏になるんじゃないか。
怪しさ満載の求人を前に何故か僕はそんな事を思ってしまった。
「応募……してみよっかな」
どうせ、夏休みの間遊びに誘ってくれる友人も居ない。
バイトが見つからなければ、ただただ暇で無為な夏休みを送る事になるのは明白なのだ。
僕はおもむろにスマートフォンを取り出すと電話アプリを開き、求人に書かれたその番号を打ち込んだ。
プルルルル。
僕はどこかドキドキしていた。
だが、なかなかかからない。
「…………」
プルルルル……プルルルル……プルルルル……プルルルル……
「…。」
永遠に感じたコール音。
期待させるだけさせて結局その番号の相手は電話を取らなかった。
採用人数は1人までって書いてあったし、もしかしたらもう先に他の人が採用を貰ってしまったのかもしれない。
「やっぱだめかぁ」
諦めて切るボタンを押そうとしたその瞬間だった。
『はいはーい……もしもし』
か、かかった!!
「あ、あの……求人を見て……」
『おー、思ったより早かったね。』
想像していたのとはだいぶ違う、とてもなフランク喋り方の人が電話に出た。
それも、声からしても相当若い、というか同い年くらいなんじゃないかと思わせるような若い女の子の声。
その声はどこかで聞いた事があるような気がした。
『そんなに簡単だったかなぁ、あの謎解き』
「え、えーっと……謎解き?」
『んー…まいっか……じゃあこの番号に掛けたって事は応募したいって事でいいのかな?』
「あ!えっと……はい」
『うん、わかった。じゃあとりあえず事前に聞かなくちゃいけない事が何個かあるからそれに答えてね〜』
「はい……」
(なんだこれ、ほんとにアルバイトの応募の電話なんだよな…)
『えーっと、じゃあ早速……』
「はい」
『週に何回くらいオナニーする?』
「………………はい?」
唐突に意味のわからな過ぎる質問が飛んでくる。
『んーだから……どれくらいの頻度でマスかいてるのー?ってこと…オナニーの意味は分かるよね?』
「そ、それって採用に必要な事なんですか……?」
『うん、必要必要。』
「えーっと……」
どうする……真面目に答えてみるか。
「えっと……週……」
『週……?』
「に……」
『2回ね……おけ。…少ないね』
本当は20回。
『それじゃあ、一学期の新体力テストの成績はどんな感じ?』
「一応5でした……」
『へー、結構いい体してんだね君』
「え……は、はい……」
『それとさ。一応夏休みの間は家に帰れないけど……そこら辺は大丈夫そ?ママに怒られたりしない?』
「母さんは居ないです……父さんなら……でも先に言っておけばそこまで心配はしないと思います。」
『ありゃ…片親君かー。私と一緒だね』
「そ、そうなんですか」
『うん、私はママだけど』
もはやどこの誰と何の話をしているのか分からなくなってきた。
『うん、だいたい聞きたい事はそんな感じかな〜』
「え、これだけですか?」
『うん、そんくらい』
そこでふと疑問に思った事を口にする。
「どうして学生って分かったんですか」
『いやだってそんなの分かりきってるじゃん……何言ってんの』
「は、はぁ……?。」
『で、給料の話なんだけど〜。まぁ最後まで辞めずに働けばだいたい30万くらいは貰えるから安心して』
「えっ!!!そんなに貰えるんですか!!」
それなら確実に修学旅行の費用が賄える。
『で、牧場の場所なんだけど。夏井川市
なついかわし
の紫陽花町
あじさいちょう
だから。電車乗り継げばこれるでしょ?』
「あ、そうですね。行けます」
夏井川市、県内最北の市だ。
確かめっちゃ田舎だった気が。
『じゅあ詳しい住所は求人の裏側に書いてあるから』
「あ、そうなんですか?」
求人をめくってみると確かに住所が書かれていた。
『あーあと、その求人剥がしといてね?』
「え、これをですか」
『うん、ファミレスの紙の裏側に貼ってあったでしょ?それもう用済みになったから。メモ変わりにでも使って』
「え、あ……はい」
『じゃ、8月1日。夜までにその牧場に来てくれればいいから。分かんない事あったらまたこの番号に掛けてね。多分夜の12時までなら起きてるから』
「は、はぁ」
『着替えとか歯ブラシとかちゃんと持ってくるんだよ〜、パンツ貸して〜とか急に言われても貸せないからね』
「は、はい……分かってます……。」
仕事の話をしているのに話し方のせいか妙に調子が狂う。
「あ、そういえば……仕事内容って」
『え?…………いや…だから机に入ってた紙に書いてあったでしょ?……まぁ要するにそういう事……君もそれ期待して電話掛けたんでしょ?』
「え、えぇ?……。」
『じゃ、今度は牧場で会おうね〜』
「あ…ちょっと!!」
ピッという電子音と共に唐突に終わりを告げる会話。
もしかしたら今までの人生でこの電話が1番謎めいた会話だったかもしれない。
「なんか……変なバイト受けちゃったのかな………」
それでも採用が決まった訳だ。
とりあえず一安心。
「牧場かぁ」
可愛い牛さんやヤギさん達で溢れる田舎の牧場に想いを馳せる。
真っ白に終わるはずだった僕の夏休みの予定表は牧場生活という名の鮮やかな緑色に染められたのだった。
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