波乱の転校生⑥ 爆谷響子
「こんなとこにいたのか。結構探したぜ」
思わぬ展開に、槍太は目を丸くした。その唖然とした顔を、爆谷響子は愉快そうに眺めている。
槍太はキョロキョロとあたりを見回した。見える範囲にクラスメイトの姿はない。爆谷響子はクラスの女子たちの誘いを断って、一人で槍太を追ってきたのだろうか。
その意図が読めず不審に思いながらも、槍太は爆谷響子に向き直った。
「探したって……なんか用か?」
「昼どきに用なんて、飯食うくらいしかないだろ」
そう言って、爆谷響子は手に持っているコロッケパンを掲
かか
げて見せた。売店で売っているやつだ。丸パンから分厚いコロッケがたっぷりはみ出していて、見るからに食べ応えがある。
「クラスのやつらと食うんじゃなかったのか」
「騒々しいのは好きじゃなくてさ。飯くらい落ち着いて食べたいだろ」
「だったら一人で食えば……」
「おいおい、つれないこと言うなよ。うるさいのはイヤだけど、一人で食うのも寂しいだろ。飯くらい付き合ってくれよ」
爆谷響子は笑いながら、からかい半分に眉をひそめた。
「先生も言ってたろ。転校してきたばっかりなんだから親切にしてやれって」
爆谷響子はコロッケパンのラップを剥くと、豪快に噛り付いた。
「けっこうイケるな」
モグモグと口を動かしながら爆谷響子は笑顔を見せた。
どうやら槍太の意志に関わらず、ここに居座るつもりらしい。
槍太は少し困ったことになったなと思った。
爆谷響子は槍太に好意を持っているようだ。もちろんそれは恋愛感情という意味であるはずはないだろうし、そもそも朝迷っているところを第一職員室まで案内してやったくらいの関わりしかないのだが、それでも爆谷響子は他のクラスメイトたちよりは槍太と一緒に昼食を摂ることを選んだ。
言葉通りに受け取れば、休み時間のたびに周りを取り囲んで意味のないお喋りを強要してくる連中に煩
わずらわ
わされるより、槍太と一緒にいる方がマシだと思ったのだろう。そんなのは当然だ──と槍太は思った。そういう当然のことがわからないやつが世の中には多すぎるが、爆谷響子は違うらしい。
しかし今はそれが有難迷惑というか、率直にいえば厄介でもあった。何故なら爆谷響子は号山
ごうやま
組の支峨
しが
虎丸
とらまる
を叩きのめした張本人で、その報復に号山組から狙われるのは間違いないからだ。下手に爆谷響子と関わり合いになって、槍太にまでとばっちりがくると困る。
しかし、さすがにはっきり「一緒にいられると迷惑だ」とは言いづらい。
「あんまりオレと一緒にいないほうがいいよ」
それでそんな言い方になった。
槍太の発言を聞いて、爆谷響子は不思議そうに片方の眉を曲げた。
「どういう意味だ? そういや、さっきクラスの連中も同じようなこと言ってたな」
遠回しな言い方をしたせいで、爆谷響子は違う風に捉えてしまったらしい。
「それはオレがZランクだからだけど、オレが言いたいのは別の話で……」
「Zランク?」
爆谷響子が怪訝そうに強調して言った。
「なんだそれ。そんなのが理由になんのか?」
「そのことは今はどうでもいいんだけど……」
「どうでもよくねーだろ」
爆谷響子の口調は鋭かった。
「なんでランクが低いってだけでそんな除
の
け者みたいにされなきゃなんないんだよ。そういうのって、おかしいだろ」
槍太はビックリした。爆谷響子が腹立たしげに口にしたことは、日頃から槍太が思っていたことではあるが、それが鬱々とした怨念であるのに対して、爆谷響子が言うと正義感あふれるセリフになる。その差はなんなんだろうか。
「朝もいきなり人のランクがどーのこーの言ってたけど、この学校の生徒はみんなそんなセセコマシイことばっか考えて生きてんのか?」
「あぁ、そうだよ」と槍太は断言した。「前の学校は違った?」
爆谷響子は少し考えるようにしてから、ちょっと不機嫌そうな顔になった。
「いや、大して違わなかったな」
「そりゃそうだ」
槍太は苦笑した。
「でも今はその話はいいんだよ。オレが言ってるのは、号山組のことで……」
「あぁ。なんかそれもクラスのやつらが言ってたな。『先輩がAランクだから守ってもらえるよ~』とか人をバカにしたようなこと。なんだよ、その号山組って」
槍太は号山組について手短に説明することにした。
天頂高校では、大抵の生徒たちは何かしらかのグループに所属している。それは委員会や部活である場合もあるし、学校公認の団体とは無関係な私的な集まりの場合もある。
何故なら天頂高校では、固有能力
インヘレンス
を使った能力者
コンセプテッド
同士の戦いは、基本的には罰されないからだ。「厳しい環境が能力を伸ばす」が信念の天頂高校では、むしろ生徒同士の争いを望んでいる節すらある。
しかし生徒たちの強さには大きく差がある。Aランクの生徒から理不尽に襲われたとしても、CランクやBランクの生徒では太刀打ちできない。そこであらかじめ徒党を組んで、「ウチに手を出したら、Aランクの先輩が黙ってないから」とやるわけだ。
それがいつしか「Bランク以下同士の揉め事にAランクは関与しない」「相手のAランクが出しゃばってきたら、こちらもAランクで対抗する」というのが暗黙の了解になり、一種の伝統として受け継がれている。
号山組は学校非公認の私的な集団の一つで、グループを仕切っている工業科三年Aランクの号山
ごうやま
堅剛
けんご
を中心に、何かしら問題を起こした生徒や気性の荒い生徒が集まっている。
「ふぅん。じゃあその号山組ってのは、ようは不良の集まりってことか」
爆谷響子は端的に話をまとめた。
「心配すんなって。そいつらに絡まれたらまた返り討ちにしてやるから」
キリッとした男前な笑顔で言ったが、
「無理だって」
と槍太が言うと、ムッとした顔になった。
「どうしてだよ」
「朝、爆谷が倒したやつがいるだろ。あいつはBランクで、Aランクはそれとは比べ物にならないくらい強いんだよ」
「ふぅん。でもさ、支峨っつったっけ。アタシだってあいつに勝っただろ」
「あいつが三人束
たば
になったって、号山には勝てないだろうね」
「へぇ」
それを聞くと、爆谷響子は少し真剣な顔になった。
相変わらず笑みを浮かべているが、目つきに鋭さが増している。
「そいつは確かに、強そうだ」
「だから、号山には逆らわないほうがいいんだ」
「だから──その号山組に狙われてる雑崎
さいざき
とは一緒にいないほうが良いってか?」
本当はそうではないが、槍太がそう思ってほしい通りのことを、爆谷響子は口にした。しかし、それに対する受け止め方は、槍太の思惑とは正反対だった。
「でも狙われるのはアタシだって一緒だろ。その号山組のやつを三人も伸
の
しちまったんだから」
〈そこなんだよなぁ……〉と槍太は内心ため息をついた。槍太一人のことならプライドを捨てて謝り倒せばいくらでも誤魔化しは利くのだが、爆谷響子と結託して反旗を翻したと見なされたら、もうどうしようもない。徹底的にシメられるだろう。
だからなんとか、あれは見知らぬ転校生を案内していただけで槍太は関係ない、ということにしたいのだが、爆谷響子はむしろ「アタシが守ってやるよ」とでも言わんばかりの態度だ。
しかし「迷惑だから近づかないでくれ」とハッキリ言うこともできなかった。
槍太は爆谷響子の自信の塊みたいな顔を横目に見た。この手のタイプは間違いなく直情径行型の性格をしている。Bランクの支峨虎丸でさえ槍太にとっては手も足もでないほどの強者なのに、それを熾烈な戦いの末に蹴り倒した爆谷響子に対して、敵対するようなことを口にするほど槍太は迂闊ではない。朝の殺人的な睨み顔がしっかり記憶に残っている。
どうしたものかと考えながら、コッペパンサンドの残りを食べた。なんとかしていい感じに嫌われて、向こうから離れていってくれるのが一番だが──。
爆谷響子も隣でコロッケパンを齧
かじ
っていたが、ふとその動きを止めると、槍太の方をジーッと見てきた。
「それ、美味そうだな」
爆谷響子の視線は、槍太のコッペパンサンドに向けられていた。
「なぁ、半分ずつ交換しない? そっちも少し食べてみたい」
爆谷響子はそう言いながら、人差し指で、自分のコロッケパンと、槍太のコッペパンサンドを、交互に指差した。
「やだ」
槍太は即答した。
「えっ。なんでだよ、いいじゃねえか半分くらい」
「オレはサンドイッチパンが好きなの」
「でも、コロッケパンも美味いぞ。食べてみたくないか?」
「食べてみたくない」
「でもアタシは、ちょっとサンドイッチも食べてみたい」
「今度自分で買えばいいだろ」
槍太が冷淡に言うと、爆谷響子は「ケチなやつ」と口を尖らせた。
〈これでいい──〉槍太は手ごたえを感じていた。本当だったら、女子に「半分コしない?」とか言われたら、「ももも、もちろん!」と舞い上がって即受諾してしまうくらいだが、今は爆谷響子からの好感度を下げる必要がある。
爆谷響子は残りのコロッケパンをまとめて口に放り込むと、頬をパンパンに膨らませてムシャムシャと食べた。やけ食いだ。普通だったら、隣にいる女子がこんな食べ方をしだしたら「何か機嫌を損ねたのかな……」とハラハラしてしまうだろうが、むしろ今は狙い通りだ。
爆谷響子は口の中の物を飲み込んでしまうと、
「あっ。飲み物買うの忘れてた」
と思いついたように言った。
それから槍太のほうをジッと見て、少しするとニコッと笑顔になった。
「それ一口飲ませてよ」
槍太は雷に打たれたように固まってしまった。
「い……いま、なんて……?」
震えるようにして聞き返した。自分が耳にした言葉が信じられなかった。
「喉乾いたから、それ一口飲ませてくんない?」
そう言いながら、爆谷響子は槍太の手にしたジュースの缶を指差した。
これは現実だろうか──槍太はむしろ自分の正気を疑った。昼休みの学校で、花壇の縁に隣り合わせで座った女子から、自分が飲んでる缶ジュースを指差して「それ一口飲ませてよ」とか言われるなんて、人生で初めての経験だ。こんな青春っぽいシチュエーションには免疫がなさすぎる。
しかし今はそんな浮ついた考えに惑わされている場合ではない。
「い、いやだ」
固い意志で槍太が断ると、爆谷響子は軽く頬を膨らませた。
「なんでだよ。いーじゃねえかちょっとくらい」
「ダメ。よくない」
「コロッケパン食べて、口の中がパサパサするんだよ」
「飲み物くらい自分で買ってくればいい」
「そんなにたくさん飲みたいわけじゃないんだよ。な? ちょっと飲ませてよ。一口でいいから」
槍太がかたくなに拒んでいると、爆谷響子が体を寄せてきた。肩に腕を回し、背中にのしかかるようにして、缶ジュースを奪おうとしてくる。
「あっ、コラやめろ」
「へへっ。もーらいっ」
そう言って爆谷響子が腕を伸ばしてくるので、槍太は缶を持った手を反対側に伸ばして逃れる。すると爆谷響子は腕をもっと伸ばそうとして、ますます体重をかけてくる。
爆谷響子の胸は大きい。こんな風に男友達みたいな絡まれ方をすると、シャツの中で弾けそうなほどの爆乳が背中に押し付けられてしまう。
〈や、やばい──〉
槍太は半勃ちになった下半身を隠すように、身を屈めた。すると、チャンス! とばかりに、爆谷響子が缶ジュースを狙って、更に腕を伸ばしてくる。密着した柔らかな重みがグイグイと押し潰される。薄い布ごしの乳の感触に、股間に熱いものが滾ってくる。
このままじゃ取られる──槍太は最後の手段に出た。ジュースの缶を口につけると、上を向いた。缶の中の液体を一気に喉に流し込む。
それなりに量が残っていたジュースを、グビグビと槍太が飲み干していくのを、爆谷響子は呆気にとられた様子で見ていた。
「なんだよ、そこまで嫌がることねーじゃねえか」
槍太がジュースを飲み切ると、爆谷響子は不機嫌そうに言った。
「オレの飲み物をどう飲んだってオレの勝手だろ」
「わかったわかった。もういいよ、自分で何か買ってくるから。こっから一番近い自販機ってどこにあんの?」
「この辺りだと、自販機は売店か学食にしかない」
「げっ。マジかよ。売店まで戻んなきゃなんないのか……」
爆谷響子は花壇の縁から腰を上げた。「あーあ」と不満そうに頭をかきながら、売店の方へと歩いていく。
槍太は不本意な気持ちでその後ろ姿を見送った。
まだ槍太の背中には、柔らかな感触が残っていた。それを思い出すだけでまた半勃ちになってしまう。これまであんな風に女子に絡まれたことがない槍太には刺激が強すぎた。まるで夢のような状況だったが、同じような幸運はもう二度とないかもしれない。
しかし──
〈フラグを、バキバキに折ってしまった……〉
あえてやったこととはいえ、残念で仕方なかった。
でもそうするしかなかった。もしああやって仲良くしているところを、号山組の誰かに見られでもしたら、爆谷響子と無関係だとは言い張れなくなる。平和な学校生活を送るには必要な犠牲だったんだ……。
槍太は口惜しさを握りつぶすように自分に言い聞かせていた。
「随分楽しそうじゃないか」
しかしそう声を掛けてきた人物を見て、すでに手遅れだったことを槍太は悟った。
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