号山組との決闘② 爆谷響子
旧自動車整備場の中は異様な興奮に包まれていた。
爆谷響子は顎ヒゲ男に腕を掴まれている。二人の体で隠れているが、破れた制服の胸元からは、白い乳房が無防備に放り出されている。爆谷響子の男前な凛々しい容姿には不釣り合いな、メス牛のような爆乳がたぷんと揺れるのが垣間見えた瞬間から、男たちは──もちろん槍太
そうた
も含め──食い入るような視線を投げかけていた。角度を変えれば乳首が見えないかと思って目を凝らしていることも全員一致している。
金髪逆毛の起こした旋風
つむじかぜ
で切り裂かれたのは、シャツの胸元やブラジャーだけではない。上に羽織ったブレザーにも至るところに切り傷が刻まれ、下からシャツや素肌が覗いている。元々短かったスカートもズタズタに切れ目が入り、蹴りの強そうなムッチリした太ももの付け根や、股間を覆う布地まで見えてしまっている。色は白。男勝りな性格に似合わない純情可憐なパンティだ。
「よォ、いいザマだな」
顎ヒゲ男が冷やかすように言った。
「こんなデケェ乳ぶら下げやがって。どんなにイキがッてても、服を剥いじまえば〝オンナ〟だな。男共の視線を感じるだろ? みんなテメェのエロい恰好が見たくてたまんねェんだとさ」
その言葉を肯定するように、男たちは誰も彼もがズボンを大きく膨らませていた。男は野獣だ。自分たちに逆らった生意気な女に対する制裁に、剥き出しの暴力と性欲をぶつける──その期待感に、鼻息を荒くしている。
「他のやつらにも見せてやんな」
奥から橘川那由他が囃し立てた。
「ソイツみたいな〝売女
バイタ
〟は、オスを興奮させるためにそんなフシダラな体に生まれついてんだ。これからテメェに〝身の程〟ってやつをたっぷりを教えてくれるご立派さまたちに、ちゃんとゴアイサツしときなッ」
促されるままに、顎ヒゲ男は乱暴に腕を引っ張ろうとした。爆谷響子のあられもない姿を、仲間たちの前にさらけ出してやろうという魂胆だった。
しかし爆谷響子は動かない。いくら腕を掴んだ手に力を込めても、どれだけ強く引っ張ろうとしても、まるで何か見えない力で空中に固定されてしまっているように、ビクともしない。ただ一言、低い声で呟く。
「テメェ……とんでもねェことしてくれたな」
顎ヒゲ男は思わず息を詰まらせた。前髪の間から射貫くように放たれる爆谷響子の眼光、その鋭さに身の毛がよだつ。冷たい汗が頬を伝う。
〈な、なにビクついてやがる──〉自分に言い聞かせるように手を握りなおす。怯えることはない。橘川那由他に強化してもらった固有能力
インヘレンス
で動きを封じている以上、どれだけ凄んでもこいつには何も出来は──
顔面から地面に叩きつけられて、顎ヒゲ男の思考はそこで途絶えた。
一瞬の出来事だった。爆谷響子は手首を捻
ひね
って相手の腕を掴み返すと、まるで隕石を地球に落下させるかのように顎ヒゲ男を地面に叩きつけた。
乳首を隠すように片手で両方の乳房を抱きかかえながら、爆谷響子がゆっくりと上体を起こす。
「なッ──なにしてんだコラァ!!」
咄嗟に金髪逆毛が手をかざす。しかし旋風
つむじかぜ
を起こす能力が発動するよりも早く、顔面に爆谷響子の拳がめり込んだ。鼻がひしゃげ、折れた前歯がトウモロコシの粒のようにポロリと落ちる。
「テメェら──〝見た〟よな?」
倒れ伏した二人には目もくれず、爆谷響子は一部始終を遠巻きに見守っていた号山組の男たちに視線を向けた。少し前の、戦いに興じる愉悦など微塵もない。大きく見開いた目の中心に浮かぶ真円の、やけに黒い瞳孔に滲むのは、聖域を辱めた者に罰を下そうという静かな怒りだ。
「どいつもこいつもみっともなく鼻の下伸ばしやがって──アタシの胸を見た代償は高くツクぜ」
そうやって凄む爆谷響子は、胸元は素肌を晒して、それを隠すのに片手が塞がってしまっている。乙女じみた、決して威圧感のある姿ではないのに、空いたもう一方の手を肩の高さに挙げて、グッと拳を握るだけで、異様な緊張感が周囲に満ちる。見据えられた誰もが背筋に凍るようなものを感じる。
「な、なにしてんだい!」
橘川那由他が叫んだ。
「たった一人相手にビビッてんじゃないよ! しかも片手はあの下品なデカ乳を隠すので塞がってるんだ。今のアンタたちなら、この人数で負けるはずがないんだよ。ボーッと突っ立ってないで、残りも全部ひん剥いてやんな!」
橘川那由他に発破をかけられて、号山組の男たちは覚悟を決めたように飛び出した。
彼らがいくら橘川那由他の固有能力
インヘレンス
で強化されていても、相手はそれと同程度の力を持つ支峨
しが
虎丸
とらまる
を倒している。一人で挑んだとしても勝てるとは限らない。しかし二十人近くで一斉に襲い掛かれば、たとえ一人がやられても、残りの全員で叩きのめすことができるはずだ。
出足の早かった三人が、一撃で地に叩き伏せられた。次の五人が同じように拳一発で殴り倒されるのを見て、まずいと思った七人が周囲を取り囲んだ。ジリジリとにじり寄ると、呼吸を合わせて、四方八方から一斉に襲い掛かる。爆谷響子は、一方の手を交互に胸にあてがいながら、それを迎え撃った。次々と顔面に拳がめり込む。男たちのゴツい体が倒れ重なる。
あっという間の出来事だった。彼女の足元には骸
むくろ
の山が築かれ、しかしその中心に立つ爆谷響子は、まるで何事もなかったかのように平然としている。
「う、うそだろ……ッ」
「じゅ、十五人が一瞬で──」
出遅れた三人を除いて、全員が叩き伏せられるのに三十秒もかからなかった。そんな〝惨劇〟を見せられて、残った男たちは足を震わせるばかりで、爆谷響子に近づくこともできない。
「オイ」
ゆらりと爆谷響子が顔を向けた。
「お前ら……いつもこんなことしてんのか? 女一人に大勢で寄ってたかって、服を破いて、無理やり押さえつけて、それで乱暴しようなんざァ、クズにも程があんだろ」
大声を上げるでもない。顔を憤怒に歪ませるでもない。無表情に影を落として、ただ淡々と喋る爆谷響子の気迫に、残った男たちはガクガクと顎を鳴らして怯えた。
「けど生憎、アタシはゴミ掃除は得意なんだ。バカには口で言ったってムダだろうからな。テメェらみたいなクズどもが二度と悪さできないよう、その体にたっぷり〝痛み〟を刻み込んでやるよ」
爆谷響子が一歩踏み出した。
二歩、三歩とゆっくりと近づいてくる。
「ひッ……あ、あぁぁ──ッ」
男が狂ったように声を上げた。
一人が背を向けて走り出すと、残りの二人も釣られて後を追う。
「こっ、こらッ、逃げるんじゃないよ!」
三人は狂乱していた。橘川那由他が呼び止めるのも聞かず、我先にと逃げ出す。爆谷響子からできるだけ遠く、対角線に旧自動車整備場の中を駆けていく。
しかし外に飛び出そうとして何かにぶつかった。先頭の男が尻もちをつく。出口を通ったはずなのに、まるで鉄の壁にぶつかったような衝撃を受けて目が眩む。一体何が起きたんだ──そう思って顔を上げると、そこにあったのは岩壁のような号山
ごうやま
堅剛
けんご
の巨躯だった。