第8話 獣人の少女
あのレイプ未遂事件の謝罪を受けて数日。
その後のことに関してだけど特に進展はなかった。
交友関係を持ったからと期待し過ぎていたのかもしれない。
あれからシルヴィさんもアイリさんも、怪我をしていないのかこの治療院には来ていなかった。
別に友達になったんだからいつでも来てくれてもいいんだけどね。それともA級ともなれば冒険者としての活動が忙しいんだろうか。
どちらにしろ少し寂しいな。
しかし、それ以外で変化があったことがある。小さいことだけどね。
それはここで餌付けをしたことで懐いてくれた野良猫たちの存在だ。
気紛れに残飯をあげたところ、いつの間にか10匹近くの猫が集まる大所帯になっていた。
「にゃぁ」
「おーいっぱい来たんだね。今日はささみだよ」
味付けは薄めだ。人の食事の味付けに慣れたら彼らも困るだろうからね。
美醜の価値観が変わったなら小動物の扱いはどうなるのか? 一時期そんな疑問が浮かんだことがある。
聞けばこの街では猫や犬は随分と嫌われているらしかった。
見つけたら追い払われたりするらしい。街中で殺したら死体が病気の元になるとされているから率先して害されるようなことは少ないらしいけど、野良犬なんかの被害が増えたら駆除されることもあるとか。
獣人族からでもない限り、彼らが愛でられることはほとんどない。
愛玩動物としては魔物使いに調教されたインプと呼ばれる魔物が人気らしい。
冗談かとも思ったけど、ガチらしい。調教が大変だから富裕層くらいでしか飼われないみたいだけどね。
バター犬という言葉が浮かんだけど、ゴブリンに似た生き物が局部を舐める絵面を想像して怖くなった。
価値観の逆転はこんなところにも被害者を出しているみたいだった。
「お前たちも大変だねー」
僕の言葉が伝わるわけもないけど、声をかけた。
エサ皿に入った解した肉をがつがつとお腹の中に収めていく野良猫たち。
この人懐っこい姿を見ると仮に不細工だとしても追い払う気なんて起きないけどなぁ。
「聞いてくれる? 友達ができたんだけど遊びに来てくれないんだ」
にゃぁ? と不思議そうに顔を上げてくる。
目は合わせてくれないけど、猫が目を合わせないのは敵意がないみたいな意味だったことを思い出した。
そのうちの1匹を抱き上げた。
「お前さぁ、そんなに無警戒なのはどうかと思うよ?」
汚れのせいでゴワゴワした毛並みを撫でると、白い毛並みの野良猫が喉を鳴らした。
体を擦り付けて甘えてくる。
どことなくシルヴィさんっぽい気もするな。
となるとあっちで警戒気味の赤毛の猫はアイリさんかな?
「仲良くなれたと思ってたけど違ったのかなー……」
「ふむ? というと?」
「この世界で年の近い友達って少ないからね。というか初めてかも……ずっと人気の無い治療院で一人ってのも……」
と、そこまで言ってから気づいた。
あまりにも自然だったから全く分からなかった。
野良猫に交じってやたらと大きいサイズの生き物が。
野性味あふれる水色の髪の毛を伸ばしに伸ばした猫耳の少女がガツガツと野良ネコ用のエサ皿にはいったささみ肉を平らげていた。
「……誰?」
ピタリ、と彼女は止まった。
「……私はミーナ。それよりもあなたは?」
それ完全にこっちの台詞だよ。
目の前の少女は野良猫たちに混ざって本当に野生動物みたいだ。
僕より少しだけ年下……たぶん15前後くらいだろうか?
しなやかでスレンダーな猫のような女の子だった。
いきなり現れた彼女に僕は困惑していた。そんなこちらに構うことなく彼女は口を開く。
「この子たちにご飯をあげていたみたいだけど」
「うん? そうだけど、あ、ごめん勝手にあげたら不味かったかな?」
「そんなことはない。この子たちもお礼を言っている」
……獣人族って猫の言葉が分かるの?
にゃーにゃーと鳴く野良猫たちの声が聞こえる。
「これはなんて言ってるの?」
「お礼を言ってる。それと」
そこで彼女は突然頭を振った。
「ああ……いや、こちらの話。それよりも尋ねたいことがある。聞いてほしい」
なんとなく誤魔化されたような気がした。
別に知られて困るようなことはしていないけど、猫たちはなんて言ったんだろう。ちょっと気になる。
まあいいけど。
僕は彼女の言葉を繰り返した。
「尋ねたいこと? 怪我人がいるとか? ミーナさんが怪我してたり?」
そう尋ねるとキョトンと首を傾げるジト目少女。
「む? 私は五体満足。健康体」
不思議そうにされる。
どことなく距離感を感じさせない彼女に答えた。
「ここ治療院だからね。お客さんかなって」
けどどうやら違ったらしい。お客さんじゃないなら何しに来た人なんだろうか?
こんなワイルドな知り合いはいないんだけど。
「治療院?」
「うん、僕これでも治療師なんだよね」
突然の来訪者に職業を伝える。ついでに名前も名乗っておいた。
彼女は僕から視線を動かして後ろの治療院を見た。
「……ここが? 本当に?」
疑ってらっしゃる。
うん、気持ちは分かるよ。
控えめに言ってボロボロだからね。この建物が廃墟だと言われても信じられると思う。
だけど中は掃除頑張ったおかげで結構綺麗なんだよ。
「そう……だったの。ここに来たのは偶然だったけど、丁度よかった」
「うん?」
「尋ねたいというのはそのことだった」
するとミーナさんは立ち上がり、ポンポンと服を叩いた。
動物の毛皮で作られた服装についた土汚れを払う。
彼女は頭を下げると、たどたどしく言ってきた。
「仲間が苦しんでる。助けてもらえないだろうか……」
酷く真剣な声色で「お願いします」と更に深く頭を下げて続けた。
彼女ではなく、仲間が治療師を必要としているらしい。
それなら彼女はお客さんということになる。
「苦しんでる? 症状とかは分かる?」
「……発熱と体力の低下。詳しいことは分からないけど痙攣もしていた」
発熱と体力の低下だけなら、ただの風邪の可能性があったけど、痙攣もとなると分からないな。
該当する症状はすぐには思い当たらなかった。僕の治療師としての経験の浅さが悔やまれるけど、なんにせよ患者の人を直接診たいところだ。
「その人はどこに? 連れて行ってくれるかい?」
「……いいの?」
ミーナさんは目をわずかに見開いて驚いていた。
疑問の理由が分からず僕は首を傾げた。
「どこも忙しそうでいい返事を貰えなかったから。顔を見せたら逃げられた。まして連れて行ってほしいなんて言われなかった」
そういえばこの子の容姿は僕から見てとても整っている。
つまりこの世界での価値観では逆の評価を受けているということだ。
よく見たら僅かに怯えのような感情が見て取れた。
彼女自身の尻尾はくるんと足に巻かれている。確か猫の生態で不安を表すんだったかな……獣人に当てはまるかは分からないけど。
少しでも安心させたくて冗談っぽく笑いかけた。
「困ってるかどうかと、顔は関係ないよ」
たとえ彼女の見た目に対して逆の価値感を持っていたとしても、ここで僕の行動は変わらないと思う。
治療師の仕事は治すことだ。僕に治せる人が困っているなら助けたい。
僕たちの間に少しばかりの静寂が流れた後……ごしごしと目を擦りながら彼女は口を開いた。
「ありがとう。感謝する……勿論お礼はする。だから……私の家族を助けてほしい」
そう言って彼女は本当に嬉しそうに微笑んだ。
僕は任せてほしいと、頷きを返すのだった。