第11話 彼女たちの一日
Side・レナ
「――あぁっ! つっかれたー!」
ニーナが人目も気にせずに声を上げた。
普段の私なら多少は注意もするだろうが、今日はそんな余裕はなかった。
「確かにそうね。……今日は早く湯舟にでも浸かって休みたいわ」
いつも凛としているファナさんもお疲れの様子だった。
「そうだね。あんなことがあったんだもん――」
思い返すだけでも散々な一日……
朝、シンが目覚める前に顔見知り程度のギルド職員が宿を訪ねてきて、緊急の要件があると呼び出され、シンを寝かせたまま三人でギルドに向かったのはいい。
しかしいざギルドに辿り着き、なじみの受付嬢に聞くとそんな話は存在せず、私たちを呼び出した職員も、今日は非番のはずだと告げられたのだ。
ここまでもまだいい。連絡の手違いなどで納得できる。
問題はこの後だ。
肩透かしを食らい、早々に帰路についた私たちだったが、途中で思いがけないトラブルに巻き込まれた。
――引ったくりだ。
昼前の買い物客で混雑した大通りで、黒ずくめの女が私にぶつかったのだ。
次の瞬間、ファナさんが私の杖がなくなっていることに気づき、ニーナが先程ぶつかった女が走り去るのを視界に捉え、その手に杖を握っていることを確認。――追走劇が始まった。
三人で慌てて追いかけたものの、盗人はかなり足が速く、あっという間に街を出て、森に入り、見知らぬ獣道を駆け、ダンジョンに辿り着く
何故かピンクがかった濃霧が漂うそこを走り続けると、私たちのしつこさに観念したのか、相手は杖を捨てて逃げて行く。
二人もこれ以上の深追いはせず、杖を回収して良しとしようとした。
そして、私が取り戻した杖を持ち上げた時――地面が発光し、魔法陣が浮かび上がる。
各々が混乱や悲鳴の声を上げた次の瞬間だった。
「ここ、どこだ……?」
森から一変した景色に、ニーナが小さく呟く。
私達の眼前にあったのは見慣れぬ町の外壁。
「──隣町ね。どうやら転送トラップを踏んでしまったみたいだわ」
困惑しながら説明してくれたファナさんの言葉。それに真っ先に反応したのはニーナだ。
「て、転送トラップ!? 私のスキルでそんなん察知できなかったぞ?」
お調子者ながら責任感が強い彼女は、自分のミスを抱え込みがちなところがある。
笑みを固くしながらオドオドとファナさんと私を順番に窺う彼女は、その猫のような瞳もあり、小動物のようで愛らしい。
「ニーナ、大丈夫。私もファナさんも責めてる訳じゃないから。……ですよね?」
「うぅぅ……う、うん」
ニーナの赤毛を撫でつけながらファナさんに目をやると、彼女は慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「えぇ。恐らく探知阻害か認識阻害。あの霧のおかしさにもっと注意を払うべきだった。……これは私のミスよ」
転送魔法。ダンジョンなどにトラップとして存在しており、普段の冒険ではニーナが盗賊
シーフ
のスキル【トラップ解除】で無力化してくれる。
しかし、その探知を妨害されてはシーフのニーナとて打つ手がない。
「──あんなところに運悪く転送トラップがあって、認識阻害だか探知阻害の霧が漂っていたってのは──出来過ぎじゃねえか?」
ニーナの指摘に重い沈黙が漂よう。
私の脳内も、なぜ、どうして──誰かが? そんな疑問が浮かんでグルグルと回る。
思考に沈みそうになる私の耳へ、パンッパンッと、甲高い音が響いた。
出所を見るとファナさんが両手を合わせて、殊更明るく口を開いた。
「二人とも? 気になるのは私も同じ。でも今は一度宿に帰りましょう? それに……」
困ったように眉を下げ、口籠もりながら彼女は言葉を続けた。
「……残念ながら、ここから宿まではかなり歩くわよ? 夕方までに戻れればいいのだけど……」
私とニーナは目を合わせてまばたきを繰り返し、肩を落とした。
そして、現在。
夕方になってようやく宿に辿り着いた私たちは、疲れ果てていた。
(早くシンに会いたいな……)
悲鳴をあげる足を、期待という燃料で無理矢理動かし、私たちは部屋の扉を開いた。
「シン! ただいま! 遅くなって──」
真っ先に部屋に入り、声を上げた時に違和感を感じた。
(あれ? 気配がない……お出かけでもしてるのかな?)
居間に進んでも予想通り誰もいない。
「ん? シンの奴、私達が散々な目に遭ってるってのに呑気にお出かけかよー!」
不服そうに文句を呟くニーナ。
「帰るのが遅くなったから仕方ないよ。きっとすぐ戻ってくると思うし……」
ニーナを宥めるように、自分を納得させるように、私はそう口にした。
「そうだな。──よしっ! 帰ったら疲れた分、可愛がってやるかー!」
ニシシと笑う彼女を横目にファナさんを見つめると、思い悩んだような顔で顎に手を当てている。
「ファナ……さん?」
「──えっ? あぁ、ごめんなさいね。……うん、シンさんが戻ってくるのを待ちましょう」
いつもの優しい笑みを取り繕う彼女の表情に、私は胸中で波立つ不安を強くしていた。
──結果として、シンは戻って来なかった。
夕方を過ぎ、町が暗闇に沈み始めても姿を見せない彼を探すため、私とファナさんは町へ。入れ違いを防ぐためにニーナは宿に待機と、それぞれの行動を決めた。
そして数十分後、宿に戻った私達はシンがいないまま机を囲んでいた。
町で目撃情報があったが手掛かりはつかめなかった私。
宿で待ちぼうけだったニーナ。
「──ギルドに聞いたら、私たちを探しに正午過ぎに訪ねて来たらしいけど、すぐに帰っていったらしいわ。あと……」
そして、私とは別行動でギルド方面を捜索していたファナさん。
「……受付嬢さんから、私たち宛の手紙を受け取ったわ。――読んでみて」
彼女の手の中の封筒に収まった手紙が机に広げられ、私とニーナは穴が開きそうなくらいに覗き込んだ。
そこには短くこう書いてある。
『三人へ。僕はパーティーを離れます。シン』
「シン……?」
状況も、言葉の意味も理解できない。
目の前が突然真っ暗になってしまったかのような絶望感が、私の体を押しつぶそうとしてくる。
「……この手紙、夕方くらいに黒ずくめの女性がギルドに届けたらしいわ」
ファナさんの声が虚しく部屋に響く。
「――探さなきゃ」
状況が理解できず静かになった部屋に聞こえる誰かの声。
「「え?」」
ニーナとファナさんがそれを問い返す。
「──きっとシンが危ない! 探さなきゃ!」
声は、他でもない私が発していた。
行き場のない怒りを向けるように。
自分らしくもない荒げた声音が、喉から飛び出していた。
そんな私に驚き、目を点にして見つめる二人だったが、
今日一日のおかしな出来事。そして突然の手紙。
これがシンの本意などと考えられる訳がない。
「――そうね」
「――だよな」
その短い返答で指針は定まった。
小さく頷く私に、ニーナとファナさんは視線で応える。
立ち上がった私たちは部屋を後にして、夜の町へ再び繰り出す。