第6話 醜女好き
僕が身嗜みを整えて治療院を開いた早朝。
治療院を背にした僕の前では二人の女性が立っていた。
治療を受けに来てくれた様子でもなかったけど、隣にいるのは昨日のエルフさんだった。
「シルヴィさん、来てくれたんですね。そちらの方は?」
そこで目を向けたのは同じく目の覚めるような美女だった。
要件を尋ねると、彼女は名乗り頭を下げた。
「うちのリーダーが悪かった。アタシにも謝らせてほしい」
背が高くシルヴィさんよりも頭一つ分ほど上から視線が向けられる。
その隣では昨日のレイプ事件を起こしたエルフの麗人シルヴィさんが同じく頭を下げている。ピクピクと揺れるエルフ族特有の長い耳が目に入る。ちょっと触りたくなったけど我慢した。
「いえ、大丈夫ですよ。あの時のことは僕も仕方ないと思います」
「そうか……いや、それでもだ。本当に悪かった」
随分と律儀な人だ。
第一印象で気が強くて怖そうだと思ってしまったけど、所詮は第一印象だったようで、彼女を見ていると真面目な人なんだなと僕のアイリさんへの印象はガラリと変化していた。
まるで”睨みつけている”みたいに鋭い眼差し。
扉を開けた後なんかはガンを付けられているのだろうかと不安にもなったけど杞憂だった。
初対面で威嚇される心当りもないからね。
まるで”敵”を見ているかのようなアイリさん。そんな強そうな顔をしていても美人は変わらず美人だった。
「あ、すいません。ちょっとだけ失礼します」
背を向けると一瞬だけ悲しそうな顔をしたシルヴィさんが目に入った気がした。
一度戻って彼女が昨日置いていった代金を手に持って、急ぎ入り口へと向かった。
驚く彼女にそれを手渡した。
「?」
「ほら、帰り際に全部置いていったみたいで……治療費の分は引いてあるんで、御釣りはお返しします」
すると彼女は「あ……」と声を漏らす。
どうやら思い出してくれたようで、おずおずとこちらの差し出した皮と布の二重構造になった小さい袋を受け取ると中身を見る。
「あ、あの、これは少しでもお詫びをと思って」
「え、そうだったんですか?」
見た時びっくりしたけどこの大量のお金はそういうことだったのか。
昨日確認したら治療費を5倍にしてもまだ届かないほどの大金が入ってた。いくら謝罪とはいえこれは受け取れない。僕が少し驚いただけで実害はなかったわけだし。
「あ、でもですね! お金で全部解決しようとかは思ってなくて……その、私にできることなら本当に何でもするつもりでしたし、トーワさんがお望みながらそれこそなんだって」
「そんなに慌てなくても、僕は気にしてないので大丈夫ですよ」
だからそちらも気にしないでほしいと少しわざとらしく笑いかけた。少しでも安心してもらいたかったから。
シルヴィさんは僅かに目を見開くと嬉しそうに頬を染めた。照れ臭そうに緩む表情に和やかな空気が流れる。
でも、これは受け取らないと失礼に当たってしまうんだろうか? とはいえ彼女のことも考えると全部受け取るわけにも――
「なんのつもりだ?」
赤い眼光が僕を睨みつけていた。
あまりの迫力に気圧されて僕はたじろいだ。
シルヴィアさんも驚いているようで、咄嗟にアイリさんに目を向けていた。
「なんの……? えっと?」
「アタシ達みたいな人間にただ優しくしてくれる奴なんているはずねーだろ。確かに非があるのはこっちだ。けど、騙そうってんなら話が変わってくる。なんのつもりでそんな気味の悪い笑いしてるのかって聞いてんだよ」
唐突だった。
意味が分からず助けを求めるようにシルヴィさんを見た。
だけど彼女も困惑しているようで、強い戸惑いが見て取れた。
アイリさんの名前を呼んで止めようとしてくれている。
「……謝りに来てくれたんですよね?」
「そうだな」
「なんで僕怒られてるんですか?」
「お前がアタシ達を騙そうとしてるからだろ」
してないしてない。勢いよく首を振って否定する。
なんで糾弾されているのかが理解できない。今回の一件でどちらかと言えば僕って被害を受けた側だし。
無論僕自身に彼女たちを害そうなんて意思は微塵もなかった。
「あ、アイリさん!? 失礼ですよ!」
シルヴィさんが慌てて静止しようとしてくれているけど、それでも彼女はこちらを睨んだまま止まらなかった。
憤怒の感情をその顔に滲ませながら威圧してくる。強烈な敵意に息苦しささえ感じるほどだ。
するとアイリさんはシルヴィさんを無視して僕に向かって口を開く。
「正直アタシはお前が何か企んでるようにしか思えねーんだ」
「すいません。ちょっとついていけてないんですけど」
困ったようにシルヴィさんを見る。
シルヴィさんも困ったような顔でアイリさんを止める言葉をかけてくれている。
しかし、アイリさんは一歩前に出る。シルヴィさんは腕を引いて止めようとしてるけど無駄みたいだ。どうやら彼女は非力らしい。
あるいはアイリさんの力が強いのか……なんにせよ止めてもらえることは期待しないほうがいいのかもしれない。
「どうせ腹の底じゃアタシ達が怖いと思ってんだろ」
「そんな風に睨まれたら誰でも怖いと思いますけど……?」
そうじゃねーよ。とアイリさんが言う。
「顔だよ顔。こんなにツルツルの肌してんだぜ? 目なんてパッチリしてて、鼻だって高い」
急に自慢されたのかと思った。
ナルシスト疑惑が脳裏を過ぎるけど、そういえばこの世界の美醜が逆転してることを思い出す。
この世界での生活にも慣れてきたけど、ここで暮らした半年程度じゃ前世で十年以上もかけて培われた価値観は変わらない。
「あの……?」
グイッと接近される。気付けば息がかかるほどの距離に彼女の顔はあった。
見れば見るほど綺麗な瞳をしていた。
「おい、こっち見ろ。目を逸らすなよ? 正直に答えろ。お前はアタシたちを騙そうとしてるのか?」
激しく燃えるような深い紅色の目。恐ろしく整った顔の造形。
ここまでの美人だと、この世界ではさぞ生き辛かったことだろう。
(あー……もしかしてそういうこと?)
なんとなく、本当になんとなくだけど、彼女が何をそんなに”怖がっている”のかが理解できた気がした。
「騙そうとはしてません」
それと、と付け加える。
「顔も怖くないですよ」
「は?」
アイリさんの目がこれでもかと見開かれた。
「はん! 口では何とでも言えるだろーがな。これ使われたら困るんじゃねーのか?」
アイリさんは腰に下げた袋から小さな小石を取り出した。
「なんですそれ?」
「真偽の魔石だ。迷宮に潜ったときに偶々手に入ったんだ……役に立つとは思わなかったがな」
あー、なんだっけ。
記憶の奥隅にあった情報を思い返す。
真偽の魔石。
迷宮で手に入る鉱石だったかな。加工後の用途は確か嘘発見器だ。
とはいえ珍しい上に劣化が早くてすぐに効果も薄れていくという使い勝手の悪さもあり、普及はほとんどしていない。だったかな?
「分かるだろ? アタシ達に嘘なんて無駄なんだよ。分かったらもう――」
「いえ、使ってもらってもいいですけど」
「……偽物とでも思ってんのか? 本物だぞ?」
「でも害とかないですよね?」
「そりゃ……」
歯切れ悪くもごもごし始めた。もしかしてブラフだったのか。
あるいは探ることを悪いって思ってくれているんだろうか。
グイグイ来る人に見えて、変なところで律儀な人だった。
「それで疑いが晴れるなら構いませんよ」
「……分かった。精々後悔しろよ。お前はアタシ達を騙そうとしてるのか?」
アイリさんの手にある魔石に触れながら答えた。
「いいえ」
魔石は反応を返さない。
昼間の明かりにキラキラ反射するだけで、その魔石自体が光を放つ気配はなかった。
「…………は?」
アイリさんが分かり易く動揺した。
魔石を僕に握らせてもう一度僕に問い掛けてくる。
「お、おい……もう一度聞くぞ。この顔が怖いか? 醜いと思わねーのか?」
嘘をつく理由はない。僕は正直に答えた。
魔石は無反応。深い緑色の色味は変わることはなかった。
「は――? え? ほ、ほんとなのか? 本当に……いや、あっ、アタシは騙されねぇ! もう一度! もう一度だ! アタシの顔を見てなんとも思わねーのか!?」
三度目の問いかけ。なんかさっきまでの印象と違って見えてきた。
顔を少し赤くして、先ほどまで真っ直ぐ見つめてきていた瞳は不安そうに揺れていた。
もしかしてこの人可愛い人なのか?
恐ろしいほどの強気美人さんだと思ってたけど……
アイリさんは怖かったのかもしれない。
誰よりも痛がりだったんだと思う。
仲間を傷つけられるのが、自分を傷つけられることが。
だから外敵を警戒した。思えば当たり前のことだった。
……僕は正直に答えた。
「綺麗だなって思います」
なんて口にした瞬間だった。
アイリさんからの圧が消える。そのまま彼女はふらっとよろけた。
今まで近づけていたことを恥ずかしがるように口元を隠した。顔は瞳と同じような赤い色へと変化していく。
「お、お前……もしかして」
アイリさんは先ほどまでとは違った、何かを期待するような表情で口を開いた。
怯えはあるけど、恐る恐る確認するような。
最初の印象とは違った気弱な女の子みたいなその姿が僕にはとても魅力的に映ったのだった。
「ブス専なのか?」
……言葉は選んでほしかった。
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