波乱の転校生④ 爆谷響子
「──っつぅ。何発かくらっちまったなぁ」
爆谷響子は口元の血を手の甲で拭った。
「ったく。腫れたらどうすんだよ。転校初日だってのに、顔にアザつくって教室なんか行ったら、第一印象サイアクじゃねーか」
そうやって文句を言うが、中庭の草地に倒れ伏した支峨虎丸はピクリとも動かない。完全に気を失っている。
槍太は一連の戦いとその結末を、唖然として見つめていた。
支峨虎丸の固有能力
インヘレンス
は戦闘に特化したものだった。Bランクというのは世間的に特別な力を持つ先験者
コンセプテッド
と認められるレベルの能力者で、それを倒すことは一般人にはまず不可能だ。実際、槍太には支峨虎丸の動きがまるで見えなかった。そういう並外れた強さをBランクの戦闘系能力者は備えている。
爆谷響子はそれに勝ってしまった。さすがに〝西の極星〟から転校してきただけあって、彼女も強力な固有能力
インヘレンス
を持っているらしい。
しかし──ピンチを逃れたというのに、槍太の表情は決して明るいものではなかった。
「それサンキューな」
爆谷響子は槍太のところへ歩み寄ると、手を差し出した。槍太が預かっていた上着を渡すと、爆谷響子はそれを回すようにして羽織った。胸に盾の形をした極星高校の校章のワッペンが縫い付けてあるブレザーだ。
「じゃ、行こうぜ。なぁリバテープとか持ってない?」
「リバテープ?」
槍太は怪訝な顔をした。
そんな謎の呪文のような言葉、生まれてこの方聞いたことがない。
「リバテープだよ、リバテープ。怪我したときとかに貼るだろ」
「……もしかして、絆創膏のこと?」
「なんだよバンソーコーって。リバテープはリバテープだろ」
「標準語で言ってくれないとわかんないんだけど」
「は? 標準語だろ。向こうじゃみんなそう呼んでるぞ」
「そんなRPGのアイテム名みたいなのが標準語なわけないだろ」
爆谷響子は信じられないという顔をした。
カルチャーギャップに面食らっているようだった。
「……マジかよ。リバテープが通じないとか……なんて変なところに来ちまったんだ」
「変なのはそっちだって。まともな世界へようこそ」
そんなことを話しながら、二人は歩き始めた。
もともとこの狭い中庭にやってきたのは、爆谷響子を第一職員室に案内するのに通り抜けるためだった。
「お、お前ら……」
立ち去ろうとする二人の背中に、声が投げかけられた。
「こんなことしてタダで済むと思ってんのか」
爆谷響子が振り返ると、最初に投げ飛ばされた二人が睨んでいた。ダメージはそれほどでもないようだが、しかし戦う姿勢ではない。ロン毛の顎ヒゲが、肩を抑え片膝をついたまま、憎々しげに悪態をつく。
「雑崎ィ──テメェはわかってるよな。オレらのトップの号山サンは〝Aランク〟だ。あの人を怒らせたら、お前ら二人とも無事じゃ済まねぇぞ……」
それを聞いて、爆谷響子は心底軽蔑するような目で見返した。
「つまんねぇやつだな。『次は絶対に倒してやる』くらいのこと言うかと思ったら、他人頼りかよ。そうやって一生、人の褌で相撲を取って生きていくつもりか? 弱くても、自力で挑んでくるやつのほうがよっぽどマシだ」
そう言い捨てて、爆谷響子は二人に背を向けた。
「さ、行こうぜ。早く来いって言われてたのに、余計な時間食っちまった」
促されるままに槍太は爆谷響子を案内するが、しかし内心は困ったことになったと思っていた。
天頂高校のAランク生は異能の力
インヘレンス
を持つ先験者
コンセプテッド
の中でも特別なエリートとみなされ、卒業後は大半が政府や軍事組織の関係機関や研究所、国際的な大企業の専門部署に所属する。いずれも待遇は一般的な会社員とは比べ物にならない格別なもので、Aランクの生徒は皆それに見合った強力な能力を持っている。
7,000人を超える天頂高校で、Aランクに達しているのは僅か62人、全体の1%に満たない。
その数少ないAランクの一人が、号山組を束ねている男、号山
ごうやま
堅剛
けんご
だ。
先ほど爆谷響子が倒した支峨虎丸も、無能力者ではまず太刀打ちできないような戦闘能力を有していたが、それでもBランクに過ぎない。Aランクの号山堅剛は、支峨虎丸など足元にも及ばないほどの強力な力を持っている。
その号山堅剛と戦って爆谷響子が勝てるとは、槍太にはとても思えなかった。
確かに爆谷響子は支峨虎丸を倒した。しかし最初のうちは防戦一方だったし、その間に何発か攻撃を受けて、傷を負ってもいる。そんな風にBランクと〝いい勝負〟をしてしまう程度の実力では、Aランクとは勝負にならない──それくらいAランクの生徒の固有能力
インヘレンス
は突出している。
そしてそのとばっちりが槍太に降りかかるのも確実だった。なんとかしてその被害を最小限に抑えなくては──そんな新たな悩みの種が槍太には生じていた。
* * *
朝、ホームルームが始まる前の教室は、いつもより騒がしかった。それは「転校生の噂」のせいだった。
噂の発端は朝練で早くから学校に来ていた吹奏楽部の二年生だった。練習の途中、休憩がてらにトイレに向かっていると、廊下の窓越しに見下ろせる中庭で、生徒同士が喧嘩をしているのを見かけた。それもただの殴り合いではなく、固有能力
インヘレンス
を使った決闘だ。一方は天頂高校の制服を着ていたが、勝った方は別の学校の制服だった。吹奏楽部員は朝練を放り出して、後を追った。するとその他校生は第一職員室へと入っていった。
そんな話が生徒たちの間に広まると、すぐに別の生徒の「他校から転校してくるやつがいるらしい」という噂や、倒されたのが以前ボクシング部を追い出された工業科のBランカーだという情報が付け加えられた。
学期の区切りでもない妙な時期に転校生が来る、というだけでも興味をかきたてるのに、それが転校初日からBランクの生徒と喧嘩をしてそれを倒してしまった、という噂は、生徒たちの格好の話題になった。
しかし槍太は、噂話にふけるクラスメイトたちを遠巻きに見ていた。
噂の的である爆谷響子と一緒だったのだから、話の輪に加わるにはもってこいのはずだが、槍太は節操のない噂話になど関心はない、という風に一人机に頬杖をついて座っていた。
どうして人は他人の噂話などを好むのだろう。そうやって有る事無い事を想像して、下世話な尾ひれはひれを付け加えていくことに快楽を覚える、醜い連中が世の中には多すぎる──槍太はそう不満に思いつつ、教室で思い思いにグループを作ってお喋りに興じるクラスメイトを眺めていた。
しかし槍太はどちらかというと野次馬根性は旺盛な方だし、下世話なことに関心のないような心の澄み渡った人間ではない。
機嫌が悪いのは、朝、例の吹奏楽部員とクラスの女子たちが話しているところに出くわしたからだった。
ちょうど爆谷響子の話をしていたので、
「オレ、そいつと話したよ」
と声をかけた。すると女子たちは、
「え? ……へ〜、そうなんだぁ」
と戸惑ったように返事をしてから、
「あっ。そうだ、私、英語の教科書忘れたんだった〜」
「じゃあ私の貸してあげる。取りにおいでよぉ」
と取ってつけたようなことを言って、そそくさとその場から立ち去ってしまった。
槍太が殺意を抱いたことは言うまでもない。
槍太はクラスでも孤立していた。普通の学校では概ね知性の近い者同士が自然とまとまるが、この学園ではそこに固有能力
インヘレンス
の強弱関係が大きく影響を与える。ランクが高い生徒には取り巻きのような存在が生まれるし、ランクの低い生徒は肩身が狭い。Fランクの生徒に至っては「あんな落ちこぼれと同じレベルで学校生活を送っていたら自分たちまで落伍者になってしまう」という目で見られている。それを更に下回るZランクの槍太など、まるで疫病神のような扱いだった。
「はーいみんな~! 席に着いてぇ~!」
騒がしい教室に、小柄な女性が入ってきた。制服姿の生徒だらけの校内で、丸い襟のブラウスに橙色のカーディガンを羽織り、ゆったりとしたロングスカートという私服姿に身を包んでいるのは、このクラスの担任、春日
かすが
智子
ともこ
だった。
しかし担任が来たというのに生徒たちはみんな相変わらずお喋りに夢中だ。
「こらぁ! 席に着けって言ってるでしょ、このアンポンたん!」
誰も席に着こうとしないので担任が吼えた。
「センセー、アンポンタンってなんですかー?」
「ボクたち若いからわかりませーん」
「先生のことを年寄り扱いするのは止めなさい! まだ二十代半ばなんだから!」
「トモちゃん、怒るとまたシワが増えるよー」
「そんなこと心配するくらいなら、怒らせるようなことしないの! ほら早く席に着いて! ホームルームが始められないでしょ!」
「はーい」
担任の剣幕もどこ吹く風といった感じで、生徒たちはそれぞれの席に戻っていった。
普通科二年十三組の担任、トモちゃんこと春日智子・二十五歳は、クラスの生徒たちに舐められていた。それは春日智子の生徒への態度があまり厳しくないからということもあるが、一番の理由はこの学園の教師が無能力者なせいだった。ただ高校の教員免許を取得したというだけで何の能力も持たない一般人を、固有能力
インヘレンス
を保有する〝選ばれた存在〟である生徒たちが低く見るのは、当然ともいえる。
しかしそれでも生徒たちが最終的には教師の言うことに従うのは、教師たちには生徒たちの固有能力
インヘレンス
を一時無効化
サスペンド
する権限が与えられているからだ。
「今日は朝の連絡の前に、みんなに紹介する人がいます」
「婚約者ですかー?」
誰かが横槍を入れると、教室がドッと沸いた。
「違ァーう! っていうかそんな人を学校に連れてきません!」
「この前のお見合いは失敗したって言ってませんでしたっけ?」
「二十代でお見合いは気が早くないですかぁ。まだ若いのに~」
「だから違うって言ってるでしょ! あと年齢いじりは止めなさい! あんまり酷いと素行不良でFランクに落としちゃうからね!」
「そんなことしたら先生の評価もヤバいんじゃないですかー?」
「ふんッ、先生の査定は加点式だから、一人Fランク落ちにしてもそれで他の子が真面目になれば評価は上がるの」
「ひどーい。それって見せしめじゃないですか」
「それがイヤならいい子にしてなさい。そして先生のお給料のために成績を上げるように!」
「横暴だー」
「教育者にあるまじき姿勢ですよそんなの」
腰に手を置いて堂々と胸を張る小柄な担任に、クラスの生徒たちはブーイングを浴びせた。
確かに生徒たちが文句を言う通り、とても教師とは思えない物言いだった。それは半分は冗談ではあるが、半分は本気でもある。天頂高校の使命は優れた固有能力
インヘレンス
の使い手を生み出すことなので、それさえ達成できるのなら大抵のことは許される校風だった。
「今日はそんな先生のお給料の強い味方がみんなのクラスの仲間に加わります」
そう宣言したのに続けて、春野智子が入口の方に「入ってきて~」と呼びかけると、教室のドアが開いた。
そこから入ってきたのは女子生徒で、胸に盾の形をした校章のワッペンが縫い付けてあるブレザーを羽織っていた。
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