号山組との決闘① 爆谷響子
職員室前で生徒指導部の神堂
しんどう
夏姫
なつき
に絡まれるというトラブルはあったものの、槍太は昼飯にかこつけて爆谷響子を連れ出すことに成功した。
「昼飯を食うのにいい場所があるんだ」
そう誘うと、爆谷響子は何の疑いもなく槍太についてきた。それどころか「やっぱ一年居るだけあって、いろいろ知ってるんだな」と喜んでいた。槍太が身の安全のために自分を売ろうとしているなどとは露ほども思っていない。
それどころか、号山組の溜まり場である工業科の旧自動車整備実習場まで歩いていく間、爆谷響子はどこか機嫌がよかった。
「そういや、それサンキューな」
爆谷響子は、槍太のビニール袋を目で示した。二人分の昼飯が入っているが、職員室から出てきた爆谷響子が大きめの白い紙袋を手にしていたので、なんとなく槍太がそのまま持っていた。
「何買ったんだ?」
「コッペパンサンド」
「二人分とも?」
槍太が頷くと、爆谷響子は苦笑した。
「そんなにサンドイッチパンが好きなのか。そういや昨日もすごい勢いで食ってたもんな」
「すごい勢いで食ってたのはそっちだろ」
「そうだっけ?」
「それに別にオレがコッペパンサンドが好きでたまらないとかじゃなくて、昨日爆谷が食ってみたいって言ってたからそうしたんだよ。あと今日はちゃんと飲み物も買っておいた」
「マジか。気が利くな」
「昨日オレが飲んでたのと同じやつでよかった?」
返事の代わりに、爆谷響子は嬉しそうに驚いた。
「あの後売店に戻ったんだけどさ、雑崎
さいざき
が飲んでたやつ、売り切れてたんだよ」
「人気商品の割に、購買部オリジナルのやつで数がないからなぁ」
「そんなに美味いの? ちょっと一本もらえる?」
槍太がビニール袋からジュースの缶を取り出して放ると、爆谷響子は事も無げに空中でキャッチした。
プルタブを開けると、プシュと炭酸の音がする。爆谷響子は慌てて顔を逸らした。
「お前ッ、炭酸のを投げるなよ」
「そんな言うほど噴かなかっただろ」
「ラベルに『果肉たっぷり』って書いてあるな。こえぇ……なんだこの飲み物。つい振ったら地獄を見るじゃねえか」
「開けてから底のほうだけ回すのが美味しく飲むコツ」
「ふーん」
と言いつつ、爆谷響子は缶の頭を上から指で挟んで、クルクルと底の方を回す。
「……なんとも言えない味だな」
「美味しくなかった?」
「美味くないってことはないけど、なんかミカンの粒の美味しさと、炭酸の美味しさが、殴り合いしてるような感じがする」
「それがそのうちクセになるんだ」
「本当かよ」
缶を咥
くわ
えて上を向く。そんな爆谷響子の横顔を見ている間、槍太は一瞬、本来の目的を忘れていた。まるで本当の友達と一緒に昼休みを過ごしているようだ。この感覚はなんだろう。これが楽しいという感情なんだろうか。
槍太がジッと見ていると、爆谷響子が「?」と視線を向けてきた。慌てて目を逸らす。多少イケメン女子寄りとはいえやはりどこか少女らしい端正なその顔を、どうしてかまっすぐに見ることができなかった。
「どうかしたか?」
「いや、なんでも……」
「あっ、アタシだけ先にジュース飲んで、飯食った後にまたお前の寄越せって言い出すんじゃないかって心配してるんだろ」
「そんなこと別に気にしてない」
「昨日ちょっと悪いことしたかなって思ってたんだ。あんなに嫌がるとは思わなかったからさ」
「なんとも思ってないよ」
「本当か?」
爆谷響子は歯を見せてニッと笑った。
「でもほっとした。嫌われたんじゃないかって思ったから」
その笑顔を槍太はやはりまともに見れなかった。顔を俯
うつ
むかせ、必死に考える。〈この感覚はなんなんだ。どうしてオレは爆谷響子
このオンナ
を直視できないんだ──〉
その答えが出ないままに、旧自動車整備実習場に辿り着いた。
* * *
「あんたが爆谷響子かい」
居並ぶ二十人ほどの男たちを背に従えて、橘川
きっかわ
那由他
なゆた
が腕組みで仁王立ちしていた。工業科の黒セーラー服に相変わらずの潤いが足りない金髪をなびかせている。
「昨日は号山組
ウチ
の者
モン
が世話になったそうだね」
血のように赤い口の端をニヤリと引き上げるが、目は少しも笑っていない。
シャッターの上がった旧自動車整備場は、それでも薄暗い。建物の三方が開いた風通しのよい静けさを、真昼の白光が入口の形に切り取っている。
爆谷響子は男たちにサッと目を走らせた。その中に二人、見覚えのあるロン毛オールバックの顎ヒゲと、金髪逆毛のサングラス男がいた。
「さぁな、世話ってほどのことをした覚えはねぇが」
すでに状況は察したらしく、爆谷響子の顔にさっきまで槍太に見せていたような柔らかさは欠片もない。
「それで? こんなに集まって何の用だ? 一同拍手で感謝状の贈呈式でもしてくれようってのか。うちのバカ息子を叱ってくださってありがとうございますっつって」
「舐
ナ
めたこと言ってんじゃねェ!!」
橘川那由他は目を剥いて吠えた。小さな瞳孔には敵意が凝縮されている。
「アンタ、転校生なんだってね。だったら知らないだろうから教えてやるけど、号山組
ウチ
のヤツらに手を出すってのは、アタイら全員にケンカを売るってのと同じことなんだよ。今すぐ〝詫び〟を入れて謝るっていうんなら許してやってもいいけどね、そういう調子乗った態度だと、承知しないよ」
「へぇ」
爆谷響子は口の端だけで笑う。
「承知しなかったらどうなるんだ?」
「二度とそんな生意気、口にできないようにしてやるのさ」
「ハッ」
爆谷響子は笑い声を発したが、その表情は少しも愉快そうではない。
「やめとけやめとけ。クラスの連中に聞いたぜ。昨日の支峨
しが
ってやつがお前らの中じゃ特に強ェんだろ? その他大勢がいくら集まったって、殴り合いじゃアタシの相手にはならねぇよ」
「バカにしてんじゃないよ。コイツらだって、その気になりゃ、テメェみたいなアバズレに遅れを取ったりはしないんだよ」
橘川那由他の口ぶりになにか感じるところがあったのか、爆谷響子の目からからかいの色が消えた。
「その様子だと何か策でもあるらしいな」
橘川那由他の好戦的な笑みを、爆谷響子は肯定と受け取った。
手にしていた紙袋を地面に落とし、飲みかけの缶ジュースを槍太に渡す。
「面白れェ、乗ってやる」
爆谷響子は整備場の奥へと歩みを進めていった。
さっきまでとは打って変わって、愉快げな笑みを浮かべている。しかし笑っているとはいえ、大きく開いた口に鬼歯を見せ、目を見開いて敵意を剥き出しにしたその形相は、傍観している槍太すら戦慄させる。
あらゆる攻撃を向かい打つように、爆谷響子は両腕を広げた。
「さぁ、いつでもいいぜ──お前らの固有能力
インヘレンス
を見せてみろ」
橘川那由他は怯むことなく睨み返した。
「アンタたち、この身の程知らずに、目に物みせてやんな。号山組
アタイら
に歯向かったことを後悔させてやるんだ」
男たちの中から、二人が飛び出した。顎ヒゲ男と金髪逆毛だ。
まるで前の戦いを再現するように、顎ヒゲ男が爆谷響子に掴みかかってくる。しかし昨日より動きが早い。支峨
しが
虎丸
とらまる
の固有能力
インヘレンス
ほど超人的なものではないが、不摂生な不良の鈍い動作とは違い、日々体を鍛えている格闘家のような素早さだった。
〈これがあの女の固有能力
インヘレンス
──?〉
爆谷響子の視線が一瞬、目の前の相手ではなくその奥に向けられる。橘川那由他は相変わらず腕組みをして立っていた。
〈……あらかじめ他人を強化するタイプの能力か〉
先験者
コンセプテッド
の能力には様々な種類がある。たとえば支峨虎丸のように超人的な身体能力を発揮する《身体系》のものもあれば、電撃など自然エネルギーを発して操る《自然系》、エスパーのように人の心を読む《感応系》、他人を操ったり幻覚を見せたりする《干渉系》といったように。
爆谷響子の見立てでは、橘川那由他の固有能力
インヘレンス
は《干渉系》の能力のようだった。何らかの条件で他人の身体能力を強化することができるのだろう。
「ちっとばかし動きがよくなったくらいじゃ、アタシの相手にはなんねぇぞ」
爆谷響子は顎ヒゲ男が掴みかかってくるのを避
か
わそうとせず、腕を掴まれたところを逆にひねり上げ、昨日と同じように、投げ飛ばそうとした。
しかし──
〈──なんだ? 体が、重い──!?〉
顎ヒゲ男に掴まれると、爆谷響子の体がズッシリと重くなった。まるで巨大な手枷を嵌められたような──いやそれどころか、重力が何十倍にもなって地面に押し付けようとしてくるような圧力を全身に感じる。
「──どうだ、動けねェだろ」
顎ヒゲ男はイヤラシイ笑みを浮かべた。
「これがオレの固有能力
インヘレンス
だ。もうお前はオレから逃げられねェ」
〈なるほど──そういうことか〉
爆谷響子は自分の見立てが間違っていたことに気づいた。
昨日も、今と同じように顎ヒゲ男に腕を掴まれた。そのとき何ともなかったのは、この男の固有能力
インヘレンス
があまりに弱すぎたせいで、能力を行使されていることすらわからなかったのだろう。
つまり──
〈──身体能力だけじゃなく、固有能力
インヘレンス
まで強化するってことか〉
爆谷響子が再び奥に目を向けると、橘川那由他が腕組みのまま大口を開けて笑った。
「ようやく気づいたのかい。これがアタイの固有能力
インヘレンス
、血の眷属
バイト・トゥ・イート
さ! ここにいる男共は全員、アタイの能力で、虎丸にだって引けを取らないくらいの強さになってるんだよ」
「そういうことだ」
顎ヒゲ男は薄ら暗いニヤケ顔で、爆谷響子を見据えていた。
「今更謝ったって遅いぜェ。昨日からずっと考えてたんだ……どうやって借りを返してやるのが一番スッキリするかってよォ」
血走った目で顎ヒゲ男が息を荒げる。
「そのキレイな顔をボコボコにしてやろうか。それとも髪をザクザク切り落として土下座でもさせてやろうか。全裸で連れまわして負け犬の末路がどうなるか見せつけてやるのもイイよなァ」
剥き出しの目は、眼球の丸みが分かるほどだ。
「おいおい、そうガッツクなって。もっとクールに行こうぜ」
そこに、金髪逆毛が近づいてきた。口では〝クールに〟などと言っているが、今にもよだれを垂らしそうな口元に笑みを浮かべ、サングラスの下の目つきはイッてしまっている。
「こういうのは手順が大事なんだよ。お前はすぐ油断するからなァ。うっかり逃げられたりしねェように、先に服をひん剥いておいたほうがいいだろ」
金髪逆毛が手をかざす。ふわりと爆谷響子の髪が風に浮いたかと思うと、小さな旋風
つむじかぜ
が巻き起こった。制服が切り裂かれる。スカートやブレザーに数多の切り傷をつけただけでなく、シャツの前面までが引き千切ったかのように破られた。その下のブラジャーさえ切断され、押さえつけるもののなくなった爆谷響子の豊かな胸が、たぷんと放り出される。
「なっ────」
咄嗟に胸を隠そうとした爆谷響子の腕を、顎ヒゲ男がもう一方の手で掴んだ。
「いい胸してるじゃねぇか」
はじめは辱めるつもりで言ったのだろうが、実際に言葉通りの〝いい胸〟をしていることに気づいたらしい。顎ヒゲ男は、〝ご馳走〟を目の前にした蛮族のように舌なめずりした。
「こんな恰好
ナリ
じゃ、ここから出ていくわけにもいかねェだろ。パンツと生乳
ナマチチ
みせびらかして、校内を歩き回るわけにもいかねぇからな……ま、ゆっくりしていこうぜ。オレたちがたっぷり、〝カワイガッてやる〟からよ」