第32話 リズ・ドラグニル
「南方の香辛料を使ったケバブだよー! お兄さんも一つどうだいー!」
歩くと様々な客寄せの声が聞こえてくる。
食欲を刺激されてお腹が鳴るけど、皆とのご飯も控えてるからここは我慢だろう。
(ギルドは……こっちか)
久しぶりに返ってきたグリルの街。相も変わらない街並みにどこか懐かしさを覚えた。
この世界に来て日も浅いけど、第二の故郷として愛着を持ち始めているということなんだろうか。
冒険者たちの集うギルドには僕も何度か顔を出したことがあった。
とはいえ冒険者としてではなく依頼人としてだ。
薬の原料になる素材を取ってきてもらったりしたんだよね。
なので迷うこともない。道は覚えているので記憶の通りに進むと、程なくして冒険者ギルドが見えてきた。
目立つからフードでも被って隠してた方がいいかもしれない。
ちょっと怪しい容貌にはなるだろうけど……
けどもしかしてこれ宣伝になるんじゃないかな。治療院の為にも縁起のいい黒髪アピールはしていくべきだろうか。
少し悩んだけど知名度を優先してフードを被らずにそのまま向かった。
普通の民家の二階建て以上はありそうな木造の建物の入り口には『冒険者組合』と書かれた看板が吊り下がっている。
人が三人は通れそうな大きな入り口を潜ると中では様々な装備を身に纏った人たちで賑わっていた。
受付をするエリアと素材を買い取るエリアに分かれていて、奥の方では酒場も兼用しているらしい場所があり、お酒の匂いが漂ってきている。
報告は……受付でいいのかな?
番号のついたプレートを受け取り席で待つことになった。
しばらく待っていたら視線を感じる、黒髪が珍しいこの世界ではよくあることだ。
「なんだあいつ。真っ黒だな」
なんて聞こえてきた。ギルドに来ると毎回これだよね。
視線がいつもより集まってる気がするけどなんでだろう? 人が多いんだろうか。
よく見たら酒場のところにちょっとした人集りができていた。
「何かあったんですか?」
隣の獣人の男性に聞いてみた。人よりも獣としての特徴が出ている。たぶん虎の獣人かな?
僕が突然声をかけても、冒険者なだけあって他人と接することに慣れているのか堂々としていた。
細かいことを気にしない人が多いから、冒険者は気軽に声をかけやすい人が多いんだよね。
「ああ、D級の昇給試験に合格したとかで騒いでんだよ」
「凄いんですか?」
「そりゃあな、冒険者にとってはD級が一つの壁みたいなもんだし、あそこで騒いでるやつは20かそこらだったはずだ。かなり有望だな」
へぇ、そうなんだ。
知ってる皆がA級とかB級とかだからしっくりこない。
完全に感覚が麻痺してるな……
「坊主は治療師か?」
「そうですけど、よく分かりましたね?」
「黒髪だとどうしてもそういうイメージがあるからな」
イメージカラーみたいになってるのかな。
「そんだけ珍しい色してると寄ってくる女もいるんじゃねーか?」
「あー、どうなんですかね?」
「はははっ、照れんな照れんな。でもまあそうだな……そういうのは気を付けたほうがいいな」
「何がですか?」
「変なのもいたりするからな。特に……まあ、化け物みたいなのがいるんだよ」
へぇ、と頷きながらも彼の言葉に耳を傾ける。
こうして名前も知らないのに気軽に話せるっていうのも冒険者という職業ならではだよね。
明日死んでるかもしれないんだから行動疾くあるべし、だったかな。以前アランさんに聞いた心構えを思い出す。
彼と話しながらも待ってる人は減り番号が進んでいく。
僕は三十番だからあと二人。この分だとすぐに自分の順番もやってくるだろう。
すると買い取りをしている場所から大声が聞こえてきた。
普段から人で賑わっている冒険者ギルドだけど、それよりも更に大きな声に僕の意識がそちらへと向けられる。
「ふっざけんな! なんでこれっぽっちなんだよ! ダイヤウルフの毛皮だぞ!」
どうやら買値に不満があるらしく、今にも掴み掛らんばかりの勢いで職員に詰め寄っている。
あまり頻繁にはギルドに来たことのない僕だけど、周りの人たちはいつものことのようにその様子を見守っていた。
彼らにとってこういうことは日常茶飯事なのかもしれない。
職員の女性も落ち着いた様子で対応している。
「状態が良くありません。穴だらけで傷んでますし、ちゃんと専用の道具を使いましたか?」
「け、けどよ。いくらなんでも二千はないだろ。せめて五千にしてくれよ!」
「申し訳ありませんが、これほどのものとなると査定が厳しくなってしまいます」
僕がハラハラしながら見ていると、気付いた時には僕の順番が周ってきていたようだった。
「三十番の方」と、呼ばれたので、待ち合い場所から立ち上がった。
まるで動じていない受付を担当している女性が話しかけてくる。
「ご用件はなんでしょうか?」
「はい、ギール村の魔素溜まりに関してなんですけど」
だけどあれは放っておいてもいいんだろうか。
そちらを気にしつつも、僕はギールの村の魔素溜まりについて伝えようとした、その時だった。
先ほどよりも騒めきが大きくなる。
視線を向けると、先程の冒険者が買い取りカウンターの職員に掴み掛っていた。
「こっちは命懸けだったんだぞッ!!」
冒険者の彼は筋の通らないことを言って胸倉を掴んでいる。
カウンターの職員も驚いていた。突然のことに声もでないようで苦しそうに呻いている。
さすがにこれは見過ごせなかった。
誰かが警備兵を呼んでいるのが聞こえるものの、現状でそれは悠長に思えた。
周りからの助け船が出る様子もなかったため、僕は慌てて仲裁に入る。
「ま、待ってください。暴力は良くないですよ」
「あ゛ぁ!? なんだもやし野郎。じゃあ、テメェが穴埋めすんのかよ!」
それとこれとは別だ。女の人に乱暴は良くない。
そもそもギルドの裁定に逆らったらこの人の立場だって危ういんだ。
どうにか冷静になってもらわないと……
なんて悠長に考えていたのが悪かったらしい。
僕も胸倉を掴まれると、彼はそのまま殴り掛かってきた。
あ、これは痛い気がする。
「…………ッ」
僕は咄嗟に目を瞑った。
だけど――
予想していた衝撃も痛みもやってこなかった。
恐る恐る目を開ける。
そこには目前まで迫った男の人の拳を女性の手が止めていた。
思いがけない展開に僕は一歩後退った。
「彼の言うとおりだ。暴力は良くない」
湖面に波紋が広がるような涼やかな声が聞こえる。
違和感のある光景に思えた。
見るからにか弱い細腕が岩のような拳をあっさりと受け止めている。
彼が手加減したようにも見えないというのに女性の手が力を込めている様子もない。
殴り掛かってきた冒険者が「げっ……」と、顔をしかめると、弾かれるように手が引っ込められた。
助かった。そう思っていたのも束の間で、ギルド内の空気がおかしいことに気付く。
音が消失してしまったかのように静まり返っていた。
――化け物。
誰かがそう口にしたのを皮切りに、さざ波のように陰口が広がっていく。
僕を助けてくれた彼女がまるで悪者のような空気だった。
「規則違反は罰金だ。あなただってそれは分かっているだろう?」
女性の諭すような声。
それに反論することなく彼は吐き捨てた。
「チッ、気分わりぃ……」
周囲の不可解な反応の中で、彼はあっさりと引いてくれた。
興覚めだと言うように立ち去っていく冒険者。
武装した警備兵が職員に話を聞いていた。
混乱した頭で彼が被害者だったのかと錯覚する。
隣にいる気配が揺らめくように弱々しく身動ぎをして、まるで敵地のど真ん中にいるみたいな感覚を覚えた。
居心地が悪い。
「あれがA級ねぇ……」
「龍王、まあ猛者の顔付きと言えばそうなのかもね」
小馬鹿にするような声が聞こえた。
何人かが慌ててその口元を押えているようだったけど、悪意は口々にやってくる。
その中で誰かが不意に気になることを言っていた。
「……龍王?」
拾った単語を反芻するように声に出し、訳も分からず僕は頭半個分ほど小さい彼女に目を向けた瞬間、その理由を理解する。
悲し気な表情で自らを恥じるように視線を落とした彼女の容姿を認識した。
僕の目には正しいはずの彼女が仲裁したことを後悔しているようにも映った。
その気配は今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。
だけどそれはすぐのことだった。委縮して俯いていた彼女は静かな動作で顔を上げる。
「大丈夫、だったかな?」
優しい声色で心配される。こちらを気遣う彼女は、本で描かれていた通りの特徴だった。
黒い長髪。その中に白い髪が一房、また一房と伸びていた。
濡れているかのように艶めく黒髪に白い線が何本か伸びている。
この世界では珍しいけどメッシュのようだった。
A級冒険者パーティー”銀翼”の四人目。
儚く、神々しい、精巧なビスクドールのような造形美。
美醜の価値観が逆転したこの世界で、彼女が周囲からどんな目で見られているかなんて分かり切っている。
だけどそれはこの世界の人たちにとっての話だ。
僕は、ただひたすらに美しいと感じた。
時間の経過が緩やかになる。
スローモーションのように世界が流れていく。
周囲の色彩が消える。音さえも聞こえなくなり、言葉が出なくなった。
幻想的な雰囲気がある印象だけど、歳は同じくらいだと思う。
切れ長の黄金色の目は鋭くて、僕の心の奥深くまでを見抜いてるみたいで……
僕はいつの日かアランさんが言っていた言葉を思い出していた。
彼女を謳う物語にも綴られていた一節を。
僕はその意味をようやく理解した気がした。
まるで夢の中にいるようだ。現実離れしていて、この世の者だとさえ信じられない。
女の人相手に酷いことを言うものだと思ったけど……あながち間違いでもなかったのかもしれない。
非現実的ですらあるその姿を見て……僕にはその通りだったのかもしれないとさえ思えた。
彼女は、
”龍王”リズ・ドラグニルは――
いっそ人とは思えないほどに、恐ろしく美しかった。
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