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第57話 よろしく

すすり泣く音が聞こえる。誰だろうか、でも、泣かないでほしい。だけど体は動かない。
なんだろうか。これは、今は……
ようやく気付く。僕はリズさんに背負われているんだ。

「ぅ……ぁ」

しかし口すら動かすのも億劫で、自分の身体とは信じられないほど動かない。
必死に出した声は、意味のないものでしかなかった。
そんな声にも気づいたのか、リズさんは立ち止まり返事を返してくれた。

「ごめん、ごめんなさい……でも、あんな場所にトーワ君を置いておけないから、ごめん……我慢して、ほしい」

そんなことない。悲しまないでほしい。
すぐにでも彼女を慰めたいのに、僕は少しも動けない。
ただ、悲しかった。

「え、ど、どうしたんですか!?」

泥だらけでリズさんに背負われた僕を見たシルヴィさん達が驚きの声をあげた。
リズさんのことを考えると、それを口にするべきかどうかも分からない。
ただ僕を背負った彼女がひどく狼狽しているのを見てとにかく中へと通された。

「ごめん……っ、トーワ君、ごめん……!」

リズさんはそう言って泣きながら謝るばかりだ。
とりあえずベッドまで運ばれて横になる。
過去に龍化してるリズさんを治した時と似た状態だ。酷い倦怠感で身体が動かしづらかった。
あの時も起きた直後は碌に身体が動かなかったんだっけ。
だけど、寝てる場合じゃない。

「な、なあ……何があったんだ?」

「私にも話がよく……というかなんで二人ともボロボロなんですか……? 魔物に襲われたんですか?」

とりあえず説明だけでも……状況が飲み込めない皆を前にして僕は口を開こうとする。
だけど、リズさんが「待って」と僕を止めると、重々しく続けた。

「……ボクのせいなんだ」

彼女は涙声で何度も謝る。

「彼を……襲ったんだ……ボクみたいな女に人を好きになる資格なんてなかった……」

先程のことを気にしているのだろう。
さっきまでの行為のことを悔いていた。

「……ごめんなさい」

今にも消え入りそうな弱々しい謝罪を聞いた途端、僕は身体を無理やり起こそうとしていた。

「おいっ、無理すんな!」

「アイリさん……ちょっと……手を貸してください」

アイリさんに申し訳ないが、返事をするだけでも辛くて、彼女の心配を無視する形になってしまった。

「……わかった、リズのところだな」

それでもアイリさんは僕の考えていたことをくみ取ってくれたようで、リズさんの傍に連れて行ってくれそうだった、しかしリズさんがすかさず僕の所へ来てくれる。
アイリさんに背中を支えになんとか上半身を起こしてリズさんと向かい合うことができた。
膝立ちのリズさんと僕は視線が重なる。
そんな僕をみてリズさんは痛ましい表情をする。
何度も僕に手を向けるが、そのたびに悲しそうにその手を引っ込めた。
すぐに言葉が出てこない。
さっきアイリさんに頼んだことで、喉に力が入らない。
自分の非力のせいか、なんだかわからないが、少しでも早くリズさんを慰めたくて手を伸ばす。
彼女はビクリと体を強張らせる。
頬に手を添え、その涙を拭った。
すごい滑らかな肌だなと、場違いにも思ってしまう。

「大丈夫です、から……」

そんなことしか言えない自分が歯痒くて仕方がないけれど。

「うぁ、あああ……ごべんっ、ごべんなさいいいいっ!!」

リズさんは僕の手を両手で握り締め、慟哭する。
拭った涙は次から次へとあふれて今もなお零れて落ちる。
この人は今までどんな人生を歩んで来たのだろうか? 価値観の違う僕には想像することさえできない。
でも、きっと辛い思いをしてきたのだと思う。

「大丈夫ですよ、リズさん……」

「ぐすっ……ひくっ」

こんなにも優しい人が誰かを傷つけてしまうことが悲しいと思った。
だからせめて僕だけは彼女に寄り添ってあげようと思う。

「泣かないでください……」

それが今の僕にできる精一杯のことだった。
それからしばらくしてようやく落ち着いたリズさん。
少しばかり気まずい沈黙が流れる中、シルヴィさんが意を決して話しかけてきた。
そういえばさっきから何度か声はかけられていた気がする。

「あの! 置いてけぼりなので、もうそろそろ詳しい事情を知りたいというか……」

シルヴィさんの質問に他の二人も同意を示すようにこちらを見つめてくる。
今回のことは説明せずにいるのは無理だなと観念した。
リズさんに確認を取ると静かに頷いてくれる。

「トーワ君、ボクから全部話すよ……」

僕とリズさんの間でこれまでにあった出来事について包み隠さず話した。
案の定予想していなかったようでそれぞれが気難しい反応をしてきた。
僕は慌てて補足する。
あの時のリズさんは何かおかしかった。詳しく聞かない事にはまだ何も分からないだろうと。
僕が原因で皆に仲違いはしてほしくない。

「僕は大丈夫ですよ」

安心させるように声をかけてみる。
だけど、ミーナは「むぅ」と不満そうだ。

「トーワがいいって言うなら……まあそれにアタシ達も謝らないといけないことがあるしな」

アイリさんがフォローを入れてくれる。
それを聞いたミーナが渋々といった様子で引き下がった。
それぞれの視線がリズさんに向けられる。
上着を羽織って身体を隠したリズさんが改めて事情を説明してくれた。

「……ボクは皆を妬んで欲望のままにトーワ君を傷つけた」

そう言って彼女は頭を下げた。

「ごめんなさい」

言い訳すらしない真摯な謝罪だった。
しばらく経っても顔を上げようとしないリズさんをシルヴィさんが妙におどおどした様子でフォローした。

「あの……そんなに気にしないほうがいいんでは……」

「……無理だよ」

「いや、ほんとそんなに自分を追い詰めなくても……」

シルヴィさんが熱心にリズさんを慰めている。
仲間として、友達として、彼女もやっぱりリズさんが心配らしい。
ただ何となく挙動が不審な気がする。
気のせいだろうか?

「……ボクがトーワ君を傷つけた事実は消えないんだ」

不意にリズさんは「ありがとうね、シルヴィ」と優しく微笑み目を擦った。
シルヴィさんが「ん?」と意外そうに反応を示す。

「そんなに気を遣ってくれて嬉しいよ」

「まあ、そうですね……えっと」

僕も最初は意味が分からなかったけど途中で理解した。
そういえばシルヴィさん同じことしてるじゃないか。
出会い頭のレイプ未遂。不可抗力だったとはいえ、状況は今回のリズさんの件と酷似している。
道理で顔が引き攣ってるはずだよ。そうだね、そりゃ気まずい。
リズさんはもう一度こちらに向き直った。
そして、ゆっくりと口を開く。

「……トーワ君、本当に済まなかった。ボクにできることだったら何でもする。許してくれとは言わない……ただ少しでも気が済むならボクのことは好きにしてほしい」

シルヴィさんが呻いた。目も逸らしていて小さく汗をかいているようだった。
リズさんの言いたいことは分かる。
ただシルヴィさんのやらかしを知らないだけに、言葉の刃がシルヴィさんにも降りかかっていた。

「ボクが告白した言葉は全部事実だ。ボクは君が大好きだ。だからこそ、絶対に許せない……人を襲うような人間が君と恋人同士なんておこがましかった……」

「…………」

シルヴィさんが隣で物凄い冷や汗をかきはじめた。
今更そのことを言及されることになるとは思わなかったんだろう。顔が凄い引き攣っている。
すると慌てて前に出てきて僕の手を取った。

「トーワさん、許してあげてもらえませんか……? 悪気は絶対になかったはずなんです」

「お前それ自分のこと棚に上げ、むぐっ」

アイリさんの口をシルヴィさんの手が塞いでいた。
アイコンタクト取ってるけど、何て伝えてるんだろう。
しばらくして何かしらの結論が出たらしく、シルヴィさんがアイリさんから手を離して深々と頭を下げる。

「憎からず思ってるならリズさんのことも受け入れてあげてもらえないでしょうか。一度の過ちで幸せになれないなんてあんまりじゃないですか」

「シルヴィ……」

リズさんが感激したように目を潤ませた。
とりあえずこれは言わないほうがいいのかな。

「レイプ未遂は未遂なんです。セーフなんですよ」

開き直ってる。
いいんですかそれ。
シルヴィさん的にありなんですかその言い訳……
いやまあ、僕はいいんですけどね、ただミーナとアイリさんの目が凄い冷ややかなんだけど……

「でも……ボクは皆に嫉妬してた」

「そんなこと言ったら私だってミーナさんやアイリさんに嫉妬してましたよ」

「……そうなの?」

「ミーナさんがくっつくたびにこの雌猫! とか思ってましたし、アイリさんとトーワさんが私の入れない会話で盛り上がってる時はこのムッツリ! とか思ってましたよ」

「そんなこと思ってたのか……」

シルヴィさん、リズさんを慰めるのはいいんですけど、それ言って大丈夫なやつですか?
アイリさんとミーナが心なしか顔を強張らせて何とも言えない顔をしている。
特にアイリさんは不満そうだ。シルヴィさんはアイリさんの「お前はお前でペットになりたいとか言ってただろ」という発言を大声で誤魔化していた。
ミーナも「嫉妬というなら私だってしてた」と、皆をフォローしている。

「リズさんは付き合いたくないんですか?」

「そりゃ……ボクだってトーワ君と関係を持ちたいよ」

でも、とリズさんは続けた。

「ボクがいない方が皆だって都合がいいだろうし……」

するとアイリさんがこつんと拳をリズさんの頭に当てた。
なんだかんだでアイリさんもリズさんに気を遣っているのだ。
それは僕も、他の皆も同じだった。

「馬鹿にすんなよ。そんな狭量な人間だと思われてるのは心外だ」

「私も、トーワとの時間が減らないなら何も問題はない」

アイリさんもミーナも賛成らしい。
ただミーナの時間が減らないは無理なんじゃないかな。

「なんで自分だけ例外みたいなこと言ってるんですか……三等分が四等分になるなら減りますよ」

シルヴィさんが呆れている。
だけど、とそんな皆を見てもリズさんはまだ不安そう。

「でも……また我慢できなくなるかもしれない」

リズさんは少し前の龍化を恐れている。
そんな彼女にミーナが自信気に胸を叩いた。

「その時は私たちが止める。絶対に」

ミーナもリズさんを否定することはなかった。
それを見て僕も嬉しくなる。
元々銀翼はこんな感じだったんだね。
僕のいない間に育まれた絆を見せてもらっている気分だ。

「だけど順番は守ってもらう。リズは第三夫人。これは譲れない」

「……あれ? おかしくないですか? 私は?」

「四番目」

「なんで下がってるんですか!」

気付けば僕は笑っていた。
そうだ、僕は知らないけど、皆はいつも一緒にいたんだ。
ここでリズさんを見捨ててしまったら三人は彼女から離れてしまうのだろうか。
僕は心からみんなに幸せになってほしい、そう思っている。だからこの仲を引き裂くような真似はしたくない。
これはリズさんに対しての同情かもしれない。
だけど、それでも一度くらいリズさんにチャンスがあってもいいんじゃないだろうか。
その幸せのきっかけが自分だったら嬉しいと思う程度には、僕は彼女に惹かれているんだと気付いた。

「皆一緒の方が楽しそうですね」

「ん、まあ……友達だしな」

「え?」

疑問を発したその反応に皆の視線がリズさんへと向けられた。

「ボク、まだ皆の友達だったんだね……」

「そりゃそうだろ」

「そうですね」

「うん」

そんなリズさんの呟きに対して、当然のように返す三人。
それを聞いたリズさんは更に強く目元を擦る。
この人はずっと苦しんできていた。
その理由が僕なら謝るのはこちらの方だ。

「リズさん、告白の返事なんですが」

「えぁ? あ、は、はい!」

僕の言葉にビクッと身体を震わせるリズさん。
僕はそんな彼女の手を握りしめて告げた。
手の中で震えている小さな手に、優しく力を込める。

「僕でよかったらお願いします」

「い、いいのかな? ボク色々と面倒な女だけど……」

「いいですよ。むしろここで断ったら皆に怒られそうですし」

皆には一緒にいてほしい。本心からそう思う。
彼女の手は震えていた。
きっとそれは緊張や不安もあるのだろうけれど、一番は罪悪感からだと思った。
リズさんは自分のしたことを悔いている。
でも――

「一緒にいたいです。皆も同じことを思ってますよ」

「……ありがとう」

僕が握った手をじっと見つめながら、彼女は小さく微笑む。
そして意を決したように顔を上げると口を開いた。

「あ……トーワ君、皆も……その、よ、よろしく」

照れたような顔で僕を見つめる彼女。
その彼女の表情は今まで見たことがない程、とても可愛いらしくて、そして綺麗なものだった。

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