第51話 相手は
先程の衝撃的な光景からしばらくすると、ボクはいつの間にか自宅の傍にいた。
仕切りに使っていたカーテンの奥から出てきたトーワ君。
少し複雑だ。あと皆と顔を合わせるのが気まずい。
さっきのはアイリとだけだよね……?
シルヴィとミーナはまだだよね?
何度か呼吸を繰り返してようやく自分の感情を落ち着けることのできたボクは、少し小走り気味に彼に駆け寄った。
「ん? ああ、リズさんおかえりなさい」
もしかしてあの後、お母さんの容態を診てくれていたのかな。
「母は?」
「リリーラさんなら、今寝てますよ」
「寝ているって、なにかあったの……?」
慌てた様子のないトーワ君を見ながらも、どうしても不安になってしまった。
「心配しないでください、大丈夫ですよ。容体はちょっと様子見ですかね。一応結果はもう少し待ってください」
ホッと胸をなでおろす。
トーワ君の言葉に気になることはあったけど、彼が言うならとボクはそれ以上は聞かなかった。
お母さん、診断で疲れが出ちゃったのかな。
どれくらい寝ているのかと聞くと、トーワ君はもう何度かお母さんの様子を見てくれていたらしい。
「何から何まで……ありがとう。あ、そうだ! これ持ってきたんだ。よかったら役立ててほしいな」
「これは?」
「里の蔵書庫から持ってきたんだよ。この辺りで流行ってた病とかも載ってるから何かきっかけになればと思って」
「……ありがとうございます」
「いやいや、それはこっちの台詞だよ」
わざわざ里にまでついてきてくれたシルヴィ達にも感謝しないとかな。
トーワ君が外に目を向ける。その後を追うと皆が野営の準備をしているのが分かった。
水はわざわざ里の外に出なくても井戸があるんだけどね。
少し行ったところに水源があってそこから水を引いてきている。
トーワ君にもう一度感謝を伝えて、自分はシルヴィ達の手伝いをしてくるとその場を離れた。
皆の元に着くと、野営の準備はもう終わっていたようだ。
「皆、野営の準備を任せちゃってごめん。何かやることはあるかな」
「あ、リズさんお帰りなさい。そうですね……ちょっと早いですけど夕食の準備をしましょうか。暗くなる前に終わらせましょう」
「おう」
そう言ってシルヴィとアイリは少し離れた場所に野菜を持って行ったようだけど、ミーナはそれについていかず「私はトーワを手伝う」なんて言い出した。
トーワ君は少しでも力になりたいと医学の本を読んでいる。
手伝うとミーナは言うけど、彼が調べている治療関連の事でボク達にできることは少ないだろう。
それでもミーナへの対抗心が少し出てきた。
「トーワ君の事ならボクに任せてよ」
「……? なぜリズが?」
「蔵書庫から本を持ってきたんだ。この里のことや龍族のことならボクの方が詳しいと思うよ?」
むぅ、と唇を尖らせるミーナだったけど、たまにはトーワ君の隣は譲ってほしいな。
ボクだって彼と話したいことが沢山あるんだ。
「リズ」
「ん?」
「何だかトーワに最近気があるみたいな……いや、考えすぎかもしれないけど、気のせい?」
咄嗟に言葉が出なかった。
無理やり否定の言葉を紡ごうとするけど、それすら思い浮かばない。
それを見てミーナの目が「え、まさか本当に?」みたいな疑心へと変化した。
それでもボクは何も言えず、黙りこくる。
ミーナが腕を組みボクを睨みながら喋り出した。
「二股はよくない。リズの相手が悲しむ。トーワは確かに魅力的だけど……」
「ち、違うよ! トーワ君なんて全然好きじゃ……な、ないこともないけど、異性としては、ほ、ほら」
ようやく出てきた言葉は真っ赤な噓で、その罪悪感にズンと胸が重くなる。
自分で言った言葉に自分が酷く傷ついている。言葉は尻窄みになっていき、自分の心と真逆の言葉を口にしているストレスは思った以上に辛く、吐き気がした。
次の言葉がなかなか出てこなかった。
これ以上嘘を重ねたくない、トーワ君を否定するようなことも、皆にそれを言うことも。
言葉に詰まっていると、ミーナが「本当?」とまだ訝しそうな目を向けてくる。
もっともらしい嘘を言えば、ミーナはきっと信用してくれる。
そんな言葉いくらでもあるはずなのに、吐き気とは裏腹に喉は痙攣して何も出してこない。
無意味に口を開閉して、結局ボクは頷くことで、ミーナの言葉を肯定する嘘をつくしかなかった。
「分かった……気のせいならいい。だけど、リズも誤解されるような行動は慎むべき」
ミーナの追求が終わった。
そう思うと、喉は動き出していた。
「う、うん。そうだね。ごめん」
僅かに上擦った声が惨めだった。
……ボクが悪い。そう悔しさに歯噛みした。
「それよりさっ、ミーナ。皆のこと手伝わないといけないんじゃない?」
「リズが手伝えばいい」
「皆で協力しようよ」
「私はトーワを手伝う」
「それはボクがやるからさ」
「……何か隠してる?」
「うっ……」
こ、これを言われるとボクは何も言えなくなってしまう。
すると遠くからアイリの声が聞こえてきた。
「おーい、ミーナ」
「むっ」
どうやらツキはボクの味方をしてくれたらしく、アイリに呼ばれたミーナの動きが止まる。
「呼ばれてるよ?」
彼女の葛藤を感じ取り、ボクは促した。
一人きりだったら、気づかなかったということにしてトーワ君のもとへ行っていたかもしれないが、ここにはボクもいる。
最後まで納得は出来てないみたいだったけど、彼女は渋々といった様子で下がってくれた。
◇
アタシが声をかけてからずっとムスッとした様子のミーナ。
作業中もトーワ達の方にチラチラと視線を向けているようだった。
「見てないと手切るぞ?」
「ん」
話しかけてもぼーっとしてるし、生返事だ。
何かあったのか?
だけど、途中から何かに納得したように頷いてからこっちに集中するようになってきた。
夕飯の準備を続けながら、隣で食材をカットするミーナに話しかけると、今度はちゃんとした返事が返ってきて安心する。
そして、会話を続けているとアタシ達の話は自然とトーワの話題になってきた。
「そういえばミーナは里に来てからトーワにくっつかなくなったな。どうしたんだ?」
ミーナが芋の皮を剝きながら、フッと鼻で笑った。
「アイリは何も分かっていない。こういうのは押し続けても駄目。時には引いてトーワの気をこちらに向けることも必要」
「ほー?」
いつも押しに押してたミーナにしちゃ随分と計画的だった。
案外有効かもな。トーワも押されっぱなしで戸惑ってたみたいだったし、本でそういうのを読んだこともあった。
「リズに教えてもらった。少し距離を置いてみたらどうかって」
「ああ、あいつの入れ知恵か」
なるほど、と納得しているとミーナが「アイリはどうなの?」とこちらを探ってくる。
「アタシよりシルヴィはどうなんだ? お前も最近大人しいけど、似たようなこと考えてんのか?」
矛先を逸らした。
なんか今日はやけに静かなんだよな。やることだけはちゃんとやっているが、どことなく難しい顔をしている。
「……シルヴィ?」
やっぱり上の空だな。
アタシが声をかけるとようやくこっちに反応を返してきた。
「あっ、ごめんなさい」
「いいけどよ、何か悩み事か?」
少し悩んだ様子のシルヴィは水を注いだ両手鍋を地面に置いて「……ちょっといいですか?」と前置きしてきた。
何だ改まって。
だけど、シルヴィはもごもごとしている。
しばらく待つけど話す様子がなかった。
いつもより暗い表情でしばらく黙り、意を決したように顔を上げた。
「あの、ずっと考えてたんですけど、やっぱりそうじゃないかなと……二人は気づきませんでしたか……?」
「?」
「なにがだ?」
アタシは首を傾げた。ミーナも同じように傾げている。
アタシたちにシルヴィの言葉に心当たりがなかった。というか今回は向こうの言葉が足りない気もするな。
何を伝えたいのか全然分からない。
「よく分かんねーけど、なにかあったのか?」
「あったような……いえ、結果的にはなかったんですけど……」
言ってもいいものか……なんて、ぶつぶつ言ってる。
要領を得ない言葉だった。
「分かりました。言います。言いますけど……」
シルヴィが小さい声で「リズさんが……」と、始めるのかと思ったら、そこでまた黙ってしまう。
アタシ達が名前を呼んで声をかけるとしばらく悩んだ様子を見せた後、手招きをしてきたので後についていった。
リズとトーワのいる方を気にしてる。なんだ? あいつらには聞かせられない話か?
それからもキョロキョロと周囲を見渡している。
「いえ……リズさんが何故だか怒ってたんですけど……」
「あん? 誰に?」
シルヴィが自分を指さした。
「シルヴィ何やったんだよ」
ミーナと顔を見合わせる。
これはアタシ達が仲を取り持つ流れか?
しかし、それはすぐに否定される。
「あ、いえ、私だけじゃなくてですね……私達に、です……」
「は? なんでだ?」
何かしたっけか。
ミーナも意味が分からないと眉根を寄せている。
「たぶんなんですけど、リズさんの言ってた好きな相手ってトーワさんじゃないかなって……」
「は?」
「あれは異性への好意だと思います。あくまで推測にはなりますが……」
確信を持ってるけど、信じられないという様子だ。
「いや、しかし……シルヴィの言葉は想像の域を出ない」
「……いや、そこまでシルヴィが言うなら考えたほうがいい」
シルヴィの言葉にも根拠がある。
表情の細かい動きで相手の感情が分かるやつだ。
アタシたちが気づかないような小さい物や早すぎて捉えられなかった敵を射止めたり、目に関しては疑いようもない。
そしていつもシルヴィが顔を伏せて人と目を合わせようとしない理由でもあった。
「道中でもリズさんがトーワさんに何度か好意的な目を向けてたんですよ……最初は私も気のせいかな? とか、トーワさんの優しい対応に好意的なのかなーとか思ってましたけど」
アタシがシルヴィの言葉を引き継いだ。
「それが本気だったんじゃないかと?」
シルヴィが頷いた。言われてみれば心当たりはあった。
確かにトーワに対する態度はどこか違和感があったように思う。
「具体的にはどこから怒ってたんだ?」
「拠点でトーワさんと食事会をした辺りから」
「……それ最初じゃね?」
拠点で食事会ってリズとトーワとアタシ達とで馴れ初めやらを話し合った時だよな。
「最初……まあ、最初とも言いますね。具体的な定義はちょっと議論されるところかもしれませんが」とかなんかごにょごにょし始めた。
これはシルヴィが気まずい時にやるやつだ。
無駄に長く喋って言葉尻が小さくなっていく。
「もっと早く言えよ……」
「うぐ……っ、すみません。でも、私だってまだ信じられなくて」
シルヴィは「何度もリズさんを怒らせるようなこと言っちゃいましたし……」と、続けた。
それを言うならアタシだってそうだ。あいつの気も知らないでトーワと話したり……
「そういえば……思い当たる節はある」
「……そうだな」
言葉を零すミーナに相槌を打つ。
ミーナが難しい顔をして考え込むように唸った。
「だけど正直……面白くない。またライバルが増えるというのは……」
ミーナが正直な気持ちを告げた。
それを咎めることはできなかった。
アタシだってトーワを狙うライバルが一人増えたってだけで内心穏やかじゃないんだから。
「けどあいつだけ仲間外れってのは……」
ミーナは言葉を返さなかった。
アタシの口にした言葉を認めたくなかったのかもしれない。
いつの間にかアタシ達の間には沈黙が降りてきていた。
重苦しい現状にシルヴィが喝を入れるように声を上げる。
「な、なんにせよ、話さないことには分かりませんよね!」
「……そうだな。それにシルヴィの予想が外れてるかもしれねーし」
ミーナがうんと頷いた。
声を落としてアタシ達はあれこれと三人で話し合った。
話し合いの方向としては、どうやって聞くかと、その結果どうするか、だな。
「誰かが確認するべきだと思います……もしかしたらリズさんに怒られるかもですけど」
「そういやシルヴィ」
「はい?」
アタシはふと少し前のことを思い出した。
「リズに関しては何かあったらフォローは自分に任せろって言ってたよな」
「……言ってましたね」
シルヴィの奴も覚えてたらしい。
言葉に詰まってる。
「別にお前だけに任せるとは言わねーよ。だけど目が良いお前が適任だとも思うんだが」
「確かに」
ミーナが頷く。シルヴィも腕を組みながら「うーん……」と、考え込んでる。
何か踏ん切りがついてないみたいだった。
懸念がある……いや、というより単純に怖いのかもしれないな。
「いえ、いいんですけど……大丈夫ですかね? 私って口下手なところがあるというか」
確かに肝心なところでやらかすイメージは強かった。
「気を付けて。リズの逆鱗に触れたら本当に洒落にならない気がする」
ミーナの一言にシルヴィの口が引き攣る。
「な、なぜここでプレッシャーを与えてくるんですか……」
「お前な……まあ、嫉妬から刃傷沙汰ってのは聞いたことあるが」
ミーナの無神経な言葉を気にしつつ、大体の方針が決まって気が抜けて軽口が出てきた。
まさかうちのパーティが恋愛沙汰のごたごたがあるとはなぁ。
深くため息をついた。それから思わず苦笑する。
「龍化もしてない時にシェルサウルスの首引き千切ってたよな」
「リズは馬鹿力」
あの時は凄い光景だったな。首から血が噴水みたいに散ってた。
首を伸ばしての噛みついてくる攻撃を躱して頭を抱え引き千切った光景が浮かぶ。
鮮血の光景の中でリズが何の感慨もないように小さく息を吐いていた。
シェルサウルスは四足で突進してくる巨大な亀みたいな魔物なんだが……それの首を力任せにとか、さすがに怖かった。
いやまあ確かに、シェルサウルスの甲羅は硬いし首が弱点と言えば弱点だが……
アタシにはできない倒し方だな。正面から抑えるのはまだしも素手で首は引き千切れない。
前衛のアタシが抑えきれずにリズの方向かわせたのは悪かったが、首を引きちぎられたシェルサウルスにはさすがに同情した。
「おふ……」
シルヴィが変な声を出した。
「誰か代わってくれません……?」
口元がピクピクと震えていた。シェルサウルスを自分と重ね合わせたのか首を抑えてる。
ビビらせちまったようで、アタシは慌てて補足した。
「だ、大丈夫だろ。何かあったらトーワが治してくれるだろうしな」
「いやいやいや、何かあってるじゃないですか」
悪い悪い、とシルヴィを宥める。
本気で怖がってるみたいだった。
怖がるシルヴィを二人でなだめていると、観念したようにため息を吐いた。
「わかりました……とりあえず私がどうにかします……」
リズもトーワに好意的だし、悪いことにはならないだろうとは思っている。
話の口火は、その場の流れはあるし、たらればの話をしても仕方ない部分だしな。
「じゃあ……それなら、なにか……欲しいですね」
ふとシルヴィが呟いた。
「なにか?」
なんのことかと聞き返すとシルヴィはニヤリと邪悪そうな笑みを浮かべていた。
「トーワさんとの一夜を共にする権利……とか」
「却下」
ミーナは反対らしい。即座に否定していた。
顔もムッとさせてる。
「待ってください。これはそちらにも利点が」
「駄目」
「私達って今の」
「無理」
取り付く島もないな……とはいえアタシだってこれで一夜の権利を譲るのは嫌だ。
シルヴィが引き下がってるが、ミーナの意思も頑なだった。
「こういうのは女は黙って待っているもの。トーワの意思を尊重するべき」
そういうもんなのか……?
ミーナの意見の正しさは、自分に経験がないこともあって良く分からねぇな。
「でもこのままだとずっと進展が……」
それをシルヴィが言うと、ミーナは面白くなさそうに口を開く。
「……トーワに不満があるということ?」
こいつもトーワに懐いてるからな。
それだけ大切というか、気持ちを持て余していて悪気はないんだろうな。
けど色々と物を渡して自分の忠誠を示したいようだが、肝心のトーワがあんまり喜んでなさそうというか……
しかしミーナは妙に忠誠心高いよな。猫の獣人だけどトーワに対してだけは従順な犬みたいな奴だ。
父親と兄に虐められてたことを考えたらようやく会えた頼れる異性のトーワに対して好かれたいって思うのは仕方ないのかもしれない。
アタシとしてはそれがいい方向への変化なら問題ないだろうと思う。
とはいえシルヴィの気持ちも分からないでもなかった。
アタシも一理はあるかもなとフォローした。無理やりは良くないけどな、とも付け加える。
シルヴィだってリーダーとして頑張ってくれるなら、その機会があってもいいんじゃないかとは思う。
隣で「ですよね!」とシルヴィが勢いよく頷いた。
仕方なく、といった様子のミーナが大きく息を吐いた。
「ハァ、分かった。それなら上手くできたらトーワに……」
「……トーワさんに?」
一瞬止まったミーナにシルヴィが身を乗り出して期待するような表情を向けた。
まさかトーワに懐きまくってるミーナ公認のあれこれができるのかと目が輝いていた。
ミーナはしばらく考え込んでから提案する。
「近付いてもいい」
「え、今までその権利なかったんですか?」
なんか話が脱線してきたな。
声をかけて二人の気をこちらに向けた。
「なんにせよリズとトーワの事だな。アタシ達もフォローはするが、リズの逆鱗には触れないようにな」
不安はあるけど、どうにかするしかないだろう。
最悪のケースを考えたらパーティーに亀裂が入って解散もあり得る。
……いや、マジであり得そうだし、ふざけてる場合じゃないよな。
というかアタシとトーワのあれ……ひょっとしてバレてるとか……ない、よな?