26話
コンコン
ガチャ
「……星野君」
「こ、こんばんは」
「…………」
「…………」
「いいですよ…入って」
「し、失礼しまーす」
いつも通り白ワイシャツに黒の短いタイトスカート姿の江理香さんが出迎えてくれた。
部屋の中に招かれる、ガラステーブルの上にはやはりノートパソコンが置かれていた。
江理香さんはテーブルのクッションの上に正座で座り込むとパソコンをカタカタし始めた。
僕もいつものポジションとなり始めている江理香さんの隣に座る。
最近は僕が毎晩訪れるからか来た時には既に江理香さんがいつも座る位置の隣に僕用のクッションが事前に用意されている。
「…………」
「…………」
カタカタ…カタカタ
「…………」
あれぇ?
昨日はあー言っていたので入ったらすぐにそういう事になると心構えしてきたのに、江理香さんはいつも通り仕事をしている。
少し期待していた分ちょっとがっかりした。
「今日も忙しいんですか?」
「そうですね…でも今日はいつもよりは忙しくないです。この調子ならすぐ終わります」
「そ、そうですか」
「星野君は…宿題の進み具合はどうですか?」
「そ、そうですね…あまり進んでないです」
「だめですよ…しっかりやらないと。学生の本分は勉学に励む事です……」
「は、はい……」
「しっかりこなさないとルヴィのような大人になってしまいますよ」
「い、いや……ルヴィさんはなるべくしてなった気がしますけど……」
「まぁ、それもそうですね」
いつもに比べると江理香さんの部屋に来た初日に近い会話内容になっている。
やっぱり昨日のあれは冗談のつもりだったのかもしれない。
子供の僕は大人の江理香さんにからかわれたのかも。
「…………」
「…………」
「まぁ、でも……学生のうちに遊ぶ事を覚えておくのも正しいです」
「江理香さんがそう言うのもなんだが不思議ですね」
「学生のうちに遊ぶ事を覚えなかった少女の未来が今の私です……息苦しい大人になりたくなかったら、遊びも勉強もバランスよくこなしなさい……」
「はい……分かりました、先生。」
「誰が先生ですか……」
「…………」
「…………」
カタカタ…カタカタ
「…………」
「あの、江理香さん……肩とか揉みましょうか?」
「大丈夫です、最近は君がよく揉んでくれるので……今日はそこまで肩も凝っていません」
「そうですか……」
「…………」
「…………」
カタカタ…カタカタ
「…………」
「んー……ふう」
江理香さんが肩を伸ばす。
一息ついているようだ。
江理香さんはノートパソコンを閉じるといつものように僕を見つめてきた。
これも少し慣れてきた。
「…………」
「…………」
「喉……乾きませんか?」
「え、あーそうですね……」
「飲み物取ってきますね」
「ありがとうございます…………あっ!でもあのジュースじゃなくてお水とかがいいです」
「あのジュース…美味しいのに………」
少し残念そうな顔をすると江理香さんは台所からグラスに入った天然水と500mlのビール缶を3つほど持ってきた。
あれ?今日はがっつり飲むつもりなのかな。
いつもなら250ml缶を1缶だけしっとり飲んでいるのに。
その後ガラステーブルの上にて唐突に晩酌が始まってしまった。
「でふから……私は言ったんです……その仕様書には記載みふがあるので……ご確認をって……なのに……なのにですよ……そのまま通しちゃうんですよ……あの人たち」
「そ、そうだったんですね……ははは」
江理香さんが酔った。
いつもはそんなに飲んでないのでここまで酔うこともないのだが、今回は既に3缶も開けた上追加でまた飲んでいる。
舌の回りもかなり悪くなってきている。
「ちょっと……聞いてますか?星野くぅん」
「は、はい…聞いてます聞いてます」
「全く……君は私の会社に入って……私の部下になるんです……だから私の話はちゃんと……ちゃんと聞いてください」
「え、いつそんな話になったんですか」
「あれ……約束しませんでしたっけ……ううん……」
「で、でも…江理香さんと一緒に仕事するのは楽しそうですね」
「そうですよ〜……私は……部下の面倒見はいい方なんです……なので……君も可愛がってあげるので……早く成人してください……」
「は、はい」
「成人式のスーツ……私が買ってあげるので……ううん」
「江理香さん飲みすぎです」
「私は……あまり飲み会には誘われないんです……だから…飲み会の参加署名の紙が回ってきても……私が居ると盛り下がると思って……いつも……」
「だ、大丈夫ですって……江理香さんは嫌われてないですから」
「そんな事ないです……きっと……きっと皆さん私の愚痴で盛り上がってるに決まってます……きっと甘党馬鹿とかって言われてるんです」
「どんな悪口ですかそれ」
「ううん…………だから……だから君は早く大人になって……私の所に来てください……私と仕事終わりに飲みに行くんです……いいですか?」
「えぇ……」
「約束ですよ……じゃないと…私泣いちゃいますからね……えーんって」
江理香さんは酔うとこんな感じになってしまうのか。
意外と内心我慢してる部分が多いのだろう。
その分酔うと本音がたくさん漏れ出るようだ。
「私はいつも色んな事我慢して……お仕事……頑張ってる……偉い」
「え、偉いですね……よしよし」
「もっと褒めてください……もっと頭撫でてくだはい」
「は、はいはい……よしよし。」
「ルヴィだって……いつも私を困らせて…あの子はその気になればもっと出来る子なんです……顔だって世界で一番可愛い……私の大事な妹…………ううん」
「そ、そうですね……ルヴィさん綺麗ですし」
「ルヴィばかり男の子を食べてるんですよ……ズルくないですか?…………姉妹なので好みの殿方のタイプは同じなのに……私はしっかりしなきゃって……私だって星野君みたいな子と色々したいです……ううん」
「ははは……そうだったんですね……我慢できて偉いです」
「ううん……最近はなんかは勝手に部屋に来るし……お仕事手伝う〜とか……可愛い事言ってくるんですよ〜その星野君って男の子……」
あれ?話してる相手僕って事忘れてない?これ。
「顔もめっちゃタイプですし……言うことがいちいち可愛いんです……そのせいでその星野君って子と喋ってる時……母性でいっつも母乳出ちゃって……私ブラジャーの洗濯が大変なんですからね?」
「は、はは……」
「ちょっと……星野君……聞いてますか?大人が喋ってる時は大人しく聞いてください……」
「もう訳わかんねぇなこれ」
そこで江理香さんのスマホが鳴った。
電話だ。
「あ〜……いつも私の胸を変な目で見てくる部長からですね……」
「あ、あの……その状態で電話に出るのは……」
「大丈夫れす……これでも大人なんですよ?……私は真面目なんです……ううん」
だ、大丈夫かこれ!?
止めた方がいいんじゃ。
そんな僕の心配をよそに江理香さんは電話に出てしまった。
「はい……お疲れ様です部長。
……はい、その件なのですが。部下の山下が誤ってデータを消してしまいまして。はい……なので先方へ送る書類は1日遅れます。はい、既に連絡はしましたので……はい…それでは…。」
えええええええ
お、大人ってすげぇ。
江理香さんは電話に出ると急に社会人モードになりまともに返答しだした。
なんかもうちょっと怖い。
人は大人になるとみんなこうなってしまうのだろうか。
軽く将来への不安が過ぎった。
しかし電話を切ると江理香さんはまたダメな人モードに戻ってしまった。
「このひとぉ……セクハラする事で有名なんれす……」
「そ、そうなんですか」
「私にやってくる分にはいいのですが……まぁ私はされた事無いですけど……私の可愛い部下のお尻を触った日には……もう私頭に来てしまって……ううん」
「部下思いなんですね」
「そうですよ……部下は可愛いんです……だから山下のミスも可愛い部下のミスなので……庇ってあげるのは当然なんです……この山下って子もめちゃくちゃ可愛い女の子で……彼氏も居て……私には居なくて……ううん」
「ははは……なんか…かっこいいです」
「だからぁ……君も…たくさん可愛がってあげるので……早く私の会社に来てください……私が人事部の方に一言言うので……採用は確定です……ううん」
「なんかずるくないですか……それ」
「大人はみんなずるいんです……私はずるは嫌いです……ううん」
「はは……もう言ってる事が支離滅裂だ……」
そんな賑やかな2人の飲み会も時間は過ぎていき。
縁もたけなわな時間になってきた。
「ん……あれもう無いです……」
「この辺でお酒は止めておきましょう?…明日大変な事になりますよ……」
「そうですね……二日酔いはきらいです……ううん」
「そうですよ……多分頭が痛くなりますよ」
「そしてら星野君が看病に来てくれるので……大丈夫です」
「えぇ……」
飲みきってしまったビール缶をガラステーブルの上に置く。
江理香さんは手持ち無沙汰になった手で自分の膝を抱いた。
江理香さんは体育座りになると頬を膝に付けて僕の方を見つめてくる。
しばし無言の時間が訪れた。
「…………」
「…………」
「あの……そういえば、今日やっておくべき仕事って終わったんですか?」
「終わりましたよ……今日やっておくべき仕事は」
「そうですか……良かったです。」
「…………」
「…………」
「あと今日やるべき事は……君だけ…ですね」
「え」
江理香さんが熱っぽい視線で僕を見つめてくる。
さっきまでしどろもどろだったのに急にまた普段の江理香さんに戻ってきていた。
「…………」
「…………」
「どうして……来ちゃったんですか?……星野君」
「え」
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