5話
リーンリーンというスズムシらしき鳴き声を聴きながらひたすら天井を見つめる。
さすがにそろそろ寝ないとと思って電気は消した。
だがその暗い和風の寝室の中では、目だけが暗闇に慣れていくばかりで。
覚醒した意識はちっとも休まる気配を見せなかった。
先程この部屋で実際に起きた出来事が、脳内映像として何度も鮮烈に脳内リピートされる。
さながら頭の中は終わらない映画館のようだった。
『一応…私も発情期の牛娘なんだけどな…ナオくん』
「…。」
「そっか」
この牧場でバイトをするの決めたという事は、そういう事なんだよな。
そんな風に結論とも言えない結論を捻り出す。
「僕…ちゃんとやって行けるのかな」
天井に向かって独りごちる。
見つめすぎて天井の木目がシミュラクラ現象を起こし始めたその時、ふと襖を挟んで縁側の向こう側から1人の少女に話しかけられた。
「なーんだ、今頃セシリア姉さんに喰われてる頃だと思ってた」
「!?」
びっくりして上半身を持ち上げる。
襖がゆっくりと開かれる。
そこには。
「し、篠崎さん…?」
縁側から見える月光を背に立っていたので月の光が逆光となって、彼女だと認識するのに少し時間がかかったが。
そこに立っていたのはカップアイスを片手に持った篠崎さんだった。
「入るね」
僕の了承なんて気にする素振りもなく、そう言うと篠崎さんは裸足でズカズカと部屋の中へと入ってきた。
靴は縁側の外で脱いだらしい。
搾乳用の服とは違う、私服姿の篠崎さんは僕の布団の横まで来るとストンと女の子座りをした。
カップアイスをスプーンで掬い口元に運んでいる。
「……。」
「シャク…シャク……」
「あ、あの…篠崎さん…その」
「食べる?」
「え」
先程まで篠崎さんが口に付けていたスプーンにアイスを1口サイズほど乗せて僕の口元に運んできた。
歯磨きをした後だがなんだか断る気もしなくてそのままアーンされるがままにアイスを1口貰った。
暗闇でパッケージが見えず、何味か分からなかったが食べてみて分かった。
「イチゴ…味?」
「ふふーん…せーかい」
何か満足げな反応をするとそのまま再びアイスを食べ始めた。
せっかくこちらから切り出したのにたかがアイスで出鼻をくじかれてしまった。
「…」
「…シャク……シャク」
「あ、あの…」
「話すのは初めてだね」
「え……、あー…そうですね」
暗闇でも何となく視線は僕ではなくカップアイスに向けている事だけは何となく分かった。
「どうやってあのチラシ見つけたんだろ…私、君の机にはアレ入れなかったと思うんだけどな…シャク…シャク」
「アレ……?」
「謎解き問題」
謎解き問題…。確かに謎解き問題なんてものは僕の机には入っていなかった。
「私ね、終業式の日の朝早くに色んな男子の机の中に謎解き問題の紙を入れてたの」
「謎解き問題の紙……」
「それで、最終的にその謎解きが全部解けると〜あの掲示板のチラシにたどり着けふようひひてたほ」
最後の方はスプーンを口に咥えて喋ってたせいでふにゃふにゃ語になっていたが言っている事の意味は分かった。
「それに、もし謎解きの紙をどうにかして手に入れてたとしても、あんな早くは解けないと思うんだよね〜」
「そ、そうだったんだ」
「もしかして君、実はめちゃくちゃ頭良いとか?」
残念ながらそもそも解いてすらいないのだ。
「え、えっとね」
僕はその日あった事を説明した。
「なーんだ、ズルじゃん」
「ず、ズルって言われても」
ズルも何もたまたま見つけてしまったものは仕方ないじゃないかっ、とは言えず言葉を飲み込んだ。
するとまた2階から何かを叩くような音がした。
「ひっっっ」
「なにビビってんの」
「い、いやっ…なんか…お化け居るみたいなんです…この家」
「ははっ…お化けって」
篠崎さんは天井の方を見上げた。
「ふーん…なんだ……やっぱまだ居んじゃん…ニヅナちゃん」
「に、ニヅ…?」
「まぁ…向こうが私に会いたがってくれるまではこっちからは知らないフリしといてあげますか…」
「な、なんの話…ですか?お化けじゃなくて…?」
「んーん、こっちの話…シャク…シャク」
話しながらもシャクシャクと音を立ててアイスを食べ進める篠崎さん。
そして今のが最後の一口だったらしくスプーンが紙カップの底を擦るような音がした。
「ふー、美味しかった…はいこれ」
「え、なに?」
「捨てといて?」
「えぇ…自分で捨ててくださいよ」
「寝る前にこっそりアイス食べてた事ママに内緒にしてるもん。だから君が捨てといてよ〜」
「えぇ…」
「さっきバイト代あげたでしょ〜」
「うぐ…」
羽目られた。
1口くれたのは優しさかと思ったが打算だった。
自由気ままな子だなぁ、と思いながらも渋々食べ終わったカップアイスのゴミを処理した。
なんだろう、陽キャJKにこき使われる陰キャ男子の構図が今完成してしまった気がする。
「もう寝ちゃう?」
「え、いや…まだ寝ない…ですけど」
「そっか」
「はい…」
「じゃあ散歩しよ」
「え」
「私もさ…まだ眠くないんだ、ママは彩音ちゃんに夢中だし」
「あ、リアナさんか…」
「うん、そーそー…私のママ。だからさ…眠くなるまで散歩しよ?」
「ま、まぁいいですけど…。」
何故か唐突に僕は篠崎さんと夜の牧場を散歩する事になった。
篠崎さんは先に縁側から外靴に履き替えて外へ出て行ってしまったので僕も慌てて玄関へ向かい靴を履いた。
外の洗濯干しの棒の下でスマホを弄りながら篠崎さんは待っていた。
「ん…きた…じゃ行こっか」
「う、うん」
「あー、そっか…ごめんね」
「え、なにが…?」
「君にとっての女の子との人生初デート奪っちゃったね?」
「こ、これはデートじゃないです…。」
牧草をサワサワと踏む音。
夜虫たちの音。
どこか近くで流れているらしい渓流の音。
どこからか迷い込んだらしい猫の鳴き声の音。
僕の隣を歩く篠崎さんの足音。
「…」
「…」
「あ、あの…聞いていいですか…………?」
「うん」
「その……」
「…………」
「篠崎さんって…」
「牛娘だよ」
僕が聞きたかった事は既に察していたらしく僕が本題を述べきる前に回答が返ってきた。
「で、でも篠崎さんにはその」
「角が生えてない?」
「う、うん」
「ふふ、まあね〜。見る限りは普通だしね」
街灯のない、月光のみが光源の牧場を篠崎さんとスローペースで歩く。
目は暗闇にかなり慣れてきて、今では篠崎さんの服装までしっかり見えていた。
白のパーカー、ホットパンツ、ピンクのクロックスといった感じだった。
さすがギャルと言うべきか、似合っている。
僕の歩幅に篠崎さんが合わせる……。
…のではなくどちらかと言うと僕が篠崎さんの歩幅に合わせている。
今まで顔は合わせど1度も話した事がなかった隣の席の女の子、その上僕がずっと思いを寄せてきた子でもある。
そんな子とこんな田舎の夜の牧場をこっそり2人で散歩している。
でも、なんだが不思議なもので。
この牧場がそうさせてくれるのだろうか?
本来ならまとも顔すら見れないし話せもしなかったであろうこの子とも、この牧場の中では何故かまともに会話を楽しめている。
そんな不思議な時間をどこか楽しんでいる自分がいた。
と思ったがふと篠崎さんが立ち止まると変な事を言い出した。
「じゃあさ…どうして私が牛娘なのか…その証拠を触らせてあげる」
「はっ!?」
「ほら…手貸して」
「え、えぇ……は、はい」
篠崎さんの前に手を差し出すと篠崎さんが僕の手を掴んできた。
しっとりとしたすべすべの篠崎さんの手、男子では決して再現することの出来ない女子特有のもちもちの手だった。
すると篠崎さんは僕の手を。
なんと自分のパンツの中に差し込もうとしてきた。
「え、え、え、なんでっ」
「んー、もぅ…いいからっ」
僕の手がゆっくりと篠崎さん腰の辺りの素肌に触れる。
そして篠崎さんに誘導されるままゆっくりとお尻の方へと下降していった。
こ、このままでは女の子のお尻を素手で鷲掴み状態になるっっっ………とか思っていた。
だがそれ以上にとある異変に気がついた。
「あっ…」
「…」
「こ…これって…」
「ふふん…分かった?」
篠崎さんのお尻には、シッポがあった。
「これで分かったでしょ?私…人間じゃないの」
どういう感覚かは分からないが篠崎さんはそのシッポを操り、僕の指と指の間を輪っか作るように絡めてきた。
「そ、そうだったんですね………(もみもみ)」
「うん………てちょっと。…なんか普通にお尻揉んでない??…はいサービスはここまで〜」
スっと篠崎さんのパンツの中から手を引き抜かれる。
自分でも気づいてなかったが確かにお尻を揉んでいたようだ。
「で、でもどうして」
「牛娘ってさ、実は意外とまだ解明されてない部分が多くて…私みたいに牛娘の遺伝子が薄い状態で産まれてくる子も居るの」
「そ、そうなんですね」
「だから…私には角がない…だけどシッポは生えてた」
僕の目の前にステップを踏むように移動する。
「ねっ?…ただのおっぱいの大きい女の子って思ってた?」
「ま、まぁ」
「うわぁ…そのまま正直に答えるとか引くわ〜」
「いや誘導したじゃないですか」
「なんの事かなぁ〜」
篠崎さんは再び歩き出したので僕もその後をついて行く。
しばらく僕は何も言い出せず、また篠崎さんも特に何か言うでもなく沈黙のまま散歩は続いた。
そうしていると気づけば僕たちは牧場の端の辺りに来ていた。
心なしか渓流らしき川の音が近くなっている気がする。
「あ…川だ…」
「来たばっかで気づいてなかったでしょ」
「は、はい……」
どうやらこの牧場の端っこには山から降りてきた幅5m程の小さな小川があったらしい。
確かにほかの建物の影になって気づいてなかった。
篠崎さんは木の柵を乗り越えるとそのまま小川へ近づいて行った。
「ほら、君も来なよ」
「え、でも…危なくないですか?」
「大丈夫だから、なんなら手握っててあげよっか?」
そろそろこの子の会話のリズムが分かってきた。
これは、からかわれている。
舐められっぱなしでは良くないと思い僕も篠崎さんに見習って柵を乗り越える……が、残念ながら足が引っかかった。
「わぁっっ」
「ちょっ」
ギュッ。
僕は篠崎さんに思いっきり抱きついていた。
篠崎さんの服からは桃のような柔軟剤のいい匂いがした。
服越しに篠崎さんの大きな胸がぽよーんと弾むのを感じた。
「ちょっと〜…お客さーん?…ウチそういうサービスはやってないんですけど〜…(ぺしぺし)」
自身の胸に顔を沈めている僕の頭をぺしぺしと叩く。
「ご、ごめんなさい…」
「たかがこの高さの柵も上手く乗り越えられないで女の子にそのまま抱きついちゃうとか……。恥ずかしいよ?」
「う、」
篠崎さんから離れる。
篠崎さんはそのまままた川の方へスタスタと近づいていった。
そこにはひときわ強く月光に照らされた小川があった。
「ここ…深い?」
「んーん…ちっちゃい頃の私がよく遊んでた川だから、全然深くないよ」
そう言うと篠崎さんは靴を脱ぎ近くの小川に面した座るのにはちょうど良さそうな高さの岩に腰を下ろした。
素足を小川に浸けてはパシャパシャと軽く水を蹴飛ばしている。
「ほら、君もやってみなよ…気持ちいいよ?」
「え〜、お風呂入っちゃいましたし」
「この川の水は綺麗だから大丈夫、ほら、おいでおいで」
「えぇ〜…もぅ」
僕は篠崎さんと同じように靴を脱いだ。
岩に近づくと篠崎さんが横に人一人分くらいのスペースを空けてくれたのでそこに腰を下ろす。
パシャ…パシャ…。
「ね?気持ちいいでしょ?」
「は、はい…」
篠崎さんと隣合って小川に素足を浸している。
僕は一体こんな夜中に何をしてるんだろうか。
「そういえばさ、いつか話す機会があったら聞いてみたかったんだけどさ」
「ん…なんですか?」
「席替えがあった日さ、隣の席になって…私、君に話しかけたんだけど…どういう訳か無視されちゃったんだよね〜」
「えっ…な、なんですかそれ」
「え?覚えてないの?ほら…よろしくね〜って声掛けたじゃん…」
「え〜」
「まぁ私的には〜?
超絶美少女でおっぱいもデカイこの私が?
たまたま隣の席になった上に話しかけられればさ、大抵の男の子はコロッと惚れてくれるだろ〜な〜って思ってたんだけどさ」
「うわぁ…お性格が…」
「なに?」
「な、なんでもないです〜」
「隣の席の男子が私のこと好きならさ
色々と私のわがまま聞いてくれるだろうから便利かな〜って
思ってたんだけど…なんか無視されちゃったから」
「じゃあ僕はこき使われるために話しかけられたのか…」
「でも無視したじゃん」
「ほんとに……覚えてないです」
「えぇ〜?私に話しかけられたのに〜?」
「ん〜…」
必死に脳内ライブラリーに検索をかける。
「ん〜………あっ!」
「おっ、思い出した?」
「はい」
「なら…あの時なんで無視したのか〜って質問…答えてくれそうだね」
「はい…それなんですけど…」
「うん」
「僕のさらに隣の席の男の子に話しかけたんだと思ってました」
「え………はぁ?」
「はい」
「え、マジで言ってんの?」
「はい」
「ど、どうしてそういう思考回路になっちゃうの」
「だって僕…生まれてこの方友達出来た事ないし」
「それがどうしてそういう勘違いに繋がったの?」
「席替え早々に僕なんかに話しかけてくれる人なんて居るわけないって思ったから、あ〜じゃあさらに隣の席の中田くんに話しかけたのか〜って」
「うわ〜卑屈〜」
「仕方ないです………」
「どうして席替え早々に隣でもなんでもない君のさらに隣の男の子に私がよろしく〜って言うのよ」
「でもその時はそう思いました」
「で…その上忘れていたと」
「うん………あっ!でも……」
「なに?」
「今日初めて友達できたんですよ!」
「この牧場で?」
「そうそう!」
「良かったじゃん…で…誰なん?それは」
「ひさっちゃん」
「ひさっちゃん………えっ!?ひさ爺…!?」
「うむ」
「うわ〜…類は友を」
今まで1度も話した事もなかったはずの隣の席の女の子との会話はなぜか不思議と弾んだ。
「そういえば、特に意味は無かったんなら別にいいんですけど」
「うん?…うん…」
「どうして僕をパシリに使いたかったんですか?別に近くの席には他にも男子が居たじゃないですか……」
「あーそれね〜…あるよ…意味」
「え……なんですか…気弱そうだから……?」
「それはね」
「はい」
「顔が好みだったから」
「あーなるほど…………顔が好み………え?」
「だって顔が好みな男をこき使えるなんて最高じゃない?」
「ええ」
「だから君の机には謎解き問題も入れなかったの」
「ど、どういうことですか?」
「だって良いな〜って思ってた男子がこの牧場にきて他の子に取られちゃったらさ…なんか嫌じゃん」
「そ、それは…ええ?」
それってほとんど告白に近しい事を言っているのと一緒なのでは。
言おうかどうか迷っていると篠崎さんは指先が水に浸かった状態で僕の足を横から蹴ってきた。
「いたっ…なんですか!」
「なんか今失礼な事言おうとしたでしょ」
「してないっす」
本当は言おうとしてた。
そんなやり取りをしていると森が僕らにサプライズを用意してくれた。
「おぉ…綺麗」
「運が良かったね」
どこからともなく現れた蛍の群れが僕らを中心に集まっていた。
空気をパレット代わりに描かれる小さなテールランプ。
自然が生み出す即興アート。
幻想的なその風景を前に自分たちすらもその絵の一部になったようだった。
「ね、見て」
「ん?………おぉ〜」
篠崎さんが指切りのポーズをしている。
その小指の先には一匹の蛍が止まっていた。
「僕のにも止まるかな」
真似をしてやってみる…が止まってくれない
「新参者の指には止まりたくないってさ〜」
「そんな〜」
「ふふっ…バカみたい」
篠崎さんは僕のガッカリ顔がそんなに面白かったのか横で笑っている。
「ね」
「ん?」
「この夏さ…」
「うん」
「君のこと、私がこき使ってあげよっか」
「な、なんでそんな酔狂な事しなくちゃいけないんですか…」
「私にこき使われる夏休み…きっと楽しいよ?」
「そ、そんな訳…」
「え〜、いまなら現役女子高生の母乳飲み放題サービスも付いてくるんだけどな〜」
「ごくり……。」
「んふふ…どうする〜?そこの陰キャ君」
「こ、このタイミングで承諾しちゃったらそれが目的みたいになっちゃうじゃないですか」
「え〜、でも吸いたいでしょ?私のおっぱい…クラスの男子達が1回はこのおっぱいでオナニーしてるよ?」
「………ごくり」
「ははっ…素直すぎない?」
「あっ、ほら篠崎さんが変な話し出すから蛍どっか行っちゃいましたよ?…」
「え〜?君の下心を感じ取って居なくなっちゃったんじゃない?」
「そ、そんな訳」
「…」
「…」
篠崎さんがゆっくりと僕の方を向いてきた。
「…」
「…?」
「私のパシリになりたい人…こーの指止〜まれ♡」
「……」
篠崎さんの小悪魔のようなかわいい笑顔。
そんなの止まるわけ。
キュッ。
うん、何やってんだ僕は。
「変わってるね〜…自分からパシリになりたいだなんて」
「……」
「それとも…やっぱり私のおっぱいが吸いたかっただけなのかな?」
「ぅぐ」
「はははっ…男の子って単純」
「やめてください…後悔してきた」
「ふふっ…」
「……」
「じゃあ…これからよろしくね?私のパシリ君」
「パシリ君なんですか…呼び方…」
「んー、私に一生懸命尽くしてくれたら〜、いつかは下の名前呼びに昇格できるかもね?」
「え〜」
「頑張って昇格してね?パ・シ・リくん♡」
篠崎さんのその笑顔はなんだか小悪魔的で、それでいてすごく可愛かった。
結ばれた2人の小指の間に。
一匹の蛍が止まった。