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第38話 アリスの決断。潜む影。

領主の館の一室。華美ではないが重厚な作りの扉の前に立った僕ら。
先頭にいるファナさんが代表として中にいる者へと伺いをたてるように軽くノックをしたところ、すぐに返事が届く。

「──入ってくれたまえ」
「失礼いたします」

ゾロゾロと六人が入室したのは領主の執務室。そこは僕らと領主、その合計七人を押し込んでも狭さを感じさせないゆとりある空間だった。
中央には背が低いテーブルがあり、それを四方から囲むように三人がけのソファーが置かれている。壁側にはいくつもの本棚が並び、歴史書や領地の資料などが整理整頓されて並んでいる。
部屋の奥にある広い執務机と触り心地の良さそうな椅子。僕らを出迎えた領主はそこから立ち上がってソファに移動し、全員に座るよう促す。

北に領主が一人。南に僕とファナさん。東にレナとニーナ。西にアリスとカグヤ。この形で座り込んだ一同の中、最初に口を開いたのは呼び出した領主ルフラスさんだった。

「まずは改めて礼を言わせてくれ、この町の危機を救ってくれたのは間違いなく君達のおかげだ」
「か、顔を上げてください。僕らは当然の事をしたまでです」
「そうか……ありがとう。そして、すまない」

頭を深く下げた領主に声をかけると、彼は再びの礼と謝罪を口にする。その謝罪が顔を上げたことに対するものなのか、それとも別の事についてなのか僕には判別がつかない。

「早速だが状況を伝えようと思う──」

領主の語ったことはこうだ。
レイアから情報を聞き出し、何人かの魔族と通じている人間を特定でき、今は追い込むための証拠を集めている最中とのこと。近々何人かを捕らえる予定だそう。
レイアも協力的で、与えた精もしっかりとっており、問題はない。
その大体は既に知っている情報だ。

「そして、これが本題なのだがね。王──ラミィール女王陛下に今回の件を報告し、いくつかの返答があった──アリス君。特に君の家に関わる話だ」

自分に向けられた領主の言葉を受け、神妙に頷くアリス。その表情は何か覚悟を決めていたようにも見える。

「まずは君の父上の名誉の回復を約束された」
「お父様の……そうですか」

歪んでしまった名誉や信用は一朝一夕では戻らないだろう。それでも国の長がそう言うのならきっと遠からず彼女の父親の汚名は晴れるだろう。

「そして、ここからは君についての話なのだが……没落した君の家の復興にも力を貸そうとのお言葉も頂いた」

場が静まり返り、アリスやカグヤですらその言葉に反応できないでいた。
いくつの感情が二人の中で入り乱れているのは表情を見れば明らか。驚きや喜び、困惑が生まれるのは仕方のないことだろう。
僕は──いや僕だけでなく、きっとレナやニーナやファナさんもこの時が来たかと思ったはずだ。
復讐と父親の名誉の回復。それが成されればアリスが冒険者を続ける理由などきっとない。おまけに元の地位を取り戻せば危険などなく、悲しむこともない幸せな人生を送れるだろう。

「もちろんアリス君はまだ若い。突然家を建て直すと言われても困るだろう。そこは恩を返すつもりで私も全力で手を貸そう。どうだろうか?」

真摯な領主の言葉にアリスの瞳が石を落とした水面のように揺れ、縋るようにカグヤへと顔を向けるが、その相手はじっと見つめ返すのみで何も語らない。
そこから視線を外し、レナとニーナ、そしてファナさんへと順番に顔を動かすアリスだが、彼女らもメイド同様何も答えなかった。
最後にたどり着いた不安気な視線は僕に注がれた。そして、僕もみんなと同じく口を開く事はない。
決して無視をしている訳ではない。僕含めみんな言いたいことなど山程ある。だが、それら全てを胸に押さえつけて、視線で告げているのだ。──君が決めるんだと。
全員の視線をしっかりと受け止め、アリスは小さく、だが確かに頷く。その決意を固めた表情を見れば思いは伝わったのだとわかる。

「……領主様。少しお話をしてもよろしいでしょうか?」
「聞かせてもらおう」

真っすぐルフラスさんに顔を向け、呼びかけるアリス。

「私は……妾の娘でした」

それは小さな少女の独白。

「産まれてすぐに実母を亡くし、父と本妻に引き取られ何不自由なく暮らし、沢山の事を学び愛を注がれて生きてきました」

確かな言葉。本を捲り一文字ずつしっかりと読み上げるように響く声。

「その中で父からとても大切な言葉を教えてもらったのです。『貴族としての地位に甘んじることなく人に尽くせ』というものです。……残念ながら父の最後は正気ではなかったとはいえ、決して人のためにとは言えませんでした」

誰も――直接話しかけられているルフラスさんですら相槌すらできない。その語りには口を挟むことや、吐息の音で邪魔をすることすら無粋に感じられる何かがある。

「そして、私もまた父と家を失った後、正しい道を進めなかったのです。【白き雷光】の皆を罠に嵌め、無理矢理その力を奪おうと画策し、暴力に訴え……そして、あっけなく破れてしまったのです」

高飛車な振る舞いもあるが性根は優しいアリスの事だ、日頃気にしていない風を装っていても、僕やみんなを襲った件に対する後悔や懺悔の思いはずっと残っていたのだろう。

「そして、明らかな罪を犯したこの身。憲兵に突き出されても、その場で殺されてもおかしくない私を皆は許し、あまつさえ手を貸してくれました。――そこで、気付いたのです。人のために尽くす。それはどのような立場であってもその思いと信じる心さえあればできるのだと……」

美しく、確固たる信念を堂々と口にする彼女の姿に幼さなどまるでなく、眩しく輝いていた。

「元より妾の子。そして、罪を犯した身。私は貴族の地位に戻りたいとは思えません」
「……そうか」

力強く宣言した彼女の言葉に領主が口を小さく開き応える。

「……だが、おこがましい話ではありますが、代わりに私の家に仕えていた者や父の乱心の被害を受けた者達に出来る限りの施しをお願いできませんか?」
「なるほど……確約は出来ないが、そちらについても全力を尽くすと約束しよう」

自らの地位よりも人のために尽くす。彼女の中で生き続けている父親の言葉がそう口にさせたのかもしれない。そして領主もそれに貴族としての誇りを示し頷く。
話はまとまった。そう思った時。

「――ねぇ、アリス。本当にいいの?」

決意を確かめるように問いかけたのは、お嬢様を一番近くで見てきたメイドでもなく、パーティーの要のファナさんでもなく、レナであった。短い付き合いではあるものの、アリスを妹のように可愛がり、時に優しく、たまに厳しく接していた彼女は抑えきれないといった風に不安を顔に浮かばせながらも口を挟む。
レナはアリスの幸せを思ってこそ、みんなの心の声を代弁するように問いかけたのだ。

「ありがと、レナ。けどこれでいいの。――私は【白き雷光】の召喚魔法使いアリス。それで十分だわ。それに――」

年に似合わぬ大きな胸を張り宣言するアリス。そして、その表情が真面目なそれから、ほんの少し悪戯気なものへと変わり……

「――シンとは隷属契約を結んでいるものね♪ 隷属された貴族なんてお笑いだわ」
「ふふっ、それは――確かにそうでございますね」
「……え? えぇぇ!?」

カグヤも合わせて急に僕へと向けられた矛先。

「シ、シン君……! 君はあのサキュバスだけでなく、仲間の二人も隷属させているのか? も、もしや……他の三人も……」
「いやいや! 違いますから! アリスとカグヤだけですし、それにも深い理由があって……むしろ僕達はいいって言ったのにアリスが率先して……あと、いつでも解除できますし――むぐっ」

メイドとお嬢様に隷属契約を結ばせている事に若干引いた領主は、あらぬ勘違いまでして鬼畜を見つめるような瞳を僕に向ける。それを精一杯否定している僕だったが、むにゅん♡
横から飛びついてきたアリスが、膝の上に跨り、互いの胸を押し付けあうように正面から抱き着いてきて言葉を塞ぐ。
そして、真っ直ぐ視線を合わせて僕の唇に可憐な蕾のような自身のそれを重ねた。
ちゅっと水音を立てて、潰れて合わさった柔らかく甘い感触。それが一瞬で離れ、僕の顔を覗き込むアリスは目を細めてこう呟く。

「責任取ってもらうからね♡ ご主人様♡」

その子供がふざけているような、敬いを感じられない口ぶりと笑み。

「あぁぁー! アリス! ズルい!」

レナは突然目の前で行われた口づけに先程の優しさを忘れたように嫉妬の声を漏らす。

「ふふっ、油断大敵よ♪」

領主の前でこんな厄介な事をするお嬢様は、確かに貴族よりも――僕達の仲間でいたほうがずっといいかもしれない。そんな事を考え、僕は自分でも意識しないまま小さく笑い声を溢した。その声は伝播し、みんなもルフラスさんですらも笑みを漏らし、執務室を楽し気な音で満たしたのだった。
アリスについての話も終わり、僕の膝から下りた彼女が元の位置に行儀よく座りなおすのを見届けてから、領主がコホンと雰囲気を切り替えるように咳ばらいを一つして口を開く。

「――最後になるが、君たち全員に関わる事で女王陛下から伝言がある」
「ラミィール女王から私たちに……? それは一体?」
「今回の活躍に対して感謝の意を伝えるとともに、アリス君の家の事とは別に【白き雷光】に恩賞を与えたい。――王都、王城に来られたし……とのことだ」

女王からの呼び出し。決して断れぬその伝言は、僕の心には何故か新たな波乱の予感が芽吹いていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「あぁん♡ シン様ぁ……早く会いたいわぁ……♡」

ここは地下に作られた監獄。その最深部のミスリルで作られた檻の中、遠く離れた思い人への恋慕を募らせて悶えている者――サキュバスのレイアが一人ぶつぶつと呟いている。
魅了と隷属で従順となった彼女は退屈に縛り付けられながらも、焦らされているような状態に満足していた。

「――レイア? いつまでそうしてるのかな?」
「はぁん……♡ ……あら、あなた邪魔しないでくれる?」

厳重な警備。魔法による施錠。簡単には侵入できないその部屋にはレイア以外誰もいないのに聞こえてきた声。彼女の口ぶりから恐らく見知った人物なのだろう。

「そろそろ、お遊びには満足したろ? 脱出してもいいじゃないか。必要ならボクも手伝うよ」
「不要よ。私はシン様に従うの♡ それでいい子にしてご褒美を貰うんだから♡ ふふ……ふふ……♡」

脱出を唆すその声をにべもなく断り、レイアはそっぽを向いて再び妄想の世界に沈むようにえへえへと笑う。

「サキュバスが魅了に飲まれちゃって、まったく……そういうことなら別にいいけどさ。そんなにいいの? そのシンって男は」
「えぇ、補助魔法とやらで私にも対抗できるくらい強い力を出せて強いの♡ それに優しくて♡ おっぱい大好きな甘えたさんで可愛がりたくなるような雰囲気もあるけど、強気の時はきりりってしてカッコよくてぇ♡ あぁん♡ シン様ぁ……♡」

色眼鏡が多分に入ったようなシンへの評価を語る囚われのサキュバスはまさに恋する乙女。

「へぇ……君をそんな風にしちゃう程ね……。面白いね、その男――シン君ね……ボクも気になってきたよ」
「ふふん♡ しっかり覚えておきなさい。私のご主人様……魔法剣士シン様の名前を♡」
「あぁ、そうさせてもらうよ。それと……気が変わったらいつでも出ておいでよ?」
「……余計なお世話よ。くふふ……シン様ぁ……♡」
「……そうかい。それじゃあ、また」

目に見えぬその人物は好奇心が滲むような声を出し、覚え込むようにシンの名を呟いた。
そして気軽なやり取りを交わし、別れの言葉を告げた後は、二度と声が響くことはなかった。恐らく消えたのだろう。

「――魔法剣士シン。レイアを下したその実力。果たして君はボク達の邪魔になるのか……それとも。ふふっ、お手並み拝見といこうか♪」

監獄から遥か遠く離れたどこかで、そんな呟きが空気を揺らした。

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