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7話

「──それじゃあ、帰るね」

「もう暗いから、帰り道に気をつけるのよ」

玄関で名残惜しげに振り向いた僕に、おばさんがにっこりほほ笑んで言う。

あの情事の後、僕たちが風呂から上がったときには時刻はもう夜の九時を回っていた。

あのまま、おばさんに筆下ろしをしてもらえる流れかと内心期待していたが、紗百合さんを家にひとり残してきたのを思い出して、これ以上遅くなってしまうのはさすがにまずいと、後ろ髪を引かれながらも帰り支度をしたのだった。

風呂場ではあんな淫らな姿を見せてくれたおばさんも、すっかりいつもの世話焼きな叔母の顔に戻っている。

そのいつもと変わらぬ態度を見ていると、もしかしたら、さっきの出来事は一時的な気の迷いでしかなく、次に会ったときには、また今まで通りの叔母と甥の関係に戻っているのではと不安になってしまう。

「和也」

そんな考えが顔に出ていたのか、おばさんは僕に一歩近づくと、目を閉じて唇をくいっと向けてきた。

これって、キスをしていいってことだよな──?

まるで別れ際の恋人のようなシチュエーションに、僕は心臓を高鳴らせて吸い寄せられるように香苗おばさんの唇にキスをした。

けれど、今まで女子と付き合ったこともない僕が上手なキスなんてできるはずもなく、がむしゃらに唇を押しつけるだけの拙い口づけに、おばさんがくぐもった吐息を洩らす。

「ちゅぷっ……んっ、んぅ……あんっ、そんなに焦っちゃダメよ」

おばさんが眉を潜めるのを見て、僕はハッとして口を離した。

「ごめん……どうすればいいのか、わからなくて」

「大丈夫、わたしがキスの仕方を教えてあげるわ。最初はね、こうやって唇と唇を優しく触れ合わせるの……んっ、ちゅっ……」

おばさんの白い手が僕の緊張で強張った頬を撫で、ふっくらとした唇が優しく重ねられる。唇に柔らかな温もりを感じながら、震えるまつ毛をぼんやりと見つめる。

ああ、僕は今、大好きなおばさんと恋人みたいにキスをしてるんだ──。

幸福を噛み締めながら、おばさんの女性らしい華奢な腰を抱き寄せると、それに応えるように口づけもより深く濃密になる。

「ちゅっ、ちゅぷっ……んふっ、ちゅっ」

下唇をチュゥッと吸われて、僕もお返しにおばさんの唇を吸い返す。

「んぅ……ちゅぷっ、ちゅっ、あんっ……かずやぁ」

「んぁっ……ぁっ……おばさん……」

口内で自然と舌が絡み合い、おばさんの甘い唾液が口の中に広がっていく。

風呂上がりのいい匂いが鼻にフワリと香り、腰に回していた手が大きなヒップににじり寄ろうとしたところで、おばさんが口を離した。

「ふふっ……続きは次来たときに、ね?」

「あっ……」

からかうように吐息を吹きかけられた耳がじわりと熱を帯び、最後にチュッと頬にキスをされると、さっきまでの不安は嘘のように消え去っていた。

「うっ、うん! それじゃあ、またね!」

我ながらチョロいと思うが、僕はわかりやすく喜んで、おばさんに手を振って部屋を出ると、弾む鼓動に合わせて階段を足早に駆け降り、マンションの外へと飛び出した。

チカチカと白く光る街灯に照らされた暗い帰り道。夜風は少し冷たいけれど、かっかと火照った身体には心地よい。

浮かれた足で帰り道を歩きながら、さっきのキスを思い出して唇に触れる。

ああ、もういちど、おばさんとキスがしたい。あの大きくて柔らかなおっぱいをまた揉みしだきたい。そして、次に会ったときは最後まで──。

想像しただけで下半身が熱くなる。ずっと夢見心地な気分だったが、おばさんと男女の関係になれたことに段々と実感が湧いてきて、嬉しさのあまり夜道で叫びそうになるのを必死に堪えた。そうして浮かれたまま、僕はいつの間に自宅前に到着していたのだった。

そういえば、遅くなるとは言っておいたけど、電話ぐらいした方がよかったかな。

気持ちに余裕がなかったとはいえ、新しい家に来たばかりの義母を放置していたことに今更ながら心苦しくなってしまう。

こっそりドアを開けて中に入ると、照明の消えた暗い廊下が僕を出迎えた。静まり返った室内は物音ひとつしない。

もしかして、ほったらかしにされたことに怒って出て行ってしまったのだろうかと不安に思ったが、よく見ると廊下の突き当たりに位置するリビングのドアから、うっすらと明かりが漏れていた。

なんだ、いるじゃないか。そもそもどうして僕は自分の家でこそこそしてるんだ。

馬鹿らしくなって靴を脱いで家に上がると、そのままリビングに向かう。ドアの手前で立ち止まり、もしかしたら怒ってるかもしれない紗百合さんのことを想像し、いちど大きく深呼吸してから緊張した面持ちで僕はドアを開けた。

「ただいま」

長らく使わなかった言葉を口にすると、奥のダイニングテーブルの前で、じっと座っていた紗百合さんが、僕の声に反応して静かに振り向いた。

「おかえりなさい。和也さん」

やはりというか、紗百合さんの顔には相変わらず感情らしきものが見当たらなかった。

笑顔で出迎えてくれるわけでもなければ、帰りが遅いと怒るわけでもなく、何を考えてるのか分からない。あまりにも淡白な反応をするせいで、まるで挨拶をプログラムされた人形のように見えてしまう。

一応は義理の母親なんだし、もっと愛想よくしてくれてもいいと思うんだけどなぁ。

紗百合さんの態度に、つい身勝手なことを考えてしまったが、テーブルの上に料理が並べられていることに気づいて息を呑む。

皮にほどよく焦げ目のついた焼き魚。大鉢に盛られた煮物は彩りもよく、他にも小鉢が並んでいる。香苗おばさんが好んで作る洋食とは真逆の純和風な献立は見るからに美味しそうだった。

きっと数時間前なら、滴る油とパリッと焼かれた魚の皮から香ばしい匂いが漂い、煮物からはホコホコと温かな湯気が立っていたのだろう。しかし残念ながら、どの皿もすっかり冷めてしまっている。そして、紗百合さんの前に置かれた料理はいづれも手付かずのままだった。

「もしかして……僕が帰ってくるのをずっと待ってたの?」

見ればわかることだが聞かずにはいられなかった。できることなら、違うと言ってほしい。

「すみません。お夕食はどうされるのか聞きそびれてしまったので」

それは間違いなく僕が悪いのだが、紗百合さんが自分の落ち度のように言うので余計に心苦しかった。

つまり彼女は、僕がおばさんの家で美味しい手料理を食べていたときも、あまつさえお風呂であんなことをしていたときも、お腹をすかせながら、ひとり寂しく義理の息子が帰って来るのを待っていたということになるわけで……。

ぐっ……罪悪感に胸が締めつけられる!

しかも、これから僕は紗百合さんにもっと酷いことを言わないといけないのだ。

「和也さん、お食事は……」

「ごめん……外で食べてきたんだ」

ぽつりと言った後、あまりに気まずくて、つい目をそらしてしまう。

「そうですか。それでは、こちらは下げさせていただきますね」

「あ……」

淡々と返事をする紗百合さんの表情に変化はない。けれど、罪悪感のせいだろうか、僕の目にはその顔が悲しげに映った。怒って文句のひとつでも言ってくれたほうがまだ気が楽なのに、紗百合さんはそれ以上何も言わない。それが逆に責められているみたいで辛かった。

ついさっきまで、おばさんのことで浮かれていた僕の心は、テーブルに並んだ料理のように、すっかり冷え切ってしまう。

いや、そりゃあ僕も悪かったけどさ? べつに、今じゃなくても明日食べればいいことだし──。

などと、言い訳じみたことを考えていたところで、ふと目を向けたリビングの変化に気づいた。ソファの上にほったらかしていた洗濯物がきちんと折り畳まれ、テーブルに置きっぱなしだったマグカップや雑誌も片付けられているし、よくよく見れば細かい所まで掃除されているじゃないか。

僕が、何を考えているのかわからない変な女だと彼女を拒絶して叔母の元に逃げている間も、紗百合さんは義母としての務めをちゃんと果たしていたのだ。

頭をガツンと殴られた気分だった。

「……あの、紗百合さん、やっぱり、お腹すいたから食べてもいい?」

「無理していただかなくても……」

「いや、全然そんなことないよ。だから、一緒に食べてくれないかな」

見え透いた嘘だったが、紗百合さんは黙ってそれに従った。正直に言えば全く腹は減ってなかったのだが、紗百合さんの料理は本当に美味しくて、その腕前に感心ながら、僕は用意された料理を全て平らげた。

食べながら、どこか懐かしい気持ちになったのは、母さんも和食を好んで作っていたからだろうか。

「ごちそうさまでした。すごく美味しかったよ」

ふくらんだお腹をさすりながら、食後のお茶で一息ついていると、向かいに座っている紗百合さんがじっと見つめてくる。

「なに?」

「和也さんは、お優しいんですね」

「そんなことないよ……これから遅くなるときはちゃんと連絡するから」

そこまで言って、そういえば紗百合さんとはまだ連絡先も交換していなかったことに気づいた。

「とりあえず、番号交換しとこうか」

僕は自分の携帯を取り出すが、紗百合さんはなんだか戸惑っているように見えた。

「えっと、嫌だったらべつにいいんだけど……」

「いえ、そういうわけでは」

脇に置いてあったポーチから携帯を取り出した紗百合さんは新しそうな端末を手に画面をじっと見つめながら、ぎこちなく指を動かすものの、途中でぴたりと動きを止めてしまう。

「もしかして、使い方がわからないとか?」

不思議に思って冗談半分に尋ねると、紗百合さんはこくりとうなずいた。

「こういった機械は苦手で」

「あ、へぇ」

今どきそんな人がいるのかと驚いたが、取っつきにくいと思っていた紗百合さんの意外な一面に、むしろ親しみを感じた。

聞けば最近までガラケーを使っていたが、新し端末を父さんに買い与えられて、ろくに使い方がわからなかったらしい。

「ちょっと見せて」

紗百合さんの隣に座って画面の操作を教えながら自分の番号を登録すると、メッセージアプリの使い方もレクチャーした。ふたりで画面を覗き込んでいるから、おのずと距離が近づいて、触れた肩からほんのり温もりが伝わってくる。

あったかい。それに、いい匂いだ……。

僕に見られていることにも気づかず、じっと画面を見つめる紗百合さん。その綺麗な横顔につい見惚れてしまう。

「和也さん、これで送れていますか?」

「あっ、うん……ちゃんと出来てるよ」

僕の携帯の画面には紗百合さんの送った可愛らしいスタンプが表示されていた。スタンプで返信すると、また新しいスタンプが送られてくる。

「使ってみると便利でしょ?」

「はい、とても」

言葉少なに返事をしながら、指先でトントンと画面を叩く紗百合さん。表情にこそ出さないが、その姿は新しい玩具に興味津々の子供みたいだった。

「和也さん、このマークはなんでしょう?」

「ああ、それは──」

けれど、無防備に密着させてくる柔らかな体から香る甘い女の匂いに、どうしても気持ちがうわずってしまう。

近くで見る紗百合さんのプルンとした唇がとても魅惑的で、ふと、おばさんとのキスを思い出す。

紗百合さんの唇は、どんな感触なんだろう……?

おばさんとの情事の余韻が、あのときの熱が、まだ体の奥に残っていたのかもしれない。

気がつけば、僕は紗百合さんにキスをしていた。

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