第21話 次なる目的地は……
そして、少しの時間が経ち。
「ん、ん……ニ、ニーナ、その、もう平気だから行こうか……」
「りょーかい。にひひ、ここもしっかり乾いたみたいだな? ……ちょっとシミは見えるけどよ♪」
僕は彼女に抱きつかれながら、路地を後にした。
大通りに戻れば市場は未だ活況な様子で、夜が深まったせいもあり、酒を飲み交わす人達で更に騒がしくなっている。
「なぁ、ちょっと小腹が空いたわ。なんかつまんでから戻ろーぜ? ……私、肉が食いてーな♡」
ふにゅん♡
おねだりする甘い囁きと、密着する乳肉。こんな風にされてしまえば、
「う、うん……好きなの選んでいいよ」
抗う事など思いつきもしない。
「やったぜ♪ ふっふーん……どうしよっかな〜♪」
恋人のように腕を組みながら歩き、露店を眺めるニーナはとある店の前で足を止めた。
「──肉の辛味和え? これなんだ?」
「うーん? 僕も聞いたことないなぁ……」
木製の簡素な屋台。そのテーブルの上に乗せられた皿には真っ赤なソースに浸された肉があり、鼻をつき食欲をそそるような香辛料の匂いが風で運ばれてくる。
「嬢ちゃん、兄ちゃん! ウチに目をつけるたぁお目が高い! 美人さんにはオマケするぜ?」
ちゃきっとした店主が僕らにそう告げる。横のニーナを見つめると目を輝かせ、肉食動物が涎を垂らすみたいにして肉を見つめていた。
決まりだね。
「じゃあ、それを二つもらえますか?」
「はいよ、まいど! ちょっと待っててくれよ!」
数枚の銅貨を渡し、しばし待った後、店主がパンに挟まれた肉を手渡してきた。
「サンドイッチみたいに食うのか……? にしても、随分柔らかいパンだな? まぁ、いいや。──はむ……んんっ!」
「ニ、ニーナ? 平気?」
小さな口にパンと肉を咥え込んだ彼女が驚きの声を漏らす。美味しいのかその逆なのか見分けがつかなかったが、直後の反応でようやく答えがわかる。
体を震わせ、目を閉じ、噛み締めるような表情。
「──ん、これ……うめぇぇ! シン、これすっげぇ美味いぞ! 食ってみろよ!」
周りの目を気にせずに声を出す彼女。それに促され、期待とともに僕も口を開いた。
「う、うん……あむ──ん、んん? お、美味しい! 本当だ、すごい美味しいよ!」
「だろだろ! うめぇよな!」
とてつもなく辛そうに見えたソースは予想以上にまろやか。パンに染み込んだせいもあるのか、優しく口内をピリリと刺激する程度。
そして、硬く歯応えのある肉に絡むことで、その味をより深く感じられて何個でも食べれてしまいそうだ。
「がははっ! 嬉しいこと言ってくれるじゃねえか!」
「おっちゃんこれすげえうめえよ! はむはむ……こんなの私ら食ったことねえよ! むぐぅ……これ、どこの料理なんだ?」
素直な僕らの反応に上機嫌な店主。ニーナは頬張ることをやめずに言葉を続ける。ちょっと落ち着いてと言いたくなるが、この美味しさの前では野暮だろう。
「あぁ、こいつはなここから随分先、王都の近くにある【レクイル】って町の郷土料理なんだよ。そこで育てた肉は旨味と硬さが目玉でよ。他にも美味えもんが沢山あるんだよ」
「はむはむ……へー。そんな町があるんだな。こんなうめぇのが他にもあるならいつか行ってみたいな。……な? シン♪」
「うん。食べてみたいね。他のみんなもきっと喜ぶよ」
僕らがまだ見ぬ町に期待を浮かべて話すと、店主は一転し、どこか困ったように頬を掻いていた。
「あーうれしいんだがな……そのな……」
「ん? なんかあるの?」
先程までと違い、突然言い淀む男性にニーナが問いかける。
「そのな……ここだけの話だぞ?」
声を潜め、少し身を乗り出して店主が僕らに呟く。大事な話の予感を感じ取った僕ら二人は、神妙な顔でそれに頷いた。
「実はよ【レクイル】の町の領主が最近ちょっときなくせえんだよ……前までは交易や売買もおおらかだったのに突然人が変わったみてえに税をあげたり、町の連中を締め上げたりするようになりやがったんだ」
「それは、確かに……大事ですね」
「あぁ。俺は露店で日銭を稼いでるからよ、税でたんまり持ってかれちゃ生活が成り立たねえ。それで、ここに出稼ぎに来たってわけよ」
明るい店主だが、その裏にはどこか悲壮感のようなものが垣間見える。
「ふーん。大変なんだな。しかし、なんで急に領主は変わっちまったんだ? 町の財政が悪くなってそれを補うためとかじゃねーのか?」
「いや、町自体の景気は全然悪くないんだけどよ。あくまで噂なんだが──領主が女に入れ込んで、貢いでるって話も出てる」
「お、女に貢ぐ!?」
町の領主がそんな理由で人々を苦しめるとは、俄には信じられない話だ。
「あぁ、噂でしかねえんだけどよ。それを追求しに領主の館に行った町の有力者が何人かいたけど、全員それ以来不満もこぼさなくなっちまったらしい。変な話だよな」
「確かに変な話だな……?」
訝しむニーナの相槌。僕は僕で別のことを考えていた。
「あの、店主さん? その、領主が入れ込んでいる女性って見たことありますか?」
「いんや、ないね。話が回り回って届いただけだしなぁ……ただ、どうやら相当な美人らしいな。兄ちゃんもそんなべっぴんな彼女がいるんだから変な女に気をつけろよな!」
突然変わった領主。不可解な町の有力者の心変わり。そして、美しいと噂される謎の女性。何かが引っかかる。
「お、おい! おっちゃん! べ、別にこいつはただの仲間で──」
「がはは! 照れんな照れんな! そんな密着して赤の他人って訳もねえだろうよ!」
「だから……その、ちげーって……」
何か言い合う二人を横目に思考は深まる。【レクイル】の町。もしかして、そこに──
「──まぁ、冗談はさておき、あの町にはしばらく寄りつかねえ方がいいと思うぜ?」
「は、はい。貴重なお話ありがとうございます。それと、美味しかったです。ご馳走様でした。──ニーナ帰ろう」
「むぅ……わ、わかったよ! じゃあなおっちゃん。それと本当に恋人じゃねーからな!」
不服そうなニーナの腕を引き、皆が待つギルドへと戻る。
もしやこれは手がかりなのかもしれない。──アリスの仇への。
「──あ、二人ともおかえりなさい!」
ギルドに戻るとレナが待ち侘びていたように僕らを出迎えてくれた。
尻尾を振る子犬みたいでなんだか可愛らしい。
「おかえりなさいませ」
「随分遅かったじゃない。どこに行っていたのかしら?」
次いでカグヤとアリスも声をかけてくる。
「ちょっとな市場で買い物。ファナはどした?」
「ファナ様ならばあちらに」
何事もなかった風にニーナが答え、問いかけにカグヤが応じて受付を指さす。
そちらに目線を向けるとちょうどミスリルの換金が終わったらしく、ファナさんが受付嬢さんから大きな金貨袋を受け取っているところだった。
「どうもありがとう」
「はい、またお願いしますね♪」
「ファナさんお待たせしました! それ、持ちますよ」
かなりの重さであろうそれを女性に持たせる事もできず、僕は横から声をかける。
「あら、おかえりなさい。ではお願いしましょうか」
そして想像以上の重量のそれを手にし、僕らは宿に戻ることにした。
「結構……つーか……ちょっと引くくらい稼いだな」
宿のテーブルを囲み、今日の成果を確認しているとニーナが少しの困惑とともに呟く。
「ええ、けどこれだけあればしばらくは安心ね」
想像以上の金貨の山にファナさんもご満悦のようだ。
話を切り出すなら今かもしれない。
「みんな、ちょっといいかな──」
改まった僕の言葉を受けて不可思議な顔をするメンバーに、先程の屋台で聞いた【レクイル】の町の領主の件を伝える。
「──って、話なんだ」
静かに聴き続けてくれたおかげですぐ終わった説明。
「怪しい……ですわね」
真っ先に口を開いたのは当然ながらアリスだった。きっと想像しているのは同じことだろう。
「うん。僕もこの話を聞いてアリスの継母──レイアじゃないかって思ったんだ」
核心をついた僕の言葉を受けて場が静まり返る。
各々が思考を巡らし、アリスとカグヤは固く指先を握っていた。
そして、限界に達したようにアリスが口を開く。
「わ、私は──」
「──僕は行くべきだと思う」
その声を遮り、自分でもらしくないような強い口調で僕は提案する。
「──シン?」
驚きと困惑を隠さず僕の名を呼ぶアリスに微笑み言葉を継ぐ。
「アリスの仇かどうかの確証はないけど、あまりに状況が似通っている。しばらく余裕を持てるくらいの資金も手に入れた。ならば僕はその町を──救いたい! ……だ、だめ……かな?」
かっこよく言い切ろうとすると、不安と羞恥が湧いてしまい最後まで勢いを保てなかった。こういう弱さが自分でもなんだかちょっと嫌になる。
恐る恐るみんなを伺うと、
「もちろんですわ!」
「ええ、望むところでございます」
意気揚々と同意するアリスとカグヤ。
「シン、かっこいい──あ、えっと、いいと思うよ! うん!」
「しやーなしだな。いっちょやったるか!」
うっとりとしたレナと捻くれながらも賛成の意を示すニーナ。
「──ふふっ」
そして、意味深な笑みを浮かべる女性が一人。
「ファ、ファナさん?」
「くす、失礼しました。えぇ賛成です。しかし……」
賛成のようだがどこか含みのある口ぶり。不思議に思い見つめると彼女は妖艶とは違う、子供みたいな笑みを浮かべた。
「……まさか今後の提案をシンさんに先に言われるとは思いませんでした。これはリーダーも交代かしらね? くすっ」
嬉しそうに、そしてどこかからかい混じりにそんな事を言う。
「い、いやその、それは……」
くすぐったいその言葉に上手く返せず、モゴモゴと口澱む僕をみんなが笑い出す。
とにかくこれで方針は決まった。
向かうは【レクイル】の町。
目標は領主に忍び寄る謎の女性の究明だ!
「──話がまとまった所で……シンさん?」
「はい?」
新たな目的を得て浮き足立つような僕らにファナさんが囁く。
「今日はレナとダンジョンでお楽しみ。そしてニーナとも外で楽しんできたみたいですね♡」
「──っ! な、なんでそれを!? ……あ」
突然の爆弾投下。
「ふふっ──かまをかけただけです♪ シンさん? 大事な仲間に隠し事なんて酷いですよ……」
よよよとあからさまに嘘だとわかる泣き声をあげて掌で顔を覆うファナさん。
そして、
「なので──お仕置きの特訓です♡」
ケロっと表情を切り替え、いつもの妖艶な顔つきでそう口にしたのだった。
その日、僕がファナさんとアリスとカグヤにカラカラになりそうなほど搾り取られたのは言うまでもない。
ファナさんを差し置いて僕がリーダーなんてあり得ないと痛感した夜でもあった。