第13話 エレナはすぐにメッキがはがれる
「実はウチ、エレナにはウチらのパーティーに戻ってきて欲しいって思ってて……!」
「ああん? 何言ってやがんだよ、アイリ」
エレナは先ほど俺に対してしたような鼻で笑う仕草を、今度はアイリーンに対してしてみせる。
「オレはパーティーから抜けるって言っただろ。もう戻るつもりはねーよ」
「で、でも! それじゃあ師匠が……! ウチらのことを助けてくれた師匠のことは、どうなるの!?」
「だから、オレはあのババアに助けられたからこそ、戻るつもりはねーって言ってんだよ」
エレナはウルフヘアの髪に手を突っ込んで、ガリガリと荒っぽく掻きむしる。
「オレらはババアに鍛えられて、この街じゃあ相当強い部類のパーティーだったはずだ。だけど、それがどうだ。そのババアがあのボス部屋に足を踏み入れた瞬間、“この小娘たちじゃ勝てない”って悟って、オレらだけでも逃がそうと部屋の外に蹴り飛ばす判断をするような相手が、あそこにいたったことだろーが」
「ん……それは、そうかもだけど!」
「そんでオレらはババアのおかげで命拾いして、生きて帰ることができたってわけだ。んじゃあ、そのオレらがこれからすべきことは、せっかく助けてくれたババアの元に戻って無駄死にすることか? 違うだろうが。助けて貰った分、命大事にしてくのが大事だろーが」
だから。
だから、エレナは、冒険者を辞めることにしたのか。
師匠から助けてもらった命を、無駄に散らすことを良しとせず。
せめてその命を大事に生かしていくことが、師匠への手向けであるかのように。
「それによお、」
と、エレナは、それまで傍観していた俺の方を指さした。
「そんな弱っちそーな男と同じパーティーなんて組んだら、どーせアタシらはこいつのヘマした尻拭いでもさせられんだろ。んなもんごめんだぜ」
「な……なんてひどい言い草だ。いや、間違ってないけど」
なにせ俺はこの異世界に転生してきたばかりの、単なるゲームオタクである。
ついこの前までは薬草採集くらいしかできるクエストは無かったし、アイリーンが仲間になったことでようやくモンスター狩りに手を出し始めたくらいの段階だ。
だから、こちらを舐めたようなエレナの言い分に対して、俺は肩を竦めるくらいのリアクションしか返せなかったのだが……。
「オタクくんは弱くないよ!」
そんなふうに、俺のことを庇ってくれる子が、そこにいた。
当たり前だが、アイリーンだ。
彼女はエレナのことをジッと見つめると、傍らに立つ俺の腕に抱きつき、身を寄せてきた。
「オタクくんは弱くない! ウチがモンスターにやられそうになったとき、身を挺して守ってくれたんだから!」
恐らくは、エロトラップダンジョンでの、エロ触手のことを言っているのだろう。
確かにあの時は、あまりの状況に、咄嗟に体が動いていた。
だがほとんど無意識での行動だったし、とにかくアイリーンに怪我を負わせたくない一心でしゃにむに動いただけのことである。
あまり、大したことをしたとは思っていない。
庇ってもらっている手前申し訳ないが、あの時のことを引き合いに出されると、少しこそばゆい感じがした。
「……チッ。どうやらふたりの間には、なんかあったみてえだな。知らなかったんだ、許せ」
エレナはそう言って、素直に頭を下げた。
これにはむしろ、アイリーンの方が慌ててしまう。
「わわっ、エレナ! そんな頭下げなくってもいいよ! いちおー、エレナがカッコつけて悪ぶっただけってのは、こっちも分かってたからさ!」
「誰がカッコつけて悪ぶっただけだ!」
頬を赤く染めたエレナはアイリーンに吠えた後、首を手で押さえながらこちらにも顔を向けた。
「オタクも。悪かったな」
「いや、別に。気にしてないから」
「そーか。ま、ただのけじめだ。受け取っとけよ」
エレナは溜息をついたかと思うと、どっかりと椅子に座り直した。
それから、俺たちが店に入ってきた時に読んでいた、分厚いハードカバーの本をまた開きなおす。
「悪いけどよ。今のオレは冒険とかより、こうして店の蔵書でも読んで、暇を潰してるくれーでちょうどいいんだ。分かったら他を当たってくれよ」
エレナが開いているのは、一抱えほどもありそうな大きな本である。
古いものなのか紙は日に焼けており、中にはびっしりと文字が躍っていた。
見た目ヤンキーギャルのエレナとは、印象的には真逆のアイテムにも思える。
それが少し気になって、俺は隣のアイリーンに尋ねた。
「あれ、なに読んでるんだ? 俺、文字が読めなくてさ」
「あー。アレね。エレナは昔っからよく本読んでたんだけどさー、なに読んでるのかはウチも知らないんだよねー」
「そうなのか?」
「うん。ウチらが普段使いしてる文字はクラフト文字っていうんだけど、それとは別に古代の頃に使われていたグリモワ文字っていうのがあってね。市井の人たちの間では廃れてるんだけど、貴族とか高官とか、特権階級は今でも好んで使ってるの。で、エレナが読んでるのは、そのグリモワ文字で書かれてる本っていうわけ」
「エレナは、そのグリモワ文字っていうのが読めるのか?」
俺が尋ねると、エレナは心なしか得意げに「まーな」と返してきた。
「オレの実家は、見ての通りアイテム屋だからな。商品知識をつけるためっつー名目で、小さい頃に覚えさせられたんだよ。グリモワ文字を始めとして、まあいくつかの言語を多少な」
「へえ、そうなのか。すごいな」
「別に凄くもねーよ。コイツは古代の文字っつったって、文字である以上は誰でも読めるし喋れるように作られてる。特権階級の連中が今なお使ってる以上、すげー難しいってわけでもねーからな」
エレナはそう言うと、本を開いた状態でこちらに差し出してくる。
「読んでみるか? ま、普通のクラフト文字すら読めねえってんだから、ちんぷんかんぷんだろーけどな」
普通のクラフト文字……つまりはこのお店の看板などに書かれている文字は、蛇がくねくねとのたうち回ったような、不思議な表記になっている。
しかし差し出された本に印字されているグリモワ文字は、ひとつひとつの文字の形状がハッキリとしていた。
……いや。というかこの文字、どこか見覚えがある……っていうか。
「……これ、ローマ字じゃねえか」
「は? グリモワ文字だっつってんだろ」
この世界ではグリモワ文字と呼ばれているようだが、AとかKとかSとか、見慣れた形状の文字が多く並んでいる。
もちろん俺のいた世界のローマ字とまったく同じではなく、表記の仕方自体は多少の差があるようだ。
しかし、小文字が無いのと、空白も無くぎっしり詰まっているので読みづらいという点以外は、ほぼほぼ慣れ親しんだローマ字だ。
ローマ字に似た文字だという頭で見れば、俺でもその文章はなんとか読めそうだった。
えーと……なになに……?
「……KISHINOOTOKOWAHIMENOKOSHIWODAKIOYOSE……だから……“騎士の男は姫の腰を抱き寄せ、その耳元に蜂蜜のように甘い睦言を囁いた”」
「は!?」
「“騎士が口づけをすると、姫は恍惚とした表情を浮かべる。「ああ私はここで死んでもいいわ」「君は死なない。俺が守るからな」”……なんだこれ、恋愛小説じゃねえか」
「どわああああああああああ!」
苦労しながらも俺が一文を読み上げると、差し出されていた本が荒っぽく引ったくられる。
見れば、エレナは顔を真っ赤にしてこちらを睨み付けていた。
「て、ててててめええええええええええ! なんでグリモワ文字が読めんだよゴラァッ!!!?」
「“姫がもう一度ねだるように見つめると、騎士は軽く肩を竦めてから、今度はより優しげな手つきで彼女の絹のような髪を撫で”」
「し、しししし死ねええええええええええええええええ!」
エレナは本を抱えているのとは逆側の手で、こちらに殴りかかってくる。
が、間に机を挟んでいるせいで、彼女の渾身の拳はギリギリ俺の前髪を揺らすだけにとどまった。
こんだけ恥ずかしがってるってことは、どうやら俺が読んだ文章は恋愛小説で合っていたらしい。
「てんめえええええええ! 文字が読めねえとか嘘ついて、オレのことをからかってやがったんだな!?」
「いや、普通のクラフト文字が読めないのは本当なんだ」
「んなヤツがいるかぁ! 帰れ! 今すぐこの店から出てけコノヤローが!」
「わーっ! やめてエレナ! 危ないからー!」
エレナがその辺に置いてあった商品を投げてくるのを、アイリーンが必死になって押しとどめる。
しかしあの強烈な見た目のギャルヤンキーも、いそいそと恋愛小説を読むのが趣味なのだとしたら、ずいぶんとかわいらしく見えてきた。
と、そんな俺たちの(というかエレナの)騒ぎを聞きつけたのか、店の奥から声が聞こえてくる。
「こーらエレナ。お店で騒ぐんじゃありませんよ。お客さんに何してるんですか」
「ま、ママ!」
ママ……。
エレナがまたハッとした表情で俺を睨み付けるが、無視。
すると店の奥から珠のれんを手でよけつつ、エレナの母親らしき女性が顔を出す。
「あら、アイリーンちゃん。久しぶりねえ」
「あ、おばさん! チョリーッス!」
「チョリーッス。うふふ」
アイリーンのギャル挨拶にも普通に返すくらいには、馴染んでいるようだった。
「エレナ、あんた。駄目よ、アイリーンちゃん来てるからって、そんなにはしゃいじゃあ」
「別にアイリが来てるから嬉しくてはしゃいだわけじゃねえわ!?」
「そんなことよりさあ、エレナ。ちょっと頼みたいことがあるんだけど、いい?」
大騒ぎしながら客に向かって商品を投げつけたことを、“そんなこと”って。
「実は先月頃に隣町から商品の注文があってね。その頼まれてた品が今日できあがったのよ。でも今、お父さん、買い付けで出かけてていないでしょ。だからエレナ、あんた行ってきてよ」
「え。やだよ。なんでオレが」
「どうせあんたウチにいたって、商品の本読むだけでしょ。若いんだから、ちょっとは外出て体動かしてきなさいよ」
どこの世界でも、お母さんの言うことって同じなんだな……。
自宅にこもってゲームばっかりの俺にも聞き覚えのあるコメントに耳を痛めていると、隣のアイリーンが何かを思いついたように目を見開いた。
「エレナ! 隣町に行くんだったら、護衛が必要だよね!?」
「あ? いらねーよ別に」
「だめだめ! エレナは今はもう冒険者じゃないんだし、街と街の間はモンスターもいるから危ないもん!」
「だからどうしたんだよ。言いたいことがあんなら、遠回しじゃなく直接言えし」
「ウチらのパーティー、今ちょうど受けてるクエスト無いのね? だからさ! 今なら、ウチらがエレナの護衛したげられるよ!」
は? とエレナ。
え? と俺。
あらいいじゃない、とお母さん。
「アイリーンちゃんと一緒なら、お母さんも安心だわ。ついてってもらいなさいよ」
「はあ!? ママ、何勝手に決めてんだよ!?」
「決まりだね! じゃあさっそく支度しよ! エレナとの冒険、久しぶりで嬉しいな~!」
「お、おい! 何話進めてんだ! 行かねえからな!? おい、アイリ! ママったら! おい! つーかお前も黙ってねえで何か言えオタク! こら! だあ、もう! なんだってんだオイイイイイイイイ!?」
狭くごちゃついた店内に、全てを諦めたようなエレナの悲鳴が響き渡ったのだった。
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